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愛するべき人を間違えているから苦しい

愛するべき人を間違えているから苦しい。

生きているだけで苦痛なのは、愛すべき人を間違えているからではないか?

愛というものを感じられないからではないか?

本来、人生のいいところ、美しいところを探そうと思えばいくらでもある。
ちょっとしたことでも。
道端に咲いた花がきれいだなと思ったり、
雨上がりの夕日に感動したり、
仲良くなれなかった人に優しくされたり、
ちょっとしたことで救われたりする。

でも、心が痛んでいると、
気づけない。
当たり前の喜びがあることに。
痛んでいるから、忘れてしまっている。

人をねたみ、人を避けるようになってしまう。

そして自分の檻に閉じこもる。

誰も自分のことなど愛してくれない。

そうして、どんどん痛んだまま、生きていく。

でもね、
あなたはただ生きているだけで愛されるべき人。
がんばるとか、成果をだすとか、人より抜きんでるとか、
そういうことではない。

承認欲求を満たすために自分を繕ったり、大きく見せないでいい。

ただの自分で、息を精一杯している自分というだけで
愛されるのだ。

心がずっと痛いなら、
愛してくれない人を思い続けているのではないか?
報われない愛に執着して、やりすごしているのではないか。
愛がないと思いながらも惰性で付き合っているのではないか。

心が死んでいるのに、頭で必死に愛すふりをする。

かたちだけの、ソトヅラだけの関係。

そんなもの、嘘っぱち。

だから悲しい、わびしい。心が痛い。
いつまでたっても満たされない。

あなたは愛されるべき人間。
そして愛するものを間違わないこと。

愛のあるコミュニケーションは、愛が育っていくもの。

愛しているのに、こんなに思っているのに、
あなたは全く冷たい、なんて思っているのは、
あなたの愛情なんてありがた迷惑。

愛情がただ欲しいになっているだけ。

外側から埋めようとすると誰だって疎まれる。

自分自身を自分で埋めることだ。

じゅわーっと、あたたかい愛情が自分で生み出せること。

いつまでも冷たいあの人は、
きっといつまでも冷たい。
それを教えるための人。

いつまでもあたたかい人は、
きっといつまでもあたたかいのだ。

それを逃さないこと。

愛してほしいからって無駄に執着しないこと。
ひとりになることは怖いことなんかじゃない。
豊かなこと。自由なこと。楽しいこと。
のびのびと自分を表現できること。
しあわせなこと。

まずここから自分を形成してみる。

愛する力はなによりも尊い。
ただし
それがお互いにとって美しいものでなければならない。


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