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じわじわじーん、はじめました。

冷やし中華の潔さ

この、はじめました。の持つシズル感が好きだ。冷やし中華のせいなのだろうか。そしてなぜみんな冷やし中華を連想するのだろうか。他のメニューだって、いつの日かはじまったもののはずで、待ちわびた夏has come!なら、かき氷はじめました、でも十分にその役目を果たしそうなものなのに。

でもそんな、何かを見たり聴いたりしたときに、ビッカーンと思い出される存在というのは素晴らしい。そんな人になりたいなと思っていたのに、「好き」「知りたい」「やってみたい」に貪欲に飛びついてきた結果、今一番苦手なものは・・・自己紹介、というやつになってしまった。

話せば話すほど、引き出しと味が出てくる昆布のような人だね、とか、もったいない!と褒めてくれる(?)人もいるけれど、その経歴で今なんでここにいるの?笑 とどこに行っても不思議がられ、ある意味どこにもホーム感が得られないのも事実。

アインシュタインの言葉に、「私は天才ではない、人より長く一つのことをやり続けただけ」的なものがあって(ごめん太字にしたけどはっきり覚えてない)、本当にその通りで、好きだと信じ、向き合い続けることでしか、その道で何かを成し遂げるなんてできないし、できる人は、ほんまもんの天才だと思う。(もう例えばダヴィンチとかいろいろ成し遂げてて震える)

冷やし中華だって、夏以外大人しくしているわけで、一年のうち4分の3、身を引く潔さがあるからこそ、夏にみんなに待ちわびられる不動の存在なのだ。そもそも、レシピも相当潔い。火力が命の中華だと見せかけて、火力どころかトッピングについても非常に寛大だ。

その、引き算というやつにこそ勇気がいる。私が突然、会社をやめてイタリアに行く、と決めて退職日翌日にはイタリアに発ったとき、友人たちは「勇気あるね」と言ってくれたけれど、なにかをはじめることより、手放すことのほうがよほど、勇気がいる、と私は思っている。そして「続ける」というのは、より多くを手放す信念と執念がいる。それが私に圧倒的に足りないもの。

なのにまた、マガジンという新しいものをはじめるの?

YES!YES!YES!YES! (ジョジョの3部のこのシーンが好き)

このマガジンは、私の引き算の練習のためにはじめました。

「そのうち "納得" できるようになるよ。諦めじゃなくて、納得」
「自分を認めてあげること。私まあまあマシに生きてる、頑張ってるって」

何者かになる途上にも乗っていない、くるくると生きてきたまま、三十路に突入してしまう!事件です!と騒いでいた私に、当時この言葉をくれたのは、本当に見目麗しく心が豊かで、美しい女性の先輩たち。どちらも私からするとマシどころか自分の思いや夢、信念で会社の経営に携わり、多くの人に夢を与えたり、世に何かを確実に残している人たち。

まだまだ、この言葉のようにはいかない私だけど、「納得」するために、「マシに生きてる」と自分を認められるようにするには、やっぱり何かを生み出して、アウトプットしていくことでしか、自分が浮き彫りにならないと思ったので、筆をとりました。

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↑ イラストは私の頭文字から作ったキャラクター「TSさん」ネーミング…
(名前募集しますw)

「じわじわじーん」の由来 〜「ザ行」のオノマトペとわたし〜

私は「三十路」に足を突っ込んだ際、この言われようのない、「じ」の響き、ひいては「ザ行」の響きが嫌に頭に居残った。いや、頭じゃないかもしれない、心とか、膵臓とか、砂ずりとか(砂ずりは人間にはない)・・・そんなあたりに。

それをどうにかしたくて、私は「ザ行」イベントを一人で企画実行して、ざわめく心と、じりじりよぎる焦りと、ズーンと沈む気持ちと、それでも全然絶望はせずに、ゾクゾクとした期待を胸にイタリアに旅立ったのです。

それがもう2年前。(そのイベントはよかったのでまた別の機会に書く)

そのイベント名を継いで、このマガジンは

じわじわzine(じーん)

と名付けました。残りの30代はじわじわと毎日と向き合って、誰でもいいから、一人でもいいから、じーん、と染み入るものを紡げたら、そのときにはZineとして一人前になっているのではないか、と期待しています。

新しくものを始め、続けるにあたって、下記のようなことが必要そうだなと現時点で思っていて、覚悟が2つもあって辛い(からい)けど、自分への5戒として書いておきます。

・続けられそうな頻度や時間帯を決め、確保する(ことができそうであると思えること)
・自分を盛り上げるモチベーション維持の方法を知る
・「仕事」だなんて言い訳をしない覚悟
・続かなかった際、自分の意志の弱さに対峙し自己嫌悪になる(負け癖がつく)覚悟
・体力(上の項目はだいたい気力)



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