#16 『歓喜の広島市民球場』(広島)
話し相手JAPAN TOURとは
『広島市民球場』
「パッパラパ〜パラララ〜パッパラパ〜!」
「ドン・ドン・ドン・ドン・ド〜〜〜ン!」
「うわぁぁぁぁぁ〜〜〜〜ぁぁぁぁぁあ!」
トランペットと太鼓の音。そして応援と声援と歓喜の声が急に聞こえてきては止まり、また聞こえては止まり
「あれ?今日は野球やってないよな?」
そして思い出した。あの人が・・・いる!撮影に来てる!!
2000年5月20日、愛媛の松山港から広島の宇品港に向けてフェリーで渡り、ポケットには52円しか残ってなくて、まず献血に向かいました。
このツアー(という規模ではないのですが)を始める時に、8万円を郵便局のATMに入れて、それを小出しにしながら繋いできたものの、2ヶ月が経って、残りは2万円を割ってました。
だからというワケではなく献血をして、ジュースとお菓子をいただき、テレホンカードをもらって(この当時は、1時間ほどかかる成分献血をすると図書券またはテレホンカードをもらえてた)金券ショップで換金という一連の流れが、なんとなく仕上がってました。
そういえば、ツアーの最後(沖縄)に献血をした時、置いてあった体脂肪計で測定したら体脂肪率9%という数字を叩き出して驚いたのを覚えてます。
寝泊まりは、基本的に寝袋で野宿。まだ寒い頃は、ファミレスでもお世話になりました。
広島では、本通り商店街で寝てたら、夜中に特攻服を来た若者たちが、大勢で行進してたりするのに出会ったので、危険を察知して、次の日から広島市民球場近くの体育館外のベンチで寝てました。
そして・・・
夕方まで広島市民球場の近くで、ダラッとなってた。
そんな時に聞こえてきたトランペットと太鼓の音、そして歓声。
ん?今日は、広島カープの試合はないぞ。となると・・・
あ〜〜〜〜〜〜〜ッ、ドラマや!ドラマの撮影やん!!
入場門のところにいた警備の人に止められたが、堂々と、そう、こういう時は堂々と言えば、たいてい通れる。
「関係者です。」
「どなたの関係者ですか?」
「岸谷五朗です。」
まぁ、関係者であるのは間違いない。思った以上にすんなりと関係者口を通過して、ベンチ裏の通路からベンチへ。五朗さんがいた。
目が合うといきなり
「なんだよ、元気そうだよ、クソーッ」
いやいや、元気な顔見てクソーッはオカシイ。そして五朗さんのスグ近くに寺脇さんも居た!
「クロいよ、クロすぎるよ」
いやいや、ふたりとも『感動の再会』感ゼロ。
1年前、岸谷五朗さんと寺脇康文さんの演劇ユニット・地球ゴージャスVol.3『地図にない街―DOHENEKE‐HEKISHIN―』という作品に出演させてもらった。
この『話し相手JAPAN TOUR』に行くと決めた時も、2人に話して送り出してもらった。そして広島でドラマの撮影というタイミングで市民球場のスグ外にいた。
広島カープに、32歳にしての脳腫瘍でこの世を去った『炎のストッパー』津田恒実(旧名:恒美)という伝説の投手がいた。
投げる球の9割がストレート。ストレートを投げると分かっていても打てない球だった。あたかも、自分が打席に立ったように書いたが、とにかく凄いピッチャーだった。
そんな津田恒実投手のドラマ
『最後のストライク 〜炎のストッパー津田恒美・愛と死を見つめた直球人生〜』
で、津田投手役の岸谷五朗さん、そして北別府役で寺脇さんが、広島市民球場のグランドにいた。五朗さんは、めちゃくちゃカッコよかった。いや、もう津田投手がマウンドにいたような気になるぐらい熱い気持ちになった。
撮影が終わって、食事に連れて行ってもらった。監督さんや津田投手の奥さんも一緒に。食事が終わったら、寺脇さんが
「お前、どこに泊まってんだ?」
「球場のスグ裏の体育館のベンチです」
「俺の部屋、泊まるか?」
「そんな・・・はい」
そういうとこは、迷わず、スグに甘える。特に年上の男性には甘える。
寺脇さんの部屋で、五朗さんと3人で飲んだ。この日の部屋の風景は忘れられない。そして、朝起きた時、部屋の床にビニールシートを敷いて寝てた自分の姿も忘れない。
あまりにホテルのベッドがフッカフカ過ぎて、夜中に起きてリュックからビニールシートを出して、床に敷いて寝た。この頃すでに、カラダが『路上モード』になってた。
広島には6日間いて、3日間は広島市民球場近く、3日間は広島大学跡地のグランドで過ごした。もうすぐ6月か!
もうすぐ夏かぁ!!!
その前に梅雨があったの忘れてた。
『雨宿る』
けっこう雨で足止めを食らってる。昨日は『楽々園』という、なんともハッピーそうな駅で寝させてもらった。そして、朝からの雨に、雨宿りの合間に歩いたが、そんなに進めず。
今日も強い雨が降ってる。ちょうどガソリンスタンドがあったので、ちょっと雨宿りさせてもらったのだが、もう1時間以上やどってる。
ずっと雨、今は豪雨。こうなると進めない。
田舎のガソリンスタンドなので、なかなかお客さんが来ないのだが、スタンドの店員さんは、オジサンが一人。ニコニコして「かまわんよ、閉店までおっても」と言ってくれた。
とはいえ、やることないし申し訳ないので、ちょっと手伝った。
「っしゃいませ!」
「満タンですか?」
「かしこまりました〜」
「ありがとうございました。お気をつけて〜〜」
バッチリだ。我ながら、適応力かなり高めだ。車が去った後、ニコニコ見てたスタンドのオジサンが
「おにいちゃん(オレのことらしい)、フロントガラスは、拭いても、またスグ濡れるけんね、サイドミラーだけでええよ」
たしかに・・・何事も勉強だ。よし、雨もちょっと弱くなったので、スタンドのオジサンと別れて歩き出・・・せません。また雨やんけ!!
結局、閉店まで宿らせてもらった。この流れで、ガソリンスタンドのオジサンが「泊まっていくとこないなら、うちに来るか?」という流れに・・・
「おにいちゃん、気をつけてね」(ブオォォォォォ〜ン)
きっと、今までで、一番あっけなく、そしてフツーに車は去っていった。
まぁ、そらそうだ。
そんなうまくはいかない。
うまくいかないからオモシロイのだ。
オモシロくなくてもいいから、うまくいった方がいいなぁ・・・さて、今日も駅のホームで野宿だ。
ここの駅は『大野浦』と書かれていた。
このnoteに【話し相手JAPAN TOUR】の連載を始めて4ヶ月。
ほぼ2000年に歩いて進んでるタイミングと同じ時期に追いつきました。
ここからは、少しペースアップして、ゴールまでを書いていこうと思います。
そして、今さらですが、『スキ』ボタンというのを押してもらったら自動で『お礼のメッセージ』を返す機能があるのを知りました。
6パターンほど、挿し絵も変えて書きましたので、占い気分でやってみてください。もちろん占えないので・・・全部『大吉』です。
次回の物語は、長い長い2日間の話し相手というか、お供。
そして、その先の小倉〜福岡では、また、五朗さんと奇跡の再会をする事になる。
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