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「数値化」の時代を生きる私たちへ|コーチングの現場より。

私たちは、いつから多くのことを数字で測ろうとするようになったのだろう。

生産性、効率性、費用対効果...

数値化できないものは、価値がないのであろうか。

産業革命以降、私たちはあらゆることを数値化する文化を育んできた。

「データがすべてを語る」
「エビデンスを見せてほしい」
「測れないものは改善できない」

そんな言葉が、世界を動かしているように見える。

わたしのコーチングの現場においても、よくご質問をいただく。

「ROIはどれくらいですか?」
「コーチングの効果を数値化できますか?」
「コーチングの投資対効果を教えてください」

と。

もちろん、数字化できないわけではない。それなりに数値も明示できる。

数値化することで企業がコーチングに導入する際の指標になるし、コーチング導入後の客観的評価をしやすい。


しかし、

ちょっとだけ立ち止まって考えたい。

「数字は全てを語れるワケではない」

ということを。

もちろん、数値化することかダメ。そんな話ではない。

わたしたちの人生の多くは、数字以外のものに“も” 、支えられている。そのことは忘れずにいたい、そんな話である。

今回はすこし足を止め、視野を広げ、数値以外のことに目を向けたい。

1.歴史を動かした測れない力


人類の大きな転換点は、
数字では測れない何かが起点になっていることも少なくない。不思議なことに。

・世界を変えた、 小さな「ノー」


1955年12月1日。

アメリカのとあるバスの中、一人の黒人女性が起こした小さな抵抗の話がある。

当時のアメリカでは、バスの中でも人種による差別があった。
黒人は後ろの席に座らなければならず、白人に席を譲ることが当たり前とされていた。

その日、

疲れて帰宅途中だったローザ・パークスは運転手から

「白人に席を譲りなさい」

との要求に対し「ノー」と言った。

この抵抗により、ローザ・パークスは逮捕されてしまう。

ローザ逮捕の知らせが伝わると、教会で牧師に着任したばかりの当時26歳だったマーティン・ルーサー・キングらが抗議運動に立ち上がり、すべての黒人にバス・ボイコット運動を呼びかけた。

たった一人の「ノー」という静かな抵抗。

この行動は、誰かが計画して起こしたものではなかった。

数字で予測できる出来事でもなかった。でも、この一言が市民権運動の大きなきっかけとなり、アメリカの歴史を変えることになった。

このムーブメントをグラフで表現しきれるだろうか。


・ 壁を崩した想い


1989年。

東西に分断されていたベルリンで、誰も予想していなかった出来事が起きた。

東西冷戦の象徴として、28年もの間、街を分断し続けてきたベルリンの壁。多くの人々が、自由を求めてこの壁を越えようとし、命を落とすことさえあった。

その壁が、人々の

「自由になりたい」

そんな強い想いにより、一晩で崩された。専門家も政治家も予測できなかった。

でも、人々の心の奥底にあった想い。

「自由になりたい」
「大切な人の手を取りたい」

こういった想いは、誰にも止めることはできなかった。

確かに歴史を動かしたのだ。その想いが。

これらの出来事は、どうしたって全て数値化できるものではない。

説明するにあたっては、どうしたって「人の想い」という抽象的な概念を脇におくことは難しい。


2.測りがたきもの、語りがたきもの


アート作品はどうだろう。

ゴッホの「星月夜」。

この躍動感をグラフ化したところで、すべてを説明できるわけではない。

ベートーベンの「歓喜の歌」。

この感動を数式で表現したところで、すべてを表現できるわけではない。

葛飾北斎の「富嶽三十六景」。

この作品は、19世紀のヨーロッパ芸術に「ジャポニスム」というムーブメントを引き起こした。 

その影響力を正しく数値化することは可能だろうか。

もちろん、部分的に数値化できるかもしれない。しかし、言わずもがな、すべてを語れるわけではないのだ。


3.人の本質的な価値


・ 子どもの成長


子どもの成長だって、そう。
身長や体重、テストの点数だけでは測れない。

親なら誰でも知っている。
数字に表れない成長が、ずっとたくさんあることを。

「慈しむ心が育ってきた」
「涙しながらも挑戦できた」
「精悍な顔つきになってきた」
「純粋無垢な愛情表現をしてくれた」

これらの変化は、数値化できない。

でも、確かに成長の証なのだ。 

もしテストでゼロ点をとったら、これらの成長は無価値といえるのか。

そんなことはないはずだ。

・大人たちの価値


大人同士だって変わらない。

「あなたの大切な人に値段をつけてほしい」

と、言れたらどうだろう。

大切な家族の価値を金銭で測れるだろうか。
親友との絆を資産価値で表せるだろうか。

表そうと思えばできる。

しかし、その値付けした金額で、家族や友人との信頼関係を第三者に売買できるだろうか。

売買が成立した途端、大切な人と紡いできた過去はすべてなかったことになる。これから一緒に過ごせたであろう一瞬一瞬の未来も存在しなくなる。

考えただけで違和感を覚える。

この違和感は、人の価値が本来、数字で測るものでないことを、私たちの心が知っているからなのかもしれない。

4.コーチングという営み:数値を超えた変容


コーチングの価値を語るとき、私たちはしばしば数字による「証明」を求められる。

ROI、生産性の向上率、業績アップの具体的数値...

しかし、コーチングがもたらす本質的な価値は、そうした数値では捉えきれない深い場所で起こっている。

私たちが目にしてきた変化は、まず、人々の内面から始まる。


・ 本音の吐露から始まる自分の人生


あるクライアントは気持ちを高ぶらせながら、こう話した。

「人生で初めて、自分の本当の想いを言葉にすることができました」

長年、フタをしていた想いを言葉にするときの不安、恐怖、ありったけの勇気。それは、数値化できるものではない。

自分の想いに正直に向き合えるようになったことで、次第に行動にも変化が生まれ始める。

実際、彼は温めていた起業への一歩を踏み出した。想いを語った6ヶ月後に。

さらにそれから1年後、

「あのとき、コーチングで自分の本音を思うがままに語れたことで、わたしの人生が動きはじめました。もしあのときに本心を語っていなかったら、今もまだ悶々とした気持ちを抱えながら職場に向かっていたと思います。

久々にあった友人からも『最近、本当に変わったよね。なんとなくキラキラして見える』といったことを言わることが多くなりました」

このように新しいオフィスで語っていた。人生がまるっきり変わったのだ。

どうしても、このような変化は表面的な成果や実績だけでは、語りきれない。


・ ママとしての在り方が、リーダーとしての在り方へ


5才のお子さんをもつCさんは、コーチングを受けた後、こう語った。

「コーチングで理想的なママの姿をイメージできたことで、子どもとの関わり方が抜本的に変わりました。

元々は『早く!』『ちゃんとやって!』が口グセでした。でも、コーチングを受け始めてからは子どもの小さな発見に『へぇ、頑張ったね!』『◯◯ができたんだね!』と言葉がけできるようになったんです。

子供からも『ママ、最近優しくなってくれて嬉しい!』と言われるようにもなったので、取り返しがつかなくなる前に方向転換できてよかったと思いました」

さらに、

その変化は、職場のチームにも影響を与えていた。

「これまではチームメンバーに対してきつく当たることも多かったんですが、今では『大変だと思うけど、引き受けてくれてありがとう!』『今週は◯◯もできたんですね!来週は□□をやっていきましょう!』こんな声がけをできるようになりました。

すると、自然とチームのコミュニケーションが増え、士気が高まり始め、結果が出るようになったんです。最終的には全チームでトップの成績をあげられたので、社内表彰されました。

のちに、

「コーチングを受けたことで、ママとしても自信をもてましたし、友人のママからも子育ての相談をしてもらう機会も増えました。

チームメンバーからも『前よりも自分のことをたくさん話してくれるし、話しやすくなりました』と言われるようになりました。正直、どれだけ話しにくかったんだろうと思いますが。

でも、それが回り回って仕事でも驚くような実績をあげることができました」

このように語っている。

・ コーチングの価値


このように、コーチングを受けた当事者のクライアントは

「コーチングを人生に取り入れたことで、こんな結果まで得られた」

と、語ってくださることが少なくない。

しかし、

往々にして、その因果関係を明確に示すことは非常に難しい。

あまりにも「始まり」と「終わり」の状態が変化しすぎているのだ。まるでピタゴラスイッチのように。

「なんで最初の一歩が、ここまでくるの?」と思わされる。


他にも例えるとしたら、長いトンネルに入っていた機関車が、出てくるときには新幹線になっているようなものだ。

あまりに最初と最後の様相が異なる。

コーチングを介すことで「なんでこうなった?」というような予想外の変化はどうしても起こってしまう。

でも、この因果関係は、なかなか証明できないのだ。

もちろんできなくはないが、証明が出来たところで当事者じゃないと本当の納得感はない。

第三者では、ピンとこないのだ。


・コーチが、コーチングに手応えを感じる瞬間。


ピンとこないのだとすると…

コーチはどういう瞬間に、コーチングに手応えを感じるのだろうか。

コーチとして、手応えを感じる瞬間。

それは、

「クライアントの心に火が点いた瞬間」

これを目の当たりにする瞬間だ。
(どうしても表現が抽象的になることはお許しいただきたい)

「私にもできるかもしれない…!」
「そうだ…ずっとこれがやりたかったんです」
「できるか分からないけど、本気で挑戦してみたいです…!」
「ああ…八方塞がりだと思っていたけど、こんな方法もあったんだ」

そんな瞬間の表情の変化。

それは、彩り豊かで印象的なのだ。

心から落ち込んでいるとき、たまたま大好きな人、憧れの人と、出会ったような。悲壮感が吹き飛んでしまい、湧き出てくる活力や喜びに抗えないような。

まず、

うつむいていた顔が上を向く。
そして、瞳孔が開き、口角があがる。身振り手振りも大きくなる。言葉が溢れてきて、声も徐々に大きくなる。 

コーチなら、こんな瞬間を何度も見てきたはず。

コーチとして、手応えを感じる瞬間であり、最も心躍る瞬間だ。

その瞬間に立ち会えることこそが最大の喜びであり、やりがいなのだ。それは決して数字には表れない。しかし、確かな価値ある瞬間である。


5.人生を支えているもの


繰り返しになるが、数値化がダメといった話ではない。

わたしたちの人生の多くは、ここまでに綴ってきたような数字以外のものに“も” 、支えられている。それを忘れずにいたいという話である。

母の味噌汁の温かさ。
落ち込んだ時に話を聴いてくれる友人。
自分の挑戦を心から応援してくれる仲間。

これらを数値化しようとしたら、かえって大切なものを見失うかもしれない。

わざわざ数値化しなくて良いのだ。

そして、

コーチングにおける変化も、数値化できないような小さな変化から始まる。

「あ、こんな見方もあるんだ」
「そうか、これでよかったんだ」
「やってみようかな」

そんな小さな変化から、大きな変化になっていく感覚。それは本人にしかわからない。

でも、その小さな変化が、人生を確かに動かしているのだ。

最初は、小さな歯車がクルクル回る程度かもしれない。
それでも、やがて大きな歯車もグルグルと回り始める。


数字で測れないからこそ、
実感でしか確かめられないからこそ、
その価値は格別で特別なのかもしれない。


もちろん、測るべきものは測れば良い。

けれど、

なんでも測ろうとするのは、やめにしませんか。


そして、

測れないものを、受け入れてみませんか。


わたしたちは元々、自然と共に生きてきた。無機質なロボットじゃない。


その代わり、
一人ひとりの心の様相に、
耳を傾けてみませんか。

きっとそこには、
計算式では表せない、
人生の彩りが隠れているはず。

終わり。

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ゆうき|コーチング会社の経営者・伴走家(大坂谷 勇輝)
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