仕事の遍歴についての与太話
自分でも何を書いてんだろうな(苦笑)
しかも、これ実話なのよね。
仕事を嫌々やるな?その通りだよ
実際、嫌々仕事をやってて趣味で自分を維持してる奴って多いのかね?そう思うと、俺なんかもそうだったのかもしれない。だが、振り返るとそれじゃあ結局、限界が来るんだよな。
嫌なら仕事を変えればいい話だろう?
転職一回、会社変えたのは二回の俺からしたら、「嫌なら仕事変えれば?」ってのが正直な感想だ。もちろん、現実的に簡単じゃないのは分かる。だけど、趣味で逃げて平日を乗り切るなんてのは、俺には理解できなかった。仕事なんざ、自分からケツを蹴り上げるくらいでやれば案外楽しくなるもんだぜ。
休日や娯楽で紛らわせても平日の辛さは消えない
若い頃は、休みの度に散々金を使って趣味に没頭したもんだ。自己暗示がまだ効いてたんだろうな。「楽しい」と思い込めた。でも、歳を取るとその暗示も効かなくなる。平日の辛さは休日を変えたところで変わりゃしない。だから俺は転職した。それも理由の一つだ。趣味だけで乗り切ってたら、間違いなく死んでた。俺は毎日吐くほど苦しかったからな。
根本的に変えるしかない
一時的な快楽じゃ乗り切れないんだよ。「これが終わったらまた苦しい」と先の辛さが見えるだけ。結局、根本的に変えるしかないんだ。俺の場合、それは仕事を変えることだった。実際、医者には「考えるな」と言われたこともある。でも、それができるか?って怒鳴り返したよ。考えない生き方なんて、俺には無理だった。
縁を総動員して生き抜いた
俺が職を大きく変えずに済んだのは、正直、使える縁を全部使い切ったからだ。そのやり方が今の俺なら「詐欺師」と見下すようなものも含まれてる。それを思い出すと嫌になるほどだ。実名でTwitterをやったのもこの時期。とにかく仕事が欲しかった。初めてフリーランスとして取った案件がバッティングして、それぞれの営業を怒らせたこともある。マジでやばかったけどな。
土下座も経験した40歳
対面で土下座したこともある。当時40歳の俺が何やってんだって話だが、あの頃はそれしか生き残る道がなかった。不景気で会社を移るのも難しい時代だったし、どうにかするには自分で動くしかなかった。結果的に、その経験が今の俺を作ってるのかもしれない。だが、正直もうあんな無茶はやりたくない。
今も派遣で奮闘中
そんなこんなで、今は派遣として3件目の案件の最中。この歳になると、またフリーランスに戻るなんて気力もないし、4社目を目指す気も起きない。けど、少なくとも俺は今、自分の力で何とかやってる。ヤンチャはそろそろ卒業したいところだが、どうなることやらな。
結論として、趣味で逃げ続けてても限界は来る。結局、自分の手で変えない限り、辛さは何も変わらないってことだな。