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【小説】淡い記憶は雨粒に混じって



「雨じゃん……」
 仕事を終えてビルを出ると雨が降っていた。朝の予報では雨なんて言ってなかったのに。会社のロッカーにも傘なんて置いてないし、借りるのも面倒くさいし。
「……走るか……」
 最寄りの駅まで歩いて五分。走ればさほど濡れないだろう。そう思って走り出したところで、ふと淡い記憶が雨粒に混じって私に降り注いだ。



 あれは私がまだ高校生の頃。
 今と同じように学校を出た途端に雨に降られ、電車に乗って地元の駅に着いた。改札を出ても雨はやんでいなくて。傘を買うのも勿体ないし、どうせ濡れてるんだからもう諦めよう、そう思った視線の先に彼は居た。

 キャップを深く被っているけど、長身でスタイルのいい彼は良くも悪くも目立ってしまう。周りにいる女の子達に話しかけられているのに、無愛想な顔をしてきょろきょろと周りを見回してる。

「……やば……」

 ふいに、視線が合って。
 無愛想だった顔がほころぶ。
 破顔した表情は、私だけのもので。
 
 彼は周りの女の子達に一言二言くらい口を開いてから、真っ直ぐに私の方に歩み寄ってきた。
 
「お前濡れてんじゃん。傘は?折りたたみ鞄に入れとけっていつも言ってるだろ?タオルは?」
 ずぶ濡れの私を見るなり矢継ぎ早に話す彼を横目に、気になるのはさっきの女の子達。こちらを見ながら何か話してるけど、その視線はあたたかい。
「どーせまた妹迎えに来たとか言ったんでしょ」
「よく分かるな」
「分かるよそんなの」
「実際良く迎えに来てるしな」
 彼には実際に妹がいる。私と同い年で、彼とは違って表情豊かな可愛らしい子だ。
 
 隣同士の家で育ち、仲良くなるのは必然で。一人っ子の私にとって、五つ年上の彼は酷く魅力的だった。
「じゃ、待ってなよ」
「あーあいつ傘持ってたから先に帰した」
「……え?何で」
「お前どうせ傘持ってないだろうと思って」

 まるで。
 私を待っていたかのような台詞に心が弾む。

 けれど彼にとって私は、本当に妹みたいな存在である事に変わりはないから。弾む心を抑えようと思うと、いつもひねくれてしまって。

「どうせ持ってないですよ」
「だろ?だから大人しく送られなさい」
 
 そう、
 口の端を片方だけあげて笑う所が好きだった。



 幼い頃から側にいて、好きになるのは必然だった。でも私が社会人になる頃には、彼は手の届かない人になってしまったけど。彼への気持ちが変わることは無いし、伝えることも無いだろう。
「うわ……やみそうもないな……」
 過去への想いを馳せて電車に揺られ、最寄りの駅に着いたものの雨は弱まるどころか、強くなる一方で。
 
『折りたたみ鞄に入れとけって言っただろ?』

 何年か前に言われた言葉が頭をよぎるけど。今日はたまたま入れ忘れただけだから。なんて、自分に言い訳をして雨の降る空を見上げる。

「走ろうかな……」

 一人、そう呟いて一歩前に踏み出した瞬間。
 鞄を持つ手を掴まれて引き戻された。



「……なん……で?」



 目の前に立っていたのは、相変わらずキャップを深く被った彼だった。
 長く続けていた仕事で夢を掴み、それと同時に都心に引っ越してしまったせいで、お隣さんでは無くなってしまって。こうして面と向かって会うのだって、どれくらいぶりか分からない。
「お前また濡れてんじゃん。折りたたみは?入れとけっていったろ?」
 マスクをしているけど分かる。
 目尻を下げて、私に笑いかける姿は昔と変わらない。破顔した、私だけに向けられる笑顔。……って思ってるのは私だけかもしれないけど。
 
「何でいるの?」
「実家に寄る予定があったから」
「…………」
 
 だからって。
 こんな風に、想っている時に現れないでほしい。

 一瞬だけ感傷に浸ったものの、こんな目立つ駅の改札に彼が佇んでいるのはまずいから。
「……じゃあね」
 掴まれていた腕を解いて、さっきよりは弱くなった雨の中を歩き始める。
「あ、おい!バカ濡れんだろ」
 そう言って、黒い大きな傘をさして彼は私の隣を歩き始めた。
「何してるの?駄目だよ」
「何で?」
 大きな傘は、大きな彼ごと私達をすっぽりと包んでくれた。雨粒が当たる音が、周りの騒音を消してくれて。小さく呟く私の方に、彼の身体は傾いていて。
 
 傘を持った手が肩に触れるたびに。
 近づいた身体から、
 懐かしい香水の香りがするたびに。
 心の中がぐしゃぐしゃになった。

  
「誰かに見られるよ」
「俺実家帰るだけだもん」
「……そうだろうけど……」
 帰る方向は当たり前に一緒だ。
 隣同士の家に育って、幾度となく同じ道を一緒に歩いた。彼にとっては何てことのない時間だったのかもしれないけど。私にとっては宝物で。まさかこんな風に、また二人で歩けるとは思わなかった。

「あれだよね、何かあったら妹ですって言えばいいもんね」
「何だよそれ」
「そうじゃん?夢を叶えたスターさんはこんな一般人と歩いてたらまずいんだから」
「…………」
 嫌な言い方だって分かってる。
 いっその事、怒って置いていって欲しい。
「お前のおかげじゃん」
「……は?」
「俺はひとりじゃ生きられないから。お前とか家族とかに助けられて、ここまで来たと思ってるよ」
「だから大事にしなきゃじゃん!」
 
 私のせいで。
 
 ただの幼馴染の私のせいで、彼の築いてきた物を壊したくない。家族や仲間、周りの人達の支えがあって彼がここまで頑張ってきたのは、近くで見てきて嫌でも分かるから。
 
「叶ってない夢もあるけど」
「……何?」
 彼の見据える夢は、きっととてつもなく大きい。私が思い描くよりもはるかに。
 そうぼんやりと考えていると、傘を持つ手を右手に変えて、彼の身体がまた近づいてきた。
「え……?」



 腕が触れ合ったかと思うと、指先に冷たい感触。かさついて骨ばった指が手のひらを握って。反射的に彼の顔を見上げていた。
「……な、何してるのっ」
 思わず手をひいたけど、しっかりと包まれた手は離れてくれそうもない。そのまま、彼のポケットに重なった手を引き込まれて、言葉を無くしてしまった。
「手、繋いで街を歩くの。俺の夢」
「…………」
「お前なら叶えてくれるかなと思って」
「……はぁ?」
 何を考えているのか分からなくて、また頭がぐちゃぐちゃになって。雨が跳ねる地面を見て歩く。




「お前の事、妹だなんて思った事無いよ」




 頭の上から降り注ぐ言葉に、思わず足が立ち止まる。ぐんと引っ張られた形になった彼も同じように立ち止まって。

 こんなところで、
 こんな風に立ち止まってちゃいけない。
 彼は、前に進まなきゃいけない人なんだから。

 そう思うと、涙が溢れてきて。

「泣くなよ」
 そっと、ポケットから出された手が解けて名残惜しさを感じたのも束の間。

 柔らかく、優しく。
 彼の手が私の頭を撫でて。

「何してるの」
「泣いてるから」
「泣いてない!」
「分かったから。早く帰ってケーキ食お」
「……もう実家帰ったの?」
「…………」
 言葉を紡がない彼を不審に思って俯いていた顔をあげると、少しだけ耳を赤くした彼がいて。
わざわざ迎えに来てくれたんだと分かった。





「チョコ?」
「うんチョコ。俺セレクトだから美味いよ?」

 そう、目元を緩めた彼。
 きっと、口の端を上げて意地悪そうに笑ってる。
 私は、そんな彼が好きだ。

 




 2024/10/26 END

#芸能人との恋
#助けてもらわないと生きていけない  
 

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