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表裏一体

表裏があって1枚の硬貨として成り立つように、物事にも表裏はあります。

「〇〇のおかげで」と捉えるか、「〇〇のせいで」と捉えるかで意味が全然違ってきます。
「〇〇のおかげで」は肯定的に捉えていて、事象に感謝できる一方、「〇〇のせいで」は否定的に捉えて、かつ事象の原因を他責していて、被害者意識の立場。怒りの感情を事象に感じていることも多いと思います。

私はコロナのせいで、エアラインの仕事を失いました。同時期にコロナのせいで失業した方が本当に多く、多くの仕事に片っ端から応募するもなかなか仕事が決まらず、自己否定まっしぐらという悪循環にまで至りました。
一方で、その一年後、コロナのおかげで、在宅メインの仕事に就けました。
私は現在シングルマザーですが、育児と仕事と家事を全部両立できるようになりました。
以前のエアラインの仕事は、シフト勤務ということもあって、早番時は朝6時前に家を出て、遅番時は終業が深夜0時前で帰宅すると深夜1時前が日常でした。
当時は家族と一緒に住んでおり、家族から子供のお世話のサポートを全面に受けていました。

今は、私と子供の2人暮らしです。
今の仕事でも出社することもあるのですが、子供の登校と同時に朝は家を出て、お昼には帰宅し、午後はリモートワークをしているので、毎日子供の帰宅を出迎えられます。
なかなかこのような条件の仕事には就けないと思うので、私は本当にラッキーです。エアラインの仕事が恋しい反面、今の生活スタイルに味を占めたこともあり、今の仕事の契約が終了したらどうしていこうかなと考えています。

一つの事象をどの視点から見るか&それによってどのように思考を選択するかは、瞬間ごとに起こっています。嫌なこと・ネガティブなこと(不足の事象)は無意識的に「〇〇のせいで〇〇になった!」と他責になりがちです。
もし、これを毎日無意識のうちに他責しているとしたら、自分の在り方はどうなっていくと思いますか?

恐ろしいことに、不足ばかりを探しに行く毎日を過ごすことになります。
不足ばかり見ていると、自分にある充足(目の前にあることや自分にとって当たり前のこと)が霞んできてます。自分の中の不足度合いが過ぎると、充足とされる当たり前のことが霞むどころか見えなくなり、挙げ句の果てには、当たり前のことに感謝もできなくなるのです。子供の頃に遊んだことのある、影踏みの影ばかりを追いかけていることに。

太陽があるから影ができるように、太陽が「表」としたら、影は「裏」です。
逆に言うと、太陽がなければ、影はできません。
つまりは、充足(その事象を認識している)があるから不足が見えるのです。

さて、ここまで読んでくださったあなたは太陽(充足)を見ますか?それとも影(不足)を見ますか?

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます😊



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