紅茶とコーヒー
先日、図書館でなにを借りようかといくつかの本をパラパラ見ていた。
その中に「紅茶とコーヒーのどちらを好きになるかは、両親に影響されることが多い。」というような一文があった。正確に覚えているわけではないけれど、「ありえそう」な話だとは思った。
知り合いのお子さんは、小学校低学年の頃からコーヒーが好きで、詳しい。低学年の頃、将来の夢はバリスタ、と言っていた。今はどうかは分からないけれど、おそらく今もコーヒー好きなのではないだろうか。
その子の話を聞いた時に「すごいなあ」と感心したら、知り合いが「私が家でコーヒーばっかり飲んでるから」と言っていた。
たしかに「親の影響でコーヒー好きになった子ども」がいるようだ。
一方で、反対の例も知っている。「親はコーヒーをよく飲むのに、紅茶が好き」。
その人の親は、よくコーヒーを飲んでいた。休日に家族そろってお茶をする、なんて時があると、親は必ずコーヒーを飲んでいた。部屋中には、コーヒーの少し苦味のある香りが漂う。兄弟もコーヒーを当たり前のように飲める。
そんな中、その人は一人だけコーヒーの香りすら苦手で、有名なコーヒーチェーン店すらろくに行ったことがない。
ちょっと勿体ぶって書いたけど、私のことだ。
スタバやドトールは基本的に近づかない。学生の頃、付き合いで2、3回だけ行った記憶があるけれど、「完全アウェー」とはこういうことを言うのかという居心地の悪さを覚えて帰ってきただけだった。
どんな味のどんな飲み物を注文したのかも覚えていない。
紅茶とコーヒーなら、絶対に紅茶。
コーヒー牛乳なら飲めるけれど、甘くなければ飲めなかった。
大人になった今、少しずつコーヒーに対する苦手意識が薄れてきている。
「キャラメルラテ」や「メープルラテ」なんて書かれた、カップ飲料を時々、本当に時々買って飲むようになった。
しかもそれを「美味しい」と感じることができるようになった。名前ほど甘くなくても、だ。
子ども時代の自分を思うと、ものすごく成長した気がする。
コーヒーを飲めなくても、問題はないと思っている。
それでも時々、思い出すことがある。
コーヒーの差し入れをいただいたり、お客様の立場になった時に出されたコーヒーのことだ。
缶やカップ飲料なら「ありがとうございます。後でいただきます」と持ち帰ればいい。でもきちんとカップに注がれたものは、口をつけなければ悪いだろう。だから、ミルクと砂糖を遠慮なくいただいて、頑張って飲んだ。
今はもう、そういう機会はほとんどない。
けれど、今後ないとも限らないだろう。それに、あの時に出していただいたコーヒーを、美味しくいただけた方が良かったんじゃないだろうか。
「紅茶とコーヒー、どっち派?」
そう聞かれたら、今でもやっぱり「紅茶」と答える。「どっちも」と答えるには、私にはまだまだコーヒーを楽しめる味覚が足りない。
紅茶もコーヒーも、どっちも楽しめた方がお得だろうな。
そんなことを考えながら、あまーいパンと一緒にキャラメルラテを飲んだ。