HIV 判定保留* 前編

HIV 判定保留。

私の人生観を変えた言葉。
今は絶対に忘れないと思っているけれど人は忘れる生き物らしいので書き留めておきたい。

始まりは数年前からある首のイボを取ってもらおうと思いついたこと。
このコロナ禍、仕事と家の往復だけでうんざりしていた私は、正当な理由があるお出掛けをしたかったんだと思う。

2021.7
近所の皮膚科に行く。
数年ぶりの病院のため、お医者さんとどういうテンションで話すのか忘れてしまった。
さっそくイボを確認
「んー?これはうちではとれないなあ。イボじゃないし、何かわからないものを取ってしまっても調べる設備がここにはないから大きい病院紹介しますね。」
さくっと取ってくれるものだと思い込んでいたので、内心めんどくさいな、と行くか悩んだ。
けれどせっかく紹介状を書いていただいたので、そのまま市民病院へ向かった。

私より確実に20歳は若い先生に診ていただく。
「悪いものでは無いですよ。取るのは良いですがどちらにしても傷痕残りますが良いですか?」
取ってもらいたくてここまで来たんだ、傷跡なんて承知、そのまま手術日を決定。
小さな切開でも手術になるのため事前に血液検査が必要と言われた。
検査項目はB型肝炎、HIV、梅毒とのこと。
私はB型肝炎キャリアなのでこの検査は引っかかりますよと先生には予め伝えて採血室に向かった。

7/xx
手術日前日、市民病院から着信。
血液検査でB型肝炎ウイルスが引っかかりましたので明日の手術は取りやめて、まずはB型肝炎の治療を内科でしてください、予約を取りましたとのこと。

キャリアだと伝えた上での手術キャンセル、そこからB型肝炎の治療なんてどういうこと?と疑問に思いつつも、ずっと抱えている病名をお医者さんから言われると弱ってしまう。
仕方なく言われた通り予約日に内科へ。

7/xx

内科では皮膚科での血液検査のデータだけでは詳細が分からないから再度血液検査しましょうと、2度目の採血。

8/xx
検査結果を聞きに行くと、少し気になる数値はあるけれど経過をみましょう、皮膚科の手術は行って構いませんと診断。
その日のうちに皮膚科で手術日を決定。

9/9
やっと目的の手術当日(ここまでの道のり長かった…かれこれ当初の予定日より2ヶ月経過)、たくさんの人に囲まれて、小さなイボもどきを切除。
その前にこんなことを聞かれた。

「いつB型肝炎ってわかったの?旦那さんも?」

「高校の時の献血で発覚しました。調べたら母子感染でした。」

まだB型肝炎のこと言ってる。問題ないから手術してもらっているのにな。何なんだろうとそのときはぼんやり思っていた。

9/10
翌日処置した部分の経過観察のため病院へ行った。傷は全然痛まず、気になることは大袈裟なガーゼとテーピングが恥ずかしいことくらい。
先生は傷口をチェックし、とても良い状態、抜糸まで軟膏を毎日塗るよう指示をうけた。

一安心して、さて帰ろうかとバッグを持とうとしたとき、初めて聞く言葉が耳に入った。

「あ、血液検査の結果なんですけどHIVが判定保留になっちゃいました。HIV、エイズですね。」

え?と思い私のデータが表示されているPCに目を向けると赤い文字が点滅していた。HIV陽性。

私は一気に血の気が引いた。
なにそれ保留って言った?何が保留?今表示されているのはどういうこと?

そんな私の顔色に気づかず、先生は念の為もう一度採血してそれで陰性と判定されるか確認しましょうと、私は言われるがまま、また採血室へ。

採血の順番を待っている間、スマホで先生の言った言葉を思い出しながら検索する。
何保留って言ったかな、診断保留?違う、出てこない、なんで何も診断結果を渡されないんだろうと別の不満が湧いてくるものの、必死に言われた言葉を思い出す。

「判定保留」だ!

「HIV 判定保留」で検索。

そこに出てくる内容は、判定保留になっても陽性と決まった訳ではありませんとか、次の検査結果が出るまでの過ごし方、相談窓口など、印象はほとんどが陽性の結果が出るような流れにみえた。

採血の順番がまわってきて血を抜いてもらう。
この血にHIVのウイルスが混ざっているかもしれない。
看護師さんは大丈夫かな。
万が一私の血に触れたらどうなるんだろう。
優しく包帯を巻いてくれるその人には絶対うつしたくない、そんなことを考え部屋をでた。

この時の帰りの運転はほとんど記憶が無い。

家に着くと検索を再開。
普通に検索しても同じ状況の人の情報が出てこないので、Twitterで検索。
すると、ひとりみつかった。
判定保留から陽性が確定した人だった。

もうだめだ…

思い当たることがないとは完全に言いきれない。
でも子供を産む時はなにも言われなかったし、だいぶ大きくなってきた子供たちに異変はない。
子供を産む時に見落とされた?それなら子供たちの人生はどうなるの?

このとき初めて、生きるって自分一人じゃないんだと気づいた。
自分のことは自分で責任とれば文句ないでしょといい歳こいてもまだ斜に構えた考えはびりびりに破られてしまった。
死ぬ時はひとり、死ねば全ておしまい、良いことも悪いこともリセット。そう思っていた。
でも仮に子供たちは何もなくても、もし母親がその理由で死んだら。。
死ぬまでの間も、周りから子供たちは差別されたりしないかしら。
ぐるぐるぐるぐると同じところを思考が行ったり来たりしていた。

9/22
明日は病院の日。
今見えている鮮やかな景色が明日の結果を聞くのを境にガラッと変わってしまうかも。今日と明日で世界が変わるなら、今日のままずっと過ごして行きたい。
そう考えるといつも私は幸せな状態にあったんだと気付かされた。

9/23
抜糸と血液再検査の結果を聞きに病院へ。
傷跡はとても良い感じで治ってきているとのこと。
もはやそんなことはどうでも良い、血液検査の結果はどうだったのかそれしか考えてなかった。
すると先生は「また判定保留になっちゃいました。」と。

表情がうまく作れないのが自分でわかる。操作が効かないラジコンみたいな自分の体をどうにかコントロールして次の言葉を待っていた。

「残血でもう少し細かい検査をしてみたんですけど、そちらは陰性でした。でも完全では無いので、もう1回別の検査をしてそれが陰性だったら完全に陰性です。」

今日、判決日だと思っていたのにまた10日間こんな思いをしなければいけない。私の心はまだ持つかな。
ただ前よりは少し陰性側に寄ったような気もする。

陰性だったらこのウイルスについて調べよう、まだ今は出来ない。
きっと怖くなってしまう。

あぁ、でも私はこの病気に対してすごく偏見を持っているんだ。
今はほとんど薬で抑えられて発症はしないという記事を読んだのに、それでもまだこんなにそうじゃない方を願っている。それも尋常じゃないほど。

そして思った。
この病気を調べても女性の経験談が見つからず、見つかったとしても妊娠中の偽陽性の経験だった。

もしかして陽性になった人は最初私のように情報がなくて苦しんで、心配して、公的なところに相談するまですごく心細いのではないかと。

この病気には罹りたくないと思っていた人が陽性になったら、感染経路や、環境によっては言いづらくて、萎縮して生きている人がいるかもしれない。

どんな人でも、命そのものの存在を絶対に否定してはいけない。その命に宿る心を痛めるようなことを自らしてはいけない。そしてほかの命に対しても同じように大切に思わなければいけない。

そもそも元気でいたいけれど、もし正しい知識があれば、治る病気と知っても罹りたくないと偏見を持つようなことにはならなかった。

学校の性教育って何だったんだろう。今はどんなことを教えているのか気になる。


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