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<伝えたいこと>
「自分よがりな感情」が、あらゆる苦しみにつながる。「自分よがりな感情」に囚われている限り、あらゆる問題は解決しない。しかし、「自分よがりな感情」とは自分を守ろうとする防衛本能なので止められないし、思い通りにはならない。だから、思い通りにならないと知って「自分よがりな感情」を許すこと。それが、どうしても囚われる泥沼から抜け出すきっかけに繋がる。

思い通りにならない仕組み

組織やチームのなかで新しい挑戦をしている人を見かけて「なにか助けられるかな?」なんて、誰にでも少しは親切な気持ちになれる時ってありますよね。

そんな気持ちのままに素直に行動してしまえば良いのですが、、、なぜか行動できずにぐずぐずしていると、頭の中ではいろいろな言葉が浮かんで来てしまうものです。

「周りはなんて言うかな?」
とか、
「出来ることはないかも・・・」
とか、
「そういえば、変に巻き込まれて苦労した人もいたな・・・」
とか、

そんなことを頭の中でグダグダ考えていると、タイミングを失ってしまいます。そして今度は、結果的に手助けをしなかった自分を正当化しようと自己中心的な言い訳が頭の中を駆け巡ります。

「色々と忙しいし時間がないからな」
「自分の仕事ではないし」
「必要なら、他に誰かが助けるだろう」
「助けても失敗したら無駄骨だからやめておこう」
などなど。

最初は親切な心を持っていたのです。
でも、親切な心を持ち続けられなくて、ちょっとした罪悪感を感じます。すると、その罪悪感から自分を守ろうとして「自分よがりな感情」が言い訳を見つけてしまいます。そして、言い訳する自分を守るために、次の言い訳を見つけ続けるようになります。

あなたも、このような「自分よがりな感情」が招く、思い通りにならない経験を何度も重ねていないでしょうか?

「自分よがりな感情」が連鎖する泥沼

「自分よがりな感情」は、些細な罪悪感から自分を守ろうと言い訳を見つけ、言い訳が次の言い訳を探します。そして、そんな自分を守るために誰かを責める言い訳にまで繋がっていきます。

「暇そうにしてる奴が助ければ良いんだ。俺じゃない。」
「助けが必要だなんて、自業自得だな。俺は悪くない。」
「自分勝手に無茶をするあいつが悪いんだ。あいつが悪い。」

などと心の中で自分勝手に誰かを責めるイライラを溜め込んでしまいます。そして、最初は親切に助けてあげようかと思っていたにも関わらず、「そんなこと続けても失敗するよ!」などと、自己中心的な感情をぶつけたりします。

巻き込まれた相手も、最初は優しい心で、努めて冷静に対応しようとしてくれるかもしれません。しかし、思い通りにならないことが続くと、最終的には同じように自分を守るために「自分よがりな感情」が優先されはじめます。

そうなると、お互いに自分を守り相手を責める理由を探し続け、お互いに自分を正当化します。相手を人として尊重することは無くなり、障害物としてしか見えなくなります。そして、お互いに自分を正当化して相手を責め続けようとする共謀関係となります。その共謀関係によって「自分よがりな感情」が連鎖するの泥沼に、お互いに深く溺れていきます。

極端に単純化しているかもしれませんが、これが「自分よがりな感情」が連鎖する泥沼です。長年解決しない親子の確執も隣の国との戦争も、あらゆる争いが、このような感情の連鎖の泥沼が本質的な原因だと説明ができます。

つまり、あらゆる争いは、誰かの「自分よがりな感情」から始まります。自分を守ることが優先されて、視座が低くなり視野が狭まり視点が固定化されます。視点が自己中心的に固定化されると、他人を尊重できず、他人の目的や希望を盲点にして見えなくなります。

そして、そんな感情は周囲に連鎖して、相手も同じように「自分よがりな感情」に囚われます。「自分よがりな感情」の連鎖が泥沼につながり、お互いに争いを正当化する言い訳に深く溺れていくのです。

「自分よがりな感情」に囚われている限り、行動だけを変えても解決策にはなりません。例えば、思ってもいないお詫びやあらゆる言葉や態度は、根本的な解決に繋がらないことでご理解頂けるでしょう。行動だけを変えても「自分よがりな感情」に囚われていることは自分も相手も判ります。表面的には解決したように見えても、お互いの心の奥底では火種が燻り続けています。燃えやすい材料を探し続け、再び火がつくのを待っているだけです。

世代を超えた争いが沢山あるように、時間も解決策にはなりません。「自分よがりな感情」に囚われている限り、時間が立つほど自分を正当化して相手を責め続ける泥沼に深く深く溺れていきます。中には時間が解決に繋がったと思える事もありますが、それは時間が経過する中で、双方が冷静になって「自分よがりな感情」を幸運にも捨てる機会があったからです。時間自体が解決策ではなかったのです。

泥沼に引きづり込まれた自分は悪くない、と思っている限りあらゆる問題は解決しません。どちらかが冷静になって泥沼から抜け出して、相手も抜け出せる機会を作らないと解決できません。あらゆる争いや問題は「自分よがりな感情」から始まり、そして「自分よがりな感情」に囚われている限り解決しないのです。


「自分よがりな感情」の正体

人は感情の生き物で、感情はあらゆる行動のエネルギーです。
人は良いも悪いも感情に突き動かされて行動しているし、行動してしまっています。

そして、「自分よがりな感情」の正体とは、何よりも自分を優先して守ろうとする防衛本能です。

生きていく上では抑えられない生理現象のようなもので、自分を守ろうとして「失敗したくない」と恐れたり、罪悪感を感じる自分を守ろうとして「自分は悪くない!」と怒ります。
他人と比べて自分を守ろうと「みんなはズルい」と妬んだり、現実を受け入れられない自分を守ろうと「なぜ俺だけ」と悲しんだり、思い通りにならない自分を守るために「もっとできたはず」と悔やんだりしてしまいます。

残念ながら止めることも抑えることも出来ません。どうしても自分を守ろうと湧き出てきます。そして、どうにか抑えたいと感情的になるほど溢れ出てしまいます。思い通りにはならないのです。

そして、思い通りにできないものを、思い通りにしようとして、余計に苦しむのです。


許すことから始める

大切なので何度も言いますが、防衛本能である「自分よがりな感情」は、抑えられません。生理現象のようなもので、思い通りにはなりません。なので、どうしようもないし、仕方ないことなのです。

なので、大切なのは思い通りにならない「自分よがりな感情」を素直に受け入れて、そして「自分よがりな感情」を許す事です。

なぜなら、受け入れられないと抵抗して、許せないと自分を責めることこそが、抑えたいはずの防衛本能を起動させるからです。そして「自分よがりな感情」に溺れる泥沼に繋がるからです。

なので、仕方のない「自分よがりな感情」を許すことが、泥沼から抜け出す決定的な第一歩なのです。そして、許す第一歩を進むと、今までは泥沼に溺れて見えなかった視界が広がります。自己中心的ではない景色と解決策の糸口につながるのです。

そうすると、
相手は何をしようとしているのか?何を目的なのか?
相手はどんな人で、何を求めているのか?
相手は何に喜び、何を避けようとしているのか?
など素直に相手を理解しようとすることができます。

当然、思い通りに解決の糸口に繋がるとは限りません。
そして、抑えられない「自分よがりな感情」はいつでも邪魔をしようとするでしょう。ただ、そんな「自分よがりな感情」を許し受け入れ続ける限り、泥沼に溺れることは無くなります。

この世界は思い通りにならないことだらけです。
泥沼に誘う罠だらけで、抑えられない「自分よがりな感情」に深く溺れてしまうこともあるでしょう。しかし、そんな時は一休みして呼吸を整えて、「自分よがりな感情」を許すことから始めてみて下さい。その泥沼から抜け出すだ一歩が、相手の「自分よがりな感情」を許すことにも繋がります。

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