#29 『居酒屋・海ぶどう』(恩納村)
沖縄から出るフェリー代(大阪まで)が、15,000円ほど必要だったのだけど、8月4日の所持金が2,006円で、まったくバイトが見つかる気配がない毎日だったようです。
8月に入ってからの日記が、なんだかモヤモヤっとしてました。
観光客が、お土産を買い物に来るメインストリートの国際通り入口に『話し相手』のテーブルを出していたら、何人もの人に声をかけられました。
「名古屋にもいましたよね」
「大阪で会ったん覚えてる?」
「え〜ホントに沖縄まで来たんだ!」
観光地、恐るべしですね。
偶然の再会で、感動してくれたり笑ってくれたりというのは、とてもありがたかったしテンションも上がったのを覚えてます。
夜になると、そんな観光客の人たちも含めて、たくさんの人が『話し相手』に来てくれるのだけど、なんというか、ちょいちょい「このままではイカンなぁ」という言葉が日記には出てきてました。
たぶん自分の中で『話し相手』になる事がメインではなく、このJAPAN TOURの終わらせ方を考えてたんじゃないかなと思ったりします。
半年間という期間限定でやると決めて出発した【話し相手JAPAN TOUR 2000】は、半年後に東京に帰って、その後『ひとりLIVE』をやると決めてたので、もうちょっとしたら5ヶ月になるという時期でした。
たぶん「このままではイカンなぁ」という言葉は、このままでは金銭的に沖縄から「出られへんなぁ」という意味と、どういう風に終わらせて東京に戻ればオモシロイのか?という意味で、このままでは「終われんなぁ」が混じってたんじゃないかと思います。
『冨着ビーチ』
久しぶりに歩いた。「仕事を探さんと、いよいよヤバイな」と、国際通りを離れて58号線を北に向って歩き出した時はポケットの中に1,000円しかなかった。
観光客で賑わってる北谷まで歩いて、なんか違うと思いながら嘉手納基地の横を歩きながら、さっきより違うなぁと通り過ぎて、読谷村まで来ていろいろ思う。
北に向かって歩いてるけど・・・なんでコッチに来たんやろ?
仕事を探してるのは探してるけど・・・那覇にないのにコッチにあるか?
そもそも・・・どこに向かって歩いてる?
マズイ。ネガティブラビリンスにハマってる。こういう時は疑問を解決する前に寝るに限る。で、冨着ビーチに辿り着いて野宿。
いやぁ、流れ星のキレイ事キレイ事。ウトウトしながら砂浜でそのまま寝てしまった。どれぐらいの時間が経ったか分からないが、すごい殺気を感じて目を開いたら、めちゃくちゃ悪役顔のヤツら3人に囲まれてた。
ヤバい!ヤラれる!!
という野生の勘。実は、2日前にもパレットくもじで寝てる時、シンナーで完全にラリッてる6人ほどに囲まれた。寝たフリで切り抜けようか、いや、そんなんで切り抜けられるか?オレもラリッてる芝居をするか、いや、危険の上乗せになるんちゃうか?
どうしようか迷ってる時に、偶然なのか通報なのか分からないが、お巡りさんが階段を駆け上がってきてギリギリ救われた。
そんな事があったばっかりやったので、この状況は・・・マズイ。
しかも、このビーチに助けてくれそうな人はいない。何より目を見開いてしまって、今まさに3人と目が合ってる。寝たフリは通用しない。
しかも、ちょっと離れたところに、彼らの仲間がワイワイ騒いでる・・・
絶体絶命!!という状況で、たぶんリーダー的な存在が
「一人で野宿しよるん?寂しくないね?一緒に飲む?」
めちゃくちゃいい人だった。そして、まさかの高校生だった。なんか地元の漁師のオッサンたちかと思ったら、高校生、ティーンエイジャーだった。
この先の山の中(って言うてたと思う)にある全寮制(やったような気がする)の高校生(すごい老けてたけど)で、年に何度かの休みに仲間と海に来て盛り上がるらしい。
高校生にオリオンビールと泡盛をごちそうになって倒れるように寝た。翌朝パレットくもじのガードマンに起こされるでなく、明るくなった日差しで起きた時には、高校生たちは帰る準備をしてた。
浜辺は、来た時よりキレイに掃除してた。彼らに「オニイさん、なんとかなると思うよ、頑張ってね。」と励まされて別れた。
オレは、彼らに何を話したんやろ?どうやら高校生に『話し相手』になってもらったようだ。
そして、その日なんとかなった。
『居酒屋 海ぶどう』
オッサンと仏様の両方の皮を被った高校生と別れて恩納村まで歩いてきた。たぶん泡盛のパンチが効いてたのだと思う、5キロほどしか進めずに疲れて倒れるように寝てたのが、居酒屋『海ぶどう』の駐車場だった。
ちょうど、ランチの用意をするために看板を出していたマスターらしき人に
「皿洗いまくります。給料はいらないんで3日間メシ食わして下さい」
って言うたら説教が始まった。
8年前に神奈川から沖縄に移り住んで、そこからお店を立ち上げたマスターだった。ちょっと頭がボーッとしてて、お店を立ち上げてからのサクセスストーリーをあんまり覚えてないというか、そもそも聞いてなかったけど、すっごい覚えてるのが、マスターが
「俺が一番嫌いなタイプの人間が風来坊だ」
と・・・風来坊とは『どこからともなくやって来る人。身元が知れず、一つ所にとどまらない人。さまよって来た者。気まぐれ者。』まさに今のオレだった。説教は続いた。そして
「2番目に嫌いなタイプが関西人だ」
と・・・関西人とは、調べるまでのなく『オレだ』
あとひとつでビンゴだ。この流れだと「3番目に嫌いなのがお笑い芸人だ」って言われるんちゃうかなぁとボンヤリ思ってたら、マスターが「ちょっとそこで待ってろ」と言って店に戻っていった。
まだ泡盛の残ってる頭で「雇ってもらわれへんのに、なんで説教聞いてんねやろ」って思いながら、このスキに逃げようかとも思ったけど、正直、もうちょっと休みたい。
説教を浴びながら水だけ飲ませてもらって、あわよくばオニギリぐらい持たせてもらって先に進もうと甘い考えで待ってたら、水でもオニギリでもなく店のTシャツと真っ白なパンツ渡されて
「とりあえず厨房入って皿洗え、ほら、グズグズすんな!」
と。そしてランチが始まり皿を洗いまくった。
働ける喜び、それより何時間後かにメシが食える喜びを想像しながら洗い場に運ばれてくる皿を洗いまくった。同じくバイトの(正規ルートで雇われてた)良之くんと清和くんに「しげさん、皿洗うのはえ〜」と乗せられ『洗い場の魔術師』と呼ばれ、がぜんエンジンがかかる。
ランチからほぼ休憩なく仕事を終えたのが午前1時頃。
その頃には「海入りすぎやで!」っていうぐらい手は白くふやけてた。ただ、キツイっていうのは全くなかった。楽しいとも違う、安堵。
給料いらないって言った分、ガツガツメシ食わしてもらい、バイトの寮で、しかも布団で寝させてもらった。
「いらっしゃいませぇ〜」と「ありがとうございましたぁ〜」が、板についてきたというか楽しくて、アッという間に3日間が過ぎた。お店の持つ雰囲気って大事やなぁと思った。神戸でお世話になった二郎さんに
「テキ屋はうまいもんを売るんやないんです、雰囲気を売るんですわ」
って言われたのを思い出した。客が美味いと思うのは、出された料理を食べるまでに、そのお店で過ごす時間と雰囲気が、ものすごい関係してくると思う。
そぉいう意味では、まかない食ってるオレが一番うまいと思ってたんだろうなと思う。
約束の3日が経って、お店が終わった時間に『お盆おつかれさま会』を兼ねて、海辺で送別会まで開いてもらった。良之君がビックリして「マスターって、今までこんな事したことないんですよ」って言ってた。
「忘れないうちに、ほら、コレとっとけ」
って、3日分の給料を頂いた。それは約束が違うやないですかッ!こんな事なら、もうちょっとまかない食う量、遠慮すれば良かった。
満月が明るくて自分にスポットライトが当たってるような気になった。マスターは「お前が来て、うちの店にいい刺激になったよ。仕事なかったらいつでも来いよ」と言ってくれた。
マスターには聞かなかったけど、ちょっとは風来坊と関西人、好きになってもらえたかな?
いや、ソレとコレは別か!
恩納村を出て那覇の国際通りに戻りました。
同じ場所なのですが、なんか違ってたような気がします。きっと周りは何も変わってなくて、自分が変わってたのだと思います。
2〜3日後、屋外のテラスみたいな場所で休んでました。スピーカーからFMラジオが流れてきて、コミニュティーFMの番組にマスターが出てました。
マスターは「国際通りに『話し相手』ってオカシナ看板出してる男がいるんで、見かけたら話し相手になってみてください」って、宣伝してくれてました。
その後、ラジオを聞いて来ました。という人には出会えませんでしたが。
最近、恩納村の居酒屋『海ぶどう』を検索してみたら、お店が移転してました。元祖・海ぶどうに名前も変わってました。あれから20年なので、マスターは、神奈川から沖縄に移り住んで28年になるのか・・・
スゴイなぁ、マスター。
次回は、怒涛のバイトラッシュ?いや、そうでもないですが、なんか、沖縄から出られそうな感じの話しです。