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32歳で妊娠、入籍、出産。そして33歳で離婚した私の話。
女性として生まれた。私は自分自身が女性であると認識していて、恋愛感情は男性に持つ。
ずっと自分には何もできないと思って生きてきた。
母親は宗教に生き、私はいわゆる宗教2世というものになる。辛かった。やりたくないことをやらされ、持ちたくない認識を持たされ、不本意なことを言わされた。それに多くの時間を費やした。あまりにも長い時間だったし、恐らくこれは自分の人生が続く限り終わらない呪縛だ。
だから家を出たかった。でも自分にはそんな能力があるわけがないと思ってしまっていた。何もできずにいた。今となれば何もせずにいた自分に腹が立つけど、時間は取り戻せない。
30歳を間近にし、結婚を意識するようになった。結婚すれば、今ある何もかもから解放されると思っていた。相手もいないのに、浅はかだった。自分ひとりではどうにもできないから、誰かに何とかしてほしかった。
32歳の時に合コンで知り合った男性と結婚した。
出会って間もなくして妊娠が判明。好きでもない男との間に子供を授かって、この先の人生どうしたらいいのかと嘆き、号泣した。正直、結婚相手は誰でもよかった。結婚さえすれば、今までの人生は終わって新しい人生が始まり、結婚さえすれば、その結婚生活からは逃れられないからやるしかないと言い聞かせていた。
相手に妊娠したと伝えたら、結婚しようと言われた。よく知りもしない、好きでもない相手だった。
婚姻届を提出した瞬間、「私はもう恋愛できないんだ」と絶望した。
入籍後、相手に借金があることが発覚。経歴も詐称していたし、不安しかなかった。それでも我が子はお腹の中で育ち続けた。決して順調というわけではなく、いくつかのトラブルもあり長期入院する事態にもなったが、無事に元気に産まれてきてくれた。
いつかは母親になりたいと漠然と思ってはいたけど、全く予期せぬ出来事で、正直なところ娘が産まれてからも私自身は母親の自覚などなかった。
いざ娘が産まれても、元夫とは一度も同居することなく、翌年離婚した。調停で3回の話し合いで決まった。情などない。
それからは負の感情しかなかった。子育ても辛かった。自分の時間なんかない。
「母親になったんだから自分の欲は捨てろ」 「子供が泣くのはあんたに母親の自覚がないから」母親から意味不明なことを毎日言われるのもうんざりだった。
当時、唯一の友達だと思っていた相手に子育てがきついと言ったことがあった。すると彼女は「あんたの強情で産んだくせに。家族がいなきゃ生活できなかったんだから感謝しなよ」と言った。
確かにその通りなのかも知れない。産まない選択だってあったのだ。それでも産みたくて産んだのは私だし、帰る家があったから離婚もできた。
だけどしばらくして私は彼女と付き合うのはやめたし、やめてよかったと今でも思ってる。
とにかく辛かった。毎日死にたかった。
それでも私は自分の人生を諦めたくなかった。なぜ諦めたくなかったのかはわからない。そこからは自分でも驚くほどがむしゃらだった。そして正社員の仕事を見つけて、実家を出ることになった。
初めて夢を叶えた。もうそれからは希望しかなかった。絶対にしあわせを掴むし、この先には希望しかあるはずがないと信じてやまなかった。
そして家を買った。娘と2人で暮らすには十分すぎる、私の家。私にできないことはないと思えた。私の人生はこれから始まるんだとわくわくした。
でも…なぜだろう。人生はそううまくはいかない。働いていた会社の男尊女卑が著しく、どうしても我慢できず辞めた。それからすぐに派遣で働き始めたけど、どうもうまくいかない。一気に自信をなくした。
今現在39歳になった。もう頑張れないし、頑張りたくない。私の人生って何なのかな、生まれてきた意味って何だろう。振り返れば誰も助けてくれなかった。勇気を出して手を差しのべても、人は離れていくだけだった。だからひとりでどうにかするしかなかったし、私はひとりでどうにかしてきた。誰からも愛されずに生きてきて、ひとりで生き抜く力はあるものの、やっぱり誰かに愛されたい。娘は宝物だ。だけど娘さえいれば他は何もいらないと思えない私は母親失格なのだろうか。
私は、私の人生を生きたい。娘に、「生きてるってこんなに楽しいよ」って身を持って伝えたいから。
今年40歳になる。この先の人生を掴みたい。そんな私の話を、これから色々していきたい。