10代最後の夏
まずはじめに、わたしはそんなに夏が好きではありません。(大企画倒れ)
いや、好きなとこもある。サマーウォーズとか時をかける少女とか、人の手を入れた夏というのはやっぱり爽やかで清涼で、だから思わず「夏ってやっぱりいいものだ〜」なんてそんな勘違いをしてしまう。茹だるような暑さとか蚊とか、ダラダラ滴り落ちる汗だとか。実際迎えてみればゲンナリする要素の方が多いのに。
だから私はあくまで空想の中の夏を楽しむことが多いです。青空、晴天、入道雲、風鈴の音、それから映画にサマーミュージック。そんないろんな要素をエアコンの効いた涼しい部屋に散りばめて、アイスを貪り食いながら「これが私の夏だ!」なんて、世間一般的に見たら情けないものなんでしょうか?どうなんだろうか。
9ーteen
わたしのサマーミュージック代表格と言えば〜?
そう9ーteenです!間違いない。
もうイントロから好き。鳥のさえずりで目覚める朝。それから窓の外から聞こえる車のエンジン音。誰かにとってはいつも通りの朝で、わたしにとっては経験しえなかったもの。だからこんなにも胸を締め付けられる。
もう過ぎ去ってしまった甘酸っぱい思い出…みたいなものはわたしの高校生時代に存在していないので、あくまであの頃の苦い思い出全部を上から軽くスプレーをふりかけるみたいに、半ば塗りつぶすみたいに、そんな風にこの曲を聞く。わたしだってあんなにがんばったんだから、綺麗な思い出で終わりたい。そんな若干の期待を込めて。だから大学に入った頃からかもしれない。よく聞くようになったのは。
2019年。もう5年も前の曲。
セブチもわたしもそれぞれ歳をとって、みんなあの頃とまるっきり違う。今後ライブでやることも聞くこともないんだろうなと、ぼんやりそう思っていた。そのはずだったのに。
そんなことあるんだ
ケレン1日目。
そのまさかである。
嘘だと思った。イントロが流れ始めても信じられなくて、こんな、こんなことあるんだと。あぁ今日はほんとにツイてる。この後死ぬんだ、なんてそんなことを本気で思ったりもして。じわじわ感覚が戻ってきて気づいたら叫んでいた。わたしの19歳は、今確かにここにある。
思えばそうだった。その時初めて気づいた。
大学2年生。19歳。10代最後の夏に。
自分で選びとった人生に、初めて向き合った気がした。
いま、この瞬間。
何かがカチッとハマった音がして、同時に鳥肌が立った。
今なんだ。今しかないんだ。
わたしの人生の中でコンマ1秒にも満たないこの瞬間に、13人が特別な言葉をくれる。
時間にして数分。その数分に無視できないくらい大きな足跡を残して、私の心の中に踏み入る。
My 9-teen
時間は有限だった。
私はこれを19歳にして初めて気づいた。
わたしが蔑ろにしていた時間は、もう戻ってこないものだった。
当たり前なのに、当たり前だからこそ気づけなかった。そんなんだから後悔する気持ちも置いてけぼりにして、大切な記憶をごみ箱に投げ入れるみたいに頭の片隅に追いやった。いや、むしろあの頃は早く忘れ去りたいものの方が多かった。
行けるかな、ディノさん。
わたしの夢をわたしが叶える頃に、あなたは何を夢見て生きてるんだろう。
楽しい瞬間も苦しい瞬間も、全てが地続きになっていて、どれかひとつでも取っ払ってしまえばわたしの夢は叶わない。苦しくて息切れしそうで、でも「あなたもそうだったのかな」なんて考えて。
ねぇ、あなたはどんな19歳でしたか。
誰も待ってなんかくれない
君とわたし。
君は人によって違うと思う。愛してやまないペットでも、大好きな友達でも、間柄なんて関係なくただ一緒にいればその瞬間は特別になる。
わたしはライブも遊びの予定でもそうだけど、終わりが近づくと途端に気分が落ち込む。そりゃそう。その後に待っているのはただの日常だから。アジュナみたいに次のデートの約束があれば別だけど、大抵はそうじゃない。みんな日々の合間を縫ってかけがえのない思い出を作りにいく。
「またね」と言われるのが苦手だった。
わたしもそれに同じ返事を返すけれど、あとになって考える。「次はいつになるんだろう」と。
楽しみにしていた予定が近づくとじわじわと心が不安になってきて、それを振り払うように次の楽しみを見出すことに思考をシフトさせる。服を決めたり持ち物を用意したり、やることはいっぱいあってもその日が来てしまえばすぐだから。
偶然これを思い出した。
冒頭でも挙げたわたしが大好きな映画に出てきたこの言葉。たしか主人公の千秋が物語の序盤で学校の理科室に入ったとき、黒板に書かれていたのがこの言葉だった。
「時は誰も待ってはくれない」
タイムリープで時は遡れても、同じ時は二度と戻らない。
千秋は「会いに行く」と言った。
自分より遥か遠い未来に帰ってしまう大切な人に対して、もう会えないとわかっているのに、その言葉は絶望でも何でもなく確かな希望だった。わたしだったら「それならそれであの時ああすれば良かった」とか、それはもう色んな反省点が出てきて暫くは立ち直れそうにないものを、彼女はすぐに明確な答えを出した。
願っても戻れない、または消え去ってはくれない過去に対して、悩んで足掻いて恥ずかしくなったり、そこから派生する未来に対して怯えたりするのは何も不思議なことじゃない。ただその繰り返しの自問自答の中で、未来の自分に少しでも希望を託せること、そうできる理由があることをわたしはすごく嬉しく思う。
大人になって、ひとりで生活できるようになって、そのときわたしは何が好きで何が嫌いなのか。何を楽しみにして生きているのか。それとも今のわたしのままなのか。想像はつきないけれど、どう転んでもまたその頃には新しくやりたい事が出来ているだろうから、暇することはないと思う。たぶん。まずは大学卒業していてほしいけど。
来年の夏も、そのまた来年も。
わたしはわたしに期待していてほしいなと、そう思う。