ミニマムに暮らしたい
ミニマリストという言葉を知ったのは、もう随分と前な気がする。
必要最低限の持ち物で暮らしていく。そんな人たちのことをミニマリストと呼び、中にはベッドすらないような極地に至る人まで見かけたことがある。
自分もそんなミニマリストに……は、絶対無理。
手放せない紙の漫画も小説も、ゲームもグッズもたくさんある。あったかいお布団は人生の共だ。そもそも人によって必要最低限は違うわけだから、そっくり真似する必要は当然ない。それはさすがに分かっている。
私はグッズをあまり買わないけれど、推しのグッズが一つもない生活は嫌だ。いつも心と視界に推しを。
だからなにもない部屋にしたいわけじゃない。
それでもなぜミニマムな暮らしに憧れるのか。
それはどうしようもなく私が面倒くさがりだから。
ていねいな暮らし、という言葉も聞いたことがある。日常のいろいろなことを一つ一つていねいに紡いでいく。そういう暮らし方なんだろう。
素敵だと思うけど、自分でしようとも、出来るとも思わない。
私がしたいのは「楽な暮らし」なのだ。
物が少なければ管理が楽! 掃除が楽! 引っ越しも楽!
私にとってミニマムな生活はメリットの方が圧倒的に大きい。
オタクとは言えグッズにはあまり興味がない性格だったこともメリットを感じやすいんだと思う。
私は痛バや祭壇を見てもすごいとは思っても、憧れない。
あれだけのグッズを購入するなら、私はまだ見ぬ作品の購入費用に充てたいと思うからだ。世の中には面白そうな作品が多すぎる。
もしくはソシャゲで無限にガチャ引く。
そんなにミニマムな暮らしに憧れるなら、そうすればいいと思うだろう。私もそう思う。
でもなかなか出来ない。踏ん切りがつかない。
かなり物は減らした。
いつか読むかもという本、あまり着ない服、掃除が面倒だった小物。かなり減った。それでもまだ、私の家には「必要ないかも? やっぱり必要かも?」という物がある。
ミニマリストになるにあたって必要なのは、自分にとっての「要・不要」の線引きを明確にすることなのだろうか。
そのために、人はまるで何もないところまで一度は物を手放すのだろうか。
そんなことを考えていたら、思い出した映画がある。
『365日のシンプルライフ』だ。
主人公はすべての持ち物を少し離れた倉庫に預け、1日1つだけ持ち帰ることを1年(365日)続ける。この期間中に物は買わない。それによって、自分に必要なものを見極めていく。そんな映画だった。
見たのは随分と前なので細部は覚えていないけれど、この主人公の行動力にものすごく憧れた。
下着すらも「1つ」扱いだから、実際にやったら捕まるかもしれない。下着姿で誰にも見られないよう倉庫から自宅に帰るのは私には出来ない。捕まる。
初手に下着ではなくロングコートにすれば……と思ったが、これもマズイ。
『365日のシンプルライフ』方式が難しいとなれば、やはり一旦すべてリセットするつもりで物を手放していくことで、自分の「要・不要」のラインを探っていくのが堅実なのかもしれない。
手放して後悔したとしても、物差しになるんだろう。
とは言え、私はやっぱりどうしようもなく面倒くさがりなのだ。
手放すことすら、面倒くさい。
ミニマリストへの道はなかなか険しい。