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【小説】もう一度、愛を3
プリムローズ 3.夏の記憶
ひらひらと舞う、制服のシャツ。
酷く繊細で、柔らかくて。
気付かれないように掴んだそれは、
確かにこの手の中にあったのに。
『奈々』
風になびくシャツの隙間、
差し出された手をあと少しで掴めそうだったのに。
――pipipipipipi
アラーム音で目が覚めた。この夢を見るのは、何回目だろう。いつも、葵先輩の手を掴めそうなところで、目が覚めてしまう。それはまるで、あの頃の自分を表しているようで。これでいいんだと思う気持ちと、もどかしい気持ちが入り混じっている。
「……あ、今日土曜日だ」
いつもどおりにアラームをセットしてしまったけど、もう一度寝ようか。そう思って枕に沈むと今度はスマートフォンの着信音で引き戻された。
「……もしもし?」
「あ、奈々ちゃん?今日暇?」
「特に予定は無いけど……」
「十二時に駅集合ね!じゃあね」
「あっ……もう……」
一方的に用件を言われてため息をつく。
迷いがなくて真っ直ぐで。そんな圭太の事が好きだけど。その、真っ直ぐすぎるところを目の当たりにするたびに苦しくなる。
忘れようと思ったって、一度思い出してしまった感情は忘れられっこない。けれど、こんなに私の心に侵食していくのに、あのコンビニの夜以来、葵先輩とは会うことが無かった。
あの辺りに引っ越してきたと言った葵先輩。また会ってしまうかもしれない、そんな淡い期待をしていたんだけど。あれっきり会えない事を考えると、葵先輩の強い意志みたいなのを感じて。自分の気持が恥ずかしくなる。
「……こんな女だと思わなかった……」
そう自分で呟いたところで、
自分の事が嫌いになった。
十一時四十五分。約束より少し早く待ち合わせの場所に着くと、爽やかなブルーの柄のシャツを着た圭太が立っていた。
「おはよう、早いね」
「うん!おはよ」
満面の笑みで立っている圭太を見ると、さっきまで苦しかった心がすぐに解けていく。
「どこ行くの?」
「買い物」
「何買うの?」
「内緒」
そう、意味ありげに笑う圭太に少し嫌な予感がするけど。
「行くよー!」
右手を取られ半ば引っ張られるように歩き出して、つい握られた右手を見る。圭太と私の手は、こんなにも強く、しっかりと繋がれているのに。
私の心は何で揺らぐんだろう。
「奈々ちゃん?」
気づいたら歩みが遅くなっていて圭太との距離が出来て、それに気づいた圭太が立ち止まった。
「……あ、ごめん」
「体調悪い?」
「ううん、大丈夫」
「本当?」
「うん」
「調子悪かったら言ってね」
「うん」
それから。
嫌な予感は的中した私は、カラフルな店内に佇んでいた。周りは女の子同士で楽しそうに水着を選ぶお客さんと、私達みたいにカップルで寄り添いながら店内を見て回ってるお客さんで溢れていて。
「ねー、奈々ちゃんこれ可愛い!」
そんな中、一際楽しそうに黒地に白のドットのビキニを持ってきた圭太は、それを私に充てがって嬉しそうな顔をした。
「……水着なんてどうするの?」
なんて。
聞かなくても分かる様な事を聞いたところで、半ば諦めている自分が居て。
「海行くんだよ明日」
「……明日?無理だよ!」
「何で?明日晴れだよ」
「そういうことじゃなくて!」
「あいつらの休み合うの明日しかないんだよ」
「……あいつらって……」
言わずとも、一真くんや綾華ちゃん達の事だと分かって。また心がずんと重くなる。
行くならもっと早くから言ってくれなきゃ、見せられる身体じゃないから、とか。女には色々準備があるんだから、とか。どうせ嫌だと言ったって、圭太に押し切られるのは目に見えているから。
また半ば諦めてため息をつくと、いつの間にかいくつか見繕っていた圭太にフィッティングルームに押し込まれた。
「……ちょ……圭太はだめだよ」
思いのほか広いフィッティングルームは、大きな鏡と一人がけのソファがあって、雑貨店の様な装飾が施されていて。寛げるようなスペースになっていた。
「カップルオッケーって書いてあった」
そうにっこり満面の笑みの圭太に、三度目の嫌な予感がして。また同じく諦めて圭太が持つ水着を手に取り、鏡の前に立った。鏡の前には、簡易的なカーテンが用意されていて。さすがに、着替える瞬間は見られる事はなさそうだ。
圭太が選んだ水着を三つ並べて、布が一番多い物を手に取る。ギンガムチェックのオフショルダーのトップスにスカートタイプのビキニで。胸もお尻も何とか隠れそうだ。
「…………」
パーカーも追加で持っていこう。そう思いながらカーテンを開ける。すると、一人がけのソファに座ってスマートフォンを見ていた圭太が立ち上がった。
「かわいー!めっちゃ似合う!」
くるりと回転させられて、上から下までくまなく確認されて。布の面積が多いとはいえ、恥ずかしくなる。
「はい、じゃあ次」
そのままカーテンをしめられて、二着目そして三着目の水着に、手をかけた。
黒地に白のドットのビキニは胸のところにフリルが付いていて、お世辞にも大きいとは言えない私の胸を隠してくれそうで。圭太が気を使ってくれたのかは分からないけど。上下ともに身に着けたところで、あまりに白い肌に浮かぶ黒が、ひどく恥ずかしくなった。
「奈々ちゃーん、見せてー」
「……や、ちょっと待って、これだめ」
カーテンを引っ張って抵抗してみるけど、それはあっけなく阻まれてしまって。せめてもの抵抗をと、圭太に背中を向けて胸元を隠した。
「…………」
けれど、何の言葉もアクションも無い事を不思議に思って鏡越しに圭太を見ると、少し顔を赤くした圭太が私の身体に視線を落としていて。
「……っ……」
指一本触れられていないのに。
その視線が、熱くて。
収まっていた熱がよみがえって、耳の裏が一瞬で熱くなる。
「……見せて」
いつもより少し低い声で耳元で囁かれて。肩に置かれた手に、身体がビクリと震える。
「奈々ちゃん」
「…………」
その声と優しい手に、自然と身体は圭太の方へ開いてしまって。向き合ったところで、胸の前でクロスした腕をやんわりと解かれた。
黒いビキニは、思ったより優秀なパットで小さな胸を押し上げてくれて。自分でも見たことのない膨らみが、自分自身を恥ずかしくさせて。上気していく身体がそれに追い打ちをかける。
「…………」
「……圭太……?」
また何も言ってくれない事に不安になって圭太を見上げると、視線が合わさって。
見ればわかる、スイッチの入ってしまった男っぽい表情の圭太がいて。
「……だめ……っ」
小さく拒む言葉を飲み込まれ、いつもの唇が息ごと私を塞ぐ。酸素が薄くなった頭と身体は、自然に圭太の方へ身を任せる形になってしまって。
「……っ、はぁ……」
名残惜しそうに離れる唇を見届けてから視線を合わせると、熱っぽく絡んだ瞳が空を泳いだ。
「……圭太……?」
「……あ、ごめん」
身体を離されて、少し不安になって圭太を見上げる。
「…………」
改めて見おろされて、抱きすくめられる。
「……こんなの可愛すぎるからだめ」
自分で選んだんじゃない、とか。沢山言いたいことはあったけど。耳元で囁かれたその言葉に、悪い気はしなくて。
「……じゃあ着替える」
「うん」
圭太が恥ずかしそうに後頭部をかく。なんだかお互いに気恥ずかしくなって。その後は無言のまま着替えを済ませた。
「プレゼントする」
レジの前で財布を出すのを止められ、困惑して圭太を見上げる。
「え、いいよ何で」
「いいじゃん」
「でも……」
圭太はまだ学生だし、バイトだって沢山入ってる訳じゃないから。日頃のデートだって、ご飯代とか色々、圭太のプライドみたいなものを損なわない様に、なるべく割り勘になるようにとか常に気にしている訳で。
水着だって安いものじゃないし、何よりプレゼントしてもらう理由なんて無い。
「いーの」
「…………」
ふと気づくと、気まずそうな店員さんの苦笑いが見えて。
「……ありがとう」
渋々財布を引っ込めると、圭太は満足そうな顔をして支払いを済ませてくれた。
翌日。
一真くんが車を出してくれて、海へ向かった。あの居酒屋の日以来の彼らは、たった五歳の差でも凄く若く見えて。私だけ浮いてしまうんじゃないかと心配だったけど。
「綾ちゃんも来れたら良かったのにね」
後部座席の真ん中で、雪音ちゃんが隼くんに話しかける。
「病欠のバイトの代わりだって。あいつ意外と優しいからね」
「そうだよね」
うんうん、と雪音ちゃんが頷いて車内が綾華ちゃんの話になる。
高校一年生で同じクラスになって。圭太、綾華ちゃん、雪音ちゃんの出席番号が近かった事から仲良くなったと、話してくれた。
圭太と隼くん、雪音ちゃんは小学校からの友達で。その流れで五人で居るようになったんだと、隼くんは言った。
メイクも服も抜かりなかった綾華ちゃんと、ちょっとのんびり癒やし系な雪音ちゃんは、見た目の雰囲気も違うから。二人が一緒にいるのが少し不思議だったけど。話に出てくる綾華ちゃんは、見た目の雰囲気よりも真面目で優しそうで。
じゃあなんであんな事言われたんだろうって思い返すけれど。思い当たるのは一つだけで。雪音ちゃんの隣で、何だか気持ちがもやもやしてしまって。窓の方に顔を寄せて目を閉じた。
「着いたー!海ー!」
目の前に広がる海と青い空に、圭太が声を上げて走り出す。それに続くように隼くんと雪音ちゃんが追いかけて、私はパラソルを持った一真くんと二人取り残された。
「…………」
「…………」
一真くんは無口だった。
金髪に近い茶色い髪は、圭太に似て軽そうな雰囲気を醸し出しているけど。車の中でも圭太の話しに相槌を打つだけで、運転に集中している様だった。
「荷物置いてください」
「……え、あ、ありがとう」
ぼんやりとしていると、いつの間にかパラソルを設置してくれていて。カラフルなシートの上に荷物を置いて、促されるままに腰を下ろした。
大きなパラソルの下、シートの下から感じる熱は酷く熱い。なるべく日焼けしたくないから長袖のパーカーを着て来たけど。あまりに暑くて、パーカーのジッパーを少しおろして手で仰いだ。
「……あ、私荷物見てるので一真くんも遊んできて下さい」
シートの横に立ったまま海の方を見つめる一真くんに声をかけると、彼は少し考える様な仕草をしてから私の横に腰を下ろした。
「…………」
「…………」
「……えっと……晴れて良かったですね」
「……あ、はい」
「…………」
会話が続かなさすぎて変な汗が滲む。けれど同じくして心地いい風が肌を撫でていって。眩しさに慣れた目を海に向けると、賑やかな声は聞こえるのに、合間に聞こえる海の音でどこか穏やかな気持ちになった。
「……気持ちいい」
自然とそう声が漏れて。
はっと我に返って一真くんを見やる。けれど彼は特に気に留める様子も無く、ビーチボールで遊ぶ圭太達三人を眺めていた。
「きゃー」
ゆるく跳ねたビーチボールが雪音ちゃんの頭に当たって、隼くんが心配そうに頭を撫でる。少し恥ずかしそうにする雪音ちゃんは、誰が見ても分かるような乙女の顔で。きっと隼くんの事が好きなんだろうなと、手にとるように分かる。
「ユキ、ちゃんとしめて。圭太が見るから」
ワンピースの水着にショートパンツとパーカーといった完全防備の雪音ちゃんの胸元のジッパーを首元まで上げて、隼くんが圭太を睨む。
「見ねぇわ、ばーか」
「ばかってひどい!」
「うるせぇー……って!痛ってえ!」
そばにあったビーチボールを隼くんが圭太の顔面に打ち付けて、三人の追いかけっこが始まって。
「……バカだなあいつら」
呟かれた声に思わず顔を向けると、穏やかな愛おしそうな目で三人を見ている一真くんがいて。
「仲良しですね、あの三人」
「……子供の頃からの幼馴染だから」
「一真くんは高校からでしたっけ」
「……タメ口で」
「え……?」
「俺がタメ口の方が楽なんで」
「……あ、えっと、分かった」
緩やかに流れていた時間が少しだけ緊張してしまって、次は何を話せばいいだろうかと、考えを巡らす。
「雪音ちゃんと隼くんは付き合ってるの?」
見ればわかる。そう思ったけど、会話の糸口はそれしか見当たらなくて。
「……高校卒業する前くらいから」
「そうなんだ」
へぇ、と小さく呟いて。
彼ら五人で過ごした高校生活は、どんなものだったんだろうな、なんて。考えても仕方ない事が頭の中を巡ってしまう。
「……綾華、来なくてほっとした?」
「……え」
一真くんが私の方を見ていて、少し鋭い切れ長の目に囚われる。その目はまるで、私の中の色々を見透かしているようで。思わず目を逸してしまった。
「……奈々さんて分かりやすいね」
「…………」
「……ま、あいつも気ぃ使ったのかもな」
「……え?」
「そもそも俺の車は五人しか乗れないし。奈々さんが来るなら綾華が引くでしょ」
普通に考えれば分かる事だった。勿論電車で行く選択肢だってあったけど、私が居るこの場所には本当なら綾華ちゃんが居るはずなのだ。
「あー気にしなくて大丈夫。別に俺ら五人がつるむのと圭太が奈々さんと付き合うのは関係ないし」
「…………」
どこか目に見えない棘みたいなものがある気がして、言葉に詰まる。
いつも側にいるのは綾華ちゃんで、私は一時だけの飾り物。そう言われてる気がする。もちろん、それは私が勝手に思うだけで。
「あいつ、チャラいし手は早いけど悪いやつじゃないから」
「……複雑な評価だよねそれ」
「でも、体感してるっしょ」
ビーチボールが、圭太を通り越して知らない女の子達の方へ飛んでいく。
黒いビキニの二人組の一人がビーチボールを取って、圭太に近づいた。女の子達と話をする圭太の背中を見ていると、右手で後頭部を軽く掻いて髪型を直す仕草が見えて。
「デレてんな」
「…………」
それは圭太が照れた時にする仕草で。圭太は、ペコペコと頭を下げると、口元を緩ませて隼くん達の方へ戻って行った。
「あいつ奈々さん居る事忘れてんのかな」
ほんの数秒話すと、背を向けた圭太に対して女の子達が何か言っているように見えた。さっきみたいな笑顔じゃなくて、少し怒ったような表情で。圭太は圭太で、満足そうな微妙な表情をしていて。
何があったのかは分からないけど。あんなにいつも好きだと全身で伝えてくる圭太が、他の女の子に手を出したり、浮気をしたりするはずがない。……私の事を好きな限りは。
そう、信じている。
信じているのに。
「奈々さーん?」
目の前で手をひらひらとされて、圭太をぼんやりと見ていた視線を一真くんに合わせる。
「……何?」
「……大人の余裕ってやつ?圭太の周りに女が居ても気にしないわ〜……的な」
「……そんな事は……」
無いのだろうか。
大人ぶっているだけ?
やっぱり、どこかで自負しているんじゃないか。
だから、それなのにたったあれだけの事でゆらぎ始めてしまっている自分が、本当は嫌で仕方ないのだ。
「奈々さん?」
一真くんに顔を覗き込まれた所で、パラソルの前に人の気配がした。
「おいカズ、人の女口説いてんなよ」 「口説いてねぇよ」
一真くんが少し距離を取って、開けた視界に見えたのは圭太だった。さっきの緩んだ口元はどこにいったのか、口角が下がって怒っている様に見える。
ふと、圭太の視線が首元に下りるのが分かって。
「…………」
無言でパーカーのジッパーを一番上まで上げられたかと思うと、手を掴まれて立ち上がらされた。
「飲み物買ってくる」
「へい」
そのまま圭太に手を引かれて砂浜を歩いた。人混みではぐれないようにしっかりと繋がれた手は、酷く熱い。少し前を歩く圭太の首筋や背中にも汗が流れて、筋肉質な身体を魅力的に見せていた。
「……何話してたの?」
「……え?」
「カズと」
「……別に大したことは……」
「カズに何か言われた?」
「…………」
ついさっきまでの一真くんとの会話を思い出す。綾華ちゃんの事に、五人と私が違うということ。どれも心に掠めて、もやもやしたのは事実だ。
「カズ、あいつは見た目チャラいし顔怖いけど、悪いやつじゃないから」
「……ふふ」
さっきの一真くんと同じような言い方に、思わず頬が緩む。見た目がどうとかじゃない。彼らは本当に気が合って仲が良いんだろうなと、思う。
圭太には圭太の世界があって、私が完全にそこに入り込むことは出来ない。私にだって私にしか分からない感情も関係もあるのだ。
いくら恋人だって。
全てを分かり合って共有する事なんて出来ない。
「……奈々ちゃん?」
「……あ、ごめん。いこ?」
圭太を促して海の家に入る。
人数分のペットボトルのドリンクを買った所で、昔ながらのアイスのケースを見つけた。スライドの扉を開くと、ソフトクリームやカップのアイス。昔懐かしいアイスキャンディーが無造作に入っている。
「あ、アイスじゃん買おー」
そう言って圭太が苺のアイスクリームとミルクのアイスキャンディーを手に取ってレジに向かってしまって。海の家を出ると、有無を言わさずアイスキャンディーを渡された。丁寧に包みを取ってくれて。白く細いアイスキャンディーが、空の青に映える。
「うまぁー」
苺のアイスクリームを口に含んだ圭太が嬉しそうに笑う。
「やだ圭太、アイスもう零れてる」
骨ばった指を伝う、苺のアイスクリーム。
「…………っ……」
靄がかかっていた景色が、晴れていく。
伝った赤が、砂に染みを作る――……
『あ、先輩零れてます』
『うわ、やべ』
葵先輩が掴む細いアイスキャンディーが、太陽に負けて雫を作る。それが指に滴って、地面に落ちた。灰色のコンクリートに白い染みが出来て。自分もアイスキャンディーが零れないように口に含んだ。
『奈々、口に付いてる』
『……え?』
そう言って、柔らかい指で口元を拭われて。ただでさえ夏の暑さで汗ばむ肌が上気して。葵先輩に見つからないように、少し後ろを歩いた。
ひらひらと舞うシャツの裾を掴むだけで精一杯だった。ただそれだけで、胸の鼓動が伝わってしまう気がした。
あの夏の色も、匂いも。
鮮明に思い出せる。
恥ずかしくて、嬉しくて、苦しかったのに。
大好きだった――…………
「奈々ちゃん……」
「…………」
「……奈々」
滲んだ世界に、見慣れた顔が浮かぶ。
「……何で泣いてるの」
顔を覗き込まれて、目の縁を拭われた。
でもそれも間に合わないほど、
はらはらと涙が零れていく。
「……っ……」
大好きだった。
そう頭で象ってしまったら、もう戻れない。
「奈々……」
どさりと、ビニール袋に入ったドリンクを落として。圭太が私を抱きしめる。だらりと下がったまま抱きしめられた腕の先には、溶けてしまったアイスキャンディーが滴って砂に染みを作っている。
「好きだよ……大好き」
ぎゅっと、苦しいほどに抱きしめられて。
息が止まりそうになる。
「……ごめん……っ、ごめんなさい……」
細い息と一緒に絞り出した言葉は、それだった。
「何だよそれ……何がだよ……」
抱きしめる腕は強くなる一方で、離れることはない。ただ耳元で、悲しそうな恋人の声が聞こえるだけ。
思い出してしまった。
あの時の自分を。
ただ、大好きなだけだった。
それだけなのに――…………
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