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辞める、という選択

ライフスタイルの変化と違和感の出現

前職の病院は独身時代から勤務していた。
病院救急救命士という仕事に誇りを持っていたし、何より救急医療に関われること自体光栄であり、様々な職種のたくさんの人達と関われるのも日々新鮮でそれぞれ役割の違う他職種の話を聞くのはとても自身の勉強になっていたと思う。(矢継ぎ早に繰り出される私の質問にみんな嫌な顔ひとつせず答えてくれていた)

日中・夜間と受診者の種類や沖縄特有の海洋生物刺傷・ハブ咬傷・熱傷(ほぼ旅行者の日焼けですね。沖縄UV恐るべし。)・・・いろんな症例で勉強させてもらい「このまま病院救命士として」という想いが強かったのを覚えている。

そんな私が違和感を覚えたのは1人目の育休明けのとき。
専門職であるため救急へ復帰となったが、面談時に所属の上司から言われた言葉が衝撃的だった。


「2人目はちゃんと時期を考えて計画しなさい。」


なぜ赤の他人に家族計画を指摘されなければならないのか。「仕事があるから今回は子作りしませんでした」「丁度後輩たちも育ってきたので子作りしました」そもそも妊娠時期に妥当も不適もあるのだろうか?報告義務?・・・それはおかしいことだとすぐに反論した。20ぐらい歳の離れたその男性上司がなぜこんなことを言ったのか今でも理解はできない。ただ彼なりの正義はあったのかもしれない。が、双方理解の上で合意なければただの”セクハラ”だ。「はい?」と発言した後そのまま私は途中で話を切り、凄まじい音を立てて扉を閉めたのを覚えている。(恥ずかしながら冷静に考えることができなかった若気の至りである。)


面談後からの冷遇と2人目の妊娠

もちろん周りの現場のメンバーのことではない。
前述した上司の対応だけが明らかに変化した。

・リーダー格である私に情報を伝えない
・私のいないときにトラブルを引き起こす要因を作る
・よくある「派閥間トラブル」による後輩救命士の立場を放置
・起案書を最終確認せず差し返されるとあいつ(私)が作ったと言われる

他にも多岐に渡り、俗に言う”嫌がらせ”をされていたが当の私は「いろんなところがちっせぇ男だな」と呆れていることが多かった気がする。幸運にも周囲も現状を理解してくれていてそこに助けられていた。



時は過ぎ、おめでたいことに2人目を妊娠。
・・・とともに始まった悪阻と切迫流産・早産での安静の日々。

そして夫の離島赴任が決まった年でもあり今後の進退をどうするか決断を迫られた時期であった。もちろん私は上司に何度も「本島に残り仕事を続ける」と言う意思表示をしていた。夫とも話し合い「単身赴任」という形で納得していた。


月またぎは再度切迫の診断書が必要であると言われたため、安静中の私に代わり夫が診断書を職場に届けてくれることとなった。◯月◯日の午前中に伺いますと例の上司にアポを取り、当日に「ありがとう」と夫に感謝を伝え送り出した。


・・・2時間経っても帰ってこない。


おかしい。渡すだけのはず。受付で身分確認でもされているんだろうか。しばらくして帰ってきた夫は信じられないことを言った。


「部長さんと面談してきたよ。」


なぜ?Why?どういうこと?
そもそも部長というのは例の上司のさらに上の上司であり、部長室も部外者の立ち入りは禁止されているはず。なぜ一般人の夫が?一抹の不安がよぎるとともに夫から紡がれた言葉は驚愕のさらに上をいくものであった。




「まりあさん、退職の意向があるみたいですね?」
「そうであれば手続き等もあるので・・・」
「安静期間はどのくらいですか?」
「旦那さんは何か聞いているの?」



・・・あら?どちらからのお話でしょう?????




夫とは常日頃から話しており「そんなことは妻から聞いていません。」と一蹴してくれた。(ありがとう。一生推します。)

すぐに部長に連絡し辞めない旨を伝え事なきを得たが「部署の上司から聞いた」との言葉に驚きを隠せないのと上司には一切辞職希望の旨は伝えていなかったのでここまでの仕打ちはひどすぎると強い憤りを覚えるのと同時に「妊娠しなければ・・・」という人生史上最低な考えが頭をよぎった。そんな考えを一瞬でもしてしまった私自身にも嘔気を催した。悪阻なのか精神の乱れなのか分からなくなった私を支えたのは紛れもなく夫でありこの人がいなければ負の輪廻に陥っていたと思う。

話を戻すが・・・そもそも一職員の経済的な基盤を揺るがすような事象を平気でやってのける例の上司の気持ちが理解できない。(し分かりたくもない。)部長が悪いとは思っていない。本来、辞意というのは本人への確認ができて初めて成立するものだ。そんな確認作業もされていない。まぁでも詳細確認は後にして今はお腹の子のために療養しようと。

そして2人目出産し育休明けに復帰となる。



救急から一般診療へ

復帰時はなぜか専門部署から異動となる。

「なぜ救命士が一般に?」
「一般で何をするの?」

私が聞きたい。
”子どもがいるから”と上層部には言われたが腑に落ちない。
夜勤ができないというのもネックだったのだろう。その点は後輩達がフォローします!と心強い言葉をもらっていた。

そもそも救急救命士は緊急度・重症度の判別に特化している。必要最低限の資機材と己の五感での情報で患者の優先順位をつけ適切な医療を提供できるよう尽力している。これは消防機関でも医療機関でも同じである。”急変のプロ”であることを約束され、何かあれば先陣を切って蘇生処置や初期対応に臨むため日々変化する医療について常に勉強しているのだ。

救急は基本24時間開けているため日勤から夜勤へ申し送りができるが一般診療だとそうはいかない。今日の仕事は今日で完結しなければ皺寄せが来る。現に救急にいたときよりも残業は大幅に増えてしまい、子の送迎は全て母にやってもらっていた。患者が自身で測った自動血圧計の値をカルテへ記載していく。「お前らコロナをどうにかしろ!」という理不尽な訴えの問い合わせに耳を傾ける。「薬の残が合わない」との訴えに一緒に薬を数える。救急でやっていた役割は一般診療ではできないことを知る。

感染症の蔓延と医療スタッフの疲弊

コロナ禍の混乱もあり世間も慌ただしく少しのことでイライラしていた。患者だけでなく病院スタッフもそれは同じで身体と心の疲労で辞職していく人たちをたくさん見送った。

そんな人たちを見たときに思った。

「何かできることはないか。」

患者は病院に受診することで安心感を覚える。何回も来院される人もいる。・・・では医療従事者の私たちは?無意識に頑張り過ぎている。家事も育児も仕事も・・・私のようにやりがいもなく給与も低く(20万もありませんでした)そういう人たちは特にどうやって心の安定を保っているのだろう。

いや、私たちだけではない。
男女雇用機会均等法が制定され、表面的には差別化はないかもしれない。”ない”と謳いたい企業が大半だと思う。ただ少なからずハラスメントは水面下で横行しており、その事実が明るみに出ないだけでまだまだたくさんの人が無意識に苦しんでいると私は思う。

ハワイアンリラクゼーションサロンOPENと私の想い


”頑張り過ぎている人にスロータイムを”

”転んだっていい”
”下を向いたっていい”
”後ろを向いてもいい”
”しゃがみ込んでもいい”

立ち止まって座り込んで歩けるようになればゆっくり進めばいい。
そんな”休める居場所”を提供したい。

「人を助ける」から「人を癒す」へ
「背中を押す」ではなく「背中をさする」へ

そういう想いを持ってサロンをオープンした。

個人事業主としては初心者であり、今現在も集客や営業に頭を悩ませている。忙しい。・・・ただ子どもたちの笑顔は格段に増えた。「本当はママに迎えに来てほしい」とポツリと呟いた長男。預ける時には寂しそうに手を振っていた次男。この2人の笑顔が何よりも大事で愛おしくて・・・いつの日かハグすることも手を繋ぐこともなくなるかもしれない。しかしその時まで「大好き」だと言い続けたいと思う。

起業にあたり「もったいない」と何度も言われた。
救命士としてのキャリアをもったいないと言ってくれるのは私にとって光栄なことである。

セラピスト兼救急救命士として第2のキャリアを奮闘していきたいと思っている。これから私自身たくさん転ぶと思うし挫けそうになると思う。でもそんなときこそ一呼吸置いてマイペースで進んでいきたい。


大好きな夫と子どもたちの笑顔をパワーに変えて。


身に覚えのない退職意向のその後

余談にはなるが身に覚えのない退職意向に関しては私の退職時の部長面談でお話ししており、ハラスメントの件も報告。・・・がしかし例の上司は「そういう性格の人だから」と上層部はそれだけで終わってしまった。そしてなぜか「あなたの性格も損をしている」と言われたが、そんなものは承知の上であり正論パンチ眼光鋭い系女子はどこに行っても好かれない。私が一番分かっている。勉強できて光栄。私はこんな大人にならないようにしよう。(もちろん謝罪はない。想定内である。)

長文にお付き合い頂きありがとうございました。

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