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理系東大院生、はじめてのnote | 怠惰な凡人が東大に受かるまでと感謝、そしてこれから 。[自己紹介]


はじめまして、千崎(ちざき)と申します。数あるnoteの中から選んでいただき、ありがとうございます。投稿順序が前後して、はじめてのnoteではないですがご愛嬌ということで。

プロフィール

私立理系大学を卒業し、4月から東京大学大学院へ進学。
英語赤点からTOEIC940点、TOEFL90点。趣味は読書(年100冊)とお笑い賞レース鑑賞。

なにを書くか

これまで試行錯誤しながら生きていく中で、先人が残してくれた本や漫画、映画、そしてnoteに助けられてきました。私も、そんな誰かの助けになると信じて、noteという形で足跡を残します。

今後は、
・大学院入試
・英語資格試験(TOEIC, TOEFL)
・研究
・読書
などについて発信していきます。

[自己紹介エッセイ]怠惰な凡人が東大に受かるまでと感謝、そしてこれから。

以降は、人となりを知っていただくための、自己紹介です。
個人的なことを書きすぎたので、途中から有料にしています。


福岡で生まれました。母は専業主婦、父はミュージシャンです。
ふたりとも福岡で生まれ育った、少しロックな人たちです。
大卒の母と、高卒の父は、それぞれが組んでいたバンドが参加したライブで出会ったそうです。

福岡でミュージシャンとして成功していた父は、小さい私と母を連れ、さらなる成功を求めて上京することを選びました。
私がちょうど小学校に入学するタイミングです。

東京で、6歳の私は、変な喋り方をする人たちに出会いました。
やけに優しげ(と当時の私には思われた)な語尾の彼らは、私の話し方を「関西弁」と言いました。
それが恥ずかしかったのか、それとも周りに釣られてなのか、家では博多弁、学校では標準語と、バイリンガル生活を送りはじめます。

学習面では大きく苦労しませんでした。ただ、勤勉に勉強するわけではないので、漢字テストではよく居残りをさせられていました。
幼少期から母が読み聞かせをしてくれていたのが功をそうしたのか、このときから本を読むのが好きでした。

それ以外のことは大の苦手で、特に体育が天敵でした。
小学校1年生の時、みんなの前で逆上がりができず、恥ずかしい思いをしました。
ただ、できるようになるまで練習をするわけでもなく、一時の恥をなんとかやり過ごしていました。



2年生に上がるタイミングで、弟が生まれました。7歳下の弟です。
家庭の責任が増える中、父は東京で成功することができませんでした。
両親がお金に困り、イライラしている姿をよく見ていました。

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