肺がん診断までの経緯③


血液内科

ハルキチ先生からの紹介で受診したのは、自宅から近い国立大学医学部附属病院の血液内科です。2020年の1月末でした。
この頃はまだ、新型コロナウィルス感染症は、多くの日本人には、中国のごく狭い範囲で、局地的に流行している新型肺炎でした。なので、病院の待合室でも、半分の人はマスクを着けていなかったように記憶しています。
ただ、中国在留邦人がチャーター機で続々と帰国したり、厚生労働省が「国内でも人から人への感染が起きている」と発表したりと、見えないものに、ジワジワと身辺が浸食されていく不気味さを、感じ始めていた頃です。しかしわたしにとっては、これから大学病院で受ける検査の方が、はるかに大きくて、厄介な出来事でした。

「やっぱり、何も出ませんね。」
紹介状に、ハルキチ先生の所見など書かれていますから、リンパ節にしこりがあるものの、血液検査で何も出なかったということは、大学病院の医師も、事前に知っていたでしょう。良かった!やっぱり何でもないんだ。と、まるで、命拾いでもしたかのような安堵感でした。しかし、
「ここでの検査には、限界があると思います。なので、耳鼻咽喉科を受診してください。」
ぬか喜びとは、まさしくこのことです。内科ではなく、耳鼻咽喉科って、どういうことだろう。これで終わりじゃないのかよと、目を泳がせながら、医師に尋ねました。
「耳とか鼻の病気ということですか?」
首だと思ったら、耳か鼻なのか。思ってたのと、全然違う。かなり戸惑いました。すると医師は、耳鼻咽喉科は、首から上を診る診療科なのだと説明してくれました。だから、頚部リンパ節の病気も、そちらが専門だと、説明されたような気がします。それは、わたしには朗報に聞こえました。
なぜなら、悪性リンパ腫が疑われていたものの、それは二度にわたって否定され、耳鼻科に回された。これは、自分の最初の見立ての通り、唾液腺の炎症なのかも知れない。ということは、そんなに怖い病気ではないということなのかも。検査を受けて本当に良かった。耳鼻科の受診は面倒だけど、そこで最良の結論を得られるなら、何ということはない。そんな風に、非常にポジティブな心境でした。
帰宅後、ずっと何も伝えていなかった妻に、ここまでの経緯を全て説明しました。すごくビクビクしていたけど、検査を受けたら別に何でもなかったよと、揚々と伝えました。

説明しない耳鼻咽喉科

耳鼻咽喉科の受診は、2月初旬でした。簡単な問診の後、検査室と書かれた部屋に通されました。照明を暗くした部屋には、胃カメラのような器械があって、その前に座らされました。
「喉、見せてね」
初老の医師はそれだけ言うと、わたしの鼻の穴に、黒くて細長い管を突っ込み始めました。何をするとか、何のためにするとか、何ひとつ説明もなく。少し痛いかもよくらいの注意はあった気がしますが、それもっと早く言ってというやつです。
後から調べると、それは咽頭ファイバースコープという医療機器でした。咽頭がんか何かを疑ってのことだったのでしょう。それにしても、これから何をやるのかくらい、説明してくれても良さそうなものです。
「何もないなあ」
そう言うと、耳鼻咽喉科医はわたしの鼻孔から、管を引き抜きました。何を見ていたのかを尋ねようとしましたが、医師は間髪入れずに、まくし立てました。
「ちょっと、受けてほしい検査があるんだよね。1週間後に予約入れとくから、病院来て。」
この医者、好きじゃないなあと思いました。詳しい説明もなく、こちらの都合を聞くこともなく、段取りについて話すだけで、あれやこれやをどんどん進めていく振る舞いに、わたしはストレスを感じ始めていました。
なお、医師が受けてほしいと言った検査は、ガリウムシンチグラフィというものでした。体内に低線量の放射性薬剤を注入し、特殊なカメラを使って、腫瘍などの診断をする検査です。つまり医師は、がんを疑っていたということです。
何となくせっかちな話し方だったのも、今考えれば、「時間がない」と、医師が感じていたからなのかも知れません。詳しい説明は、後でもできる。それよりも今は、1日でも1時間でも早く、診断を確定させなくてはならないと、そんな風に考えてくれていたのかも知れません。わたしの状態は、医療者から見れば、切迫とまではいかないまでも、あまり悠長に構えてはいられなかったということです。とは言うものの、当人としては、明らかな説明不足と、検査のたびに仕事を休まなくてはならないことへのストレスの方が、ずっと深刻だったのですが。
そしてここを境に、わたしと病院との付き合いが、加速度的に深まっていくことになります。

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