一番したいことに埋もれる前に

いつも2番目か3番目かに好きなものを取ってしまう習性がある。1番に食べたいもの、1番欲しい物、一番したいことがあるのに、それをしてはいけないと心の中で誰かにストップをかけられているような感じだ。
子供の頃、一番のそれらはたいてい両親から禁止されていた。欲しい物は、高いからダメ、おさがりがあるからダメ。やりたい部活も、なりたかった職業も、両親の価値観から判断してよくないからダメ。食べ物は両親が用意してくれたものを食べて育った。それは、用意してもらえるだけで有難いことであった。
大人になった今でもその習慣が抜けないのか、一番ではなく、2番か3番の無難な安めの安全で常識のある判断をしてしまう。もう一番を選んでも良いのに。

登山にいつもつきあってくれる友人がいる。私が行ってみたい山を選び、行程も私の登山のペースに合わせて決める。8キロ以上担いで登る体力がないのでテント泊はできないし、健脚でもないので小刻みに山小屋に泊るからお金もかかる行程だ。山行は3泊以上のこともある。
そんなプランにつきあってくれるのは彼くらいで本当に有難い存在である。この先彼が恋人や家族を作り、私の山行に付き合ってくれなくなることが今から恐ろしくてびくびくしている。
彼は、いつも迷わず瞬時に一番を選ぶ。飲食店に入ったとき、一番食べたいののをすぱっと選び満面の笑みで頬張る姿は、見ているこちら側まで一番食べたかったものを食べて幸せになっている気分になる。カロリーや明日の浮腫み具合なんて気にしない。ただその時食べたいものを食べて自分の欲をきちんと満たす。きちんと食事が平和に完結する。

一番欲しいザックを買う。一番欲しいシューズを履き、登りたい山に登り、見たい景色を見て、行きたいところまで行き、冒険欲も満たす。読みたい本を読み、聞きたい講演を聞き、怠惰な欲にも従順で深夜にゲームをして夜更かしすることもある。
私はそれができないのだ。自分の中にいい子ちゃんがいて、こうしたらああなるだろうと険しい顔で考え二の足を踏み、結果心の中のしたい欲は燻り煙をあげどんどんと積もっていく。
自分も彼のように、素直にまっすぐ裏など考えずに一番したいことに踏み出す力があれば人生もっと明るく楽しく可能性も広がるのではないかと思う。

「すればいいじゃないですか」と彼は健やかに笑って言うだろう。悩むことじゃないみたいに。

心の中で積み上げられ審判を待っている一番したいことリストは、消されていくものと、実行可とエンターを押されるものに分けられる。
その作業が長く疲れ果てそのままになることも多々ある。それならジャッジなんかせず片っ端から試せばいいのにと思うときもある。

多分彼には、やらなければよかった、なんて考えることはないのだろう。どんどん選択肢が現れる人生の中で、いつまでもそんなことに囚われ足を止めて選択に後悔している時間はない。人生には、登山道のようにどんどん選択肢が現れるのだから。

さあ、今日は積み上げられたしたいことリストのうち一つでもトライしてみよう。積み上げすぎて雪崩がおきて自分がそれに埋もれて身動きが取れなくなる前に。

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