人魚に恋したモンキー EP5
EP5【神山海月 21歳 春】
「待ってくれよ海月。何だよ急に、別れるって冗談だろ?」
青山碧海(あおやまあおい)は必死の形相で頭を下げた。
「ごめんなさい気持ちが冷めちゃったの。さよなら 碧海さん」
無表情で淡々と別れを告げる海月。
2人は付き合って半年になる。碧海は神山海月が通う病院の小児科医。直接海月と接点は無かったが、定期的に通う海月を見かけて 碧海が一目惚れした。
海月も最初は「こんな身体の私で良いのか」と戸惑ったが 碧海の猛アタックの甲斐あって心を許していった。過去にお付き合いした経験はあるが自分の足の事を気にし過ぎて心を許す事が出来なかった。それでも、告白してくる男は後を絶たない。それ程 碧海は容姿端麗であり魅力的であった。
この日は久々に2人の休暇が合いデートを楽しみにしていたのだが、急患が入って少し遅れると 碧海から連絡が入った。「急患なら仕方ない」と海月は大好きなcafé「AI7」で時間を潰す事にした。このcaféは最近流行りのAIロボがスタッフを務め流暢な日本語で注文を聞いてくる。当然、世界中の全ての言葉を網羅しており、 海月が大学で覚えた初級フランス語にも応えてくれる。
「Bonjour(こんにちは)」
「Bienvenue(いらっしゃいませ)」
「Café chaud(ホットコーヒー)」
「Certainement(かしこまりました)」
「ほんとフランス語が上手なロボットさん。専属の先生になってくれないかしら」
30秒待たずに注文したホットコーヒーがテーブルの上に置かれた。
「Merci(ありがとう)」
45度のお辞儀をしてAIロボがカウンターに戻って行く。
この店の売りはAIロボだけではない。フロアの広さも海月は気に入っている。バリアフリーはもちろんの事、フロアは完全自動システム。好きな椅子を選択するとテーブルまで自動的に運んでくれる。足が不自由に感じる事も無いし、誰もそのことに気づかないし気にもしない。その辺りも心地いいと感じる点であった。
「さすがS・ABEね」が口癖になるくらい、この店全てがお気に入りだ。S・ABEは世界的に有名な建築デザイナーで海月の今一番注目の有名人である。
今日は真っ赤なソファーを選んで大好きな建築雑誌を読みながら時間を費やしてると、30分程で碧海から携帯に連絡が入った。
「ごめん、今着いた。遅くなっちゃった」
「ご苦労様です。急患の方は大丈夫だったの?」
「う、うん、なんとかね」
「よかった。ホットコーヒーでいい。頼んでおくね」
「いや、いいよ。店変えようか。なんかロボットがいっぱいで落ち着かないんだ」
「え、 うんわかった。すぐ出るね」
「店の前で待ってるから」
精算を終え車椅子に乗り換えた海月はゆっくりと碧海に近付いて声をかけた。
「碧海さんこの店嫌いだっけ?」
「嫌いって訳ではないけど、なんか落ち着かないんだよね。ロボットに監視されてるみたいだし、どうせなら人型ロボットで足の長い女性がいいな」
碧海は笑ってペロリと舌を出した。
しかし次の瞬間その事を後悔した。先程まで笑顔が眩しい海月の顔が血の気が引いた蒼白い無表情の顔になっていた。
「どうした海月。気分でも悪いのか?」
しかし海月は碧海の質問に答える気は無く、乗りかけた車の扉を閉めた。
「ありがとう。今日は電車で帰る」
「どうしたんだよ。なんか気に触ること言ったか」
「わからないならしょうがないね。今日でお別れね」
「待ってくれよ海月。何だよ急に、別れるって冗談だろ」
「ごめんね、気持ちが冷めちゃったの。さよなら碧海さん」
「さっきのロボットの話が悪かったのか。海月の事言った訳じゃ無いよ」
碧海は確信に触れた。足の事を気にしているのは分かっていたが、ここまで豹変されると思っていなかった。
「そういうところ大嫌い。私の事じゃなければ何言ってもいい訳?」
「わかった、もう2度と言わない。だから許してくれよ。考え直してくれよ」
半泣きで土下座しそうな碧海に海月は冷静に言った。
「これ以上私の気分を損なわせないで。本当に私の気持ちを理解したいなら貴方も両足を不自由にしてみたら。次会うときは、車椅子の話で盛り上がりましょう」
その後振り返る事なく海月はステーションへ向かった。
碧海は崩れさり土下座の状態から暫く動かなかった。
1年後、碧海は命を絶った。