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【日記風小説】平成二十三年 春
四月十一日(月)
今日から日記を始めようと思う。今まで日記を書いて続いた試しなんてないけれど、それでもなんとかやってみようと思う。今年は一応受験生だから、色々大変なこともあるだろうし、日記を書くことが少しでもストレス発散になればいいかなと思う。
この白い日記帳は、この間の春休みにおばあちゃんからもらった。長い間誰にも使われずほったらかしになっていたらしい。このまま捨ててしまうのももったいないから、あんたが使いなさいと言ってあたしにくれた。表紙が丈夫な皮で出来ていて、中身も結構分厚くて、真ん中には金色の文字で大きく「DIARY」と書かれてある。本当は日記帳なんて欲しくなかったんだけど、もし日記として使わなかったとしても、他に写真とかプリクラを貼ってデコるのもいいかなと思って、結局もらっておくことにした。
でも、せっかくだし飽きるまではちゃんと日記として使っていこうと思う。とりあえず、目標は一年間続けること! それで大学生になったら書くページがなくなってしまうくらい、たくさん文章を書き続けること! そのためには、どんなにしょうもない出来事でも、面倒くさがらずにたくさん書いていこうと思う。
四月十四日(木)
今日は早速全国模試があった。三年生は受験生だから、今まであんまり頑張っていなかった子も真剣に問題を解いていた。あたしはいつも真面目に解いているつもりだったから、普段と同じくらいの力で解いた。難易度はまあまあってところだった。あたしは一応文系だけど、特にこれが得意だっていう科目がない。かといって全部が良く出来るわけでもないから、基本的にあまり勉強が得意じゃないんだと思う。でも、別に嫌いなわけじゃない。だから授業も真面目に聞くし、テスト勉強だってちゃんとする。これで頑張った分だけ偏差値が上がったらいいのにと思うけど、そんなに上手いこと行ったら逆に怖いなとも思う。
試験が終わったら早速カエちゃんがあたしの席に来た。いつものように、国語の最後の問題は出し方が嫌らしかったとか、英語の長文問題が多すぎて解く時間がなかったとか、大体そんな文句をグチグチとしゃべった。その中には確かに同意できることもあったから、あたしはとりあえずうんうんと相づちを打っておいたけど、そんなにケチばかり付けないで少しは努力したらいいのにとも思った。珍しくゆっちはあたしの席に来なかった。一体何をしているんだろうとゆっちがいる席の方を見ると、彼女はすごく真剣な顔で英語の参考書を読んでいた。そういえば、ゆっちは東京の大学で英語を勉強したいって言っていたなあ。
あたしは特別行きたい大学とかもないし、将来こんなことをしたいという目標もない。適当に自分のレベルに合った大学に行って、適当に勉強して、適当に就職してOLにでもなれればいいかなと思っている。ただ、今は結構不景気だからそんなに簡単には行かないかもしれない。でも、それを考えるのはとりあえず大学に入ってからにして、今はとにかく良い大学に行けるように勉強を頑張ろうと思う。
模試が終わったら進路調査の紙が配られた。期限は一週間後だ。とりあえず適当に近所の大学を書いておこうと思う。
四月二十二日(金)
あれから色々調べたけど、近所にあまり良い大学はなかった。あったとしても、医療の専門大学だったり、レベルがめちゃくちゃ低いところだったりした。だから、偏差値はとりあえず五十ちょっとくらいで、場所も神戸市とか大阪市とか京都市とか、電車で一、二回乗り換えるだけで済みそうな大学を選んだ。あとは何か信仰宗教があった方が、お堅い感じがして良い環境で勉強出来そうだったからそれも考慮して考えた。
提出してからカエちゃんとゆっちにどこを書いたのか聞いたら、ゆっちは前々から聞いていた東京の国立大学だった。一方のカエちゃんはとりあえず今の高校からエスカレーターで上がれる短大にしたらしい。
「まあ、これで五年間女子校やけど、仕方ないよなあ」
って言ってカエちゃんはため息をついた。でも、何だかんだでカエちゃんは今の高校に馴染んでいるし、そのまま短大に進むのは正解だと思う。でも、そこからちゃんと保育士になれるのかどうかは本人次第だけど。
「なっちゃんはやりたいこととか、ないの?」
ゆっちに突然そんなことを聞かれた。あたしはちょっとビックリして、「うーん、特にないなあ」って笑いながら答えた。ゆっちは「そうかあ」って言ってあたしをじっと見つめていたけど、どう答えたらいいのか良く分からなかったからとりあえずへらりと笑った。そうしたらカエちゃんが全く違う話題を出してきて、ゆっちとの話はそれで終わってしまった。
もしかしたらゆっちはあたしのことを心配してくれていたのかもしれない。でも、今のあたしには将来やりたいことなんて本当に何にもないんだから、そう答えるのが精いっぱいだったんだ。
四月二十五日(月)
お母さんに今年のゴールデンウィークはどこに行く予定なのか聞いたら、そんな予定はないってはっきりと言われた。「あんたは今年受験生なんやから、どっかにふらふら遊びに行く暇があったら勉強しなさい」とも言われた。せっかく五月二日がお休みなのに、どこにも行けないなんて勿体無いなあ。かと言って、わざわざゴールデンウィークに勉強する気にもなれないしなあ。
そういえば、今日いつものように学校帰りのバスに乗っていると、黒地のチェック柄のブレザーを着た高校生のカップルが、あたしの隣で見せつけるようにイチャイチャしていた。そんな光景を見るのはもう慣れっこだったから別に何とも思わなかったけど、自分が着ている紺色のダサいジャンパースカートを見て、こんな制服の隣で歩きたい男子なんていないよなあってちょっとだけ空しい気持ちになった。
あたしの青春って、こんなもんなんだろうか。まあ、それでも十分楽しいと思っているから別に良いんだけど。
五月六日(金)
結局ゴールデンウィークはカエちゃんとゆっちとカラオケに行っただけだった。本当はもっといっぱい遊びたかったけど、ゆっちが勉強したいからっていう理由で一回しか遊びに行けなかった。ゆっちは最近予備校に通い出したらしくて、毎日課題に追われているんだって話していた。あたしも塾とかに行くべきなんだろうか。何となくそう呟いたら、カエちゃんが「なっちゃんは真面目に勉強してるし、そんなとこ行かんでも大丈夫なんちゃう?」って言った。それってつまり、あたしがどれだけ頑張って勉強しても、今以上に賢くはならないだろうって意味なんだろうか。
五月十七日(火)
今日は色々と大変な一日だった。学校の隣にある教会で朝のお祈りをする日だったのに、十分くらい遅刻してしまった。
それもこれも全部行きのバスのせいだ。今日は久しぶりに大雨だったから、バスがかなり遅れていた。電車が遅れるくらいだったらあんまり時刻表に影響はないのに、バスになると時刻表なんてあってないようなものだ。結局二十分くらいバスは来なかった。
停留所にはいつもの倍以上の十五人くらい人が集まっていて、みんなイライラしながらバスを待っていた。その中にあたしと同じ高校の人はいなかったけど、すぐ前に見覚えのある学ランを着た男子高校生がいた。確か、あの制服はあたしの高校の一駅先にある私立男子高のだったと思う。その人は今まで何度かバスに乗り合わせたことがあるから見たことはあったけど、今日は特別目についた。多分、真っ赤な傘を差していたからだと思う。柄は無地だったけど、どこからどう見ても明らかに女性ものの傘だった。しかも、その人は本を読んでいた。いや、本じゃなくてマンガだった。学校にマンガを持って行って良いなんて、すごくうらやましい。って、カエちゃんならそう言いそうだなあ、なんて思った。
教会に着いて恐る恐る中に入ってみると、みんな想像以上に心配してくれていて少しほっとした。怒られたらどうしようって不安だったから、日頃真面目にしているといざという時に得するんだなあと思った。
教室に戻ると、四月の模試の結果が配られた。いつもと同じ力で解いたはずなのに、あたしの偏差値は全教科三~五くらい下がっていた。正直すごくショックだった。特別難しいとも思わなかったのに、なんでこんなに下がったんだろうと思って点数の分布図を見たら、科目ごとの平均点がものすごく上がっていた。きっと、周りのみんなが気合を入れて勉強を始めたからなんだろう。それなら、あたしも今まで以上に頑張らないと、そのうちみんなに追い抜かれてしまうかもしれない。そんなことを考えると、これからの受験勉強がかなり不安になってきた。
五月二十三日(火)
最近雨の日がすごく多い。今日も雨が降ってバスが遅れた。そして、あたしの前で待っている学ランの男子高校生は、やっぱり赤い傘を差していた。
お母さんと相談して、六月から塾に通うことになった。この間の模試の結果を見てかなり不安になったらしい。あたしも確かにこのままじゃだめだろうなと思っていたから、お母さんからそう言ってもらえて良かったと思う。とりあえず苦手な数学を重点的に、あとは国語と英語と三教科を受講することになった。個別指導の塾で、先生は大学生らしい。せっかくの機会だから大学生活のこととかも色々教えてもらおうと思う。
五月二十八日(土)
三年生になって、みんなの勉強に対する姿勢がかなり変わったような気がする。うちの高校は、二年の時に文理のクラス分けがあってからはクラスが変わらない。だからクラスのメンバーは同じはずなのに、二年生の時とは明らかに空気が違っている。何だかみんなすごくピリピリしていて、隣の子の志望校とかを常にコソコソ探り合っているような感じだ。特に賢い子は結構いろんな子のターゲットになっているような気がする。そう言うのを見ていると、何だかすごくもやもやした気持ちになる。そんな中、あたしの志望校はまだはっきりと決まっていない。もう少しで三者面談があるのに、どうしようかなあ。
五月三十一日(火)
今日はかなりついていない日だった。朝は快晴だったのに、帰りのバスの中でいきなり大雨が降り出したのだ。あたしはヤバイと思ってカバンの中を探ったけど、いつも入れているはずの折り畳み傘がこんな日に限って入っていなかった。帰りに近くのコンビニでビニール傘を買おうかとも思ったけど、あいにく今日は財布も持って来ていなかった。だからと言って、停留所から家まで十五分の距離を走って帰るのも嫌だったし、どうするべきか考えていたら最寄りの停留所に着いてしまった。このまま乗り続けているわけにもいかないからあたしはとりあえずバスから降りて、停留所の屋根の下のベンチに座った。
雨は思ったより結構強く降っていた。お母さんに傘を持って迎えに来てもらおうにもケータイは家に置いてあるから無理だし、このまま小雨になるまでしばらく待っておくしかないかなあとか、そんなことをぼんやり考えていた。
でも、雨は一向に止まなかった。しばらく目の前のチカチカ光るパチンコ屋の看板とかを見て暇を潰していたけど、それにも飽きて何となく横を見ると、例の赤い傘を持った男子高校生が隣に座ってマンガを読んでいた。あたしは彼がずっとそこにいたことに気が付かなかなくて少しビックリしたけど、気付かなかったフリをしてまた正面のパチンコ屋の看板で暇をつぶした。
しばらくしたら隣の男子高校生が立ち上がる気配がした。家に帰るのかな、とあたしは思った。
「お前、傘持ってないの?」
驚いて横を見ると、例の男子高校生がこっちを見下ろしていた。どうやら、あたしに向かって言っているらしい。あたしはその時初めて彼の顔をまともに見たけれど、特別イケメンってわけでもないし、かと言ってブサイクというわけでもないし、その辺に良くいるキツネ顔の日本人って感じだった。ただ、ものすごく賢そうだっていうのは何となく分かった。
あたしは正直に持ってないよと言うと、彼はまるで馬鹿にするみたいにへえと言って小さく笑った。その態度にあたしはイラッと来てしまって、思わず声を荒げてしまった。
「だって、今日の朝はめっちゃ晴れてたし、雨なんか降る感じとちゃうかったんやもん」
「何言ってるんだよ。朝の天気予報で、今日は夕方から天気が崩れるってテレビで散々言っていたじゃないか」
彼はそう言ってまた小馬鹿にしたように笑うと、例の赤い傘をバサッと派手に広げて停留所から去って行った。その言い草にあたしはかなり腹が立って思わず立ち上がったけど、雨はまだまだ強く降っていたから仕方なくもう一度ベンチに座り直して、はーっと大きくため息をついた。あの男子高校生は結局、天気予報すら見ないズボラなあたしをからかいたかっただけなんだって思った。
停留所はバスから降りてくる人で絶え間なく混み合っている感じだった。あたしみたいに傘を忘れた人もいたみたいだったけど、たいていの人はカバンを頭の上に掲げて小走りで去って行った。きっと、近くのコンビニでビニール傘を買うか、その辺でタクシーを拾うか、家まで強行突破で走って帰るんだろう。そんなことを考えていると、いつまでも雨が止むのを待ち呆けている自分が少し空しくなった。
するとあたしが散々暇つぶしのために見ていたパチンコ屋の陰から、見覚えのある赤い傘がこっちに向かってくるのが見えた。まさかと思ってしばらくじっと見ていると、それはやっぱりさっきの男子高校生だった。停留所の前にある横断歩道を渡って、あたしの方へ向かって歩いて来る。赤い傘を持っていない方の手には、さっきまで持っていなかったビニール傘が握られていた。
彼はそうして再び停留所まで戻って来ると、あたしの目の前に立って、持っていたビニール傘を乱暴に突き出した。
「ほら、これ差して帰れよ」
突然のことにビックリして、あたしはしばらく何も言えなかったけど、五秒ほどしてやっと状況が掴めた。彼は多分、あたしのためにコンビニでビニール傘を買ってきてくれたんだろう。
「え、いや、でも、そんなん、悪いし……」
あたしが必死でそう断ると、彼はすごく不機嫌そうな顔をした。
「この雨、これから明日の明け方まで降るって言ってたけど、それまで待つつもりか?」
そう言うと彼はあたしの胸にビニール傘を無理矢理押しつけて、そのままさっきと同じように、さっさと横断歩道を渡って行ってしまった。
あたしはその赤い傘がパチンコ屋の陰に消えるまで、彼の後ろ姿をじっと見つめていた。しばらくしてハッと我に返ると、強引に渡されたビニール傘に目をやった。値段は五百円って書いてある。結構高い傘だ。コンビニだから仕方ないのかなとも思うけど、それにしてもわざわざあたしのために傘を買ってくれるなんて意外に優しい人だなと思った。
とりあえず、次会ったときにこの傘は絶対に返そうと思いながら、さっきの彼と同じようにバサッと派手に傘を広げて、あたしはようやく家に帰ることが出来た。
それにしても、あの男子高校生は何だかすごく不思議な人だった。あたしのことをすごく馬鹿にしている感じなのに、実は結構優しい人みたいだ。あの赤い傘は彼のお気に入りなんだろうか。今度会ったとき、傘を返すついでに聞いてみようと思う。