「こえ」をきくこと
エルを家族に迎えてから今日まで、数えきれないほどたくさんの選択をしてきました。ご飯はなにをあげるか、どんなおもちゃを買ってあげるか、避妊手術はするのか、・・・・・・・・・。
動物は自分で選べないことのほうが多いので、家族がその子に関する選択をするのは当然だと思います。きっとどこのおうちでもそうですよね。些細な選択から、重要な選択まで、今まで選んできた道に今が繋がっているんじゃないかと私は思っています。
エルが病気になってからは、今まで以上に難しい選択をたくさんしなければいけなくなりました。私たちが選択を誤れば、命を落とすことになるかもしれない。特に手術に関する選択を迫られたときは、本当に苦しかったです。
手術をすることを選んでも死のリスクが高く、手術をしないことを選んでも死の未来が見えている、最悪の状況でした。しっかりご飯も食べて、抱っこをせがむエルを見ていると、手術をする選択をすることでエルの時間を大きく縮めてしまうかもしれないというのが何よりも怖かったです。かといって、何もせずにゆっくりと弱っていく姿をそばで見ているのかと考えると、なぜ助かる可能性が少しでもあるのに治療してあげなかったのか、後悔することも目に見えていました。どうしたら良いか分からない、でももう時間がない。悩んで悩んで、もう精神的にも限界が来そうでした。
そんなときに、以前診療してくださった獣医さんのお話を思い出しました。
「この子は色々な難しい病気を持っていて、今後家族が治療について悩むことはたくさんあると思う。してあげられることは全部したいと、当然思うでしょう。」
「でも決める前に、この子自身のこえをきいて。」
「抱っこして、は聞いたことがありますね。」
「ご飯がたべたい、も聞いたことがありますね。」
「長生きしたい、は聞いたことがありますか?」
そう言われたときに、私はすごく心が楽になりました。エルが病気になってから、いつも心のどこかで「あの時ちがう選択をしていたら」と考えてばかりいたからです。私が間違えた選択をしたことが積み重なって、エルが病気になってしまったとずっと思っていました。
「動物たちはどれだけ長く生きられるかで幸せを計っているんじゃない。」
もっと大切なことはたくさんあると思えるようになりました。今限られた時間のなかを、どれだけ愛情いっぱいで幸せに過ごさせてあげられるか。もちろん後悔はたくさんありますがエルの幸せについて、少し違う角度から考えられるようになったきっかけです。それからは今まで以上に、エルの目を見て、触れ合って、少しでもエルのこえを聴くことができるように過ごしていました。
手術をするかどうかの決断をするときも、この時のことを思い出してエルをたくさん観察しました。エルの目を見て、たくさん体に触れて、エルはどうしたいんだろうとずっと考えました。それでもなかなか答えは出ませんでした。そんなときに旦那の言葉ではっとしました。
「こんな状況ですごく苦しいはずなのに、エルは食べることだけは絶対にやめないよね。」
確かにその通りでした。肺葉捻転になって熱もあり、肝臓と炎症の数値も基準値の7倍以上、ふらつきも酷くまともに歩くことも出来ない、それでもご飯になると目を輝かせて絶対に完食してくれていました。
食欲が少し落ちているかな、と思った日もありましたが無理やりにでも絶対食べると決めているようでした。
「それってきっと、エルはもっと生きたいからじゃないかな。」
私もそう思いました。長く生きることだけがエルにとっての幸せではないけれど、今はまだ諦めていい時ではない。エルはまだまだ生きるつもりで、病気と闘うつもりで、たくさんご飯を食べていると思いました。
これがきっとエルの「こえ」だと思いました。それに気が付かなければ手術をしない選択をしていたかもしれません。
今こうやってエルが帰ってきてくれて、少しずつ回復している姿を見ると、あのときギリギリまでエルのこえを聴くことを諦めなくて良かったと心から思います。
すごく心に響いた言葉だったので、今何かの選択に迷われているご家族にも届けばいいなと思い書かせてもらいました。動物たちは何かしらの方法で、自分のこえを一生懸命に伝えようとしていると思います。
これからもエルに関するたくさんの選択が待っていると思いますが、私たちもしっかりとエルのこえを聴いて選んでいきたいです。
まだ闘病生活は続くけど、がんばろうねエル。