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【小説】僕たちのゆくえ 9


s4.キス


 放課後。「みつ……」
 自分が声をかける間もなく、鞄を持って席を立つ海月。教室から出て向かうのはみのりの教室の方向だ。今日は一日会いに行くのを躊躇っていたみたいだが、さすがに痺れを切らしたんだろう。
「しーおん。遊びに行かない?」
 何となく行き場がない気がして立ち尽くしていると、背後から声をかけられた。振り返ると愛衣が立っている。
「……ん。どこ行く」
「カラオケ?」
「ん、いこ」
 愛衣と並んで校舎を歩く。
 この前のポーチの一件はクラス以外の生徒の耳にも入ってるようで、少なからずいつもと違う視線を感じる。愛衣は被害者なのに、コンドームを持ってた二人っていうワードだけが周りに回って。自分はいいけど、また愛衣が変な事に巻き込まれないか心配なのだけど。けれど愛衣は我関せずといった感じで、いつも通りにあーだこーだと先生の愚痴とか友達の話をしていて。そんな姿に安心するし、好きだなと思う。
 もちろん、友達として。



 愛衣と二人校舎を出たところで、少し先に海月とみのりが歩いているのが見えた。みのりの鞄を奪うように持って、その周りでじたばたしているみのり。いつもの光景のように見えるけど。
 不意にみのりが海月の前に回り込んで立ち止まって。海月が少しだけ腰を折って、みのりに近づいたのが分かる。
「あれで付き合ってないって嘘じゃない?」
 同じものを見てた愛衣がそう呟く。
「いつもの事でしょ」
 そう、自分にとってはあんなのいつもの光景。海月がみのりに優しいのなんていつもの事だ。
「もう付き合っちゃえば良いのに」
 海月がみのりの事を好きなのは一目瞭然だけど、海月なりに隠しているようで。一方のみのりは、昔から態度が変わらないから、海月を恋愛対象として見ているのかどうか分からない。
「二人が付き合ったら複雑?」
「そりゃまぁ幼馴染だし家族みたいなもんだから」
「ふーん」
「……ほら、行こ早く」
 愛衣の肩を掴んで、なるべく海月達に見つからないように。ゆるい坂道から脇道にそれて足早に歩く。
 側にいて欲しくない、でも。
 もう、いっそのこと付き合ってくれたらいいのに。そう思った。



 夏休みも直前のある日、それは起こった。最近海月とみのりはいつもより早いバスで登校して図書館で何かしている様で、校門で二人を見かけることも無くなったし、一年の女も海月の周りをうろついてないように見えて穏やかな日が過ぎているように思えたのだけど。
「センセー寝かせてー……」
 この日は朝から怠くて。登校してすぐさま保健室の扉を開けると、朝には似つかわしく無い光景が飛び込んできた。
 小さな処置台を囲んで養護教諭の松田と男の教師、それからその奥に制服の女が座ってる。床に落ちている白いシャツらしきものは真っ赤に染まっていて、合間から見える台の上の脱脂綿も赤く滲んでいた。
「だいじょう……」
 三人に近づいて制服の女を確認したところではっとする。海月に付き纏っていた田辺紗夏とかいう一年生だ。
「あぁ、古川くんごめんねちょっと今日は無理かも」
 自分に気づいた松田が、手元の作業はそのままに視線だけこちらに向ける。
「あ、いや別に……」
 止血されてる本人はこちらを見る事は無い。何だか嫌な予感がして視線を巡らせていると、松田のデスクの上に血の付いたナイフが置いてあるのが見えて。
「何あのナイフお前の?」
 思わず田辺紗夏の肩を掴んで、こちらを振り向かせる。俯いたままの顔を覗き込むと、抜け殻みたいにぼんやりとした顔に、涙の跡が見える。気づかないうちに、肩を掴んだ指先に力が入っていた様で、田辺紗夏が少しだけ息を漏らして眉をひそめた。
「先生これ何」
 埒が明かないと思い男の教師に声をかけたところで、遠くの方でサイレンの音が聞こえて。段々と近づいてくるソレに、胸の動悸が重なっていく。
「いや、今図書館で……おい、古川!」
 勢いよく扉を開けて、図書館に駆け出していく。足が縺れて前に進まない。息が苦しくて上手く出来ない。



「……海月っ……」



 校舎を出て別館にある図書館に向かうと、建物の側に救急車が停まっていた。登校中のさなか、野次馬の生徒達が沢山いて。それをら掻き分けて前に出ると、ちょうどストレッチャーが運ばれてきた。救急隊員に紛れてみのりが寄り添っている。
「みーくん、みーくん……っ」
 顔をぐちゃぐちゃにして泣いて、海月の名前を呼んでいて。
「海月?!」
 ストレッチャーを止めて覗き込むと、黒のTシャツ姿の海月が目を瞑って横たわっていて。先程の保健室の床に血塗れだった白いシャツらしきものを思い出す。
「どうなってんだよ海月!!」
「落ち着いてください搬送しますので」
 周りの人達に押さえられ、ストレッチャーの海月が救急車に運び込まれる。
「同乗する方は?」
「私現場にいた教師です」
「お願いします」

 ――バタン。

 大きな音を立てて閉まる扉。目の前が暗くなる。
「みのり病院どこ行くか聞いた?」
 同じく救急車の外で立ち尽くすみのりに問いかける。
「えっと、市民病院」
「みのりも行く?」
「行く!!」



 それから二人、タクシーにのって病院に向かった。平日の午前中もちろん運転手は不可解な顔をしてるがそんなの構わない。
「……何があった」
 隣で両手を祈るように組みながら俯くみのりに声をかける。すると少し躊躇うように話し始めた。
「図書館で委員の仕事をしてたの。梯子にのぼって本の片付けをしてたら突然梯子を抑えられて……。海月くんの前から居なくなれって……海月くんの事なんて好きじゃないくせにって。その後突然梯子を揺らされて落ちそうになって……」
「それで海月が?」
「うん……。海月くんが助けてくれて、そしたらあの人がまた怒り始めて……。周りにあった本を投げ始めたの。そしたら、私を守ろうとして海月くんの頭に……」
「あいつ、ナイフ持ってた」
「……え?」
 俯いていたみのりが顔を上げてこちらを見る。目を見開いて、青ざめた顔で。
「下手したら二人共刺されてたかもしれない」
「……私のせい?……私が海月くんのそばにいるから……」
 グズグズと泣き始めたみのりを見て、興奮していた気持ちが少しだけ落ち着いてきて。何も返す言葉も見つからなくて。病院まで着くまでの間、流れていく風景を眺めていた。



 病院に着いて受付で海月の名前を言うと、処置室のようなところに通された。中には頭に包帯を巻いた海月が眠っていて、規則的な呼吸を繰り返している。
「お前達学校どうした」
 海月の傍に居たのは、一緒に救急車に乗って行った司書教諭の黒沢一真くろさわかずまだ。
「家族みたいなもんなんで。それより海月は?」
 有無を言わさないつもりで様子を聞くと、黒沢が一瞬眉間にシワを寄せてから話し始めた。
「……傷は縫うほどじゃなくて大した事無いし脳にも異常は無い様だ。目が覚めたら帰れるからゆっくり休ませろって医者が」
「何で気失ってんの」
「ストレスだと。お前達も来たことだし俺は学校に連絡してくる」
「ストレスって……」
 言い終わるのを待つ間もなく黒沢が処置室を出ると、次いでみのりも飲み物を買うと言って出て行った。
 平日の朝だというのに扉の向こうでは慌ただしく足音が聞こえる。その音を背中に、ベッドの脇の椅子に座った。
「海月……」
 前髪を掬って額に巻かれた包帯を撫でる。後頭部の怪我は確認できないが、規則正しい呼吸をしているし、医者の言うとおり大したこと無いのかもしれない、でも。
「心配させないでよ……」
 額の指を滑らせて頬に手を当てると、じわりと温かさが伝わってきて。生きてるんだと実感する。
 もし海月が居なくなったら、なんて。

 考えても想像もつかない。隣りにいるのが当たり前で、ずっと海月の存在に助けられてきた。大好きで大好きでたまらない、特別な人。幼馴染だから?そうじゃない。いつからだったか、海月を一人の男として好きになっていた。
「……海月……」

 誰にもとられたくない。
 海月が欲しい。
 そう、心と身体が欲してる。

 叶わない、叶えてはいけない。
 それも分かっている。
 こんな感情、海月に知られてはいけない。



「……っ……」
 不意に楓の事を思い出して自嘲する。自分も楓と変わりないのだ。
 頬から薄い下唇に指を這わせて、柔らかいそれの感触を覚える。
「……海月、ごめんね」
 少しだけ震えている指を引き戻し、そっと自分の唇に押し当てて。
 指先が覚えている温度を確かめた。



 海月の怪我は幸いにも大した事無くて。翌朝家の前で海月を待っていると隣からみのりが出て来た。
「しーちゃんおはよう」
「はよ」
「…………」
 何となく会話が進まない。というかみのりと二人きりの時何を話していただろう、そう思う。
「……そう言えば黒沢っていつもあんな感じだっけ?」
 ふいに昨日の黒沢一真の立ち振舞を思い出して話しかける。図書室なんてほぼ使うことが無いから、司書教諭である黒沢ともほとんど接したことは無いけど。艷やかな黒髪にシルバーフレームのシンプルな眼鏡、それに加えて寡黙な佇まいが、密かに女子ウケしてると愛衣に聞いたことがあったし。自分が思う印象としても、柔和で寡黙で。自分の事を"俺"と呼ぶような人間には見えなかったから。
「もっと何も言えなそうな真面目なやつって思ってたんだけど」
「えっと、いつもあんな感じだと思うけど……」
「へぇ」
 どうでもいい話をしてみたけど、やっぱりどうでも良くてすぐに会話が途切れてしまった。元々みのりは自分から話すタイプじゃないから、別にこの沈黙だって気にすることは無いのだけど。
「……私……海月くんの側にいて良いのかな?私のせいで海月くんがあんな……」
 みのりが俯いて肩を揺らし始める。

 みのりのせい?

 そうとも限らない。煮え切らない海月の態度が色々を助長させてる、そう思う。でも海月は海月で過去の自分と葛藤しているから。自分に出来ることは、側にいて何かあったときに支える事。そう思っているんだけど。何だかんだと海月はいつも自分で解決しようとするから。もっと頼ってほしい、もっと海月に必要とされたい、そう思うのだけど。心のどこかで芽生え始める。もしかしたら、自分こそ海月の側に居てはいけないんじゃないかって。
「……ご、ごめん変なこと言って……」
 何も言葉を出せなかった自分に、みのりが無理して笑ってみせる。
「海月にバレるよ」
 薄っすらと残る頬の涙跡を拭ってやって、乱れた前髪を直してやると、黒い髪から覗く耳が赤く染まって。
「……や、子供じゃないんだから……」
 やんわりと距離を取られたかと思うと、また居心地の悪い時間が流れた。



「……めずらし」
 暫くして玄関が開き、顔を見るやいなや目を丸くしてそう呟かれて。
「おはようでしょ普通」
 いつもと変わらない様子の海月に安堵して少し気恥ずかしい気がして軽く悪態をつくと、海月も少し擽ったそうに言葉少なめに答えてくれて。相変わらず自分達のやり取りを見ながら微笑んでいるみのりと三人、学校へと向かった。



 緩やかな坂道は不穏な空気が流れていた。あれだけ派手に救急車が来たのだ、知れ渡らない訳がない。
「あれでしょ?みのり先輩の真似してた一年がさぁ……」
 ひそひそと、自分達を取り巻く空気から声が漏れ聞こえる。田辺紗夏もすでに特定されているのか。なんて少し感心しながら海月の方を盗み見る。傷の保護のため包帯を巻いたままの海月は痛々しいが、小さく欠伸をして眠たそうにしている海月はいつも通りに飄々としている気がして。
「ねぇ、夏休みどっか行く?」
「行かねぇ。バイトだし」
「毎日じゃないじゃん!」
「ていうか紫音の方が休みに居ないじゃん」
「それはまぁ、そうなんだけど」
 なんて他愛もない話をして。いつもの自分たちを確かめる。隣で微笑むみのり、自分の話を面倒くさそうにしながらも満更でもなくちゃんと聞いてくれる海月。いつも通り。そうに違いないのだけど。



 校門にさしかかり、いつもの癖で三階の最奥の窓を見上げる。澄み切った空に映える白い校舎。今日はあの黒いカーテンはなびいていなくて。最後に楓とシたのはいつだったか不意に思い返すが、最近呼ばれてないことに気づく。それはそれで都合がいいのだけど、何処か心の奥がざわつく。そんな想いを抱えたまま、気づけば夏休みを迎えていた。



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