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当てクジ屋さんの話し

 先日、NHKのドキュメンタリー番組を観ていました。放送の内容は、東京にある一軒の駄菓子屋さんに集まる人たちの、いろいろな思いを伝えるものでした。

その放送をボクは

「ああ、ボクが子供の頃にも近所に駄菓子屋さんがあったな」

と、懐かしく観ていました。
 
ボクが子供の頃、そうです今からもう半世紀以上昔の昭和四十年頃の話になりますが、ボクが暮らしていた小さな町にも『駄菓子屋』が数軒ありました。しかし駄菓子ばかりを売っていた店は少なく、煙草や雑貨などを売る傍らに駄菓子も売っていたように憶えています。

そしてボクたちは、そう云ったお店を『駄菓子屋さん』とは呼ばずに

『当てクジ屋』

と呼んでいました。

 そして決まってお店の名前には『ケチ』がついており、店番をしているおじいささんやおばあさんは、必ず『ケチジジイ』とか『ドケチババア』と呼んでいました。

例えばお店の屋号が『○村屋』だったとすると、

『ケチ村屋のドケチババア』

と云った具合です。そしてボクたち子供は、そのケチジジイやドケチババアと、毎日のように『当てクジ屋』と云う戦場で戦っていたのです。

 皆さんは『黒棒』と云うお菓子をごぞんじですか?そうです、あの黒砂糖を塗ったパンのようなお菓子です。

 その頃、その黒棒の当てクジがありました。一回5円でクジが引けたと憶えています。外れは普通に売られている大きさの黒棒なのですが、当たりが出ると大きな黒棒がもらえるのです。当たりには『二等』、『一等』、『中』、『大』とあったと思います。まあ、はっきりとは憶えていませんけどね。

 ボクは一度『大』と書かれた当たりクジを引いた事がありました。
『大』と書いてあるので、ボクはてっきり一番大きな黒棒がもらえるものだと思い、一番大きな黒棒を取ろうとしたら、ドケチババアに

「それは特大だ、あんたの当たりは、その一つ小さいやつだ」

だと云われて、一番大きな黒棒では無く、その一つ小さいサイズの黒棒を渡されました。

 ボクは

「ドケチ」

と、叫びたくなったことを憶えています。ドケチババアに惨敗した日でした。

 また放送を観ていてボクが驚いたのは、駄菓子を買いに来ている子供の予算が、なんと一人500円だったのです。ボクが子供頃には一日の小遣いは10円でした。

 学校から帰ると母から10円玉ひとつもらって、その10円玉を握りしめて『当てクジ屋』の『ドケチババア』のところへ向かったものです。
 
 当時、ボクたちの小遣いは10円が当たり前で、たまに20円も持っていると随分気が大きくなったものでした。当然50円玉なんて普段見ることっは無く、50円持っている友だちはお金持ちで、なんとか奢ってもらおうと跡をついて行ったものです。

 100円札(当時は100円玉はありませんでした)は、お年玉でしか見ることがないお金だったのです。

 でもたとえ10円でも、当時は当てクジが一回5円程度だったので、2回は楽しむことが出来ました。そしてその10円で、あのドケチババアに一泡吹かせてやりたいと、小さな脳みそをフル稼働させていたのです。

 勉強は全くできないボクでしたが、10円をいかに活用するかに関しては、算数の時間以上に頭を使ったものでした。

それに今ではないとおもいますが、確か『ニッケ紙』とか云っていたお菓子?(?マークは、お菓子に分類していいのかどうか、わからないので……)がありました。

 七夕の短冊より一回り大きな薄い紙が束ねてあり、その紙が一枚一円で引けるクジになっていました。
外れの紙には何も描いてなく、当たりの紙にはお城も絵が描いてあり、もう一枚引くことが出来たのです。
引いた紙にはニッケが染み込ませてあり、その紙を噛むとニッケの味がしましたっけ。

 しかし考えてみれば、子供たちが、ああだ、こうだ、と云いながら、汚れた手で触った紙を噛みしめるのですから、衛生も不衛生もあったものでは無かったと思います。
でも今では考えられないお菓子?ですが、懐かしい想い出のお菓子?です。それから一本一円のストローに入ったゼリーもありました。

 放送の中の子供は、予算が500円なので買い物かごに駄菓子を何個も入れており、とても羨ましく思いながら観ていました。
 
 話は少し横にそれますが、先日レンタルDVDで『男はつらいよ 寅次郎恋歌』を借りて観ていましたが、寅さんが泊まる旅館の玄関横に『一泊500円』と書た紙が貼ってありました。この映画は昭和46年の年末に公開されているので、当時は安宿はそのくらいの宿泊費だったのでしょうね。それに柴又の『とらや』の中には、ジュースが40円とか、50円と書いて貼ってあります。なので、ボクの一日のお小遣いが10円だったのもわかりますよね。

 当時のボクは、学校から帰ると10円をもらい、宿題などは頭の片隅に追いやって、その10円を握りしめて『当てクジ屋』で、ケチジジイやドケチババアとの戦い、そして戦いが終わって家に帰る頃には、陽は西に傾いているのでした。そして家には残された宿題が……

 今日は、ボクが子供の頃の懐かしいお話しでした。

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