シアーズ博士夫妻のベビーブック
初めての育児というのは、誰だって心細さでいっぱいになってしまうものだろう。何が正しくて、何が間違っているのか、手探りでその答えを求め日々過ごしていかなければならない。そんな揺れる心に寄り添ってくれたのが、分厚く重たい育児書「シアーズ博士夫妻のベビーブック」だった。
わたしは息子を帝王切開で出産した。陣痛が始まってから三日、子宮口が全開になってからもお産は進まず、ついに息子の心拍が低下してしまいその決断をした。わたしも体力の限界だった。陣痛が始まってから「赤ちゃんの向きが反対になっている」と言われた。「逆子ではない」とも。正直その意味がわからなかったのだけれど、後に調べたら回旋異常というもので、お産が進まなかったのはそのせいだったのだろう。それから暫くの間「わたしは産んでいない」という思いに苛まれた。産道を通って「産まれる」という、人生で初めての大仕事をわたしは息子にさせてあげられなかった、と。
そんなとき、この育児書に出会った。〝帝王切開はいわゆる手術ですが、出産であることに変わりはありません。帝王切開だったからちゃんとしたお産じゃない、というような考え方を持つ必要もないのです〟と今読み返せばごく当然のことが書かれているのだけれど、産後の母親の心というのは正常な判断ができなかったりするものだ。胸につかえていたものがすとんと勢いよく落下し、軽やかになった気がした。
断乳をするときも、寝てくれないと悩んだときも「大丈夫だよ」そんな風にそっと囁いてくれたのは、やはりこの育児書だった。何十年も前の当たり前や、息子とは別の誰かを育てた記憶と比較して育児を指南しようとしてくる生身の人間ではなく。さくいんから単語を探せば、知りたいことは大抵載っていた。
アタッチメント・ペアレンティングという考え方にたまらなく共感し、わたしはそういう風に息子と過ごした。「抱き癖がつく」なんて言葉はどこ吹く風で、泣いたらこの腕に抱き、授乳をし、わたしの背中にピタリとくっついて息子はお昼寝をした。大変じゃなかったわけじゃない。それでも自分の〝感覚〟を無視することはできなかった。正しい判断だったと、あの頃のわたしを讃えてあげたい。
細切れの時間を使って、この育児書一冊まるごと読んでみようと試みたこともあったのだけれど、結局読了することなく、もうこの育児書が必要な時期は過ぎてしまった。それでいい。これはそういう本だったのだ。どっしりとそこにいて、安心感を与えてくれた。共に乳児期の息子を育ててくれたこの本に、心からありがとうと思う。