肺がん診断までの経緯⑥

手術の日

東日本大震災の発災から丸9年。そして、選抜高校野球の中止が決まった日、わたしの左頸部リンパ節は、そのしこりの正体を探るため、切り取られました。
麻酔から目覚めたのは、病室のベッドでした。傍らには、妻がいました。
「さっきからずっと、研修医の文句言ってるよ。」
と、妻が苦笑いしながら言いました。
麻酔科医が連れてきた研修医が、手術前に点滴のルートを取るのに何度も失敗したことに、わたしはブツブツと文句を言っていたようです。麻酔で眠りに落ちる前の最後の記憶が、左手の甲に何度も針を刺されて苛ついていたので、朦朧としつつも、言わなくては気が済まなかったのでしょう。
「何回も同じようなところに針を刺されたら痛いですよねえ。」
と、笑い飛ばしてくれたのは、ナースでした。
朝8時に手術室に入り、目が覚めたのは恐らく午後の早い時間でした。周囲の様々なことの輪郭が、少しずつくっきりしつつありました。首にガーゼが貼りつけられ、切られた後が痛みました。喉も少し痛むと訴えると、リンパ節の他に、口蓋扁桃も取られたのだと、妻が教えてくれました。
「喉の中も縫われてるんだって。」
言われてみれば、喉に異物感がありました。縫合した糸のせいなのかと、納得しました。
「あまり良くないものが出たみたい。」
妻の声が、病室の天井から降ってきたように聞こえました。
あまり良くないもの?わたしはその意味を、推し量りかねていました。
良くないものとは、どういう意味だろう。悪いものということなのか。でも、悪ければ悪いと言うはずで、妻は「あまり良くないもの」と言った。それはつまり、あまり良くないだけで、そんなに悪いものというわけでもないという意味ではないのか。
今考えると、笑ってしまうくらいの曲解なのですが、この時のわたしは、本気でそう考えました。
そして、「あまり良くはないけれど、そんなに悪くもないもの」と、かなり独特な解釈をし、自分の中では、「がんじゃなかった。」と結論付けました。
麻酔が解けきらない内に、持って回った伝え方をしてはいけないというのが、この時に得た教訓といえば、そうなのかも知れません。
なお執刀医は妻に
「低分化の細胞が出ました。」
と言ったそうです。これはこれで、どうかと思う言い回しではあります。要するに、リンパ節を郭清して病理診断したら、腫瘍細胞が出てきたということです。つまり、がんだったわけです。わたしがどんなに独特な解釈をしようが、どれほど曲解しようが、答えは、初めからがんなのでした。
それでも、この期に及んでなお、自分の中でそうではなかったというのは、わたしが人並み外れて鈍感なせいなのか、それとも、人並み外れて正常性バイアスが強いせいなのか…。何にせよ、呆れる外ありません。
しかしそんなわたしも、ついに、自分の病気はがんなのだと、認めざるを得ない時がきます。

これは告知なのか

手術から数日後の夕方でした。
見舞いに来ていた妻を、病棟のエレベーターホールまで見送り、病室に帰ろうとしていた時、執刀してくれたM医師と鉢合わせしました。
「ちょうど良かった。今後のこと、少し話しておきませんか。」
と、カンファレンスルームに通されました。
体調や入院生活についての問診の後、M医師はこんなことを言いました。
「リンパ節から出てきたがん細胞ですけど、いろいろと文献を当たったんですが…」
「ええと、先生、今がんって言いました?」
M医師が固まったのが、分かりました。
「話を整理していいですか?先生はさっき、リンパ節から出てきたがん細胞と言いましたよね。つまり、わたしはがんなんですか?」
「ええ…と、はい。そうですね。奥様には手術の後でお伝えしたんですけど…。」
妻が言った「良くないものが出た」とは、つまり「がん細胞が出た」という意味だったのだと、ようやく理解しました。
「そうか…。がんなんですね、わたし。」
「はい…そうですね…。」
本人にちゃんと伝わっていなかったことに、M医師はかなり戸惑っているようでした。何しろ、医者は妻に「低分化の細胞」と伝え、妻はそれを、がんと分かった上で、本人には「あまり良くないもの」と伝言し、聞かされたわたしはと言えば、「良くはないけど悪くもない」と曲解するという、まるでよくできたすれ違いのコメディーのようなことが、起きていたのです。医者にしてみれば、「伝えたつもりだったんだけど…」となっても、無理はない話です。
ただ不思議なことに、わたし自身はそんなにショックは受けませんでした。それよりも、がんの告知とはこんな感じなのかと、少し面白かったことを覚えています。

それまでわたしがイメージしていたがんの告知は、医者と患者が診察室で対峙し、レントゲン写真か何かを前に
「病名は、がんです。」
と告げられ、患者が泣き崩れる(または放心する)という映像です。間違いなく、テレビや映画の影響です。
しかし、実際にわたしが経験した“告知”は、何かのついでというか、通りがかりに医者に呼ばれて、「こないだ出てきたがん細胞のことなんだけどね」と、まるで明日の仕事の打ち合わせのようなトーンで、目の前に差し出されました。
もちろん、告知された途端に、膝から崩れるほどのショックを受ける人はいるでしょうし、むしろそれが当たり前の反応だと思うのです。でもわたしは、目の前が真っ暗になるとか、頭が真っ白になるということは、ありませんでした。
「そうか。がんなんだ。」
と思っただけでした。
「スギハラさんのリンパ節から取ったがん細胞は、スピンドルセルカルチノーマという、かなり珍しいタイプのものでした。わたしも聞いたことがなかったです。」
M医師は、わたしが冷静に見えることに少し安心したのか、がん細胞のタイプについて、淡々と説明しました。そして、そのスピンドルなんとかは、リンパ節に飛んできたもので、最初にがんができた場所は、違うところにあるのだと付け加えられました。そして、それがどこなのかという肝心なことについては、まだ分かっていないと説明を受けました。
「なので、今後は原発巣を確定する検査を、色々と受けていただくことになります。ちょっと大変かも知れませんけど、頑張りましょう。」
この日を境に、わたしは暫定的に原発不明がんの患者となりました。そして翌日から、原発巣を突き止めるための検査に次ぐ検査の日々を、送ることになるのです。


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