肺がん診断までの経緯①

小さな異変と正常性バイアス

最初に異変に気付いたのは、2020年の年明けすぐ。1月7日の朝でした。仕事に行くための身支度を整えている時、左顎の下、ちょうどリンパ節の辺りに、しこりを見つけました。少し硬い、コブのような感触だったことを、よく覚えています。
鏡に映すと、少し膨らんでいました。その少し硬い、でもさほど目立たない膨らみをさすりながら、一瞬こう思いました。
「まさか、がんじゃないよな?」
PCを開き、「顎の下 腫れ」と検索をかけました。トップに上がった検索結果が何だったのか、実は覚えていません。もしかすると、がんと書いてあったかも知れません。でも、覚えていないということは、検索そのものが、がんの疑いを、打ち消すためだったということです。
どうして、そんな思いで検索したのかと言えば、単純にがんであってほしくなかったからです。がんはすぐに死ぬ病気だと、当時のわたしは考えていました。ですから、事実がどうかということより、今この場でそんな重大な病気である可能性を、検索エンジンに片棒を担がせながら、否定したかったのでしょう。
まさか、自分の身に、こんな何でもない普通の日の普通の朝に、重大な病気が降りかかるわけがないと、わたしは思っていました。だから、検索結果のトップに、何が上がっているかということよりも、そんな自分の気持ちに応えてくれる解を、PCモニターの中から探し出そうとしました。

若い頃から、パニックに陥るタイプではないと、自己評価してきました。しかしそれは、間違った評価だったと、今は分かります。この時のわたしの行動は、明らかなパニック反応です。自分は冷静だと思ってきたのに、実際には、肝っ玉が小さく、いざという時には取り乱すタイプの人間なのだと、現在は180度、評価を転換させています。
パニック反応の後に頭をもたげたのは、正常性バイアスでした。まさか、自分の身に異変が起こるはずはないという思い込みです。がんは日本人の二人に一人がかかる病気であるという知識は、持っていました。しかし、自分はがんにかからない方の半分だと、何一つ根拠なくそう考えていたため、わたしは自分で検索しておきながら、その結果を著しく曲げて、自分に都合よく解釈してしまっていました。
そうやって、わたしが都合よくピックアップした検索結果は、「舌下腺炎」という唾液腺の炎症を示す病名でした。そして、一度到達した誤った結論は、わたしの中では、半ば真実となりました。唾液腺の炎症なら、顎の下が腫れるのも、むべなるかなと納得できました。
ただ、唾液腺の炎症であっても、放置するのは良くないと、その時のわたしは考えました。辛うじて残されていた冷静な自分の声だったかも知れません。そこで、まずはかかりつけ医に相談してみることにしました。

時間稼ぎ

年明けの身支度の最中に見つけた小さな異変を、自己診断でがんではないと否定しつつも、何かしらの対処は必要だ考え、かかりつけ医に尋ねてみようと、決心するにはしました。しかし、気持ちは揺れていました。検査の結果、万が一今すぐ入院しなさいなんて言われでもしたら、楽しみにしていたイベントへの参加を、中止しなくてはいけなくなるというのが、この時の言い訳でした。
そのイベントとは、阪神甲子園球場のグラウンド内を、仲間とリレーで走ることができるというランニングイベントでした。何しろ子どもの頃からのタイガースファンなので、聖地の中を走ることができるなんて、夢のような催しです。他の何を置いてでも、それは達成されなくてはならない事柄でした。一緒に走ることになっている妻にも、異変については何も伝えていませんでしたから、なおのこと、“不参加”は避けなくてはなりませんでした。
ただこれも、今にして思えば、単なる時間稼ぎの言い訳でした。本当は、怖かったのだと思います。唾液腺の炎症だと、自分に言い聞かせはしたものの、そんなものは素人の思い込みに過ぎないことを、本当は分かっていましたし、それがたとえ何だろうと、検査は必要だろうと理解してもいました。そして検査の結果、本当は重大な病気だと分かるかも知れません。そうであってほしくはないけれど、その可能性を否定する材料など、そもそも持ち合わせていませんでした。
全部分かっていたのです。怖いから、その不安を、できるだけ遠ざけたい。できることなら、忘れてしまいたい。そうするためのダシとして、甲子園球場でのランニングイベントを使おうと思っていることなど、わたし自身は、多分とうに分かっていました。
それでも、しこりの正体を知るのは、少しでも早い方が良いに決まっています。わたしはようやく決心しました。
「甲子園を走り終えたら、検査に行く」
かかりつけ医に相談に行ったのは、甲子園球場を走った10日後のことでした。

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