ふと思うこと

本屋で老い方に関した本を眺めていて、余生を送るなんてごめんだと、ふと思った。

「余生を送る」なんて言葉があるけど、俺にはどうにも馴染まない。どっか達観してるように聞こえるけど、その実、諦めみたいな響きがするんだよな。人生の残りを余り物みたいに扱って、ただ消化していく――そんな生き方は、俺の性分には合わない。

老いることは仕方がない。体力が落ちて、できることが減っていくのも現実だ。でも、それを「仕方ない」で終わらせるのは違う。老い方だって、自分で選ぶ余地があるはずだ。だったら俺は、自分らしい生き方を選ぶ。たとえ周りがどう見ようと、最後まで俺の人生を俺が握っていたい。

老いを楽しむ覚悟

よく「もう歳なんだから」とか「そんな無理しなくてもいい」なんて言われるけど、そんな言葉に引きずられるのは嫌だ。そんなもんを聞き入れてたら、人生の主導権を自分から放り投げるようなもんだろ。俺は老いるからこそ、新しいことに挑戦したいし、意味を見つけ続けたいと思う。

たとえそれが周りから「そんなの無駄だ」と思われることでも関係ない。俺が面白いと思うことをやる、それで十分だ。老いに甘んじるんじゃなくて、逆に利用してやるくらいの覚悟がなきゃ、人生の後半戦なんて楽しくもなんともないだろ。

「余生」を否定する理由

正直、若いころは俺も「老後はのんびり」なんて思ってた。でもな、いざその年齢に近づいてみると気づくんだよ。のんびりするだけじゃ、心が腐る。暇で退屈して、ただ時間を潰すだけの毎日なんて、俺には耐えられない。

それに、「余生」なんて言葉を使うだけで、自分の人生がどんどん小さくなっていくような気がするんだよな。まるで、もうやるべきことは全部終わったみたいに。そんなの、俺は認めない。

最後まで俺であり続ける

老いるってのは、若いころと同じことをできなくなるって意味じゃない。新しい楽しみ方を見つけるチャンスだと思ってる。過去の経験を活かして、新しい視点で物事を見る。それができるのが、年を取ることの唯一の特権だ。

だから俺は、「余生」なんて言葉に縛られず、「現役」であり続ける。世間がどう言おうと関係ない。自分が意味を感じられることをやり続ける。それが俺にとっての「老いる」ってことだし、俺のやり方で生き抜いてやる。

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