肺がん診断までの経緯②
かかりつけ医
「確かにこれは、気になりますね。」
まだ30代前半の若い医師は、わたしの顎を触りながら言いました。
当時住んでいた家から、徒歩2分のクリニックは、先代の院長からの付き合い。家族がまるごと頼りにしてきたお医者さんです。
住宅街の中にある典型的な町医者で、数年前、息子さんが遠くにある大学病院から帰郷して後を継ぐことになった折、医療法人化されました。同時に、先代は法人理事長に収まり、診療の第一線からは退きました。そのため、普段の診察などは、新たに院長となった息子さんがやることになりました。ただ、長年お馴染みさんだった近所のお婆さんたちの中には、「若先生、何となく頼りないねえ」と、他のクリニックに移る人もいました。尤も、そのおかげで待ち時間が短くなり、わたしのような現役世代には、かえって良い面が多かったのですが。
なお現在は、一時の気の迷いで浮気していた皆さんのほとんどが、再びお得意さんになっています。ちなみに若先生は、名前がハルキさんなので、我が家では親しみを込めて“ハルキチ先生”と呼んでいます。もちろん、ご当人には内緒です。
ハルキチ先生は、わたしの左頚部のしこりを、「けっこうな大きさ」と表現しました。自分としては、そんなに目立っているわけでもないし、触れば分かる程度なので、「けっこうな大きさ」と言われたことに、戸惑いがありました。心臓の鼓動が、ほんの一瞬速まったような心持ちでした。
「血液検査をしませんか。」
言い方としては“提案”でしたが、こちらを真っすぐ見る先生の表情は、「検査するべきだ」と言っていました。わたしも、仮に唾液腺の炎症だとしても、何かしらの検査は必要だと考えていましたから、ここは素直に従いました。
わたしのそんな考えを見透かしたのか、ハルキチ先生は言いました。
「正直に言います。悪性リンパ腫を疑っています。」
悪性リンパ腫が、いわゆる“血液のがん”ということは、乏しい知識ながら、知っていました。もちろんこの時点では、疑わしいという程度です。しかし医者にそれを疑われるというだけで、気持ちがザワつくには、十分です。ともかく、生まれて初めて、「がんかも知れない」と、はっきりと意識させられた瞬間でした。
血液検査の結果が出るまでの数日間は、何をしていても上の空でした。自分は、悪性リンパ腫にかかったかも知れない。そのことで頭がいっぱいでした。
妻には、言えませんでした。
疑いは晴れず
ところが、数日後に伝えられた検査結果は、異常なし。悪性リンパ腫罹患を示す所見は、見当たらないとのことでした。
胸を撫でおろすわたしに、ハルキチ先生は、こんな風に言いました。
「当座、悪性リンパ腫の疑いは晴れました。でも…」
何かを告げた後に、医者が口にする「でも」ほど、心臓に悪いものも、少ない気がします。この時の「でも」が、まさにそれでした。
「でも、このしこりは、やっぱり気になります。大きな病院でもう少し詳しく検査した方が良いと、自分は思います。」
つまり、もっと精度の高い検査を受けなさいと、若いかかりつけ医は言っています。
これまで、家族まるごとお世話になってきたホームドクターです。跡継ぎ息子のハルキチ先生にも、わたしたち家族の病歴や生活習慣などは、きっと共有されています。信じて頼っても、後悔はないはずです。
わたしは、近くにある大学病院に紹介してほしいと、お願いしました。数年前、盲腸の緊急手術を受けた病院なので、検査するなら、一度でもお腹の中を見てもらった病院が良いだろうと考えました。
しかしお願いはしたものの、まさか、大学病院に繋いでもらわなくてはならない事態に陥るとは、思いも寄らないことでした。これは、まあまあ大変なことになったかも知れないなあと、ぼんやり考えました。
この時のわたしは、自分の身の上に起こったことの重大さを、まだ分かっていませんでした。