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【小説】もう一度、愛を9


ウォーターヒヤシンス 0


 あの日の熱は、長引いていた。
 甲斐甲斐しく身の回りの世話を指してくれる圭太を見て、こんなにもしっかりしていたんだと驚いた。
 普段、甘えたがりで直感的に行動する彼の一挙手一投足に、困惑したりときめいたり忙しかった心は、穏やかでどこか大人の振る舞いを見せる彼に、複雑な感情を抱いていた。



「……36.1℃。下がったね」
「……うん」

 あれから数日。
 圭太はずっと、私の家から大学へ通う生活を送っていた。通うのだって、自分の家からより時間がかかるのに。講義やバイトで夜遅くなっても、ちゃんと私の家に帰って来てくれた。
 きっと、何もない時だったら。まるで新婚みたい。そう思って毎日浮かれていたに違いないけど。熱とともに消えてしまった苦いシトラスの香りが、そうさせてくれなかった。

「朝ごはん普通ので大丈夫?目玉焼きくらいしか出来ないけど」
「うん、ありがとう」
 上半身を起こして、キッチンに立つ後ろ姿を眺める。

 見た目より筋肉質な身体。茶色の少し癖っ毛の髪は、触ると柔らかくて気持ちいい。
 少し厚い唇にキスをされると、全部どうでも良くなってしまう。骨張っだ指は、私の良いところを全部知ってる。

 いつも少し強引で。
 迷う私を留まった場所から連れ出してくれる。
 そんな圭太が、好きだ。



「……奈々ちゃん?」
「…………」
 気づけば、圭太がベッドのそばに立っていて。見上げて視線が合うと、彼は少し寂しそうな顔をした。

 それは、初めて見る顔で。 
 頬を拭われて、自分が泣いていることに気づいた。
「……俺と一緒に居るの辛くなった?」
「……え……?」
「最近いつも泣いてる。……俺のためじゃなくて、多分あいつの事思って……」
「……ちが……」
「俺は……子供だし頼りないかもしれないけど……いつだって奈々ちゃんしか見てないし、奈々ちゃんの事しか考えてないよ」
「……圭太」
「……奈々ちゃんは?……今、奈々ちゃんの中にちゃんと俺は居るの?」
「……いるよ……ちゃんと、ここに……っ」
 パジャマの胸元のあたりを握りしめると、自分より大きな手でそのまま手を包み込まれた。
「俺だけ……?ここに居るのは」
「……っ……」



 当たり前じゃない。そう頭の中でかたどった言葉は喉に引っかかって出て来てくれなかった。

 圭太が好き。
 それは揺るぎない。

 なのに、心の中の片隅に眠っていたあの頃の気持ちが邪魔をして。可愛い恋人にこんな顔をさせてる。



「…………」
「……いつまでもこのままじゃ辛いよ」
 私の手を離した圭太が立ち上がった。温かなぬくもりが放れてしまって、途端に寂しさが襲う。
「ごめ……」

 ごめん。
 そう言い終わる前に、ポンッと頭を撫でられた。
「奈々ちゃんが辛い」
「……え……」
「どうしたら笑ってくれる……?俺に今出来ることはある?……離れてた方がいいなら俺……」
「違う!……違うの……」
 撫でられた手を取って、骨張った指をギュッと掴む。
 離れてほしい訳じゃない。
 こんな顔をさせたい訳でもない。
 でも、圭太にそうさせたのは自分自身だ。
「奈々ちゃん……?」
 圭太がもう一度しゃがみこんで、目線を合わせてくれる。寂しそうだけど、どこか穏やかで。
「俺達さ、……言葉が足らないんだよ」
「…………」
「だから聞かせて?奈々ちゃんが何を思ってるか」



 例えば。
 こんな昔ばなしをしたって、色んな想いが溢れるだけで何も解決しないかもしれない。
 圭太にそばにいて欲しいのに、過去の想いも捨てられない。我儘で愚かで、酷い女だ。
 けれど何も話さずに解決できるほど、器用じゃないし適当にも生きられない。聞かされる圭太だって戸惑うだろうし。もしかしたらこんな自分のこと嫌いになるかもしれない。

 でも――……。



「……昔の話しを聞いてくれる……?」
「……あのひととの事?」
「うん……」
「……分かった。何でも聞くよ」
「……ありがとう。……あのね?」







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