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【小説】僕たちのゆくえ 3



s1.ちぐはぐ


 僕は自分が嫌いだ。
 ゆるくウェーブのかかった色素の薄い髪も、白く長く大きな身体も。

 幼い頃は、当たり前にいじめの対象になった。母親が外国人でみんなと違うから。だからいじめられて後ろ指を指された。

 けれどいつからだろう。中学に入って身長が格段に伸びると、周りの態度は変わってきた。みんなと違って気持ちわるい。から、みんなと違ってなんかすごい。に。こうなると、卑屈だった心も幾分か和らいで。この状況を楽しめるようになった。

 生まれ持った身体のおかげでスポーツも万能、母譲りの語学力のおかげもあり、少し勉強したら意外と色んなことが頭に入った。女の子にも不自由したことはない。初めての体験は中学の時、同じ団地に住んでた大学生だった。


 あぁ。親ガチャ失敗じゃなかったんだ。

 

 そう思えさえした。最初は。見た目さえ良くて、持って生まれたものさえあれば幸せになれるんだ。そう思った。けれど。





「紫音、おはよう」
 黒いカーテンの部屋に入ると、声の主は静かに窓を閉めた。風がやんで、カーテンがおとなしくなる。それを合図に、入ってきたドアを閉めた。
「今日は気分じゃないんだけどな」
 カーテンを締めてこちらに歩いてくる彼女。柔らかい手に引かれて、窓の近くの机の上に誘導されると、シャツのボタンを全部外され、素肌の胸に唇を落とされる。同時に早急な手つきで、ベルトと制服のボタンが外された。
「気分なの私が」
 赤い唇が笑みを浮かべて歪み、カーディガンの下の黒いキャミソールが弛む。その膨らみに視線を向けていると、彼女は満足そうな顔をして首筋に顔を埋めた。
 チュッとリップ音をたてられる。チクリとした痛みと共に赤いアザが残ったかと思うと今度は途端に不機嫌になった。
「女の匂いがする」
顔を上げ、こちらを睨む彼女。忙しい女だ。そう思いながらそれに答えて彼女を見る。
「そう?」
 わざと甘ったるいボディーソープを選んで正解だった。創られた顔面が歪むのが分かる。
「他に女がいるの?」
「……関係なくない?自由にさせてくれるのが条件。そう言ったよね?」
「…………」

 戯れは、契約通りに。
 甘い言葉も、キスも快楽もあげる。

 でも、心はあげられない。自分も男だから、それなりの捌け口は必要だったから。子供相手より少し大人が良かっただけで。
「楓」
 俯いてしまった彼女、美波楓みなみかえでの名前をわざと優しく呼んで、こちらを向かせる。少し期待した楓を尻目に、自分のシャツの襟元を更に緩めて、汗ばんだ肌を露わにした。
「分かってる?不利なのは先生だよ」
 ニコリと笑って入ってきたドアを見やる。まだ授業前、外からは女子生徒の声がする。
「鍵は締めてない。分かるよね」
 はだけた制服、緩められたベルト。誰が見たって、主導権を持ってるのは大人の方。男と女なんて関係なく、教師生命なんて一瞬で終わる。
「ズルい……。こんなに好きなのに」
「僕も好きだよ」
「……っ」
 あなたの好きとは、少し違うけど。
「いい子にしてよ。楓先生」
 赤いリップにキスを落としてあげる。優しくすれば落ち着くと分かっているから極力優しく。楓を諭す方法なんて分かってるつもりだ。それにもうすぐ夏休みだし、少しクールダウンしてもらおう。そう軽く考えながら、はだけた制服を直して。
「またね、先生」
 少し乱れたカーディガンの首元を直してあげて、軽く頭をなでてあげる。何か言いたそうにしている楓を残し、教室を出た。ちょうどチャイムがなって、生徒たちの姿も見えなくなっていく。






「だる……」
 閉じた扉を確認して、少し歩き出してから呟く。女って何で一番になりたがるんだろう。何でそんなに愛してほしいんだろう。自分と同じだけの愛が欲しいなんて、ワガママもいいところだ。愛はあげられない、あげるのは身体だけだって。最初に約束したのに。大人のくせに、こんな簡単な約束も守れないなんて。

 愛したって、一番になんかなれない。
 だってほら、僕がいい例だ。

 どこにいたって何をしてたって。いとも容易く瞼の裏に浮かぶ姿。わざと長く伸ばした黒い前髪の奥。僕より少しだけ低い位置にある切れ長の瞳。その瞳はいつも自分を通り越して、まるで小動物みたいなアレを見てる。

 でも知ってる。
 彼もまた、一番になんてなれない。
 だって彼は、十字架を背負っているから。






「はよーっす」
 楓をやんわりとやり過ごしてから教室に入ると、授業が始まったばかりといったところだった。教壇に立つ教師を見ると少し眉間にシワを寄せているが、特別咎める様子もないから笑顔を貼り付けたまま席に着いた。
 比較的、人が何を考えているかわかる方だと思う。というか、人の顔色を窺うのが得意だ。
 外国人の母は感情が豊かで、愛情表現もストレートだった。トラックの運転手だった父とは、父が帰ってくるたびによく喧嘩をしていたけど。喧嘩が終わるとよく抱き合っていた。この狭い団地の部屋で、二人が抱き合うのを見ずに過ごすなんて無理で。いわゆるいってきますのキスとか、仲直りに身体を重ねるとか。そういう光景が当たり前にあったから。誰かと肌を重ねるとか、触れ合うとか。特段抵抗はないし、周りの同級生達より知るのが早かったと思う。 
それに中学にあがるまでは、この見た目のせいでよくいじめられたもので。痛くされたくなくて、酷くされたくなくて。相手の顔色を窺うのがくせになった。けれど、子供の思考なんてどう巡らされているか分からない。穏便に過ごしたくて笑ってごまかすと、余計にいじめられたりもした。
 怒っても笑ってもいじめられる。家に帰れば、父と母が怒鳴り合っている。何も聞きたくなくて、何も感じたくなくて。逃げ出した先は隣に住む吉澤海月よしざわみつきの家だった。
 サラリーマンの父と専業主婦の母との三人暮らしの海月の家は、うちに比べて格段に穏やかだった。数年後、妹が産まれるまでは、海月も色々あったみたいだけど。赤やピンクの可愛らしい服を着た海月の母親は基本的にいつも優しくて。いつも怒鳴り合っていた両親とは違って、海月の家は居心地が良かった。
 かすかに聞こえる怒鳴り合う声を塞ぐ様に自分の両耳を抑える海月。
「しおん、もう大丈夫だよ」
 そう囁いてくれていたあの頃が忘れられない。あの時の僕にとって海月は、僕の全てだった。






「……紫音、大丈夫か?」
 チャイムの音と同時に背後に気配がしたかと思うと、耳元で小さく声が聞こえた。じわりと耳が熱くなる。逆立っていた心が、和らいでいく。海月には全てお見通し。それも少し恥ずかしくて。指先で小さくオーケーサインを作ると、海月は黙って席に戻った様だった。
ただセフレとヤらずに真面目に教室に来ただけ。ただそれだけ。なのにこんなにも胸がささくれるのは何でだろう。やっぱり一回やっときゃよかったかな。なんて。突っ伏したまま自嘲していると、今度はクラスメイトの声。
「ねぇ紫音今日帰り遊びに行こぉ?」
 海月入れ替わりに声をかけられ仕方なく顔をあげる。ゆるいウェーブのかかった長い髪にゆるい制服のいつものクラスメイト二人。量産したみたいにそっくりな二人を見ながらまた自嘲する。
 変わりない。自分と。自分を突き通しているように見えて、本当は周りが喜ぶような格好と振る舞いをしてる。唯一無二とか言いながら、周りに溶けるように何となく生きている。
 恋とか愛とかの感情は彼女たちに沸かないけれど。どこか仲間みたいな感じがして、可愛く思えて。校則のせいで染められない黒いウェーブの髪をすくって撫でてあげる。
「今日かー。バイトだったかも」
 女の子は柔らかくて気持ちいい。だからつい触りたくなる。抱き合うのだって挨拶みたいなものだ。だけどいつだったか、同じ団地の女子大生と身体の関係を重ねたときに、同じ団地に住んでたらしい大学生の彼氏と鉢合わせて。何だかんだ大変なことになった。 自分のことは放ったらかしに喧嘩をしてる二人を尻目に、あぁ、近場で済ますと面倒くさいんだな。と、中学生ながらに思ってからは、近場の特に同級生はそういう対象にしないように気をつけている。
「…………」
 背中に感じるジリジリとした視線。楓と関係を持ったのはちょっと失敗だったかなと思う。ただ、身体の疼きを抑えたかった。大人で教師の楓は、丁度いいと思ったんだけど。






 放課後。
それぞれに部活や帰路につく生徒たちの中、海月だけが席に深く腰掛けて動こうとしない。そう言えば今日は朝から何か上の空だったな。そう思って。帰る身支度をして海月のそばに立つ。
「海月、今日僕シフト入ってる?」
 直ぐ側に立ってそう声をかけると、海月はこちらに意識を向けて返答してくれた。ちゃんと答えはしてくれるけど、今日の自分みたいに上の空だ。
 海月と自分は同じバイトをしている。というか、海月が最初に始めたバイト先に自分が押しかけただけなんだけど。身体能力的にバスケ部とかサッカー部とかいろんな部活に勧誘されているけど、自分にとっては海月がいなければどこも面白くない。だから迷わずに帰宅部を選んだ。まあ、女の子と会うのに部活の時間が勿体なかったというのも一理ある。
 今日は火曜日だからバイトの日。そんな事はわかっているが、あえて問いかけて促すとやっと海月は帰る準備をし始めた。けれど教室の後ろの扉。朝坂の途中で海月に声をかけようとしていた下級生が立っているのが見えた。黒い長い髪で俯く女の子と、その子の背中をぐいぐいと押すようにして立っている少し気の強そうな女の子。
 こんな上級生の教室まで来て、公開告白でもするつもりか。なんだか手前の女の子が可哀想にも思えるけど、どこか胸の隅がチリッとするのは彼女がみのりにどこか似ているからかもしれない。どうせ俯いたその前髪の奥で泣きそうな顔をしているに違いない。海月が一番苦手な、泣きそうな笑顔を。「あ、あの海月先輩!」
 案の定呼び止められた海月が足をとめる。二人でもじもじとやってる姿に、戸惑っている様な、苛立っている様な。黒い髪の隙間から見える頬が上気してる。きっと海月はコレを無視することは出来ない。そう思うとやっぱり腹がたって。
「悪いんだけど……」
「ごめんねーこれから僕たちバイトなんだよね。遅刻しちゃうから、また今度で!ごめんごめん」
 海月と彼女たちの間に入ってニッコリと微笑む。ついでに頭をぽんっと撫でてやると、後ろの女の子が耳障りな声を上げる。対照的に手前の彼女は俯いたまま。少し震えたようにしているその姿にも苛立ちを感じて。ふいに海月が口を開きそうになるのを感じて、強引に肩を掴んで教室を出た。
「ごめんねー!またねー!」
 振り返ると、二人が対照的な表情を浮かべてこちらを見てる。黒髪の子の方が顔を上げていて。ギュッと下唇を噛んだあと、どこかホッとしたように息を吐いた気がして。海月の肩を掴む手に思わず力が入った。

 何だよ。泣いてないのか。







 校舎を出てゆるい坂道を下る。その足がどこか重たそうで。バイトサボっちゃうか、なんて他愛もない話をしながら海月と歩いた。
女の子と付き合う気なんてないくせに。心の中に居るのは、あいつだけのくせに。追い払っても追い払ってもまとわりついてくる、あんなどこにでも居る様な子の相手なんていちいちしなくていいのに。
 なんて。ろくに恋愛もしてない自分が言えた義理じゃないけど。優しくすればする分だけ、相手は傷つくのだから。優しくなんてするなよ、そう思う。
 ふいに、熱さを忘れていたはずの右耳が熱くなる。耳元で囁いた、自分より低く鼻にかかった声を頭の中で反芻する。 
「お前、少し抑えろよ」
 少しだけトリップしていた脳が呼び戻される。
「何が?」
「その無駄に出る色気」





 

 海月の事を考えてただけだよ。







「出るもんはしょうが無いよね」
 はは、といつもみたいに笑って見せるけど。熱を持った身体はおさまりそうもない。

 

 ただ、海月の事が好きなだけ。

 

「海月こそ」
「何だよ」
「優しすぎるのは相手を駄目にするよ」
「…………」
 ただの友情だって分かってる。いつも優しかった海月。それは自分にだけじゃなくみのりにも同等だし。ろくに話した事もないような子にも優しくしようとする海月には当たり前の事だけど。一歩間違えれば拒絶すらしないであろう海月の優しさが時に不安で、つい牽制したくなる。
「傷つけないなんて無理なんだからね」



 僕以外に優しくしないで。

 なんて言える立場じゃないし、海月がこうなってしまった理由も少なからず知ってるから。
「……分かってる」

 そう無意識に右手を擦った海月から、目が離せなかった。







#創作大賞2024

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