予告されたアイスダンスへの道4
髙橋大輔のファンになった時期は人によってバラバラらしい。一般的なのはトリノ・オリンピックかバンクーバー・オリンピックからだと思うけれど、わたしのように「剣の舞」からという人もいるし(かなり変わってる)、世界ジュニア優勝からという人もいるし(うらやましい)、引退後という人も、復帰後という人も、今年からファンになった人もいたりする。メダルを取った瞬間が最高の瞬間というわけでもないし、好きなプログラムも人によって違う。
ある日突然、なんと素晴らしい演技だ、と髙橋大輔を発見する。そしてそれは試合の勝敗とはあまり関係がない。試合であるかどうかとも関係がない。どちらかと言うと好みの音楽とか絵画に出会った感じに近い。
そんな風に髙橋ファンになった人は、髙橋大輔が無敗で勝ち続けるかどうかについてはさほど関心がない。もちろん勝つほうがいいに決まっているけれど、フィギュアの採点は不安定で大会ごとにばらつきがあるし、点数によって髙橋くんの演技の価値が左右されるとは思えない。
髙橋大輔の魅力はやや無謀なくらいの芸術的チャレンジを続けていくことで、それにはリスクを伴う。勝ち負けにこだわるならもっと楽な方法はいくらでもあっただろう。あえてリスキーな道を選んだのは揺るぎない美意識のせいで、心配なのは負けることよりも守りに入ることだった。高すぎる理想と悪戦苦闘しながら、毎年新しいプログラムであっと驚かせてくれる。本人はもっとできたんじゃないかと悔しがる。そしてまた予測不能な挑戦に挑んでいく……それが髙橋大輔だった。
だから現役を引退しても、髙橋大輔にはチャレンジを続けて欲しかった。表現力の面ではまだまだ進化の途上だった。そもそも本人が「表現力は40歳には勝てない」と20歳過ぎの頃に言っていたのだから、まだ老け込むには早すぎる。
けれど引退直後の髙橋くんは、インタビューでたびたび語っているように、まずはスケートを続けるかどうかを悩んでいる、という状態だった。引退直後のアイスショーの演技にはあまり気持ちが入っていなかった、という趣旨の発言は後に何度も繰り返している。
確かに2014年から2015年の渡米までの期間は、長い現役時代全体に対するエキシビションという感じで、来る仕事を義務的にこなしているんだろうな、と外から見ていても察しがついた。おそらくコンディションもよくなかっただろうし、精神状態もあまりよくなかっただろう。「キャラバン」も「I'm kissing you」も振り付けは慣れ親しんだ宮本賢二に依頼し、相変わらず素晴らしいプログラムではあるけれど、本人比では手堅い作品という印象だった。
その頃の演技で1番印象的だったのは、12月に開かれたクリスマスオンアイス(XOI)の浅田真央とのコラボレーションだった。なんと言ってもこのプログラムにはリフトがあった。ちゃんと振り付けされた演技でリフトを披露したのはこれがはじめてで、しかも相手があの浅田真央なのだから、話題にならない訳がない。「スポーツウォッチャー」で放送されたメイキング映像は微笑ましかったし、プログラムも浅田真央に合わせてあってかわいらしかった。2人とも競技に出ていなかったから時間をかけて作れた、奇跡のプログラムだった。
髙橋くんは「真央とはスケーティングが合っている」と言っていた。またコラボして欲しいとファンの誰もが思っただろう。
この時のXOIに出ていたアイスダンサーは意外にもウィーバー&ポジェだけだった。ただ、このシーズンの2人はGPSもGPFも無敗で、世界で1番勢いのあるカップルだった。この後2人はカナダ選手権、四大陸と勝ち進み、世界選手権に向かうことになる。
そして2人は2018年のXOIまで、1度も欠けることなく出演し続ける。
同じ12月、関西大学では引退を受けて衣装展が開かれていた。正門をくぐって左手の急な坂を登ると、特徴的な丸い建物の博物館があって、中にはソナチネや道やマンボ、道化師にビートルズの衣装に、オリンピックと世界選手権のメダル、そして2005年のスケートアメリカ初優勝のときのメダルも展示されていた。なぜか記念撮影用の等身大パネルまであった。
展示を見た後、ちょっとした町のような巨大なキャンパスをぶらぶら散歩しながら、ああ、髙橋くんは本当に引退したんだなあ、としみじみ思った。
年末には髙橋大輔も浅田真央もいない全日本が開催された。この大会の印象は町田樹の電撃引退につきる。それ以外はほとんど印象がない。(村元哉中&野口博一のFDがBSで放送されたのも忘れていて、この文章の下調べ中に気づいてかなりびっくりした)
年を越して1月、スターズオンアイス(SOI)がはじまった。
後にアイスエクスプロージョン(IE)が開催されたとき、こんなにアイスダンサーの多いショーは日本初かもしれないと言われていたけれど、実はこの年のSOIには4組ものアイスダンサーが出演していた。デービス&ホワイト、ヴァーチュー&モイア、ベルビン&アゴスト、カー姉弟である。
おそらくこのSOIはデービス&ホワイトの凱旋公演的な位置づけだったのではないかと思う。ソチオリンピックで金メダルを取った北米勢はデービス&ホワイトだけだったし、この年の日本公演はアメリカツアーの内容になると言われていたからだ。
2016年までのSOIはカナダツアーかアメリカツアーのどちらかが来るというスタイルだった。日本人選手はゲストとして自前のプログラムを滑るだけで、群舞は長い北米ツアーでやっていたものをそのまま披露する形を取っていた。わたしが見た公演はメリル・デービスとジョン・カーとベンジャミン・アゴストのコラボをやっていて、アイスダンス中心の公演、という感じだった。でも一般的な日本の観客は真央ちゃん大ちゃんが出ているから来ているので、たぶんアイスダンサーだけのコラボはあまり理解されていなかったんじゃないかと思う。直前のXOIのだいまおコラボがあまりにも鮮烈過ぎて、少し物足らない印象になってしまっていた。むしろ日本人スケーターに関しては後日CSで放送されたスターズ・オン・トークのほうが印象的だったぐらいだ。(すでに真央ちゃんは試合に戻りたがっているようだった。3Aの練習も再開していたらしい)
けれど大阪、東京と2週に渡って開催されたこの年のSOIでアイスダンサー4組と共演したことは、髙橋くんにとっては楽しい出来事だったんじゃないかと思う。現役選手ではないので時間的にも精神的にも余裕があっただろうし、練習も演技もゆっくり見ていられたかもしれない。
この時のデービス&ホワイトの演目は、競技とは一味違う大人っぽい演技を見せた「Say Something」と、いかにもリアル・ディズニー・プリンセスなルックスのメリルにぴったりの「Sleeping Beauty」で、特に「Say Something」は後にラブ・オン・ザ・フロア(LOTF)のデービス&ホワイトのソロにも使われていたので、たぶん本人たちも気に入っていたんじゃないかと思う。正直に言うとデービス&ホワイトの試合のエキシビションはあまり印象に残っていなかったけれど、このSOIの演技はどちらもよかった。髙橋くんと違って、2人は順調に新しいキャリアをスタートさせているようだった。
翌月、髙橋くんはスイスに向かい、ステファン・ランビエールを中心としたショー、アートオンアイス(AOI)に出演した。このショーもスイス国内を3都市回る長いツアーで、SOIと同じくヴァーチュー&モイアがいて、さらにヨーロッパ選手権を初優勝したばかりのパパダキス&シゼロンがいた。このシーズンのパパダキス&シゼロンは突然現れた新星で、まさかこの後あれほど強くなるとはまだ誰も気づいていなかったんじゃないかと思う。2014年のワールドでは13位に過ぎず、初出場のGPFでもまだ銅メダルだった。
AOIは陸の有名振り付け師がいて、有名歌手がいて、セットがあって……と、まさに世界一贅沢なショーだった。ずっと四大陸に出ていた髙橋くんはこれまでは出られなかったのだけれど、引退してすぐにオファーを受けたので、前々から興味があったんだと思う。待遇はソロ演目が2つとグループナンバーが1つで、ステファン・ランビエールやヴァーチュー&モイアと同格のトップ扱いだった。
グループ・ナンバーはショーン・チーズマンが振り付けを担当した。チーズマンさんは陸のダンス界では世界的に有名な人で、1995年にマイケル・ジャクソンとジャネット・ジャクソンのコラボ曲「Scream」のPVでMTVビデオ・ミュージック・アワードの最優秀振付賞を取っている。
しかも演じる曲は、グラミー賞受賞歌手ネリー・ファータド本人が生で歌う「マンイーター」。メンバーは4組のカップルで、ランビエールとサラ・マイヤー、ヴァーチュー&モイアとパパダキス&シゼロン、そして高橋くんと組んだのは同じバンクーバーオリンピックの銅メダリスト、ジョアニー・ロシェットだった。振り付けは日本人にはなかなかハードなセクシーダンスだったけれど(振付中に高橋くんが無理無理と言ってる姿が目に浮かぶようだった。実際にはI can'tを連発していたらしい)、チーズマンさんは髙橋くんの演技を絶賛し、次はぜひソロ演目も自分が振り付けしてみたいと言ってくれた。
AOIが終わると、今度は映画「思い出のマーニー」とのコラボCMの制作発表があった。「マーニー」は映画の映像の投影されたリンクで滑るという斬新な試みで、これが高橋くんにとって最初の映像とスケートのコラボレーションだった。後のプロジェクションマッピングを駆使したものとは違ったけれど、映像の中で滑る姿は影絵のようでもあり、独特の雰囲気があった。
最も活動的ではなかったこの時期にも、髙橋くんは新しい試みに興味を示していた。
いま思えばこの引退直後の1番低調な時に髙橋くんは、リフト、アイスダンサーとの共演、陸の有名振り付け師のプログラム、映像とのコラボ……と、その後の活躍を予告する企画を次々とこなしていたことがわかる。小説家のデビュー作にはその後のテーマがすべて含まれていると言われるけれど、まるでこの引退会見後の半年が新生髙橋大輔のデビュー作のようで、なんだか不思議な感じがする。
髙橋くんはすでに新しい道を探しはじめていたのかもしれない。
3月には世界選手権が開催された。当初勢いがあるように見えたウィーバー&ポジェはシーズン無敗という最高の成績で乗り込んだワールドで3位に沈み、雲行きが怪しくなってしまった。
2位はズエワとシュピルバンドが離れたときにシュピルバンドのほうについていったチョック&ベイツで、このシーズンにはじめて全米チャンピオンになり、世界選手権でもはじめてのメダルを手にし、しかもSDは1位だった。
そして金メダルを取ったのはパパダキス&シゼロンだった。FDのモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番第2楽章 アダージョ」はこれまでのアイスダンス界にない新鮮な作風で、圧倒的な存在感を放っていた。SD4位からの鮮烈な逆転劇であり、新しいスター誕生の瞬間だった。指導したのはデュブレイユ&ローゾンとロマン・アグノエルが新たにカナダのモントリオールに作ったThe Ice Academy of Montreal(I.AM)で、できたばかりのI.AMがいきなり世界を制したのは大事件だった。
このシーズンはアイスダンス界もフラストレーションのたまる話題が多かった。ソチで4位だったボブロワ&ソロビエフはメダリスト3組が抜けてトップ争いを期待されたはずのこのシーズンを怪我で棒に振ってしまった。ソチで3位だったイリニフ&カツァラポフの解散によって新結成されたシニツィナ&カツァラポフはズエワの元で新しいスタートを切るも低迷し(大阪で開催されたNHK杯は現地で見たけど、リフトが崩壊してなかなか悲惨だった)、同じくズエワの元に移籍した世界選手権ディフェンディングチャンピオンのカッペリーニ&ラノッテも怪我で低迷してシーズン後に手術することになってしまった。やはりズエワの元に移籍していたリード姉弟のキャシー・リードが国別対抗戦を最後に引退したのもこのシーズンだった。そしてシブタニ兄妹もぱっとしないシーズンで、全米チャンピオンはチョック&ベイツの手に渡り、ズエワ組は散々だった。
そしてせっかくアイスダンスに転向した村元哉中も3月に野口博一とのカップル解消を発表していた。
4月には恒例となっていた神戸のチャリティーショーがあった。髙橋くんはこのショーを最後に渡米し、1年は戻らないだろう、と言っていた。アメリカにはスケート靴は持っていかない、という。(最初に聞いたときは冗談かと思った)スケートを続けるかどうかも含めて改めて考えてみる、という話だった。
最悪、見納めになる可能性のあるショーだった。チケット争いは熾烈だった。チケットが取れないと嘆く人が続出した。
幸いチケットが取れたので、わたしはこのショーを現地で見ることができた。髙橋くんは明るい照明の中の「I'm kissing you」と、初めて観客の前で披露する「マーニー」を滑ってくれた。
くじ運悪くわたしの座席は募金が1番最後になる場所で、どうやら終電ぎりぎりになりそうだった。それでも一言何か伝えたくて、わたしは何時間もひたすら待った。けれどやっと順番が来て、募金箱を持った髙橋くんを目の前にしたとき口から出たのは「いままで応援していて楽しかったです。ありがとうございました」みたいな凡庸な言葉だった。何かもっと気の利いたことが言いたかった。何か力になるような言葉をかけたかった。
でも何が言えたというのだろう? あの時の髙橋くんに、わたしたちはどう言えばよかったんだろうか?
スケートを続けて欲しいとも、スケートはもうやめていいからもっと自由に羽ばたいて欲しいとも、簡単に言えるわけがなかった。
そして髙橋大輔はニューヨークに旅立っていった。
留学先としてNYを選んだ理由はわたしにはあまりピンときていなかった。疲れて休みたい、というならもっと自然豊かなところを選ぶだろうし、英語の勉強に専念したいというのならもっと静かな環境を選ぶだろう。でもNYにはブロードウェイがある。有名なバレエカンパニーもあるし、メトロポリタン美術館もMOMAもある。エンタメや芸術を学ぶなら最高の街だ。ピンとこなかった理由は、本人が「英語の勉強がしたい」と言っていたからだ。
実際には午前中は英語学校に、午後はダンススクールに通っていたという。英語学校ではいままで避けていたグラマーをちゃんと勉強し(グラマーは日本語で勉強したほうが楽な気もするけど)、ダンスは1日に2クラスか3クラス、様々なジャンルを習っていたらしい。(だったらダンス留学と言ってもいいような気もするけど、それは頑なに否定していた)
髙橋くんは、やっぱりいままでと同じ働きものの髙橋くんだった。
同時にこの時期の髙橋大輔はファンが心配していた通り、やさぐれていたらしい。試合という枷がなくなった髙橋くんの酒量は歯止めがきかず毎晩記憶が飛ぶほど飲んでいた、とのちに「しゃべくり007」で白状している。到底精神状態がよいとは言えなかった。
ただ、インスタだけは本人比でかなり多めに更新していた。心配されていることはわかっていたのだろう。
6月17日、クリス・リードが新たに村元哉中とカップル結成したことを発表した。(クリスに村元哉中の動画を見せられたマッシモ・スカリが「今すぐ連絡しろ!」と言ったのですぐにコンタクトしたんだけど、すでに他の選手と組むという話が進んでいて、1日遅れていたら村元&リード組は誕生しなかったかもしれない、というエピソードは有名)
8月、髙橋くんが『高橋大輔 The Real Athlete』のBD&DVDの発売イベントのために帰国することが発表された。発表から開催までが近くてどうしようか迷ったけれど、当たってから考えることにして、わたしは招待席の抽選に応募してみた。結果は当然のように落選だった。引退しても相変わらずトークのチケットは激戦だった。個人的にはトークの招待券は現在に至るまで当たったことがない。
イベント会場にはちょっと心配しすぎて思いつめたファンたちが駆けつけていた。このイベントは大きな会場だったので、招待席に当選していなくても後方になら誰でも入場できた。会場は見渡すかぎりのファンに埋めつくされていたという。
日本代表でなくても、メダルを取り続けなくても、変わらずついていくファンがいることは、このときたぶん伝わったと思う。
数日後、2015年のXOIが大阪と新横浜で開催され、髙橋くんが出演することが発表された。
いま振り返るとすでにこの時点で高橋くんは、もう先のオファーをいろいろと受け始めていたのかもしれない。氷艶のオファーは帰国を決心するよりも前に受けていたと後に語っている。そして帰国を決めた理由は、NYで周囲のオーディションなどをがんばっている人たちを見て、自分は表現する場所があるのにもったいない、と思ったからだという。
逃すと次がないかもしれない貴重なオファーが、髙橋大輔を表舞台に引き戻してくれたのかもしれない。
9月9日、久しぶりにジャンプを飛んだ様子を映した動画がインスタに上がった。フィギュアスケーター髙橋大輔の再始動だった。
そして今度はスケート靴を持ってNYに帰っていった。
同じ9月、パパダキス&シゼロンのガブリエラ・パパダキスが練習中の転倒で脳震盪を起こし入院中、との情報が入った。一時は記憶喪失になるほどの重症で、グランプリシリーズの欠場が発表された。(ジョシュア・ファリスが脳震盪を起こしたのもこの年だった)
パパダキス&シゼロンがいない中、シーズン前半戦は進み、グランプリファイナルはウィーバー&ポジェが2連覇した。この年、2015年4月にI.AMに移籍したハベル&ドノヒューが、結果こそ6位だったもののファイナルに初出場を果たし、モントリオール組の2番手として頭角をあらわした。I.AMがその勢いをだんだんと強めていた。
そして結局、髙橋くんは8ヶ月でNY生活を切り上げる。
XOI2015は後から考えると大阪で開催された唯一のXOIだった。わたしは無事チケットを入手し、この冬も髙橋くんの演技が見れることに感謝した。(会場のなみはやドームがラクタブドームに改名されたのもこの年だった)
直前に出た情報では、髙橋くんのソロ演目はシェイ=リーン・ボーンの振り付けということだった。まるで現役のときのように振り付けのためにカナダに行ったと聞いて、わたしの期待値は上昇した。クリスマス向けの明るくて手堅いプログラムかもしれないし、一旦運動量を落としているのでできることは限られているかもしれないけれど、間違いなく渡米以前よりは前向きな感じがした。シェイ=リーン・ボーンはこのショーで演じられたデニス・テンの新作EX「Bass Head」も、ウィーバー&ポジェのEX「I'm kissing you」も振り付けていて、いずれも名作だった。(一緒に行った友達はダンスファンでもなんでもなかったけれど、このウィーバー&ポジェのEXが1番よかったと言っていた)
アイスダンサーはウィーバー&ポジェに加えてベルビン&アゴストが出演することになった。(タニス・ベルビンがチャーリー・ホワイトと結婚したのはこの年の4月だった)
大阪公演がはじまると、髙橋ファンのあいだには衝撃が走った。シェイ=リーン・ボーンの振り付けた新作、「ラクリモーサ」があまりにも斬新だったからだ。選曲も振り付けも衣装も、すべてが見たことのない作風だった。ミサのような厳かな曲に、コンテンポラリー系の振り付け、シースルーの不思議な衣装が、動くたびに翻る。誰も予想していなかったプログラムに、観客は息を呑んだ。静まりかえった会場で髙橋大輔は圧倒的なパフォーマンスを見せつけた。
そして演技が終わると我に返った観客は一斉に立ち上がり、歓声と拍手を送った。
それは現役時代と同じ、あの熱狂だった。新しいプログラムが発表されたときの、あの熱狂。もう2度と味わえないかもしれないと半ば諦めかけていた、あの熱狂。毎年新しいプログラムであっと驚かせてくれる、そしてまた予測不能な挑戦に挑んでいく……それは「髙橋大輔」の帰還だった。
そしてわたしたちは確信した。髙橋大輔はもう大丈夫だ、と。きっとこの先もずっとわたしたちの予想を華麗に裏切り続けていってくれるのだろう、と。
2014年や2016年のような派手なコラボはなかったけれど、この2015年のXOIはわたしたちを幸福感で満たしてくれた。髙橋くんの攻めた演技はもう2度と見られないかもしれないという不安から開放されて、わたしたちはやっと安心できた。
そしてデニス・テンが髙橋大輔の復帰を予告したのもこのXOIだった。ふざけながら「大輔は来週の全日本で復帰するよ」と言って、髙橋くんが何言ってんの?とキョトンとするインスタ動画。このときのデニスには何が見えていたのだろう。
年末のフランスナショナルには順調に回復したガブリエラ・パパダキスの姿があった。全日本では初出場の村元&リードが初優勝を決めていた。ようやく霧が晴れていくように、最悪の時期は終わりつつあった。
けれどこのときのわたしたちは知る由もなかった、わたしたちの乗っているジェットコースターが、その過激さを増していくということを。
髙橋大輔の本領発揮は、まだまだこれからだということを。
5に続くよ。
P.S. 参考文献リスト作りました〜!