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ギャンブリング・バンキシー・ドリーム:マジック・ソング殺人事件
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1.幻影と 歌と叫びの プロローグ
始まりは、月が見えねぇ夜のこと。輝けるステージを終え、相棒を楽屋に残し居酒屋へ行く。軽く呑み、酔いが回った頃俺は裏口通って楽屋へ戻った。俺たちの楽屋は廊下の突き当たり。なんとはなしにドアノブ握り、開けた後俺は違和感を覚えた。ついていたはずの電気が消えていた。
「サケビ〜、いねぇのか?」
相棒の名を呼んだのに、返事なし。否が応でも胸がざわつく。まず一歩、さらに一歩と足を出し、進んだ先で見つけてしまった。酔いが覚め、現実が直に殴り込む。
横たわる、血まみれ死体がそこにいた。その顔は、まごうことなく相棒のサケビ・ポエムシャウターのものだった。
「…はぁ?」
そこからの記憶はだいぶ曖昧だ。気がつけば、俺は廊下で倒れてた。それだけですら不可思議なのに、すぐ後にもっと奇妙なことになる。楽屋の扉、その向こうでは俺が見たはずの死体が消えていた。初めから全て幻かのように。
相棒は行方不明になったまま、夜が明けても見つかってない。
2.タワーでの ゲリラライブは 怒気の味
「はぁ…」
ため息と共に、ザ・ミュートの管理する時計塔が約28.4時を告げた。あいつが1日38時間をなぜか12個の目盛りで型破りな区切り方をしているのに慣れっこだから、時計塔の「午後6時」を本来の時刻へ変換すんのも楽なもんだ。道端の縁石に腰掛けると、疲れがますます表面化していくようだった。傾きかけた日が俺の憔悴しきった姿を照らした。眼前の道路には海が湛えられており、横切る船が何度も風景を遮った。俺の名はNapo獅子-Vi無粋。相棒のサケビ・ポエムシャウターと「Lie音-魂Gu」というユニットを組んでいる。俺たちはその尖ったスタイルが良くも悪くも有名で、研ぎ澄ました言葉の刃で賛否あるハイクを詠み続けている。少なくとも、昨日まではそうだった。
昨夜起きた、サケビ・ポエムシャウターの突然の失踪。警察に届けたものの、誘拐みたいに身代金の要求がきた訳でもない上、そう時間が経ってもいないから事件性は低いと見積もられている。目撃した死体のことを話そうかと思ったが、楽屋に戻った時には死体は愚か血痕一つ見つからなかった上、おまけに俺の口は酒臭い。まともに取り合ってくれるとは思えず口を噤んでしまった。俺自身も、あの光景が現実のものとはどうしても考えられなかった。いや、信じたくなかった。だって、あれを認めてしまったら。
またため息が出てしまった。謎が積もりに積もって手に負えなかった。頭に浮かぶ様々な疑問のどれにも、それらしい答えを与えることはできなかった。はっきりしているのは、今日1日思いつく限りの場所を駆けずり回って話を聞いたが、そのいずれにも相棒の手がかりはなかった、ということだけだ。厳密には、一箇所だけ行けていない場所があるが…。
「あっ。こんなところにいたのジェ」
「…あん?」
藪から棒に、声が降ってくる。顔を上げると、女の子のムートピアがいた。彼女は、座り込んだ俺の座高と同じ目線で話しかけてきた。
「Napo獅子-Vi無粋様。どうやらお困りのようだジェ」
「あんたは…コジェリ?なんでこんなところに」
見覚えのあるその姿。たしかEinek'Reineのマネージャーだったはずだ。直接話したことは無いが敏腕らしく、噂は俺たちも聞いていた。
「Vi無粋様に会いたがっている人がいるのジェ」
意図せず、舌打ちが出た。どうせ近々開かれるUta-Awase-Fes関連のヤツだろ。
「悪ぃが断ってくれ。こちとらそれどころじゃねぇんでな」
「Vi無粋様を悩ませていることは、サケビ・ポエムシャウター様の失踪ジェか?」
「知ってんなら話が早ぇ。嬢さんは帰んな、『Vi無粋は見つかりませんでした』とかなんとか言っとけ」
語気を強くして言ったが、コジェリはゆるゆると首を横に振る。
「残念ながらそれはできないのジェ。もう既に『招待』してしまっている故」
「…うん?」
気がつけば、周りの景色が一変していた。周りには何もない荒野、眼前には半透明のエレベーター。
「こちらになりますジェ」
訳も分からず辺りを見回していたら、コジェリの触手が俺の無骨な手に巻きつけられ、少々強引に手を引かれる。ちょっと、おい待て、などと声をかけるが止まらない。そのこじんまりとした体躯からは想像つかないほど強い力だった。エレベーターに連れ込まれる直前で、なんとか腕をふりほどく。
「おい…説明しろよ!あんた一体何が目的なんだ!?ここで何をどうしようってんだ!?」
「失礼しましたジェ。そろそろVi無粋様にも見えるようになると思うのジェ」
「はぁ?…はぁっ!?」
疑問はすぐに驚きへと変わる。
俺の体に影が被さる。なぜ今まで気がつかなかったのか不思議なくらい巨大な、円盤状の建物が空を覆っていた。
音もなく、エレベーターが開く。見たところそれはどこにも繋がっていないようにぽつんと置いてあるが、恐らくは天空に出現したあの謎多き建物に向かうのだろう。ついに抵抗する気は失せた。コジェリが一足先に乗り込んで、おいでおいでと手を動かし搭乗を促してくる。おそるおそる、半透明のエレベーターに足を踏み入れた。すっと扉が閉まる。かと思えば、瞬く間もなく扉が開いた。
「ごきげんよう、Napo獅子-Vi無粋くん」
だだっ広い部屋に、そいつはいた。
「初めまして、僕はバンキシー。ぜひお茶でもしていってくれ」
円盤状の空間の中は異様に広い。一見ガラス張りのようだったが、実際のところ全面に極薄のモニターが張られているのだろう。部屋の主がひとたび指を鳴らすと、黒く高級感あるソファが現れた。警戒しながら、俺は腰をおろす。テーブルを挟んで向かいのソファにバンキシーは寄りかかる。
「驚いたぜ。俺たちが普段見上げてる空に、こんな代物が眠ってるなんてな」
「別に大したことないよ、このタワーはアカシックの遺産さ。大昔のハイクにも詠まれてるはずだけど」
確かに、「誰知らぬ 古代の技術 アカシック」って句は有名だ。詠まれている通り、アカシックについては未だ正体がよく分かっていないのに、こいつはその技術とやらを当然のように利用している。
「バンキシー…つったか。どっかで聞いたことあるな、正体不明の天才芸術家だって」
「フッ…そうだろう。真の才能というのは否が応でも目立ってしまうものだ」
「確か『臭気がすごい』とかなんとかで有名な…」
「違う!それはどっかのヘドリアンか何かだ。僕は『ショーギ』!魔盤にてショーギというアートを作っている」
バンキシーは不機嫌を取り繕うように咳払いをした。
「突然のことで色々と混乱しているだろうから、ずばり目的を言ってしまおう。君が抱えている1番のトラブルについて、少々お話しを伺いたいんだ」
そう話を切り出され、俺の心が張り詰める感触がする。
「…聞いて、なにすんだ?」
「その事件には、君が思っているよりもずっと複雑なしがらみが絡んでいるんだ。一端には僕にも関係している可能性がある」
「あんたが関係してるだと?」
「あくまで可能性さ。まだ何も分からない。けど、猶予はあまりないということは理解してくれ。そうじゃなくちゃ、忌々しいハイクアーティストなんかに協力を仰ぐような真似はしないさ」
あまりに堂々と罵倒されるもんだから、不快よりも驚きが勝った。俺個人を嫌う輩はそれなりにいるが、ハイクアーティストそのものが嫌いなんてやつに出会ったのは初めてだ。俺はバンキシーの後ろで控えているコジェリに視線を送る。
「なぁ、あんたなんでこんな野郎に仕えてんだ?こいつ筋金入りの天邪鬼だぞ」
「バンキシー様は言うまでもなく素晴らしい芸術家だジェ。そんなバンキシー様の唯一の欠点が、この偏屈なまでのハイク嫌い。一周回って大好きなんじゃないかと思うほどジェ」
「断じてそんなことはないよ」
外野を無視し、コジェリは続ける。
「これはとても、とてももったいないジェ!バンキシー様がハイクアーティストになれば、最高のハイクを詠んでいただけること間違いなし!そう思い、日々ハイクの良さを布教するためにこうして働いている次第だジェ」
当のバンキシーは、ハイクという単語が出ただけで不愉快そうにうなだれている。
「この様子じゃ暖簾に腕押しだな」
「全くもって柳に風ですジェね」
「いいかげん話を戻すよ。この事件、君の方でも手詰まりなんだろ?僕なら確実に解決できる。君の来歴、近況、そして昨日の晩のこと、洗いざらい話していただこうか」
バンキシー。正直言ってこいつの人を見下すような態度も、言葉遣いも、ハイク嫌いなところも、全部が気に食わない。だが俺一人じゃ力不足なのも事実だ。俺は今日最大のため息を吐いてから、ぽつりぽつりと語り始めた。
……
俺の本名は霸龍ヴァヴァイブス、火文明東部出身。ボルシャック中心の権威主義が気に食わず、音楽とかでなんとなく華やかなイメージがあった水文明に移住。格安のシェアハウスで似たような境遇のサケビと出会って意気投合。二人でユニット「Lie音-魂Gu」を結成、長い下積みを経て破天荒ヘヴィメタルスタイルがバズり人気を獲得。ややニッチながらも熱烈なファンが多い。問題は初ライブの時だった。人生で1番昂ったあの瞬間、感情を全力で歌に吐き出すと、それを聞いたやつらはことごとく乱闘をおっぱじめた。俺の本気の歌声は、人々の闘争心を刺激してしまうらしい。しかも、事態が終わった後に記憶はことごとく消えてしまう。幸い死者は出なかったようだが、俺を除くほとんどが重軽傷を負ったらしく、その中には相棒も含まれていた。このライブの噂に尾ひれがついて俺たちは悪名を馳せ、皮肉なことにそれが更なる人気に繋がった。自分の力を自覚してからは、感情をコントロールする癖がつき事故が起きることはなくなった。自分語りが長くなっちまったが、まあこれが俺のざっくりとした来歴だ。
で、事件についてだな。まずもって俺は1週間前、明々後日開催の第100回Uta-Awase-Fesに来ないかって打診を受けた。ハイクをたしなむ者全員が憧れるステージだ、断る理由はねぇ。そういう訳で、昨日の35時頃に「俳歌劇場 エコノミセ」で、相棒と一緒にライブの流れを確認するためステージに上がったんだ。
「えこのみせ?」
バンキシーが問う。
「ああ、相当古い劇場で長らく使われてなかったんだが、ステージのサイズ感がちょうどいいってことで、改装の上で所有者のバショウさんが練習用に使わせてくれてんだ。時間を決めて、かわるがわるアーティストたちの間で貸し切られてる」
「一応、施設に立ち入った時間を正確に教えてくれるかな。あと、その時点で施設内部にいたクリーチャーたちのことも」
「ああ。到着したのが34時半、それから楽屋でちょっと準備して、ステージに上がったのが35時。それからぴったり25分間パフォーマンスして、相棒と二人で楽屋に戻ったのが35時30分くらいだ」
記憶をまさぐりながら答えていく。その間にバンキシーが空中でキーボードを打つように指を動かしたかと思うと、その手に劇場の間取り図を握っていた。入り口の右手に受付があり、受付の後ろにバックヤード。正面に観客席へ繋がる扉がある。ステージの裏手に大きなホール(稽古部屋)があり、その側面をなぞるように廊下が二手に分かれ、右廊下に俺たちが使った楽屋が取り付けられていた。ホールには裏口がついている。そう大きくはないが、防音設備がかなり充実している場所だった。監視カメラの類いは一切ない。
「内部にいた人数のことだが———」
俺が今日駆けずり回って収集した話を聞きながら、バンキシーは手元に浮かび上がった空中のパネルに情報を入力していった。
……
34:30-『Napo獅子-Vi無粋』『サケビ・ポエムシャウター』、バックバンドとして『アシステスト・Mogi事変』の2人組と『紅奏龍メルダウ』『満韻炎霊キャノンボール』たち、エコノミセに到着。裏口から入って受付へ回り、管理人『バショウ・シチゴマスター』へ挨拶。諸々の手配やアーティストたちへ出資を行なっている『マジック・H・コレクター』は観客席にいる。バショウは受付裏のバックヤードに戻る。Vi無粋たち、ホールで練習・準備。
35:00-Vi無粋たち、ステージに上がる。コレクターは変わらず観客席で、熱心に演奏を聞いていた。
35:30分-ステージを終え、いつものルーティンとしてVi無粋は居酒屋『YOLOの滝』へ、サケビ・ポエムシャウターは楽屋で仮眠。本来は35時55分に設定したアラームでサケビが起き、Vi無粋のいる居酒屋に合流する予定だった。バックバンドの4人は雑談しながらホールに居座って機材のチューニングを行う。
35:50分-バックバンド組が4人同時に解散。機材は各々持ち帰った。
36:35-いつまで経ってもサケビが来ないことを不審に思い、Vi無粋が楽屋へ戻る(この時、Vi無粋は軽い酩酊状態にあった)。そこでサケビの死体を目撃。死体には大量の出血が見られ、床の血はまだ乾いていなかった。その後、不明な原因により気絶。
36:50-Vi無粋が目覚める。楽屋からサケビの死体が跡形もなく消失。
37:00-動転したVi無粋は警察に駆け込むが、あまり深刻にとりあって貰えずそのまま帰宅。
……
「ふぅん。不明な原因によって気絶…ねぇ」
俺はパネルを見て顎に手を当てるバンキシーを横目に見、こっちはこっちで考え込んだ。犯人が裏口から侵入して楽屋を襲った場合、確実にホールを通過しなければならない。とすると、バックバンドの4人がホールにたむろしている35時50分までは犯人は劇場へ侵入することはできなくなる。
「犯人はバックバンド解散から俺が戻ってくる間の45分間の内に、眠ってるサケビを襲った。…そんな単純な話じゃねぇんだよな」
35時55分以降はアラームによってサケビが起きているはずだ。あの肉体強度と身体能力を持つサケビを正面から襲うのは至難だろう。そうなると、バックバンドがはけてからサケビが起きるまでの僅か5分間の間に犯行を終えたことになる。もっとも、初めから劇場内部にいたバショウさんとコレクターは、バンドがホールに集まっている内に犯行が可能だが…。
「推理を始めるにはまだ早いよ。まだ容疑者は出揃ってないからね」
「は?」
「サケビくんはアラームを設定して35:55に起きられるようにしていて、バンドくんたちは35:50に退出している。察するに、君たちが施設を借りられる時間は36時までだったんだろ?で、劇場はかわるがわる利用されていたというじゃないか。なら、36時以降は別のアーティストどもが劇場を借りていたんじゃない?彼らも立派な容疑者だ」
「俺が裏口から戻った時、そんなやつらいなかったぞ」
「そのもう一組のアーティストが、君たちと同じように30分くらいホールで準備してからステージへって流れだったのなら、何も不思議じゃない。君が戻ってきて、気絶して、目が覚めて即警察に駆け込むまでの間、彼らはステージで歌って踊ってたんだろう。君はその辺り、バショウくんとやらに聞いてないの?」
「…聞いてねぇわ。もっかい聞きに行くか」
「それは不要だジェ」
突如、無言を保っていたコジェリが口を開いた。バンキシーは訝しげに彼女へ振り返ってから、すぐに納得したように腕を組んだ。
「なぜならVi無粋様の後に劇場を利用したそのアーティストは、他でもない『Einek'Reine』様とコジェリたちだからだジェ」
コジェリは肩の装飾に下げたバックから小型の端末をおもむろに取り出す。見せてもらうと、そこには一瞬戦慄すら覚えるくらい丁寧に、秒刻みでEinek'Reineたちの行動が記録されていた。
"35:57:08劇場裏口に到着。事前のリサーチによって劇場の素材に超衝撃吸収・防音・魔力遮断性能を持つリヴァイアサンの遺骨が使われていることを確認。35:57:35 ステージ観客席から飛び出してきたマジック・H・コレクターに、35:58:10受付裏から出てきたバショウ・シチゴマスターと挨拶。コジェリたち以外に劇場内に生体反応なし、安全———"
「マネージャーからストーカーに転職した方がいいんじゃねぇか?」
「失礼ジェ!コジェリはこの能力を世のため人のために使っているのジェ」
「コジェリと初対面の時、何の前触れもなくここまでおしかけて来たのには軽く恐怖したけどね」
どこか遠いところを見ながら、バンキシーがぼやく。コジェリの端末に記された情報を、新たに入力しながら。
……
34:30-Vi無粋たちが劇場に到着。
35:00-Vi無粋たちがステージに上がる。
35:30-ステージ終了。Vi無粋はへ、サケビは楽屋で仮眠。バックバンドの4人は雑談しながらホールへ。
35:50-バックバンド組が同時に解散。
35:57-Einek'Reineたちが劇場へ到着。ホールで練習・準備。なお、彼女ら一行のアリバイはコジェリが完璧に保証していて、生体スキャンによればサケビは既に亡くなっていた模様。楽屋は左廊下にあるものを使ったため、サケビたちの楽屋がある右廊下には出ていない。
36:29-Einek'Reineたちがステージへ。マジック・H・コレクターは変わらずずっと観客席にいた。
36:35-Vi無粋が楽屋へ戻り、サケビの死体を目撃・気絶。
36:50-Vi無粋が目覚める。サケビの死体が消失。
37:00-Vi無粋が劇場を出て警察に駆け込む。
……
ようやく揃った情報を眺めて、俺は思い至る。
「こうやって見てみると…犯行可能時刻、短すぎねぇか?」
バンキシーは頷いた。
「コジェリによると、到着時点でサケビくんの生体反応は劇場内になかった。ということは、犯人は35:57までにサケビくんを殺し、36:35〜36:50、Vi無粋くんが気絶している間に死体を消したことになる。そしてこの仮定通りなら、犯人は外部犯だろうね」
さらっと結論づけられ、俺は首を傾げた。
「あ?なんでだ?疑うのは気が引けるけどよ、俺らと一緒にいた6人の中に犯人がいる可能性は拭いきれないだろ」
「そうでもないんだな、これが」
バンキシーは腕を組んだまま立ち上がった。
「まず、マジック・H・コレクターくんは犯人じゃない。理由は単純、サケビくんの死体が消えたと思しき時間帯、彼はステージの観客席でEineくんたちの練習を見ていたからだ。アリバイ成立」
それには俺も気がついていた。コレクターは無類のハイクマニアで、アーティストたちへ積極的な出資を行なっている。長らく使われていない建物であるエコノミセを練習場に使えるくらいに整備したのも彼のおかげで、見返りに俺たちの練習を観察したいらしかった。それが偶然にもアリバイにつながった。
「となると、バショウくんもシロの可能性が高い。楽屋へ回るにはコレクターくんに目撃されないよう正面入口から出て裏口へ回って、サケビくんを殺してまた正面入口へ…これを僅かな間に行わなければいけないことになる」
「いや、バショウさんならテレポートや透明化のハイクを自由自在に扱える。楽屋への侵入は容易だ、それじゃアリバイになんねぇぞ」
「それはできませんジェ」
コジェリが口を挟む。
「あの劇場にはリヴァイアサンの骨に加え、グランド・デビルのアンチスペルフィールドを組み込んだ素材がステージ以外のいたるところに使われていて、衝撃と魔力どちらにも高い耐性があるジェ。おそらくはステージで発される魔力による事故防止のための建築だろうジェが、魔力を行使可能な場所はステージに限られているジェ。それこそ、アカシックかバンキシー様が関わっていない限りは」
「…コジェリ、劇場を生体スキャンしたんだよね?君、僕の技術…」
「まあそれは置いといてジェ」
雑に誤魔化しつつ、言葉を続ける。
「バショウ様がテレポートなどを使うにも、結局裏口を通ることは変わらないジェ。しかも人目をしのぶためには監視カメラもない劇場内から、バンドの皆様が帰る時刻、Eine様がやってくる時刻を正確に把握する必要があり、とても困難ジェ。バショウ様は限りなくシロだジェ」
「後は、バックバンドの4人か…」
「ちなみに、Mogi事変の2人のアリバイはコジェリが保証するジェ。劇場のちょっと前ですれ違ったジェ、その場所と劇場間の距離的に、解散後楽屋に戻って犯行に及ぶ時間があったとは考えられないジェ」
「メルダウも不可能だな。あいつ、そもそも楽屋のドアを通れる身長じゃねーんだよ。無理やり入ろうとしたなら体の溶岩が飛び散って証拠が残るはずだし」
「さて、最後はキャノンボールくんだね」
バンキシーは組んだ足の上で、手の指を妖艶に絡めた。
「あいつとはすげー仲が良いからありえねぇとは思うが…犯行を否定する要素自体はないと思うぜ」
「いいや、しっかりとあるよ。君が見た死体の状況を、よーく思い出してごらん?」
正直二度と思い出したくはねぇが、有力な手がかりだから甘えたことは言ってらんねぇ。サケビの死体…つっても、暗かったし酔ってたし、一目で分かるほど多くの、どろどろの血が床にまで垂れ流されてたのと、乾いていない血の感触がしたこと。…いや、そうか。
「キャノンボールの全身は炎でできてる…よく一緒にいるから分かるが、やべぇ火力なんだ。あいつが犯人なら血が乾いていないはずがない」
「検証が必要かもしれないけど、そういうこと。残るはバショウくんとコレクターくんの共謀って線——つまり、コレクターくんが殺害、バショウくんが死体の処理を担当した可能性があるけど、これも怪しい。彼がVi無粋くんを襲うには結局君が劇場に来る時間を正確に知らなければならないし、他にも色々理由があるけど、突き詰めればこの筋には無理が出るね」
バショウさんが犯人じゃないことは俺でも分かる。俺は今まで、バショウさんより性格ができたクリーチャーを見たことがない。Lie音-魂Gu初ライブの後、俺を心配して訪問してきてくれたんだ。
「以上、この事件の犯人は、劇場内にいた6人の内誰でもないX。単独犯か、はたまた複数犯か。もっとも、この結論を確定させるにはもう一回現場検証する必要があるだろうね。隠し通路とかがあったらこんな推理に意味はないし」
「問題は、死体を消したトリックだよな…魔力は使えねぇし」
「その前に、いくつか確認すべきことがあるな」
あくまで柔らかい口調で、バンキシーは言う。
「一つ。見たところ、君の体にはいくつも傷があるようだけど、それは昨日ついたもの?」
ひとさし指が眼前に立てられる。バンキシーの言う通り、俺には拳を中心に、体中たくさんの生傷があった。
「…言いにくいんだが、その…俺のパフォーマンスにはバイオレンスな要素が多分に含まれててな」
「なるほど。暴力という分かりやすくインパクトのある表現に安易に飛びついた結果の産物だと」
この生意気な芸術家をぶん殴りたい気持ちをなんとか抑える。
「もう一つ。服装は?」
「…服装、というと?」
「君が見たサケビくんの死体の服装さ。ステージと同じように衣装を着ていたかい?」
「そりゃ仮眠してたからな。当然脱いで…いや」
違う。そうだ。俺は今までなんでこんな事に気がつかなかった?サケビはいつも、ライブ終わりは衣装を脱いで眠っていた。昨日もそうだった。なのに、俺が見た動かぬサケビは——衣装を着ていた。
「着てたぜ!それは確かに覚えてる。どういうことだ?死んでから着せられた?それともなんらかの理由であいつ自身で着替えたのか?一体…」
「次に一つ」
狼狽する俺の声をはっきりと遮って、バンキシーは言った。
「君、犯人X知ってるでしょ?」
「………」
俺を尋問する声はとても明瞭でよく通り、秘密という盾で囲われた俺の記憶の大事な部分にまで響いた。ずばり核心を言い当てられてしまったが、既に驚嘆はない。俺たちの秘密を推し量るくらい、こいつにとって訳ないことなんだろう。10分もないやりとりだけでもそう思わせてくるオーラがあった。これ以上隠しても意味はない。ため息を堪える。腹を括る。俺はソファにもたれるのをやめ、背筋をピンと伸ばした。バンキシーの言う通り、俺は相棒をこんな風にしたヤツのことを知っていた。実行犯としての犯人が誰か知っている、という意味ではない。どんな野郎がこの件を支配しているのか、ということだ。
「7年前の初ライブ、相棒も俺の歌を聞いて乱闘に巻き込まれた」
おもむろに、語り始める。
「俺の最初で最後の、『闘争心を爆発させる歌声』の力は凄まじかった。俺は俺自身に対する怒りと失意でいっぱいだった。全治2ヶ月の怪我を負った相棒を見てると、尚更そう思った」
あの日から、俺は歌うことが怖くなった。普通に声を出すことすら遠慮がちになった。声帯が震える度、あの地獄のような狂乱を思い出してしまう。
「でも、相棒は前向きだった。運が悪かっただけだ、すげぇ力じゃんか、そんな風に俺を励ました。それにどれだけ救われたかわからない」
しばらくは、ライブに参加した人たちへの補償に手を尽くした。直接謝りに行った時は、暖かな言葉をかけられることもあれば、罵倒されることもあった。
「相棒の怪我が参加者の中で1番深刻だったが、やがて完治した。再出発の日に発売したシングルは飛ぶように売れた。…ここまでなら、良い再起だったな」
美談で終われば、どれだけ良かったか。
「ある日を境に、俺の周りに変な連中が増えた。街を歩いても、自宅にいても、コソコソ誰かに尾けられることが増えた。いい加減ぶち切れて、尾行の1人を問い詰めたんだ。そいつの正体、なんだったと思う?」
ハッ、と吐き捨てるように笑った。
「借金取りだよ。俺じゃねぇぜ、サケビの借金を取り立てに来てたんだ。詳しく話を聞けば、相棒は怪しげなカジノに通った挙句大負けしてるらしい。言葉も出なかったね。当然すぐに相棒を問い詰めた。この調子で借金が膨らんだら、ハイクアーティストとしての活動も危ういぞって。元々相棒のギャンブル癖は知ってたが、それまで10年以上、打ち場所は公営の小さな賭場で、かつ賭金はコイン10枚程度のかわいいもんだった。なんでこんな大金賭けたんだって聞いたら…はぁ、たった一言『刺激が足りなかった』ってよ」
俺は天を仰いでこめかみを揉む。
「バショウさんに見せたらな、マジック・ソングの後遺症だって言われた。頭が真っ白になった。俺の歌の効果は一時的じゃなかったんだ。調べた限りじゃ、後遺症があったのは俺の歌を1番近くで聞いた相棒だけだったのが不幸中の幸いだ。いつも刺激が欠乏してるように感じて、どうしてもスリルを求めるようになっちまうんだってよ」
俺だ。
「手は尽くしたが、それでもサケビは俺たちの目を盗んでカジノに通ってた。怪しいやつらと遭遇する頻度もどんどん上がってった」
俺のせいだ。
「サケビがどのくらい借金してたのか俺は知らねぇ。聞かなかったからな、想像するのも嫌だった。そんでな、あいつの死体を見た時、激しい動揺と一緒にこうも思ったんだ。『ああ、ついにこの時が来たか』って」
全部、俺のせいなんだ。
「光文明はえれぇところだ。富を稼ぐことを第一としながら、富を循環させるシステムと豊富な働き口のおかげで、生活に困ってるやつはそういないんだと。でも、悪いこと考えるやつはいっぱいいるもんでな、あそこは違法カジノやら違法オークションやらの温床だ。ゴルギーニ家が必死に取り締まってはいるがいたちごっこ。知ってるか?闇カジノじゃ、負け分払える見込みがない債務者をバラして売るんだ。あいつは…『Venice』って賭場に通ってた。犯人はそこの一味だと思うぜ」
「なるほどね。どうりでそんなスキャンダル、初対面の相手には話しにくいわけだ」
俺は首肯した。
俺のマジック・ソングが、ファンのみんなを傷つけた。俺のマジック・ソングが、相棒を殺した。俺が、全ての元凶だ。
「…知ってるのはこれが全て。最悪の気分だ、俺のせいでこんなことになっちまって」
「うん?嘘は良くないよVi無粋くん」
自然と俯いていた顔を上げた。バンキシーは特に変わった様子もなく偉そうに座っている。つーか、嘘?嘘ってなんだ?本当に、これが俺の知ってる全てなんだぞ。
「君が最悪の気分になってる理由さ、違うでしょ?初ライブでファンが傷ついた?相方の性格を変えてしまった?借金で生活が上手くいかなくなった?相方を死なせてしまった?それも多分にあるだろうけどさ、足りないぜ一つだけ」
この時、俺はすこぶる間抜けな顔をしていたと思う。こいつは何をいってやがんだ?疑問をよそに、バンキシーは再びひとさし指を立てた。
「もう一つ。そう、最後の一つだ。君への質問のことだよ。これが1番重要なんだけど〜」
この男は、どこまでも軽薄な口調でしゃべる。やっぱり嫌いだ、こいつ。
「君のマジック・ソング。効果時間はどれくらい?初ライブで、君が歌うのをやめてから暴徒たちはどれくらいで収まったの?」
「あ〜…クリーチャーによってまちまちだ。数十分程度で覚めるヤツもいれば、正気になるのに1時間くらいかかったヤツもいる。…それがなんか関係あんのか?」
「今すぐ検証すべきだね」
「は?」
バンキシーが立ち上がると同時に、ソファが消えた。今日2回目の尻餅。それから、明るかった照明が薄暗くなった。
「おい!?いきなり何を」
「だから、検証さ。今から君の全力の歌を僕にぶつけたまえ。初ライブと同じように感情を引き出して」
どこからか、陽気な音楽が流れ出す。横を見ると、いつのまにかコジェリがヘッドフォンにサングラスをつけて、ヴィジョンのディスクをきゅるきゅる動かしていた。DJの格好が絶望的に似合っていない。おまけに天井からはミラーボールが出現しはじめた。
「ふざけんなよお前ら!誰が歌うか、つーかそんなに急に感情を乗せられるか!そもそも今までで1日しか歌えたことねぇんだぞ!!」
「それは問題ない」
バンキシーの指先が、俺の頭に触れる。一瞬だけ、何か壮大で幾何学的なエフェクトが出たがすぐに失せた。
「人格プロジェクター、投影完了。君は今すごくおこりんぼになってるはずさ!さあ、歌って歌って!」
なんだこいつは!!ふざけやがって!!歌えるわきゃねーっつってんだろが!!
『俺のせいだ』
昂りそうになった直前、俺の心がささやいた。感情が急速に凪いでいく。そうだ、こんな安い挑発には乗らねぇ。俺はもう、おそらくは二度と歌わない。Uta-Awase-Fesも辞退する。相棒がいないのに、1人みっともなくアーティストを続ける気はない。
「あれぇ?急に黙っちゃってどうしたんだい?ハッ、所詮はハイクとかいう下等な芸術を高尚に崇めてる愚か者どもだな、楯突くタマもないようだ。言葉に魂を込める君らが黙っちゃったら、後に残るのは存在価値の一片すら消えた見るに堪えない聞くにおぞましいハイクとかいう廃棄物だけだよ!まだキマイラの吐瀉物の方が芸術的なんじゃないかな?」
でも。
「まぁしょうがないか。記録に残さずして素晴らしい芸術品を作り上げる僕、バンキシーに比べて、記録だらけで詠まれに詠まれて搾りカスみたいな意味付けを見出そうと馬鹿らしくもがいていてその上くだらないものを量産する有象無象に溢れた君たち、差は歴然だものな」
やっぱり…。
「おっと、ここでハイクが一句届きました!どれどれ?どうやらかなり前、第819回ジュニアハイク甲子園にて予選落ちしたもののようです!それでは早速詠んでいきましょう!
『おい母ちゃん カツにカレーは 無粋だぜ
できることなら 別々に食いたい
—投稿者:†天を震わす闘争の獅子†』
ぷっ…ぶふー!おや、なぜ君の黒歴史ハイクを僕が持っているかだって?そんなことを聞くのは野暮…いや、『無粋』だよ〜!ハハハハハハ!!!!」
こいつはムカつく!!!
「『♪茶々入れる てめぇの方が 無粋だろ』!!」
いつの間にか俺の口元にはマイクがあてがわれていた。叫ばれた俺の声はごうっと空間に拡散され、室内の隅々まで行き届いた。瞬間、血の気がさっと引く。やっちまった。嵐の後の、静寂が訪れる。次の嵐を前にして。歌をもろに喰らったバンキシーは、ゆらりと立ち上がった。
「おい」
たった一言発された声は、先ほどまでのちゃらんぽらんな態度とは一変して、地の底から湧き上がるような、とても恐ろしい響きを伴っていた。
「オマエいまぁ、オレの芸術バカにしたよな??オレのこと、無粋だっていったよなぁっ!?」
「い…いや、あんたがそうさせたんだろ——」
「許せねぇ」
首根っこを掴まれる。むぐっ、と苦しみに喘ぐ。バンキシーはそのまま俺の体を持ち上げようと力を加えるが、そこまでの怪力はなく俺の苦しみが募るだけだった。
「許せねぇうおおおおお!オレの芸術をこけにしやがって!今すぐあの世に送ってやるぅ!!!」
捲し立てられる剣幕が激しすぎて、『芸術は爆発だ!』などとステレオタイプな発言をしたって違和感がないほどだった。
「華々しく散らせてやるよ!!!!!!!!!!芸術は夢と希望の爆発だぁー!!!!!!!!」
「ほ、ほんとに言いやがった…!つか、誰か助け…」
ふっと、急に体が楽になった。バンキシーが、何か機械めいたクリーチャー群に取り押さえられている。
『マスター、おいたが過ぎるガオ』
『ケーッケッケッケ!マスター、オレよりバカになってやんノ!』
『こんなことが原因で殺しなんてたまったもんじゃないガウ。大人しくするガウ』
狐、狼、獅子の形をとったクリーチャーたちが、だだをこねるバンキシーをしっかりと組み伏せた。
「はなせぇぇぇぇぇ!!あのクソハイク野郎を始末しないとオレの気がすまねぇぇぇぇぇ!!」
『浅ましい精神性ガウね』
『そんなにハイクに暴言を吐いて、コジェリさんに離反されても知らないガオよ』
困惑する俺の横に、コジェリが進み出た。ちゃっかり分厚いヘルメットを被り、俺の歌の被害から逃れていた。
「彼らはゲーム・コマンド。バンキシー様の芸術に使われる、いわば画材のようなものだジェ」
「画材よりも本体の方が弱いってどうなんだ?」
「バンキシー様の力は規格外ジェが、魔力を封じられたらわりと雑魚だジェ。暴走を見越して、予め自ら封じておいたんだろうジェ」
取っ組み合いはしばらく続き、数分経ってからようやくバンキシーは正気に戻った。我に返るなり、彼は床に体を投げ出して頭を抱えはじめた。彼は喉奥から苦しみを絞り出す。
「ゔぅ〜。一応言っておくけど」
「なんだ」
「さっきまでのアレ、別に僕の本性って訳じゃないから。昔は多少荒んでたけど、あんなに阿呆ではないから。さっさと忘れて」
「はなジェぇぇぇぇぇ!あのクソハイク野郎を始末しないとオレの気がすまねぇジェぇぇぇぇ!」
「やめたれコジェリ。…『芸術は夢と希望の爆発だ』か…」
「君も僕をいじめるつもりなのか?」
「違う!5・7・5のリズムだったから職業柄反応しちまうんだ」
「それは最悪の病気だな。常にハイクを意識する生活だなんて、想像するだけで身の毛がよだつ」
こうピンピンしているのを見ると、コジェリを諌めなくてもよかった気がしてくる。
「…まあいいよ、ピースは揃った。Vi無粋くんの能力が十分に強力なこともわかった。魔力抵抗が高い僕だから数分ですんだ上記憶もぼんやり残っているけど、普通のクリーチャーはもっと狂乱するだろうし、記憶もきれいさっぱり消えてしまうだろうな」
それの何が重要なのか分からなかったが、バンキシーはむくりと起き上がって、またハキハキとした調子を取り戻した。
「これでやるべきことは決まったね。じゃ、行こうか」
「行くってどこだよ。もう事件は起きちまった、今さら何したって無駄だろ」
「無駄?本当にそう思ってるなら、君はどうしてここまで長々と事件について論じたんだ?」
言い返す言葉が見つからない。こいつはこうもおちゃらけてるのに、時々心の深いところに遠慮なく切り込んできやがる。
「Vi無粋くんとコジェリは、もう一度劇場へ調査しに行きたまえよ。手がかりはおそらくまだたんまり残ってる。僕はもう片方を調べる」
「もう片方?」
「そう。君たちが現場へ、僕が犯人へ」
まさか。
「おい、犯人って…」
「君が言ったじゃないか。闇カジノ『Venice』、行くしかないでしょ」
「危険だ!」
声を荒げた。
「やつらは相棒を殺すのも辞さなかったんだぞ!?カジノの中じゃゲーム・コマンドとやらも持ち込めねぇ!」
「——君の相棒が、まだ死んでないと言ったら?」
予想外の切り返しに、え?と思わず声が出た。バンキシーはそれを気にするふうでもなく、かつかつと足音を立て、エレベーターに向かう。
「あそこは紹介制だぞ。どちらにしろ入れねぇ」
「なら、無理にでも紹介して貰うさ」
最後にかけた言葉も虚しく跳ね返されてしまったまま、バンキシーはエレベーターの中に消えていった。
「じゃあね。君には期待してるよ」
直前に、そう言い残して。
これが俺とバンキシーの、最悪の邂逅の顛末だった。
3.解決編は ゲームの後で
エレベーターの空間転移は笑っちまうほど便利なもので、俺たちは1分と経たぬ内に劇場へ戻ることができた。バショウさんはもう一回調査することを快諾してくれたが、その折に衝撃的な事実を聞くことになる。
「カメラのような証拠はないがね、一応劇場に入ったクリーチャーなら全員把握しているよ。建物の周囲に簡単な結界を張っておいたからね」
「え!?」
話によると、アーティストたちの厄介なファンが押しかけることを想定して一応防犯に気を遣ってていたらしい。俺は昼も話を聞きに来ていたが、その時は詳しく事情を説明していなかったためわざわざ話そうとしなかったみたいだ。
「ずっと気を張っていたけどね、断じて予定していたアーティスト一行以外の部外者は入って来ていないよ。出た者までは感知できないから、ずっと劇場のなかで息を潜めていたのなら話は別だけど…。結界になんらかの手が加えられた時も感知する仕組みだが、そういうこともないしねぇ」
俺は礼を言って調査へ向かう。
ステージは今、また別のアーティストが使っているため裏口に回り、ホールを通って楽屋のある右廊下に出た。
「なるべく隅々まで調べた方がいいジェ。今度は手がかりを見落とさないように」
「ああ。まずは現場と思しき…ここだな」
廊下の突き当たり、右手の壁にドアがある。ドアノブを捻ると、軽く軋みながら開いた。特に何の変哲もない、ましてやここで殺人が行われたなんて思えない空間が広がっていた。壁面には鏡が5つ並び、壁からせり出るように備え付けられた台に、鏡と同じ数の椅子。中心部には大きめの机と、これまた椅子がたくさんある。サケビはここで仮眠をとっていた。
「俺が見た死体の位置はここらへん。中心の机と扉の間ぐらいに、仰向けで倒れてた」
屈んで床を指差し、状況をコジェリに説明する。
「なるほど。血液の反応を調べておくジェ」
コジェリは触手の一本に握ったライトを照らし、床から壁、天井まで念入りに調べるが、それらしい反応は何もなかった。
「それ、建物内でちゃんと機能してんのか?」
「これは魔術というより科学の産物ジェ。リヴァイアサンの骨とかアンチスペルフィールドとかも関係ないはずジェが…」
一応俺の傷を照らして貰うと、問題なく緑色がぼうっと浮かび上がった。ライト側の問題ではないとすれば、血液の反応が見られないのは床か血の問題だ。とすると、床になにか細工がされているとか。そこで、思い当たるものがあった。
「そうだ…壁紙!」
ホールへ戻る。奥の方には機材やらよく分からない材料やら、改装に使われた色々なものが所狭しと積まれていており、ちょっとした物置みたいになっていた。俺はその内の、角によりかかっている天井近い高さの丸まった紙束に近づいた。
「コジェリ、これ調べられるか?壁紙かなんかだと思うんだ。性能によっては、これを床に貼り付けて血の反応を誤魔化せるはずだ」
「ふむふむ。84年前ハウス・ディネロ社が発売した『簡単密着壁紙〜高貴のホワイト〜』だジェね。切ってあてがうだけで即ぴったりキレイに貼り付く上、元の壁と一体化してつなぎ目・質感の違和感が消えるというとても取り回しのいい代物だジェ。確かに偽装工作にはうってつけジェが、床の色とは違うジェ」
「わからないぜ。元々床の色と同じ壁紙がここにあった可能性もある。俺を気絶させ、サケビの死体を移動させ、その上で壁紙を床に貼り付けて血痕を隠蔽。偽装工作がバレないように、床色の壁紙だけ外に持ち出した」
「ちょっと確率は低そうジェね」
「でも、試してみる価値はある」
楽屋に戻り、床を爪で強くひっかいた。商品説明によれば、破れるほどの衝撃が加わると素材と壁紙の同化が一時的に解除されるらしい。さあ、どうだ。
「…何も起こらないジェね」
試みは、床に無駄な傷が一つついただけで終わった。予想はしていたが、肩を落とす。じゃあどうやって血を消したんだ?
確実に、犯人は何かを偽装したはずなんだ。考えられるものはなんだ?床。血。…犯行現場。
「念の為、他の楽屋を調べるか」
「その前に、Vi無粋様」
コジェリにちょいちょいと腕をつつかれ、彼女の触手が指した先を見る。現場の楽屋に至る少し前の壁、緑色——血液の反応が浮かび上がっていた。
「…マジか」
反応は一点だけではなかった。点々、点々と続き、そう多い量ではないものの、明らかになんらかの作為によって血の跡が生まれたことが分かる。よく見ると、血のついた部分はほんの僅かに窪んでいた。
「この建物の壁には衝撃吸収機能もあるジェ、見た目よりずっと強い力が加えられたんだと思うジェ。血のつき方から推測するに、この血の主は壁を全力で殴るか蹴るかしたと考えられるジェ」
「ここで乱闘があった…?」
血液の反応の中心は、俺たちの楽屋の一つ前の部屋のようだった。ここは改装されておらず、埃っぽいから入るのはおすすめしないと言われていたが。
「よし。行くか」
扉はぎぃ、と強く軋む。そして俺はその先の光景に、しばらく言葉を失った。
「…これは…何があったのジェ」
室内は聞いていたように埃っぽくはなく、机と鏡・椅子もあった。だが、決定的に他の楽屋とは違っていた。壁にはいたるところに亀裂が入り、その内いくつかはどう見ても自然にできたものとは思えないほどぼろぼろで、細かいガレキと粉が一部床に溜まっている。机と椅子は無秩序に散乱しており、暴漢でも入って来たのかとでも思うような崩壊具合だった。電気は通っていないのか、はたまた電球が壊れているのか、スイッチを入れても明かりは点かない。
「しかもなんだこれ…機械?」
メカメカしい部品のような金属が破片となって撒かれていた。他に、キラキラとした鋭い切片もある。切片の光沢には見覚えがあった。CDの裏面だ。
「金属の方はラジオ、その光っている破片はCDの残骸だジェ。CDの表面は真っ白で、なんのものかは分からないジェね。復元も難しそうジェ」
ラジオとCD?もう本当に訳が分からなくなってきた。脳みその中でこねくり回した推論が、砂城の如く崩れていく。コジェリがライトを照らすと、またしても点々と血液反応が見えた。しかし、俺が見たサケビの出血量にはほど遠い。ここにサケビがいたとは考えにくい。
「コジェリ。この事件の真相分かるか?」
「言葉を選ばず言うなら、全く分からんジェ」
「…まぁ、そうだよな…」
「ただ、妙なところをまた一個見つけたジェ」
蠢く触手群が壁を指す。
「壁についた血の跡と窪みについてだジェ。サケビ様の血は巧妙に隠されているのに、こっちが隠蔽されていないのは不可思議だジェ。ここの壁と、ホールにあった壁紙は色も一致しているし隠蔽は難しくないはずだジェ」
なるほど、と俺は口の中で唱える。隠されていないことが不自然…確かにそうだ。隠されていない、それはこの部屋の異変についてもそうだ。中にあるものはめちゃくちゃに散らかっていて、壁には亀裂が…。あれ?
「おい。なんで、この部屋の壁はこんなにボロボロなんだ?」
「なんで、と言われましても困るジェ」
「この建物の壁には衝撃吸収性能が備わってたはずだ」
そこまで言葉を続けたことで、コジェリは俺の言わんとしていることを理解したようだ。
「異変部屋の壁と廊下の壁、どっちも殴られてるだろうになんで異変部屋の壁だけが傷ついてる?おかしいと思わねぇか、コジェリ。…コジェリ?」
小さな助手に向かって話しかけるが、その先には誰もいなかった。ぐるっと辺りを見渡すが、コジェリの姿はどこにもない。
「お…おい。コジェリ——?」
「ここにいるジェ」
異変部屋の方から声がした。そちらを覗くが、またしても無人の景色が広がるばかり。しかしやがて、空間を切り取るようにくっきりと輪郭が浮き出て、徐々に透明度が下がっていくように、コジェリの姿が現れた。
「なんだ、驚かせやがって」
「本当に驚きだジェ。この部屋の中、透明化が使えたジェ」
語られた情報にこちらが反応する前に、コジェリは異変部屋のスキャンを始めていた。
「やっぱりだジェ。この部屋の壁だけが、特別な術式も材料も組み込まれていない普通のものだジェ。ここでなら魔術の行使が自由自在ジェ!」
待て。魔術が使える、だと?つまびらかになった新事実に、俺の体は雷に打たれたようなショックに襲われたが、傍目から見れば緩慢とうつむいたようにしか見えなかっただろうし、その理由も解されないに決まっていた。
魔術が、使える部屋。
…ラジオと、CD。
気絶した、俺。
ああ…。
『大変ガウね』
「うおっ!?」
真実の切片を手に入れてしまった感傷が、猛スピードで吹き飛ばされていく。足元に、タワー内で見かけたゲーム・コマンドがいた。
「おまえ、狼の…」
『芸魔悪狼ヘルギャモン、って名前ガウ。マスターの緊急要請が届いたガウ、タワーに戻るガウ』
「緊急要請…?今大事な調査をしてんだが」
『んなこと、どーせ大した成果でないガウ』
生意気なゲーム・コマンドはシニカルにセリフを吐き、何ら断りを入れず俺をひょいと背に乗せて走り始めた。どいつもこいつも、俺を振り回すのが好きすぎる。辟易した気持ちと同時に、こうしたはちゃめちゃに巻き込まれていくことに慣れつつある自分があった。
裏口の先に出現したエレベーターに乗り込むと、ほとんど間を置かずにタワーの中に帰還する。
『これを見るガウ』
室内に大きなモニターヴィジョンがぱっと現れた。何かの映像が流れはじめるが、カメラの視点が低いのか、映し出されるのは錆びついた鉄のような色合いをした地面と壁ばかり。おもむろに映像が動き、今起きている事象全体がしっかりと画角に入った。狭い部屋の中、取調室のような無機質な机を挟んで2人のクリーチャーが対峙している。その脇では、大柄な人型クリーチャーがトランプをシャッフルしていた。
『ようやく準備が整ったぞ。さあ、はじめるぞ』
向かい合うクリーチャーの内、仮面を被った小柄なやつがそう言った。
『オーケー、望むところだよ。Veniceの会員権、今のうちに準備しておいてね』
剣呑とした雰囲気の中で対立する、もう1人。バンキシーは、飄々とした態度で受け答えた。
4.ババ抜き/丁半博打
光文明に連なる摩天楼は、僕の目から見るとけばけばしく見えた。でも、もしこのビル群全てを滅茶苦茶にするような戦闘が起きたなら、それは楽しいことだろうと思う。ゴルギーニ・タウンの中枢から少し外れた路地裏に、目当ての店はあった。ひっそりと建っているバー「ゴールデンタイム」に入り、サイバーロードの店主に「ドリーム・ジョニーのロック」を頼む。それが合言葉になっている。
こっそりと地下に通され、湿気た匂いがするドアを開くと、そこには豪勢なカジノが広がっていた。ボーイに金を渡し、チップに変換。僕の、分厚いフードに両手の拘束具といった風体は比較的めずらしいが、それ以上にめずらしい派手なクリーチャーたちがここには蔓延している。怒号と歓喜の声、カードをめくる乾いた音に玉が転がる音。飛び交うセッションの中で、まずは何も考えず金を使う。ここは「Venice」とは全く関係のない賭場だが、複数の店に通っているギャンブラーは多い。そしてそういう奴らの多くは、金の気配を的確に嗅ぎ取ってくるものだ。遊びに興じながらじっくりと客を観察していると、立ち振る舞いが他とは違う者が寄ってくる。それらに着目すると、明らかに異質な存在が紛れ込んでいた。
アビスロイヤル。目当てが思ったよりも早く見つかった。僕は自然な動きで彼に近づき、何気なく言葉を交わす。相手のアビスロイヤルは細身かつ少し小柄。服飾と仮面で誤魔化してはいるが、全身からほんのわずかに漏れる深淵の瘴気だけは隠しきれていなかった。金払いが良い印象を刷り込ませた上で、切り出す。
「ここもいいけどさぁ、もっと熱中できる賭場が欲しいなぁ。色んなとこ巡ってるけど、ここだ!って感じがする場所には出会えない。そう思わない?」
僕が参加しているルーレットの玉が、からからと転がる。
「規制があるのは理解してるけどさ、最高の賭場を作り上げようって気概があるクリーチャーは今時もういないのかって悲しくなるよ。こんなんじゃ」
一点賭け。権力のコイン、1万枚分。
「金が有り余ってしょうがないよ」
権力のコインは、1000枚もあれば数年は遊んで暮らせる。他の文明のコインと比べて遥かに価値が高いのは、富を重んじる光文明だからこそ起きる事象だ。
ルーレットは、当たるはずもなく呆気なく外れる。じゃあもう一回賭けてやるか、と言って当然のように懐から同額のチップを取り出すと、流石のアビスロイヤルも目を丸くした。
「待て、汝。余程賭け事を好いていると見えるぞ」
「うん?そりゃあ大好きだ!先行き不透明なものに身を委ねるスリルは最高だものな」
快活に笑って見せた。
「ならば良い賭場があるぞ。少々時間をいただくが、宜しいか?」
少年のような高い声が聞いてくる。僕はその提案に喜んで無条件に飛びつくでもなく、承諾しながらもわずかに警戒をにじませる演技をした。まんまと騙されてくれたのだから、僕の演技も中々堂に入っていると思う。2人バーを出て、また複雑な路地裏を進んで行き、一際暗く湿った箇所に来ると、アビスロイヤルは足を畳んで床のマンホールに何やら操作をした。フタが消え、ぽっかりとできた虚空が僕を誘う。
「入れ」
通されたのは、狭い小部屋だった。入ってきた時の感覚的に、あのマンホールにはワープゲートが仕込まれていたようだ。カジノの場所を特定されないための工夫だろう。錆色が目立つ少々不気味な部屋の中には、小さく簡素な作りの折り畳み机と、パイプ椅子が2脚。一面は牢屋のような鉄格子に覆われ、その向こうでは僅かにカジノ特有の喧騒が聞こえる。角に鉄筋の棚があり、それを眺めるもう1人の大柄なアビスロイヤルがいた。
「ゼンゼンマ、客人を連れてきたぞ」
大柄の、ゼンゼンマと呼ばれたアビスは振り向いた。道化じみた奇抜な格好で、小柄な方のアビスと似た、これから舞踏会でもするかのような黒い仮面を被っている。
「おお、これはこれは!こんなところまでご用とは、つまり『Venice』入会希望者ですな?わたくしは『トランプ=ランプゼンゼンマ』、Veniceにてディーラーを務めさせていただいております。無駄に長大な名前ですゆえ、気軽にゼンゼンマと及びください」
巨躯が小さく見えるほど、ゼンゼンマは深くお辞儀をした。
「早速ご紹介しましょう。こちらが入会費、こちらがカジノのシステムの説明書となっております」
2枚のプリントを配られる。特筆すべきは入会費で、普通のクリーチャーにも払えなくはないがかなり高い金額だ。彼らのやり口が分かってきた。
「おっとお客様、入会費が高すぎる!とお思いになったでしょう?ご安心ください、すぐにチャラになりますから!」
「ゾーに勝てれば、の話だがな」
小柄が口を挟む。
「ここに来て貰ったのは他でもない、入会における軽いテストのためだ。今から汝はゾー…この『ドミー=ゾー』と簡単な勝負をしてもらうぞ」
ゾーは棚から1束のトランプを手に取った。
「その勝負いかんによっては、入会費の免除だけでなく、持ち込めるチップに色をつけてもらえるぞ」
「逆に、勝負の結果次第じゃ金だけ払って大人しく帰るはめになるのかな?」
「まあ、そうなる可能性もあるぞ」
トランプはゼンゼンマの手に渡され、ちゃっちゃっと音を立てながら念入りにシャッフルされる。
「今から行われるのは、トランプのうちジョーカー1枚を除いた53枚で行われる至極簡単なゲーム。『ババ抜き』でございます」
ディーラーは静謐に告げた。
「ルール説明に入らせていただきましょう」
……
ルールは通常のババ抜きと同じ。ディーラーが1枚ずつトランプを配分後、各プレイヤーは同じ数字のペアを全て捨てる。後は1枚ずつ互いの手札を引き合って、同じ数字のペアができたらそれを捨てる。手札が先に0枚になった方が勝ち、最後にジョーカーを持っていた方が負け。
「ただし、一つだけ特殊なルールがございます。相手からカードを引くたびに、こちらを賭けていただくのです」
ゼンゼンマは、机上にからん、と1枚のコインを置いた。闇文明が有する不幸のコイン、それに赤いラインの加工が施されている。
「こちらは特殊なマーキングを施した不幸のコインであり、Veniceにおけるチップです。1枚で権力のコイン10枚分の価値があります」
Veniceにおけるゲームは、このチップを使ってでしか行うことができない。そして、チップの保有数に応じて挑めるゲームの幅が広がっていく仕組みだ。
「いずれかのプレイヤーが相手のカードを引いて、数字のペアができなければそのままに、できればそれらを捨てる一連の流れを1ターンとします。そして1ターンごとに、チップが500枚賭けられます」
「随分大きな額だね」
「はい。もしお客様が勝利すれば、こうして蓄積されたチップは全てお客様のものになり、カジノの中に持ち込み可能になります上、入会費も免除されます。しかし、もしこちらのゾーが勝った場合は、入会費に加えこれらのチップの負け分を支払っていただくことになります」
ゼンゼンマは当然のように言い放つ。
「なおかつ、カジノ内に持ち込めるチップの枚数は負け分の半分となってしまいます。もちろん、入会費が払えないならば負け分は負債になっただけで終わりです。以上が基本的なルールとなります。よろしいでしょうか?」
僕はゆっくりと頷いた。見え透いた仕掛けだ。敗北後、もし入会しなければ負け分はそのまま損になってしまう。取り返すにはカジノで一発当てなければ、しかし入会費まで払えない…そんな状況に置かれる。そこで、入会費の支払いを猶予しよう、と持ちかけるのだ。多くの人は喜んでそれに飛びつくだろう。あるいは、もっと金を持っている明白な富豪相手ならわざと負けてやり、カジノにのめり込ませる算段なのかもしれない。どちらにせよ、胴元にお金を落とすマシーンを簡単に製造できてしまえる。
「そう身構えることはないぞ。テストとはいえ、余興のようなものだ。気楽にやればいい」
ゾーが言った。1ターンに賭けられるチップの数は、客の経済力を見繕って決めているのだろう。ゼンゼンマの説明中、ゾーが僕の後ろでサインを送ったのを見逃さなかった。周到なものだ。
「それと、このブレスレットの着用をお願いします」
机に2つ、ブレスレットというよりはバンドに近い簡素なデザインの腕輪が置かれた。
「こちらは魔力を感知した場合音が鳴る装置です。失礼ながら、魔術によるイカサマが頻繁に行使される傾向にあるので、これが鳴ったら即敗北とさせていただきます。また、それ以外のイカサマが行われた場合はディーラーは感知しません。プレイヤーがイカサマに気がついて指摘すればやめさせますが、遡及処罰は行われず、ゲームのやり直し等も認められません。ゲームは一回、真剣勝負でございます。最後に、暴力は禁止。以上です」
カードが1枚ずつ、流麗な手つきで配られていく。
「それにしても、ちょっと意外だね。カードの勝負なら、あなたよりもそこのゼンゼンマくんの方が強そうに見える」
「これはこれは、痛いところを突かれてしまったぞ。しかしまぁ、彼はあまりに強すぎるのでね」
ゾーから漏れ出す瘴気が僅かに強まった。
「勝負にならないだろう?」
舐めやがって——僕は内心悪態をつきながら、小型のレオジンロを透明化させた上で床に放った。こっそりタワーのゲーム・コマンドに緊急要請を入れておく。通信にも魔力を使うから、ブレスレットをつけてからは自由な連絡もままならなくなるため、あらかじめ手を打っておく。カードが配り終わり、僕らはブレスレットを装着した。
「それでは、ゲームスタ…」
びりり。緊張した空気が引き裂かれていく。
「あ〜、ごめん」
わざとらしく、憎たらしく。
「このトランプ、脆弱すぎて破けちゃった」
びりっ、びりっ、びりりと、手札を次々に破く。そして、破り終えた後の細かな紙の切れ端をパッと放った。紙吹雪が舞う間、ゾーもゼンゼンマも呆気にとられていた。
「う〜ん…なんで破けちゃったんだろうなぁ。紙から腐った臭いがしてたし、そのせいかもなぁ。だってさ、このトランプはゾーくんが選んだものでしょ?カードに触れたのもそちら側のディーラーさんだけだし。なんかさ、臭っちゃうよね。腐ったイカサマの臭いがぷんぷんとさぁ」
僕は机の上に大仰に足を乗せて組んだ。
「それでさ、なんだっけ?カードを破るのは、反則事項に含まれてたっけ?」
相手に喋らせる間を与えず、僕は続ける。
「使うなら、棚にあるその新品のものを使ってよ。それなら変な臭いがしないからさ、多分紙も破れてしまわないと思うな」
「…了解しました、そちらのトランプを使いましょう。また、お客様がお望みであればカードの配布前にプレイヤーたちでデッキカットを行います」
ただし、とゼンゼンマは付け加える。
「これ以降カードを破損させる行為は反則とさせていただきます。よろしいですね?」
「うん、それでいいよ」
「ゾーも異論はない」
体の大きなディーラーは背を曲げてトランプの残骸を素早く回収する。僕が指定したトランプをシャッフル、ゾーも軽く混ぜ、最後に僕がデッキカットした。
「さぁ、カードを配りましょう」
……
ゾーは目の前の男のことを測りかねていた。賭場で会った時はよくいるギャンブル狂いの成金に見え、遅かれ速かれ借金まみれに堕ちるだろうと思った。だからこそチャンスを逃さないためにVeniceへ招待したのだが、今の振る舞いにはそういったこちらの油断を掻き消すほどの凄みがあった。とはいえ、カードを破ったパフォーマンスは少々過剰。彼からは舐められたくないというプライドの高さが垣間見える。いずれにせよ、何をしようとどんな手段を使おうと、ゾーの勝利が揺るぐことはない。
カードが配布され終わる。
「ようやく準備が整ったぞ。さあ、始めるぞ」
「オーケー、望むところだよ。Veniceの会員権、今のうちに準備しておいてね」
ゲーム開始の合図が出された。
「お、結構揃うもんだね。プレイヤーは2人だけだから当然だけど」
相手は呑気にカードを捨てていく。2枚、また2枚。ゾーもカードを捨てていった。2枚、2枚、2枚…。
互いにカードを捨て終わると、相手が8枚、ゾーが7枚という構図になった。ジョーカーは相手が持っている。
「ゾー様からターンを始めてください」
時間はかけず、さっと1枚引いた。♡9が手元にやって来たため、♧9と共に、捨てる。
「せっかちな人だね」
野次が飛んでくるが、無視。捨て場の横に500枚チップが貯められた。
「僕のターンか。気楽なものだね、どれを引いてもいいんだから」
♤Kが抜かれた。彼は余裕綽々な態度で♡Kと一緒に捨てる。チップの合計、1000枚。
「予言してやるぞ。お前は、ゾーに何もできず負ける」
軽く挑発した。プライドの高いカモにはこういう言葉が案外効く。相手が何か言いかけたが、間髪開けずにカードを引いた。Aのペアを手札から捨てる。
「その言葉、よく覚えておいてね。僕が勝った時、たっぷり悔しがって欲しいから」
軽口を叩きながら、相手は手札から5のペアを消した。チップ2000枚、手札はゾーが3枚、相手が4枚。ゲームも佳境に差し掛かって来た。ゾーのターン、ジョーカーを引く確率は4分の1。ゆっくりと選別するように手を這わせる。もっとも——ゾーにはどこを引くべきか分かっているのだが。
「ここだ」
カードを引かれた相手の顔が、僅かに歪む。対して、ゾーは密かにほくそ笑んだ。7のペアが、捨て場に送られる。
「中々運がいいみたいだね」
「読み勝った、と言って貰いたいぞ」
相手はゾーから4のカードを引き、捨てる。いよいよ終盤。ゾーの手札は1枚、相手は2枚。その内のどちらかはジョーカー。相手が生唾を飲む音が聞こえる。彼は祈るようにカードを深く握り込み、上端だけが手のひらから覗いていた。そう、もっと感じろ。もっとおののけ。ゾーはそうやって追い詰められ、今まさに倒れようとしている者の最期の瞬間が大好物なのだ。そしてゾーの勝利は揺るぎない。これは2分の1の勝負ですらなく、汝は確実に敗北する運命にある。汝がイカサマを疑ってトランプを変えさせたところまでは良かったが、棚のトランプを指定したのは失敗だったぞ。なぜならこの部屋に存在するあらゆるトランプは、ゼンゼンマ氏が作った特製のイカサマトランプなのだ。種は簡単、裏面の上下の端に存在する模様が54枚それぞれ、ほんのり違っているのだ。ゼンゼンマ自身はイカサマなしのトランプでもカードを判別可能なバケモノだが、ディーラーとして試合を眺めるやり方を好む変人なためこのような手法をとっている。汝の手からひょっこり飛び出たその一片だけで、カードを判別するのは容易い。ゾーから見て右のカードが、ジョーカー。左のカードが、♡J。ゾーはたっぷり焦らし、のろのろと手を伸ばした。ジョーカーを掴むと、相手の腕が僅かに震えた。
「よし、ゾーは決めたぞ」
指を左にスライドさせる。つん、と押しただけで。たったこれだけのイカサマで。ドミノが次々に倒れるように容易く。
「こちらだ」
敵は陥落する。カードを勢いよく引き抜いた。これにてゾーの勝利は美しく彩られた。ゾーは引いたカードを表にする。
「フッ、フフッ」
相手が意地悪い笑い声を出した。
「やっぱり思うんだけどさ。逆転こそがカードゲームの醍醐味だよね」
ゾーが引いたカードは———ジョーカー。
「…バカな…」
確かに♡Jを引いたはず。裏面を確認する。模様は完全にジョーカーのものだった。さらに相手の手札を見ると、裏面の模様は♡Jのものへ変わっていた。ありえない。カードをすり替えた?いや、間違いなく相手はカードを全く動かしていなかった。どうして、どうやって、裏面の模様を入れ替えたのだ!?
「じゃ、今度はこちらの番だね」
咄嗟に身構えた。まだだ。まだ大丈夫、負けてはいない。引けるはずがない。相手の指がやわらかくカードをなぞり、ゾーの心までも震わしていく。引かれる。引かれてしまう!
「じゃーん。しめてチップ3500枚、しっかりまとめていただくよ」
揃ったJのペアを捨て、彼は言った。ゾーの手の中に残されたジョーカーが、はらりと落ちた。
……
拘束具のクリーチャーは、金で換えた1500枚と、ババ抜きで手に入れた3500枚、合計5000枚のチップを持ち出して鉄格子の向こうへ消えた。チップの所有枚数が3万枚を超えない限り、勝負できる場は限られているが、彼ならばそれすらもすぐ達成してしまえるだろうという予感があった。わたくし自身、見ていてあれだけぞくぞくした試合は久しい。
「ゼンゼンマよ、種を明かしてくれ。彼は一体どういうカラクリを使った?」
ゾー氏が机に突っ伏したまま聞いてくる。彼の敗北もまた久しい出来事だった。ゾー氏はこれでいて負けず嫌いなので、内心拗ねているに違いない。
「カラクリと言っても至極単純でしたよ。彼の仕込みは、トランプを破ったあの時。彼は袖にカードの上端の切れ端を2枚、隠しました」
「…カードの切れ端?」
わたくしは頷く。
「驚くべきことに、彼は裏面の模様のイカサマにあの時点で気が付いていたのでしょう。さらに部屋内全てのトランプに同じ仕掛けが隠されていることまで見抜いた。そして配布された手札の内、ジョーカーと♡Jの切れ端を保有、別のデッキを要求する。後は最終局面、ゾー氏が2枚の内どちらかを引く時、上端の切れ端を本物のカードの上端にぴったりあてがうだけで、偽の模様を相手に見せることができる。ジョーカーに♡Jの切れ端を、♡Jにジョーカーの切れ端を合わせることで。もちろん、切れ端とカードが重なっているつなぎ目を見せないよう深く握り込んでね」
胸の前で手を握るジェスチャーをすると、ゾー氏は不満気を隠そうともせず眉をひそめた。
「仕上げに、ゾー氏がカードを引く瞬間、切れ端を手の中に滑り込ませれば完了。これはよくあるマジックのテクニックですね。さて、次のターンに引き返す時は簡単、カードの模様を見てジョーカーでない方を選ぶだけ!違和感なく切れ端を合わせたり、切れ端を回収したりする様は本当に美しくて心が踊りました。わたくしはこういうのを求めてたんですよ!ぜひ彼との勝負にもう一度立ち会いたい…!」
「待て。納得できないぞ、ゼンゼンマ」
「はて?」
ふん、と鼻を鳴らして我が同胞は語る。
「手口は分かったが、それでもおかしいぞ。その方法なら、彼はゲームの最後に残るカードを知っていなければ成り立たないだろう。最後にダミーを使う際、その場に存在しないカードの模様があったら不自然に思われてしまうからな。ジョーカーを持っておくのはまだ分かる。相手に配られた場合はそれを避けてカードを引き続ければいいだけだからな。ゾーがやろうとしたように」
ゾー氏は仮面を取って腕を組み、腑に落ちないことを整然と述べていった。
「だが、♡Jはどうだ?奴はあれが残ることなど知り得ることはできないはずだ。単純な確率で、52分の1だぞ。まさか何十枚も切れ端を袖に隠したわけじゃあるまいし」
「なんだ、そんなことですか」
そう言うと、ゾー氏は眉間に深いしわを刻み込んでわたくしを睨んだ。
「いやいや、思い出してくださいよ。彼は最後にデッキカットを行ったでしょう?その時にちょちょいと山札をいじって、♡Jとジョーカーを手札に引き込んだのです。ジョーカーをゾー氏に渡さなかったのは、ジョーカーを引いてもらう方がターンが稼げて、チップを釣り上げられるから。その上ゾー氏はカードを引く時、ジョーカーさえ避ければいいと思って、彼が引かれるカードを誘導するために手札を混ぜたのを特に警戒しなかったでしょう?彼は、♡Jが残ることに賭けたのではありません。自ら、♡Jを残しにいったのですよ。総じて鮮やかな…芸術的と称してもいい手際でした」
「…そんなことできるわけ…いや、確かに… 」
話を終えると、ゾー氏はそれでもまだぶつぶつと口の中で独り言を転がし、最終的に立ち上がった。
「…よく聞いておけ、ゼンゼンマ。これは波乱の前兆だ。あの男が何者かは知らないし、勝とうが負けようがどうでもいいが、絶対にこれから嵐が巻き起こるぞ。ドミノと同じ、こういうのは一つの展開がまた次の展開を呼ぶ…そしてどこで止まるか、どこに倒れるか分からない。場合によっては、アルトゥス様のお手を煩わせかねない」
「ええ、よく承知していますよ。せっかく超獣たちに取り入って、水面下でアルトゥス様をサポートできる体勢をここまで整えたのです。そして早速役に立つ時が来た。サケビ・ポエムシャウター様の排除という形で」
他の遊撃の六騎士たちにも急ぎ一報を入れておくべきだ。拘束具のクリーチャーに気を付けて、そして勝負は録画しておきなさい、と。わたくしが個人的に後で観るために。
それにしても、彼は本当に愉快だった。
『会員登録にあたり、お名前と連絡先をお聞かせください。ペンネームでも構いませんよ』
『名前?う~~ん…』
『じゃ、資金が倍々だと嬉しいから『バイシキン』でよろしく』
バイシキン。バンキシイ。バンキシー。意図したものか偶然か、どちらにせよ面白いものが見られそうだ。
……
「…これ、無茶ぶりじゃねぇか?」
俺はモニターを見てつぶやく。カメラ役のレオジンロは何やら重大な対決をしていそうだったバンキシーを置いて、鉄格子の間をくぐり抜けカジノ内の様子を映していた。そのまま一目散に走って、あるものを画角に捉え、信号を用いとある指示を出してきたのだ。それを利用してどうするのかは分からないが、悪巧みの気配がした。
「ギャンブルで勝つために必要なんだと思うジェ。早速とりかかるジェ」
「そもそもよ、いちいちギャンブルで稼ぐ必要あんのか?バンキシーのことだ、金なんていくらでももってそうだけどな」
「そうでもないジェ。バンキシー様の全財産は、権力のコイン3万枚分。1万枚はゴールデンタイムのカジノで使っちゃったジェ、Veniceのチップにして、残りたったの2000枚程度しかないジェ」
それでも充分すぎるほどの貯蓄があると思うが、確かにこのカジノで生き抜く軍資金としては少し心許無く思える。
「しかも全部贋金ジェ」
「おい!経済ぶっ壊す気か」
「バンキシー様はあくまで社会への挑戦として戯れに作っているだけだジェ」
コジェリはとぼける。
「レオジンロが撮ったカジノの説明プリントによれば、チップ保有数1万枚以上で『アカシック・パラダイス』という特別対戦型ギャンブルに、3万枚以上で胴元に直接『チェスト・ポーカー』というゲームを挑めるようになるらしいジェ。まずは1万枚を目指して常設のゲームを戦い抜くことになるジェ」
「胴元に勝てば、事件の真相が明かされるかもしれないってことか。この指示からして、次に挑むゲームは…『丁半博打』。不安しかねぇな」
……
ついにVenice内部に入り込んだけれど、まさかアビスロイヤルたちが仮面もつけずに堂々とゲームを仕切っているのには驚いた。遊びに興じる参加者たちの目はぎらぎらと輝いていて、綺麗なほどに磨かれた執念があった。アビスの存在を気にしないほどに腐敗したクリーチャーばかりだったとは思わなかったが、まぁ、どうでもいい。調べるべきことは他にある。僕は広い会場を歩き回り、ゲームの様子を観察する。
常設のゲームは、一通り揃っているトランプゲームを除き4つ。
「ドミノ・キング」。自分のドミノの宮殿の完成を目指しつつ、相手のドミノを倒して妨害。特殊効果のあるドミノを交えた対戦型ボードゲーム。
「アームズ・ダーツ」。通常の矢を投げて獲得するのは、得点の代わりに剣や銃などの武器を模した特別な矢。特別な矢によって初めて得点が得られ、さらに当たった場所・相手の得点との兼ね合いで特殊効果が発動する。それらを駆使して相手より高得点を狙うゲーム。
「ルーレット・ビリヤード」。ビリヤードの試合を行いつつ、球が落ちるとルーレットが始まる。落ちた穴の位置・球の番号によって確率が変動する。
そして「丁半博打」。僕のお目当てであり、ルールは何の変哲もない丁半博打そのまま。カップ状のつぼの中で2個のサイコロを転がし、出目の合計が奇数か偶数か当てるゲーム。
透明なレオジンロが駆け寄ってきた。どうやら準備が整ったようだ。僕はレオジンロの元に転送された仕込み——一見変わったところがないサイコロ2つを持って丁半博打の場へ赴く。遠目から見ていたが、盛況かつ参加者たちが和気あいあいとひしめいている他のゲームと違って、ここだけは異質だった。客の誰も、そこに近寄る気配がない。つるつるの床を侵食するように敷かれた4畳くらいの畳に、サイコロを依代としたアビスロイヤルが正座して座っている。彼の傍にはいくつかのサイコロの入った巾着袋とつぼが置かれているだけだ。サイコロは黒く、鈍い光沢が高級感を演出している。近づくと、立方体の形をした頭の奥にある光源がこちらを向いた。
「お!もしかしてジブン、この博打に興味があるんかいな?ええでええで、歓迎や!」
気さくに話しかけられた。顔は無いが、大きな身振り手振りが表情豊かに思わせる。
「ここ、丁半博打で合ってるよね?誰も参加者がいないから、ポツンと座ってるただの変人かと思ったけど」
「ヤハハ!!変人か、よー言われる言われる!最近のわかもんは丁半なんて古臭いもんに興味があらへん。1日数人くれば良い方やな!ほな、座れ座れ!」
僕はお言葉に甘え、あぐらをかいて彼と対峙する。
「ワイは『サーイ=サイクル』。よう覚えとき!あ!今ジブン、ワイの口調変やと思ったやろ?他のアビスども、いっつもごっつう肩に力入れて畏まっとるからなぁ。ええやろ、ラギルップゆーワイん仲間の口調が愛らしゅうて真似しとんのや。ワイの見た目は全然愛らしくないって?やかましいわー!ヤハハ!ジブン、名前は?」
「バイシキン。付き合いは長くならないだろうけど、よろしく」
「ヤハ!倍資金?夢ある名前やなー!偽名でも通えるの、このカジノのよう分からんとこよな。ま、名前なんか知らんくとも、負け分誤魔化そうとするヤツは地の果てまで追いかけたるがな」
どすをきかせて言い放たれたが、すぐに声色は快活になった。
「そんじゃあバイシキンはん!丁半のルールは知っとるか?」
「大体は」
「まあ念の為ルール確認しとこか。まずはこう、つぼの中に賽子二つ放り投げる」
サイクルのサイコロな右手が変形し、立方体が連なった手のひらができた。からから、と中でサイコロが舞う。
「んで、こう地面に伏せとく訳や」
ぱん、とつぼの口が畳に塞がれた。
「後はワイが『丁か!?半か!?』ゆーて聞くけ、ジブンが丁か半かで答える。で、つぼを開けて、出目の合計が偶数なら丁、奇数なら半。当たれば賭け金は2倍になって戻ってくる。外れれば一文なしや。え〜、丁!」
つぼが開けられる。出目は2と3、半だ。
「サニの半!あー、外れてもうた!まあこんなもんや。どや?簡単やろ?」
「流れは了解したよ。じゃ、さっさとベットに…」
「ああ待ちや、バイシキンはん」
チップに手を伸ばしたところで、サイクルに止められた。そしてここに、丁半博打に人が寄りつかない最たる理由が語られる。
「この勝負、オールインしか受け付けへん。持ち金2倍かすぴんかんか、挑めば待つのは二者択一や。そこんとこ、よろしく」
誰もこんな勝負受けたがらない訳だ。大金を持っていたならリスクが大きすぎるし、少額ならリターンが少ない。一発逆転狙いの輩がワンチャンスを夢見て挑むくらいだろう。僕とて、負ければ大損だ。
「ワイはなぁ、魂揺るがすようなひりつく勝負がしたいんや。全てを得るか、全て失うか。そんくらいの覚悟あってこそ真の博打屋やろ。どみの・きんぐやら、あーむず・だーつやら、ややこい変則ルールなぞハイカラなだけや。勝つも負けるもたったのニブイチ、ここに博打のぜんぶが詰まっとる!!覚悟と覚悟のぶつけ合い。先が読めない真剣勝負。怖気づいたなら帰ってええよ」
「安心してくれよサイクルくん。僕はハナからそのつもりさ」
僕は5000チップを畳に叩きつけた。いひひ、といびつに捻じ曲がった音がサイクルから溶け出した。
「ええよ。じゃ、はじめよか」
「待ってよ。実はさっきゾーくんとババ抜きしたんだけどイカサマされちゃってさ、一応君のサイコロにも変な仕掛けがないか確認したいんだ」
「はー、災難やったな。あいつらこすい手ぇ使いよるなぁ、プライドとかないんかねぇ。ええよええよ、タネもシカケもない普通の賽子や。なんぼでも確認してええで」
僕は何度か手渡されたサイコロをつぼに入れては振り、つぼに入れては振りを繰り返した。シロク。ニゾロ。シソウ。グサン。出目に規則性がないことを確かめた上で、つぼとサイコロ2つを返す。
「よし!準備万端やな——おっと」
サイクルがつぼの中にサイコロを入れる瞬間、彼の手元が狂った。いや、実際には狂ったように見せかけて、わざとサイコロを落とした——少なくとも、僕の目にはそう映った。
「ああすまん、落としてしもうた。…ん?んん?こりゃあごっつう偶然やなあ」
畳を夜空に、赤い星が2つ輝いた。両方とも1。ピンゾロだ。
「こいつはめでたい。それ、もう1回。…!これはこれは、またまた、あらあら」
サイクルが軽く振り直すと、星は再び瞬いた。ピンゾロ。彼はさらにサイコロたちを摘み取って、もう一度、もう一度と振った。
「バイシキンはん、こりゃ誇ってええぞ!長い人生ん中でも、ここまでえらい奇跡は初めてや」
振られたサイコロは、何度でもことごとく1を出した。最後に、彼は手のひらの中でサイコロをいじる。
「えらいこっちゃえらいこっちゃ!世の中何が起こるか分かりまへんな。賽子もよろこんどるわ。……あれ?あれあれ?この賽子、ちょーっとおかしないでっか?」
大げさに、サイコロを持ち上げたり近くに寄せて凝視する素振りを見せたりしている。正直に言って、僕は彼を舐めていた。見破られる可能性を実際よりも低く見積もっていた。それは認めざるを得ない。
「あ〜!分かった!こいつ重心がおかしくなっとりますわ。よぉよぅ見ると、ワイ特製の賽子と外見もちょっとちゃう。どーりで1しか出ぇへん訳で…。あれ?とすると、誰かが賽子を入れ替えたことになるなぁ、ワイの愛しい愛しい賽子を。いやいや…まさかそんなわけあらへんよなぁ!だって、ワイ以外に賽子に触れたのは、たった1人だけなんやから。あらへんあらへん」
ヤハハ。サイクルは肩を震わせて笑う。笑って、笑って、やがてくつくつと、彼の口内で溜まった笑みがゆるやかに弾け消えていった。空気は冷えていった。カジノのうるさい音の数々が遠ざかっているように感じた。彼は言った。
「御前、覚悟はしているな?」
……
ゾーは横目でバイシキンの姿を追う。まさかとは思っていたが、丁半博打を選ぶとは随分と度胸があるものだ。当てれば5000枚のチップが倍になり、次なるステップへ進むことができる。カジノの細かい説明のプリントが配られた時、既に頭の中でこの絵を描いていたのだとすれば、恐ろしいクリーチャーだ。
「テンドミノ、10枚購入。建築に使う。さらに8-2のドミノを前へ」
ドミノ・キング対戦相手のディネロが告げる。このゲームは複雑ゆえ参加者は少なめの傾向にあるが、その分熟練者ばかりで面白い勝負ができる。ドミノの移動により、ゾーの盤面にあるドミノが9枚倒された。その中には倒された時に効果を発揮するトリガー・ドミノも含まれていた。
「トリガー・ドミノ、『復旧』。10秒間、ゾーは自身のドミノを建築、あるいは倒れたドミノを起こす時間が与えられる。…ここで、ゾーはハンドレッドミノを20枚購入」
なに?と相手が眉を顰めている間に、20枚のドミノを勢いよく掴み取る。盤の脇にある砂時計をひっくり返す。猶予時間、10秒。
「汝の浮き立つ心が透けて見えるぞ。無理もない。汝の宮殿の完成はもうじきで、勝利は眼前にある」
ゾーは、片手いっぱいのドミノをそっと盤上におく。残り時間は7秒。
「こつこつと作り上げた盤面。堅実に維持した盤面差。倒したいか?倒したいだろう。だが生憎、今日はもう倒されるのはごめんなのでな」
盤上を一撫でした。優しく薙いだ。たくさんのドミノが手のひらに触れた。すると1秒もかからず、倒されたドミノも新たに購入したドミノも起きて、きっちり整列した。相手の顔が驚愕に染まる。
「ゾーの宮殿は完成、勝利。汝の購入したドミノは、ゾーの総取りだぞ」
もちろんこれはイカサマなしの純粋な技量によるものだ。ゾーたち遊撃の六騎士は、自身の得物に関しては魔力なしでも著しい強さを持つ。ダーツ=デラアーツは必ず20のトリプルを射抜くことができ、ビリヤード=ヤドロンドはその気になれば一突きでゲームを終わらせることができる。変則的なルールで戦っているのは、元のルールだと自身が強すぎてつまらないからだ。だが、サーイ=サイクルはどうか?丁半博打はどんなに実力差があろうと2分の1の勝負。彼にとって、賽の目を自在に操る、賽の重心を知覚するといった芸当はもちろん朝飯前だ。しかしながら、彼は自身は一切のイカサマをせず、また相手のイカサマは絶対に許さない。どんな強者でも2分の1で敗北し、どんな弱者でも2分の1で勝利できる、ある意味最強、ある意味最弱の男だ。彼はバイシキンをも倒せるだろうか?分からない。全ては2分の1で、答えは丁か半か、それだけだ。
……
「御前は神聖かつ真剣なる博打を下らぬ賽子にて穢した。罪は重く、到底赦せるものではない」
「…知らないよ、僕は何もしてない。ほら、そんな変なサイコロ捨てて、ゲームしない?」
「知らぬ存ぜぬは罷り通らぬ。博打ももはや行われぬ。私は罪人に賽を振らない。御前の運命の賽はその躍動を止めすでに決し、二度と変わることはない。即ち、死」
半透明なサイコロ状の檻が、僕の体をちょうどぴったり囲った。指一本動かせなくなる。魔力禁止のルールを破らない限り、ここから出ることは叶わない。
「…カジノの中で死者を出していいのかい?」
「この賽子は御前の唾棄すべき不正の明確な証拠だ。主様も納得される。悪あがきと命乞いが貴様の遺言となる。自らの道を天運に委ねなかった故に、貴様の翼は堕ちる」
「ふぅん、そうか。で、その証拠のサイコロってどこにあるの?」
サイクルは自身の手元に視線を送った。すると今まさに、サイコロが粒子となって消えようとしているところだった。彼の感情がわずかに揺れたように見えたが、特に何かできるわけでもなく完全な消失を見届けただけだった。残念、僕は記録になるものは残さない主義なんだ。
「証拠もないのに、言いがかりはやめて欲しいな。結局、勝負するの?しないの?」
「……」
そもそも勝負に持ち込むことができるか——それこそが真の勝負どころだった。サイクルはしばらくサイコロの消え去った手を見つめていたが、後に正座に座り直した。
「ヤハハ!消える賽子か。けったいなもん使いよるな!ほな勝負しよか。あ、言っとくが…二度はない。何があろうと一度だけだ。勝負も、赦しも」
サイコロの檻を消し、巾着袋からサイコロを2つ取り出す。かけ声を放ちつぼの中に入れ、振る。
「どっちも、どっちも。天道は是か非か」
からから、からから。
「どっちも、どっちも。天命はいずこへ」
からから、からから。
「丁か、半か」
つぼが伏せられる。
「君がそんなにも不確定なものに惹かれる理由、僕はちょっと分かるよ」
「必ず勝てる勝負より、勝てるかどうか分からない勝負で勝った方が気持ちいい。一言で言えば、そういうことだ。先の読めない一手…確かに魅力的だよね」
「でもごめんね。それを理解してもなお、僕はできる範囲で運命に抗うことをやめられないんだ」
「丁か、半か」
決断を急かすように、再び問うてくる。
「丁だ」
そう答えた。それを聞いてサイクルは思う——あぁ、御前の敗北だ。私は断じて出目の操作などしていないが、こう長くやっていると必然分かってしまうものなのだ。つぼの中の賽子は、4と5。グシの半。
「「勝負」」
声が揃った。つぼの中の正体が、詳らかになる。
「…………」
無言。沈黙が流れる。それもそのはず、つぼの中には、出目どころかサイコロの一つもなかったのだから。退けられたつぼの跡には、ただ空虚に畳があるだけだった。
「え〜と、出目の合計は0。偶数、つまり丁だね。あえてそれらしく言うのなら、『ゼロゼロの丁』ってところかな」
「…………」
サイクルはつぼの底をまじまじと覗き、畳をなぞり、そこに本当に何もないことを確認した。何が起きた?ありえない。そう疑問を呈するのとほぼ同時に、彼はその答えを一瞬にして理解した。
「なるほど」
バイシキンには使える手札があった。重心がずれ、必ず1が出る賽子。しかし、その最も重要な性質は、仕組みはともかくとして"一定時間後に消滅する"ことだったのだ。
偽の賽子暴きで、私の意識はバイシキンに集中した。その間に、たとえば透明な使い魔のような存在が、秘密裏に私の巾着袋の中の賽子を、全て偽物に入れ替えたとすれば?
「なるほど、なるほど」
私の賽子にイカサマがないか確認するという建前で、あえて重心の偏った、見た目も少しクオリティを下げたダミーの賽子に入れ替える。同時に、より精巧でかつ重心も正常な、しかし時間経過で消える性質だけを残した大量の賽子を私の巾着袋の中身と入れ替える。最初のダミーを見破ることができたから私の警戒は緩み、新しく袋から掴み取った2つの賽子が偽物であることに気が付かない。そしてタイミングを調整すれば、つぼの中で賽子が消える。バイシキンが途中で長々と話しはじめたのは、賽子が消える時間を稼ぐため———。
傍らの巾着袋に手を置いた。それに普段あるはずの賽子の抵抗は存在せず、重力のままふにゃりとひしゃげていった。そうか。私は敗北したのか。このクリーチャーの、馬鹿げた策謀によって。天運ではなく、仕組まれた必然によって。
「———見事」
サイクルは、深々と頭を下げた。彼の額が畳についた。まっすぐ足を揃えた正座といい、寸分違わず左右対称に添えられた手といい、誠意がクリーチャーの形をとってポーズをとったような姿勢だった。しばらく時間が流れたあと、徐々に頭が上がっていった。上がりきったところで、彼は口を開く。
「ヤハハハハハハハハハハハハ!!あんさん、ごっつおもろいなぁ!ん?なんやそんな面喰らったみたいに固まっとって。まぁ賽子は面もなければ出目もなく、一つ転じてワイの面目もないんやけど…ってやかましいわ!ヤハ、バイシキンはんジブンの名前通りや!資金が倍なってめでたいの!にしても変なもん使いよるなあ、消える賽子ゆーても、カジノ来てからのこない短い時間でワイの賽子の見た目を再現した上ぎょーさん作るの大変やったやろ?しかも袋ん賽子を入れ替えた謎の存在といい、バイシキンはん只者やないなあ!褒め言葉やぞ。あんたなら、この先のゲームも余裕綽々や。ワイが言うんやから間違いない。なんせワイの勘は丁か半か、5割の確率で当たるかんな!あ、今あてにならん思たやろ」
立て聖板龍に水という表現がぴったりなほどに、次々と言葉の弾丸が乱射される。水を得たムートピアのように語気ははきはきとしていて、言葉を選ばず言うならやかましかった。
「バイシキンはんが最初に賽子をぱちもんに変えた時、そこで勝負がお開きんなる可能性はじゅーぶんあった。その賭けに勝ったんや、こいつは立派なあんたの戦利品や」
僕が出した5000枚分のチップの横に、同額のチップが積まれた。
「自分で言うのもなんだけど、賭けと言われると微妙なところだね。なんというか、君たち普通のアビスとはちょっと違うでしょ。さっき遊んだゾーくんたちもだけど、『遊びたい』『楽しみたい』って欲望が透けていた」
「それでこない勝負に持ち込んだんか?」
「君は特にその傾向が強いように思えた。慣れない方言なんか使って無理に明るくしていたし。勝ちというより勝負そのものに飢えている…そう感じたから、一回不正をしても証拠品が消えてしまったって言い訳を作ってやれば、勝負を続けてくれるはずだと思った」
「まー見るからに年季入ったおっさんが、『私』やら『御前』ゆーてハイリスクな博打の管理しとったら恐ろしゅうてだ〜れも近寄ろうとせんもん、しゃーないやろ。悲しいわあ、勝負好きのいたいけな心を利用したんか」
「利用した、というと人聞きが悪いな」
「じゃーどう表現すんねん」
僕はふっと力を抜いて笑う。懐から、袋より抜き取ったサイクルのサイコロを差し出した。
「信じてみたのさ、君のこと。君の信念を」
「…そか。もろもろおおきに」
……
「…はい、分かりました。ありがとうござます、コレクターさん」
『いやいや、礼を言うのは私の方ですな。あなた方Lie音-魂Guの演奏は素晴らしかった。単なる目新しさのための過激さというよりも計算された熱狂と言いますか、普段メタルを敬遠している人にも届きうる激しい情熱を含有しており…ああ、失敬。話が止まらなくなるところでした。もしまた何かあれば、私にご連絡ください。協力は惜しみません』
通話が切れた後に一息つく。コレクター氏とは面と向かって話したことがなく、気難しいイメージを勝手に持っていたが、話してみるとただハイクが大好きな良い人だった。
どうやらあの魔術が使える異変部屋は、エコノミセが大昔劇場として運営されていた頃、演出上の魔法具や呪文、タマシードをおいておく部屋だったらしい。清掃業者を雇って一応掃除したものの、長い間放置されて残留している魔力が、クリーチャーの種類によっては有害な可能性があるということで使うことを躊躇ったようだ。
「バンキシーの方も勝ったな。正直めちゃくちゃ肝が冷えたが」
「サイコロをたくさん作らせたのにはあんな意図があったんジェね。スゴローニャのおかげでなんとか間に合ったジェ」
『ミョウミョウ』
スゴローニャは椅子の上で丸くなり、コジェリに撫でられている。レオジンロの映像に映ったサイコロを、ババ抜きが終わるまでにそっくり大量に作れって言われた時にゃとんでもねぇ無茶振りだと思ったが、スゴローニャという猫型のゲーム・コマンドが、爪を使ってものすごい速さでサイコロを削り出したため、事なきを得たのだった。
「明日以降はバンキシーのやつ、『アカシック・パラダイス』に挑戦するらしいが…なぁコジェリ、アカシックって」
「理解不能な古代の技術。一般クリーチャーの間ではそのくらいしか伝わってないジェが、バンキシー様はアカシック本人と会ったことがあるらしいのジェ」
「あいつどんだけ長生きなんだ…」
「バンキシー様はアカシックの遺産の多くを改造して利用しているジェが、相当優秀な技術者がいれば、他の場所でひっそりと使われていてもおかしくはないジェ。そして、バンキシー様はあのカジノがその一例だと考えているらしいのジェ」
「スケールがでかくなってきたな」
「Vi無粋様にも関係あるジェ。事件にはアカシックの遺産が使われた可能性が高いジェ」
「…そっか」
おざなりな返事をした。そういえば、あの劇場でもアカシックやバンキシーの規格外な魔術なら使えるかもしれないんだっけか。なんにせよ、この事件に人智を超えた力が絡んでいるのは承知だったから、あまり驚きはなかった。それよりも、深く心臓の奥に膿が溜まっているような倦怠感があった。今日は疲れた。今まで培ってきた常識をひっくり返す体験ばかりに見舞われたのもあるが、1番は俺が辿り着いてしまったある事実に由来している。それが俺の精神をわずかづつ蝕んでいた。
もう夜も遅い。
今日はもう帰ろう。
……
前代未聞だ。このカジノを初めて以来、たった数時間で10000ものチップを稼いだ者はいなかった。百年くらいなら働きもせず悠々と暮らせるほどの資産だ、流石はバイシキン様といえる。
「さてバイシキン様。次なるステップ、『アカシック・パラダイス』に挑みたいとのことですね」
「うん。できればなるべく早く試合を取り付けて欲しい」
小部屋にて、わたくしゼンゼンマは説明をはじめる。挑戦条件、チップ10000枚以上を達成した方々に義務付けられている説明だ。
「ご安心を。このゲームは、その規模に反比例した圧倒的な速さで提供できることを売りにしております。ところでバイシキン様、『アカシック』はご存知でしょうか」
「よくわからない古代のオーパーツだよね」
「その通り。ゲーム『アカシック・パラダイス』は、アカシックの遺産を利用した毎度変化するゲームなのです」
へぇ、と呟くが、特段驚いた様子も見せない。呑み込みがいい方だ。
「わたくし共が保有しているアカシックの遺産は、創造の機械——便宜上『アカシック・メーカー』と呼んでおります。端的に言えば、大量の魔力を使うことで想像したものをなんでも創造できる機械です」
ゼンゼンマが手に持った端末をこちらに向けた。アカシック・メーカーは配線やスイッチがこれでもかと難解に組み合わさった巨大機械であり、バンキシーでも起動方法すら一見じゃ解し得なかった。これを自在に扱えるようにした人物は、余程心血を注いだに違いない、そうバンキシーは思う。
「それは便利だ」
「ええ、それはもう大変に。しかし創造できるとは言っても形だけです。鉄を作ろうが木を作ろうが、38時間経つか一定の衝撃を加えると完全に消滅してしまいます。唯一、触感と質量はほぼ完璧ですがね。用途は限られます」
「なるほど。それを利用してギャンブルの凝ったギミックやらステージを作る訳だ」
「本当に理解がお早い。その通りです。これを使えば、たとえ設備に多大なる労力と資金が必要なセットも思いのまま。最高の場で、存分に賭博を堪能することができるのです。また、観戦も人気です。誰が勝つかも賭けの対象になるため、ゲームはいつも非常に盛り上がります。変動するチップの額も大きい。そしてこれは胴元とではなくプレイヤー間で戦うゲーム。希望ならば対戦相手の指名も可能なのです」
わたくしがそう告げた瞬間、ピロリと端末に通知が届いた。メールを開き、その内容を確認する。
「ああそうそう、突如現れた大型ルーキーと是非一戦交えたいという方もいらっしゃるようで」
再び、画面をバイシキン様に見せた。とあるギャンブラーの情報がそこには記載されている。
『登録名:パゴメノ
種族:サイバーロード
保有チップ数:24800
メッセージ:バイシキンにアカシック・パラダイスを申請しました(予定希望日時:18時間後)』
「さて、どうなさいますか?」
わたくしは脳みその中で賭けてみる。バイシキン様が、いきなり吹っかけられたこの喧嘩を買うか否か。
「是非、こう伝えてくれ」
返事は早かった。
「後悔させてやるぜ」
フフフ、と笑い声が響く。わたくしの知る中で、最もオッズが低い賭けだった。
5.創って壊してジャンケンポン
『紳士淑女の皆様、こんにちは!只今より、本日のメインイベント『アカシック・パラダイス』開始を宣言します!』
マイクを持ったゼンゼンマが告げると、会場は沸き立った。試合が行われる平たい地面を囲う格好で円形に観客席が連なっており、肝心のスタジアムの中心には大規模な設備がある。ガラスで四方を覆われた小部屋2つが向かい合い、中にはテーブルと固定椅子が備わっていた。部屋は上に高くまで伸びており、その天井には何かが排出されると思わしき機械で覆われた穴。そして部屋の周囲のスタジアムには桶とハンマー、それを扱うクリーチャーの姿を外連に歪ませた意匠が散りばめてあった。これら全てはアカシック・メーカーにより一夜にして作られたものである。
『それではこのゲームに参加するギャンブラー2人の入場です!』
スタジアムの入場口から、人型のクリーチャーとサイバーロードが現れる。人型の方は厚いパーカーを羽織り、目深に被ったフードのため表情は窺い知れない。魔力を感知するブレスレットの他に、両の手に嵌められた拘束具が特徴的だ。
『パラダイスは1日にして成らず…ただしこのクリーチャーを除いて!僅か数時間でここまで"賭け"上がったダークホース!『一夜革命』バイシキン!!』
姿を顕わしたそのクリーチャーが軽くお辞儀をすると同時に、観客席からは雄叫びと雑言が飛び交う。片や、小柄なサイバーロードは鉤型にひん曲がった口が印象的だ。
『そして数々の実力者を葬り去った歴戦の猛者!常に曇ったその表情は、全てを奪い尽くすまで晴れることはない!『青い曇天』パゴメノ!!』
スタジアムへ足を踏み入れたバンキシーは、ぐるっと全体を一瞥すると、パゴメノに話しかけた。
「中々壮大な演出だね。勝った時の喜びもひとしおだろう」
「その通り。喜びを味わうぼくちゃまを、敗者はせいぜい指を咥えて見ていることだ」
「それは面白い。君は鏡を見ながら指をしゃぶると喜ぶんだね」
「はっ、おまえとは仲良くなれそうだ。その言葉選びのセンス、ハイクアーティスト顔負けだよ」
「…そんな奴らに勝っても嬉しくないな」
「おまえ、ハイク嫌いなのか?珍しい。まあどちらにしろ、勝つのは結局ぼくちゃまだけどな」
『場も和んできたところで、ルール説明に移らせていただきます』
ゼンゼンマが咳払いする。
『本日お二方に挑戦していただくのは…広く知られる子供の遊戯。勝者は矛で相手を攻撃し、敗者は盾で防御する。されど、それが桶とピコピコハンマーで行われなければならないなど、いささか興が失せると思いませんか?どうせなら、自ら創造した武器で戦いたいものです』
仰々しい演説だが、遊撃の六騎士どもはこういうのを好むらしい。オレも演出の大切さについては同意せざるを得ない。アカシック・メーカーを利用しはじめてから、賭場の盛り上がりは見違えるほどになった。観戦する富豪たちが落とす金も増えた。
『ゲーム名——創って壊してジャンケンポン。問われるのは、皆様の創造力』
「支配人」
従業員がオレを呼ぶ声。モニターから目を離し、言伝を聞く。
「明日の予定をキャンセル致しました。他に用件はございますでしょうか」
「十分だ。念の為、チェスト・ポーカーの準備をしておけ」
「了解致しました」
あのバイシキンとやらはふざけている。オレが幾度となく見てきた狂人たちの中でも際立って歯車がイカレていた。保有チップ数30000以上で胴元に挑める「チェスト・ポーカー」は、胴元側に拒否権がない。それを利用し、アカシック・パラダイスにあたって、バイシキンは明日にチェスト・ポーカーを行うよう要求してきたのだ。当然アイツの保有チップ数は条件を満たしていないから、このゲームでバイシキンの保有チップ数が30000を超えなかった場合、やつの身柄をバラす手筈になっている。馬鹿げた賭けだ。オレは日程をもっと後ろにずらそうと試みたが、ビジネスパートナーがそれを許さなかった。
「アルトゥスめ」
悪態をつく。奴とは利害が一致しているから協力しているに過ぎない。アビスが増長した結果文明が滅びようと、それはそれでいい。
このゲームの結果にもさしたる興味はない。Veniceの支配人、利則の求道者シャ・イロックはその場を離れた。
……
『お二方には、小部屋の中に入って戦っていただきます。ゲーム開始前に、お互いに1から5の数字が書かれたトランプカードが5枚ずつ、ライフが3つずつ与えられます。それだけで準備は完了です。円滑な説明のために、とりあえず中に入っていただきましょうか』
狭い部屋の中に着席すると、扉は堅く閉ざされる。さぁ、カードを配りましょう。ゼンゼンマが言うと、5枚のカードがテーブルの挿入口らしきところから射出された。
『デモラウンドを開始します。両プレイヤーはまず、お手元のカードのうち1枚をテーブルにある挿入口へ差し込んでください。これらの数字の大きさを比べ、大きい方が勝利。小さい方が敗北。同じ数字ならドローとなります。ただし、1と5が戦った場合のみ1が勝利となりますのでご注意ください』
適当に、4のカードを掴み取ってセットする。カードは吸い込まれて消えていった。向かいの別室に座るパゴメノも、なんらかのカードをセットした。
『次に、テーブルに備え付けられている端末をお取りください。そこには『矛』『盾』『蓄積値』『ライフ』の4つの項目があるかと思われます。『矛』『盾』をタップすると、数字の入力画面に移行します』
言われた通りにタップする。10個の数字が並んだ、小洒落た画面に切り替わった。
『お二方は、ここにそれぞれ好きな数字をご入力ください。ただし、その分皆様の『保有チップ数』が消費されることには留意すべきでしょう』
なるほど、大体ルールは察した。簡単なようでかなり複雑…そして、圧倒的に僕が不利なゲームだと言えるだろう。「矛:5000」「盾:3000」と入力した。
『それでは、判定に移行します。オープン!』
部屋の外、スタジアムにでかでかと飾られたモニターに2枚のカードが映る。僕が4、パゴメノが2。
『バイシキン様の勝利!それではお待ちかね…創造と破壊の時間です!勝者であるバイシキン様は『矛』を、敗者であるパゴメノ様は『盾』をそれぞれ創造していただきます。武器の材料は、先ほどお二人が捧げたチップ…即ちマネー!それぞれ頭の中で、どんな形でもいいから想像してみてください。ブレスレットを通して、アカシック・メーカーにより忠実に具現化されます』
「じゃ、遠慮なくいくよパゴメノくん」
簡単に想像してみると、観客席から感嘆が漏れた。パゴメノの上部に、みるみる内に造形の細かな青い龍の姿が形成されていく。
『なんと、これはこれは見事な龍!ここまで繊細なものをアカシック・メーカーで出力されたのは初めてです!』
「はん、所詮は見かけ倒しだ。どんなものを作ろうが、衝撃はこの椅子の仕掛けから来るんだろ?」
パゴメノが口を挟むと、ゼンゼンマは深々とお辞儀した。
『さすがパゴメノ様、慧眼でございます。バイシキン様の攻撃が通った場合、お座りになられている椅子から頭部へ衝撃が加えられます。余程のことがない限り、甚大な影響が出るものではないのでご安心を。それではパゴメノ様、ヘッドレストに頭を固定してください。僅かなみじろぎも反則になりますのでお気をつけて』
ちぇっ、と舌打ちをしながら、パゴメノは自身のサイズに合わせて作られた椅子に体重をかけた。ヘッドレストはその頭蓋をきっちり捉える。
『スタート!』
合図と共に、龍が踊りうねりながら落下を始める。その勢いは一瞬の内に大きく増し、そしてガァン!と盛大な音を立てた。龍が消える。
「ほらね、やっぱり見かけ倒しだったな」
パゴメノが、すんでのところで攻撃を防いだ簡素なタライを指差して言った。パゴメノ側の防御成功だ。
『理解していただけましたでしょうか?カードの大きさを比べた後、勝者側の『矛』と敗者側の『盾』の値を比べ、『矛』が勝てば盾を破壊、ライフを1つ減少させます。『盾』が矛以上の値ならば防御が勝り、ライフ減少を防ぐことができます。そして『矛』『盾』に使われたチップは各々の端末に『蓄積』され、一時的にゲームから取り除かれるのです』
「それ、使わなかった方も蓄積に行くの?例えば今回の僕の『盾』は数値比べに使われなかった訳だけど」
『鋭い指摘です、バイシキン様。その通り、例え勝負には使わなかった値も、入力さえしていれば『蓄積』されてしまうのでご注意ください。蓄積した合計の値は自らの端末で確認できます。相手の蓄積値は分かりませんのでお気をつけて。デモラウンドですので特別に公開しますと、バイシキン様は『矛:5000』『盾:3000』の合計8000が、パゴメノ様は『矛:0』『盾:10000』の合計10000がそれぞれに蓄積され、そのゲーム中使えなくなります』
ゼンゼンマはそこで言葉を区切った。端末に表示された確認ボタンを押すと、蓄積値8000がメインメニューに表示されるようになった。
『ここまでの一連の流れが1ラウンドです。カードが尽きる5ラウンド終了時、ライフが多い方がWinner。ライフが同数の場合は、新たに5枚カードを配布し、追加ラウンドで勝敗を決めます。勝てばお互いの蓄積値の合計を、胴元に還元される5%を除き手に入れることができます。また、相手のライフを0にした場合はその5%もなく、相手の保有チップを全て『総取り』することになります。カードのセット、数値の入力、確認ボタンによる勝敗の確定などの行為は5分以内に行ってください。反則及び5分以上の遅延行為も、相手の総取りとなってしまいます。他に疑問点などはごさいませんか?』
僕もパゴメノも、何も言わない。端末の状態がリセットされ、カードが新たに配布される。
『金で創った武器を以て、命を壊し合う戦場へ…それではいよいよ、『創って壊してジャンケンポン』第一ラウンド開始でございます』
……
「…なぁ、これ俺が観戦する意味あんのか?」
先ほど、俺はまたしてもこのオーバーテクノロジールームに招待されていた。タワー内、宙のスクリーンにはスタジアム内に仕込まれたゲーム・コマンドから送られてくる、俯瞰視点の映像が投影されている。透明化は魔力の燃費が悪いことと道徳的な問題からほぼ使われていないが、潜入においてはあまりにも便利な能力だ。
「バンキシー様がVi無粋様に視聴させるようおっしゃったのジェ、少なくとも無駄な行為ではないと思うジェが…それにこの試合、負けたらバンキシー様はおろか、Vi無粋様の目的も一巻の終わりを迎えるジェ。自分の命運は自分で見届けるべきだジェ」
「でもよ、このゲームあまりにもバンキシーに不利じゃねぇか!」
俺は軽く憤慨する。
「あのパゴメノってやつの保有チップ数は24800、対してこっちは10000。チップがモノを言うこのゲームで、これは致命的な差だぞ」
「そもそも、バンキシー様を陥れるためにゲームを選んだんだと思うジェ。パゴメノ様が対戦を申し込んできたのも、多分運営側の根回しだジェ」
「は!?そりゃまたどうしてバンキシーを潰したがるんだ」
「どうやらこの試合を観戦しているお客様方は、あまり性根がよろしくないようなのジェ」
コジェリがパソコンを操作し、画面を見せてくる。なにかのオークションサイトのようだった。
バイシキン腕:10000コイン
バイシキン内臓:15000〜40000コイン
バイシキン首:50000コイン
…
「…んだこれ」
思わず口をついて出た。
「敗北後渡す予定の体を、悪趣味な富豪が競って買おうとしているようジェ。生意気なルーキーが無惨に死ぬのを見たい客ばかりなんだろうジェ。この世界には、見えないところに『コンプレックス』が渦巻いている…バンキシー様はよくそんなことを呟くのジェが、実際その通りジェね」
吐き気がする。相棒も、こんな下衆野郎の手で殺されたかもしれないのか?
拭えきれない嘔吐感を誤魔化すために、今はゲームに集中する。
ルールをざっくりまとめると、こうだ。
①:互いに1〜5のカードを選んで出す。
②:自身の「矛」「盾」に、チップを消費することで任意の数字を入力。
③:カードを開示し、数字の大きい方が勝利。(「1」は「5」にだけ勝つ)
④:勝者側の「矛」、敗者側の「盾」の値を比べ、「矛」が上回れば敗者のライフが1つ減る。「盾」が同じか上回ればライフの減少を防げる。
⑤:「矛」「盾」に入力した数値の合計と同じ枚数のチップが蓄積され、ゲーム中使えなくなる。残りのカードとチップで次のラウンドへ。
⑥5ラウンド終了時、ライフが多い方が蓄積された分のチップを手に入れる。相手のライフを0にした場合、蓄積分だけでなく相手のチップ全てを総取りできる。ライフが同数ならカードを配り直し追加ラウンドを行い、先にライフが減った方の負け。
「…1〜5のカードでゲームが行われ、数字が大きい方が強い。俺が思うに、『5』の切りどころがポイントだ」
「同感ジェ。上手く5を使えれば、使い道がなくなった相手の1と合わせて2勝が狙えるジェ」
「けど、このゲームのキモはただカードで勝つだけじゃなく、チップの競り合いにも勝たなきゃならないことにある。…この不利を覆すためには、矛と盾両方にチップを振り分けることはできないな」
「自分が強い数字を出す時には矛だけを、弱い数字の時には盾だけを入力して、チップの無駄使いを防ぐってことジェね」
「もっと言うなら、先制した方が圧倒的に有利になるな。あくまで相手のライフより多ければ勝ちなんだから、ライフを1つ削った後ずっと守りを固めればいい。なんにせよ、1ラウンド目が最も重要だ」
……
『両者、カードをセットしてください』
ゲームが始まった。
「創って壊してジャンケンポン、か。あんまりジャンケンって感じはしないよな、5枚のカードでやるんだから」
パゴメノが部屋越しに語りかけてきた。
「君はおしゃべりだな。なぜだかサイバーロードはみんなよく喋るよね、空樽は音が軽いって訳だ」
「おまえは心にも思ってない挑発が好きなようだな。そうカリカリするなよ。相手のことを知れば知るほど、勝った時気持ちよくなるものだろ」
一理ある。ただ戦うだけじゃなく、自分と相手のパーソナリティや交わしたやりとりなど全てひっくるめることで、芸術はより輝く。
「そんなに言うなら雑談でもしようか。そうだな…この勝負で勝ち得た金を、君は何に使うつもりなの?」
「そんなの一択に決まってるだろ、音楽だよ。心地よい七五調の歌詞と多様なミュージックの融和は、いつも斬新な体験を与えてくれる。ぼくちゃまはその手のマニアなんだ。数百数千に及ぶハイクアーティストたちの、ライブにCDにグッズに遠征費。ものすごい額だけれど、このカジノでなら全部賄える。そうそう、明後日のUta-Awase-Fesの特等チケットをこの前入手したんだ。ぼくちゃま史上最高に楽しみなイベントだ」
「ふうん。ハイクねぇ…僕に言わせれば芸術性に欠けるな。言葉とか絵とか、形に残るものは時の流れと共に燻んでしまいやすい上に、不特定多数による解釈の手垢がべたべたとついてみっともない」
「そこがいいんだよ。長く残るからこそ、色んな人が文化を受け継ぎ発展していく。そういう歴史を無視して心に残るものを作れる天才は少ない…それこそ、ぼくちゃまの知る限りだとバンキシーくらいしかいないな」
バンキシー、という単語に僕が反応しかけた時、パゴメノはカードをセットした。制限時間はまだ少し残っているが、僕もセットした。
『次いで、矛と盾の入力をお願いします』
進行をよそに、パゴメノは話を続ける。
「ハイクアーティストのライブとかあるけどさ、歌に込められた魔力がダイレクトに来て最高なんだ。ライブのMV見たことある?あれ、歌声を通してがんがん魔力が送られてくるだろ。あれは本当に素晴らしい体験型アートなんだが、ああいう録音の魔力は歌手が生きてる間しか持続しないからな。ある日、ぼくちゃま一推しのアーティストが病気で死んじゃったんだ。するとあらゆる録音から心揺さぶる魔力が消えて、すごく寂しい気持ちになった。もう二度と、生前そのままの彼の歌を聞くことはできない。その喪失感に気がついたから、アーティストたちが生きてる内に金をじゃぶじゃぶ使わないとって思ったんだ」
彼は入力を終えた。
「そのためには、たとえ屍を築いてでも金を稼がないと」
パゴメノの言葉は、淡々と紡がれながらもその中に強い執念がこもっていた。仏頂面の奥に垣間見える狂気。
「パゴメノくんは分かってないな」
そんな彼の気持ちの重みを、僕は軽く笑い飛ばしてみせた。
「アーティストが死んだなんて、そんなこと悲しむ必要ないんだよ。僕はこれでも結構長生きでさ、失った大切な人は1人や2人じゃない。彼らとの記憶はもうだいぶ曖昧で、鮮明には思い出せなくて、でもだからこそ輝いている。命の最も美しい点は、死んだら二度と触れられないところだ」
僕も、数値の入力を確定させる。
「だから僕、何度も生き返るアビスとか死後に残るものとか嫌いなんだ。そういうのは記憶の中だけでじゅうぶ——」
「ゼロ」
前触れもなく、僕の語りが遮られた。パゴメノの口角が僅かに上がっているように見えた。彼は、自らの端末の画面をこちらに見せびらかすように向けていた。
「おまえの盾の値、あててやる。ゼロだ。合ってるだろ?」
パゴメノの入力した数値が、明快に見てとれる。
盾:0、矛:1。
『さあ出揃いました。オープンッ!』
外のモニターに互いのカードが表示された。
バイシキン:5
パゴメノ:1
『運命目まぐるしき第一ラウンド。パゴメノ様の勝利です!』
「これは特注の非魔力式ヘッドホンでな、立体的な音質がべらぼうに楽しいんだ。ノイズキャンセリング機能もすこぶる優秀だ」
実況から耳を塞ぐように、パゴメノは大きく鋭い耳の裏へメカニカルなヘッドフォンを当てる。
「『無粋To-無礼Do』…Lie音-魂Guのファーストアルバム収録の傑作だ。本当に激しく感情を揺さぶってくれる」
『さあ勝負はここから!前代未聞、数値を公開したパゴメノ様。果たしてそのたった1の矛が、ルーキーの心臓を穿つのか!?』
「勝負に勝った時はいつもこれを聴く。負け犬の遠吠えより余程気持ちいいからな」
僕の頭上で、小さな音符が生成された。頭はヘッドセットに固定され、パゴメノのリズムに乗って音符が落下をはじめる。
『スタート!』
彼が言った通り、僕の盾の値は0。薄氷すら盾として生成されず、必然頭蓋に鈍い痛みが走る。
「理解してるか?おまえ、もう絶対勝てないよ」
パキューンとゲームみたいな音がして、僕のライフが1つ砕けた。
……
「最悪だ!!」
俺は思わず立ち上がって叫んだ。今、バンキシーは恐らくこのゲームでこれ以上ないくらいの負け方をした。
「確かに芳しくない状況ジェ。先制されてしまった上、全くチップを削れなかったジェ。パゴメノ様が守りに入ると流石に厳しい戦いになるジェ」
「厳しいなんてもんじゃねぇ。2人の残りのカードを見てみろよ」
コジェリはモニターに視線を移し、すぐに了解を得た。
「なるほどジェ。Vi無粋様、中々頭の回転が速いジェね」
「余裕ぶってられねぇぞ!ほとんど敗北が確定しちまったんだ」
パゴメノは「5、4、3、2」のカードを所持。
対してバンキシーは「4、3、2、1」のカードを持っている。
この状況下では、パゴメノの4は絶対に負けることがない。そのためパゴメノは4以外のカードを出す3つのラウンドに、それぞれ盾に8000ほど費やすことができる。最大でも10000しか残っていないバンキシーのチップ量では、2回以上盾を貫くことができない。つまり、最も良くて引き分け。追加ラウンドで勝負していくしかなくなってしまう。
チップ、ライフ、カード。全てが圧倒的に不利。もはや敗戦処理がせいぜいと言ったところだ。
…いや。
「…マジか」
「どうしたのジェ」
「駄目だ。これは…引き分けにすらならない。絶対に敗北しちまう!」
俺は、パゴメノが次に出すカードを理解できてしまった。
……
『さあバイシキン様はこの不利を覆せるのでしょうか!?第二ラウンド、スタート!』
「さっきのラウンドは時間をかけすぎたな。今回は巻きでいこう、ぼくちゃまの勝利は確定したし」
パゴメノはカードと数値、どちらもすぐに決定した。当然だ、この状況で彼が出すべきカードは一択しかないのだから。僕は天を仰いぐ。装飾過多なシャンデリアの明かりが目に染みる。僕はこのゲームで勝てるだろうか?正直なところ、賭けだった。
僕はカードをセットし、数値の入力を終える。
『オープン!』
バイシキン:3
パゴメノ:4
『パゴメノ様の勝利!さあさらにリードをつけてしまうのか、それともバイシキン様が死守するのか!?スタート!』
無骨なハンマーが落下してくる。瞬間、シンプルな鉄の盾が頭上に生成され——盾は呆気なく砕かれた。衝撃。
「うぐっ…!」
今回の一撃は重かった。インパクトの一瞬体が硬直し、痛みで少し体がうずくまる。思考がブレる。魔力を使わなければ、僕の肉体強度なんてそんなものだった。
パキューン。もう一つライフが砕け散った。
煤けた意識の中で端末の確認ボタンを押し、次のラウンドへ進む。
……
「パゴメノは4を出し、矛に5000程度入力するだけで絶対にゲームに勝てる…」
俺は呟く。逃げ出したい現実から逃げ出さないために。
「バンキシーも4を出してあいこで流れた場合、残りカードはバンキシーが『3』『2』『1』、相手が『5』『3』『2』。パゴメノの『3』が負けなくなるから、バンキシーがカードで勝てるのは最大2ラウンド。パゴメノはまだ20000チップを持ってるから、2ラウンドだけでは攻撃を通せない」
「そして、今回のようにバンキシー様がカードで負けた場合。防衛されたなら、バンキシー様のチップ数が5000以下になったことが確定するため、残りのラウンドも確実に守れるようになるジェ。もちろん今みたいに攻撃が通れば…これまたパゴメノ様の勝利が確定するジェ」
1ラウンド目の時点で、バンキシーの運命は決まっていたのだ。もはやこの勝負は負け方を問う戦いに成り果てた。ライフを全て砕かれ、何もかも失って敗北するか、ライフを守り損を減らすか。どちらにせよ目標の30000は未達成、待ち受けているのは地獄。
「そのはずなんだがな」
『じゃ、次に行こうかパゴメノくん。この勝負、中々の芸術に化けそうだよ。観客の興も乗ってきたところだ』
画面の中のバンキシーは、不気味なほどいつも通りだった。ライフは2個分もの差をつけられ、逆転は絶望的を通り越して不可能なはずなのに。負け惜しみとも強がりとも違う、不思議な何かをあいつは纏っていた。
……
「この勝負、中々の芸術に化けそうだよ。観客の興も乗ってきたところだ」
バイシキンの初手「5」は読めていた。チップの枚数差による圧倒的不利を覆すために、バイシキンは初手で勝負をしかけるしかない。可能性が高いのは「4」「5」「1」…「1」はリスクが高く、「4」はぼくちゃまの「4」か「5」に潰されると注ぎ込んだチップを無駄にしてしまう——大方そう考えたんだろう。その読みに勝ち、もはやぼくちゃまの勝利は盤石だ。それでもこんな風に思考をしているのは、目の前のクリーチャーが明らかに普通じゃないからだ。追い詰められてもハッタリをかますプレイヤーは多いが、その中でもバイシキンが異質に思えるのは、オーラとか雰囲気とかそういう曖昧な根拠によるものではない。
彼は今、ぼくちゃまが聴いていた曲が丁度終わるタイミングで話しかけてきやがったのだ。明らかに偶然ではない。恐ろしい聴覚か観察力がなければ、こんなことは成し得ない。
それに、芸術というワード。こんなにも重大な戦いをそんな風に容する人物に心当たりがある。彼は似ていた。音楽以外で唯一ぼくちゃまを笑顔にしてみせた、稀代の芸術家バンキシーに。あの日、バンキシーの芸術を目撃して味わった感動が、記憶からありありと蘇り…泡となって消えた。今はこの試合に集中しなければならない。バイシキンがなんであろうと、勝敗には関係ない。ヘッドホンを外し、さっさとカードと数字を打ち込む。
「おや、僕の雑談には付き合ってくれないんだね。最初は君から誘ってきたのに」
狩られる寸前とは思えないような、ゆったりとした挙動でバイシキンも操作を終えた。
『第三ラウンド、オープン!』
バイシキン:1
パゴメノ:5
観客がざわめく。実況者のアビスが、反逆ののろしとかなんとか喚いた。ぼくちゃまの頭が固定されたが、心は穏やかだ。この程度じゃ、ぼくちゃまの有利はびくともしない。
『スタート!』
落下してくるのは、デモラウンドと同じ龍。衝突寸前、一瞬だけ心臓が飛び跳ねた。
ガン。
『パゴメノ様の防衛成功!いよいよバイシキン様は追い詰められました!』
ぼくちゃまが想像したシールドは、ものの見事に龍を食い止めた。防御に6000も使ったのだから当たり前だが、やはりバイシキンに奥の手の類いはない。残ったカードは、ぼくちゃまが「2」「3」、相手が「2」「4」。敗北する可能性のあるラウンドは1つだけで、そこで負けてもライフの差は覆らない。これで、完全に逆転はあり得なくなった。
胸を撫で下ろし、ようやく余裕をもってバンキシーのことに思いを馳せられる。ぼくちゃまは幼い頃から音楽に魅せられ、音楽に生きてきた。煩わしいものだらけのこの世界で、真に意味があるのはミュージックだけだとすら思っていた。そんな閉塞的な価値観は、バンキシーによって粉々にされた。ぼくちゃまはCDショップの帰り道、暴行を働いたドラゴンを相手取る彼の「ショーギ」に出くわした。見目美しいだけでなく、神がかりなほど予想外かつ洗練された戦略。前衛的ながらエンタメを内包した、本物のアート。遠隔から特殊なクリーチャーたちを駆使する手際も、彼に関するあらゆる記録が存在しないという孤高さも、何もかもが完璧だった。そういえば、近日ジャシンが復活したし、もしかしたらまたバンキシーが動いてくれるかもしれないな。帰ったら、見逃さないように色々と手配しておこう。
「上の空だね、パゴメノくん。そんな状態で大丈夫?」
「これ以上なく大丈夫だ。それよりもおまえ、ここの二択を違えたら今度こそ終わりだよ」
第四ラウンド。ぼくちゃまの「3」が相手の「2」を討ち取ってライフを0にするか、相手の「4」がそれを防ぐか。まあ、さして考えることもない。バイシキンとほぼ同時に手順を終える。
『第四ラウンド、オープン!』
バイシキン:2
パゴメノ:2
「あいこか。なんとか命拾いしたな、おまえ」
バイシキンは口を利かない。
『さあ最後のラウンドへ参ります。カードはバイシキン様が『4』、パゴメノ様が『3』で決まっているため、数値の入力のみとなります』
ぼくちゃまは当然、矛にも盾にも数値を振らず入力確定。たとえライフが減ろうがぼくちゃまは勝つんだし、数値を入れたら胴元へ行く5%分が無駄になるからだ。バイシキンも、蓄積がぼくちゃまのものになることを理解しているから数値は振らないだろう。結局ライフは変動せず、パーフェクトゲームでぼくちゃまが勝つ。今日もいい稼ぎだった。Fesの前に、気持ちのいい勝利ができて満足だ。
「…僕が最初にルールを理解して考えたことは、『実際に頭へ衝撃を加える』のは要らない工程なんじゃないかってことだった。だってそうだろう、勝敗を決めるだけなら、ライフの変動だけで充分なんだから。演出だって言われたらそれまでだけれど」
突然、バイシキンはおもむろに語り始める。今は虫の居所がいいし、敗者の戯言も一興だ。耳を傾けてやることにした。
「次に、『確認ボタン』の存在が謎だった。ラウンド終了後5分以内にボタンを押さなければならない…進行役がいるんだし、そんなことさせなくたって問題ないのにね。やはりこのルール、裏があるように思えてしょうがない。観客の顔を見ると一層疑惑は強まった。これは僕にとってすごく不利なルールだったけれど、観客はそういう一方的な蹂躙よりももっと別のナニカを期待しているようだったし」
確かに、仮面をつけた観戦者たちから時折漏れる吐息、笑い声。悪意の塊のようだった。でも、それがどう繋がる?
「僕は検証してみようと思った。1ラウンド目、パゴメノくんが『1』のカードで来るのは読めていた。ここまでのチップ差があるんだから、序盤で守りを固めつつ弱いカードを消費することで、その後の読み合いに優位に立とうとするのは常識的な戦略だもの。流石に『盾:0』でくるのは予想外だったけど…」
「おい」
声が出た。
「負け惜しみはいいが、あまり嘘を吐くな。ぼくちゃまの『1』を読んでいたなら、『2』とかでカウンターすればよかっただけの話だ」
「そんな風にまともに戦っても、2.5倍のチップ差なんだから勝てるとは思えないよ」
「でも負けて得することもないだろ」
「したよ。パゴメノくんは矛に低い数値を入力して、僕に衝撃を与えてくれた」
話が見えない。
「2ラウンド目は、ロジック的にパゴメノくんが『4』の『矛:約5000』で来るのは分かってた。僕が負けることで、君は『5000』の衝撃を与えてくれた」
「だから、それがなんになるんだよ!」
「違ったんだよ。『1』と『5000』で、衝撃の強さが。僕の様子を見ても、それは明らかだったでしょ」
まさか。まさか。まさかまさかまさかまさか。嫌なアイデアが脳をよぎり、とても気持ち悪い気分になる。チップの量で、衝撃が変わるだと?
『余程のことがない限り甚大な影響は出ない』…司会はそう言った。裏を返すと、"余程のこと"が起きたなら…!
「これで、ようやく疑問は氷解した。恐らく、『矛』が『盾』を突破した時の衝撃は、それらの数値の差分大きくなるんだ。考えて見れば自然なことだ、お金を沢山かければ普通武器の性能だって良くなるもの。もしその衝撃が大きすぎて気絶してしまったら、確認ボタンを押せずに遅延行為扱いで反則。体感と計算では8000で危険域、10000で完全アウトって塩梅かな」
なるほどなるほどなるほど。収まれ、心臓。大丈夫。そんな抜け穴が存在していたって、ぼくちゃまの勝利は変わらない。
「ああそうだな、いかにもこのカジノのやつらが考えそうな、いい趣味してる裏ルールだ。多分ぼくちゃまとおまえのチップ差を利用して、おまえを笑いものにするためのルールなんだろうな。で、それがなんなんだよ!おまえの保有チップ数の総量はそのアウトラインギリギリだ、今までのラウンドで消費した分を考えれば、そのラインに届くことは絶対に……!!」
「———僕が、いつチップを消費した?」
どくん、と鼓動が跳ねる。そんなはずはない。そんなはずはない。そんなはずはない。そんなはずはない!余裕は不安に変わり、不安は焦燥に変わり、焦燥は祈りに変わる。
「僕は——今までのラウンドで、一度たりともチップを使わなかった。全部『矛:0 盾:0』だったんだよ」
「嘘を…嘘をつくな!2ラウンド目も3ラウンド目も、おまえの想像した武器が具現化してただろ!『盾:0』で何も具現化できていなかった1ラウンド目と違って!」
「だから、それも含めての検証だったんだよ。1ラウンド目、僕にしか見えないくらい小さな結晶を想像してみたんだ。すると全く同じ通りにそれは具現化した。たとえ数値が0でも、武器の創造そのものは可能だったんだ」
思い返してみる。バイシキンの防御が成功したことは一度もない。攻撃が成功したこともない。つじつまは合う。つじつまは合ってもそれでも、そんなはずはない!こんなことで。今まで圧倒的だったのに、完璧だったのに、こんなくだらないルールで。負けない。負けるわけがない!最終ラウンドだけで一気に敗北なんて、そんなミュージックの歌詞のような、ドラマチックなことが現実に起こるわけがない!!
ぼくちゃまは正面切ってバイシキンを見て———完全に言葉を失った。向かいのガラス越しに、バイシキンは自らの端末をひけらかすように見せていたのだ。
蓄積:0
矛:10000
盾:0
———ああ。
「君の盾の値、当ててあげるよ。確実にゼロだ。だって君からすれば、数値を入れる意味は一つも無かったんだから」
1ラウンド目のぼくちゃまのように、バイシキンは捲し立てる。ようやくこの時、ぼくちゃまは本当に理解した。
「…第四ラウンドの二択に、おまえはどうやって勝ったんだ?」
「う〜ん、理由は色々あるなぁ。例えば、君は僕のライフを削り切りたいから『3』の矛に数値を振る必要がある。でも『3』を先に出して、僕の『4』に封じられたら矛に使った内の5%分が無駄になってしまうかもしれない。だから先に数値を振ってない『2』を出して、僕の『4』とぶつかれば最終ラウンドの勝利が確定、遠慮なく『3』の矛に数値を入れられる。『2』であいこになれば、最終ラウンドの負けが確定するから数値を振らなくて良く、どちらにせよ余計な出費を抑えられる、とか。でも1番は…」
バイシキンは肩をすくめる。
「やっぱり最終ラウンドで逆転した方が、芸術的でしょ?」
その思考その論理その芸術。
そうか、おまえ…いや、あなたは———。
「…ニヒ」
ぼくちゃまは笑った。
「ニッ…ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」
揺るぎない曇天は、ピーカン照りの快晴に変わる。久しぶりだが、やっぱりあなたは最高だ。
『それではそろそろ開示といきましょう。オープン!』
当然、カードじゃぼくちゃまの敗北だった。
『さあ運命を決める最後の戦いです!皆様是非ご覧ください!』
実況がのたまう。観客の注目が集まる。ぼくちゃまがどうなるかなんて、さっき解説され尽くしてみんな分かってるだろうに。まあ、そんなの別にどうでもいいことだ。諦めるよりもまず、やるべきことがある。
「一つ、ぼくちゃまからお願いがあるんだ」
「へぇ。聞こうか」
良い体験だった。Fesの前にこんなことが起きるなんて、運を使いすぎてカジノじゃもう稼げなさそうだ。多幸感に包まれながら、ぼくちゃまは望みを告げる。
「———あなたのファンだ。サインくれないか?」
「いいよ。ただし記録は残さない主義だからさ」
『スタート!』
合図が送られる。頭が固定される。上から、何かが落ちてくる。
「一度だけだよ。しっかり脳みそに叩き込んでおいてね」
直後に見たのは、「バンキシー」と描かれた巨大サインが脳天に迫り来る光景だった。
意識が暗転する。
……
「というわけで、明日はいよいよ最終決戦だね」
タワーに帰ってきたバンキシーは平然と言った。ソファに座ったまま尊大に腕と足を組み、得意げに俺を見下ろしている。
「展開が早くてついていけてねーんだがその前に…今回のお前の戦法、紙一重にもほどがあんだろ!一歩間違えりゃ死んでたぞ!」
「しょうがないでしょ、あれ以外に方法がなかったんだから。ずっとあいこで流し続けて相手のチップを枯渇させようと最初は思ったんだけど、パゴメノくんの表情は読むのが難しかったし」
「俺が言いたいのはな、これじゃ明日のチェスト・ポーカーは相当危ういんじゃねぇのかってことだ。今回ですら尋常じゃなく不利なルールで戦わされたってのに、次はもっとひどい可能性もあり得る。少なくとも、たった34800のチップじゃ勝負の土俵に立てるかすらも怪しくねぇか?」
「うん、君の懸念ももっともだね。そこもこのゲームである程度解決できたけれど」
横に佇むコジェリはバンキシーの発言に合わせて静かに触手を延伸させ、パソコンの表示を見せてきた。そこには敗者の身体を切り売りする、汚泥の煮凝りのようなあのオークションサイトが開かれていたが、試合中に見たものとは明らかに様子が違う。出品されている商品の名は、バンキシー。さらにその頭や四肢、内臓の値段設定は、「バイシキン」名義の際と比べ文字通りにケタが違っていた。
「んなっ…なんだこれ?百万…千万…億…!?」
「僕がバンキシーだと正体を明かしたことで、僕の敗北につけられた価値も大幅に上がったらしい。全身合わせて、しめて10億コインほどさ。僕に言わせれば、それでも安すぎるくらいだよ」
カジノのチップに換算すれば1億枚。あまりにも現実味のない大金だ。
「価値の大幅上昇を交渉材料に、僕はまた支配人さんとメッセージ越しに取引しに行ったんだ。明日のチェスト・ポーカーで、1億枚分のチップを貸し出せってね。快諾してくれたよ、なんてったって僕はあの『バンキシー』なんだから。これでチップ差の問題は解決だ」
「無茶苦茶な話になってきたけどな、まずはお前が知ってることについてちゃんと説明しやがれ!Veniceに突入する前に言った、『相棒はまだ生きてる』ってどういうことだよ!?」
「それは、彼にでも任せようかな」
彼?とおうむ返ししたその時、ぶんっと空気が揺れる音がする。エレベーターの転移時ならではの感覚だ。そちらに目をやると、ここ最近で何度も喰らった中でもとりわけ強く、度肝を抜かれてしまった。
「ここがあなたの拠点か、バンキシー。想像よりは居心地がよさそうだ」
「やあ、よく来てくれたね。お茶でもしていってくれよ、パゴメノくん」
パゴメノ、と呼ばれた小柄なサイバーロードがエレベーターから降りる。何度か目を擦って見直したが、間違いなく今日バンキシーと熾烈な戦いを繰り広げた、あのパゴメノだった。しばらく固まっていると、憂鬱そうに歪んだ青い顔がこちらを向く。すると、パゴメノの吊った丸っこい両目はくわっと見開かれた。
「な…Napo獅子-Vi無粋、なぜこんなところに!?ぼくちゃまの幻覚か!?さっきゲームでとんでもなく頭を打ったせいか!?」
「あー…気が合うな。俺もあんたを幻覚かと思ったよ」
「中々協力してくれそうに感じたから、パゴメノくんを意識が戻るなり招待したんだ。Vi無粋くん、とりあえず君の哀れな身の上を説明してやってくれ」
あれをまた話さなければならないことに抵抗を感じていると、パゴメノはおずおずと手を差し出して来た。
「ぼ、ぼくちゃまはパゴメノだ、です…よろしく」
「ああ、こちらこそ…よろしく」
手を握り返すと、「本物だ…」と呟きながら、パゴメノは握手し終えた手をしばらく見つめていた。その様子はさながら握手会に来たファンそのもので、ゲーム中見せた貫禄とのギャップに驚く。俺たちの曲を聴いてくれているのは嬉しいが、これから話す事情に幻滅してしまわないか、心配が滲んだ。
……
「それは生きてるな」
開口一番。込み入って長々とした俺の話を聞き終えたパゴメノは言う。
「あなたの話から判断するなら、サケビ・ポエムシャウターはほぼ確実に生きてる」
「え!?そりゃまたどうして」
「どうしてもなにも、あなたが見た死体は偽物だ。濡れた血の感触をはっきりと感じたんだろ?賭場でのぼくちゃまの経験上、ビートジョッキーの血は出血が多かろうと30分も経てば大方乾く。サケビは36時少し前頃死んだと思われ、発見はそれから40分近く経っているから辻褄が合わない。多分、アカシック・メーカーで遠隔から作った偽の死体だろうな。バンキシー、なんでこれをVi無粋にさっさと教えなかったんだ」
「可能性は疑っていたけどさ、まさかアカシック・メーカーなんて都合の良い代物があるとは思わないでしょ。もしこれが本格ミステリーのトリックとして小説か何かに書かれていたのなら、法外すぎて読者から苦情が殺到してしまうよ」
バンキシーはすまして言うが、メーカーの存在を知る以前からこの結論に辿り着いていたのだろう。言わなかったのは、恐らく単に俺を納得させられるだけの根拠がなかったからだ。
「まあ、偽の死体をわざわざ作って見せるという行為をぼくちゃまがするとしたら…その目的は、サケビ・ポエムシャウターの生存を知られたくないから、だな。死体を見せた後消したトリックや、死亡を偽装する目的の先までは分からないが、サケビは今もどこかで生きてるはずだ」
「あんたは賭場にいた時、相棒と会ったりしなかったのか?」
「会員だったことすらも知らなかったな。ぼくちゃまが賭場へ行くのはほぼアカシック・パラダイスがある日だけだし、閲覧できるのは保有チップ数1万以上の会員だけだ。それにもし知ってるアーティストを賭場で見つけたなら、ぼくちゃまは速攻そいつを借金塗れにして奴隷として買い上げ、あらゆる賭場からの永久追放を条件に解放していた。ましてやサケビなんて見かけたら、絶対翌日には自由の身にさせていたよ」
『慈善事業みたいなことしてるガウね』
『ガガガガ。みなさん、お茶をどうぞ』
ヘルギャモンと、ごてごてして太ましいゲーム・コマンドがお茶を運んできた。ありがとうチャトランガ、とバンキシーが声をかける。
『マスター、映像の準備できたガオ』
「オーケー、僕の脳に送っておいてくれ」
『ガオガオ(了解)』
次いで、レオジンロがどこからともなく現れバンキシーと会話を交わしてまた消えた。
「サケビくんはどこかで生きている。有力なのはカジノのどこかで監禁されている可能性だ。だから2日かけて、レオジンロに賭場とスタジアムをスキャンしながら念入りに探査させたんだが…どこにもいないみたいだね」
受け取った情報を一瞬で精査したバンキシーは立ち上がった。
「やはり、チェスト・ポーカーの会場…そこを調べなきゃいけないようだ。明日、全ての決着をつけよう」
「こんなことでLie音-魂Gu解散は嫌だからぼくちゃまも協力は惜しまないけど…一応忠告はしておく、バンキシー」
パゴメノもまた立ち上がって、バンキシーを呼び止めた。
「チェスト・ポーカーに、勝とうとするな。あれは勝つとか負けるとか、そういう次元に立てるゲームじゃない。なんとか勝負をちゃぶ台返しできる案を考えておくべきだ。それこそ、武力行使で無理やり制圧することもあなたにとっては難しくないだろ」
「ふぅん」と、バンキシーは反発とも肯定ともとれない反応を示す。
相棒が生きていることが分かって、バンキシーは勝って、不安はあれどひょっとしたら明日は全部上手くいくかもしれない。それでも俺の胸はつっかえていた。血肉の裏側、俺と俺がいつまでもわだかまっている。
俺はただ祈ることしかできない。バンキシーの勝利を、相棒の無事を。
しかし明くる日、そんな矮小な俺の思いも含め、全てがひっくり返ることになる。
6.チェスト・ポーカー/解決編
『いよいよ貴様が出るか、シャ・イロック』
「それもこれもオマエのせいだ。あと1日2日ギャンブルの日を遅らせれば、計画は完遂するというのにな」
『それでは駄目だ。正攻法での攻略が間に合わないと悟れば、バンキシーは確実に武力行使に出る。今はサケビ・ポエムシャウターを人質として握っている故に奴も荒事を避けているが、どうしようもなくなればすぐにでもゲーム・コマンドを襲来させるだろう』
「…面倒な頭脳戦だ」
オレはノチェス=アルトゥスとの通話を切る。こいつは深淵が現れて少し経ってからオレのカジノに現れた。くだらないいざこざのためにカジノを利用したいらしいが、目的はオレと共通していたため奇妙な協力関係を結んでいる。
「夢、ゆめ、ユメだ。今日も夢に向かっていこう。明日はようやくゴールテープを切れそうだ」
オレが動きはじめると、体中に電気が迸る。機械で構成された足のない胴体の底面から、ジェットのようにエネルギーが放出され、地面と平行に浮いて移動する。赤い生地を主体に縁が白い、一国の王を想起させるふかふかのローブを羽織って会場へ赴いた。
……
「シャ・イロック。メカサンダーであり、最大手違法カジノの『Venice』支配人。他のカジノと互いの存亡を賭けて特殊なギャンブルを行い、それに何度も勝利を重ねることで成長を続けた。財力とゲームの強さはバケモノクラス…ね」
アカシック・パラダイスで使ったのとは別の、チェスト・ポーカー用のスタジアムへと続く通路を歩く。ルールは予め、ポーカーを観戦したことのあるパゴメノくんからある程度聞き出したが、なるほど最上位戦に相応しい大掛かりで緻密にこんがらがったゲームだ。
さて、散々仕込んできた僕の細工は上手く働くだろうか。彼は想定通りに動いてくれるだろうか。
「さあ、行くか」
いつもより深くフードを被り、熱と偏執荒れ狂うスタジアムへ足を踏み入れる。
……
『時間がやってまいりました!前代未聞、誰にも止められない圧倒的速度でここまで駆け上がったこの人物!昨日明かされた衝撃の正体は、我々の度肝をことごとく抜いた!刮目せよ、バンキシーの入場ですっ!』
入場口から僕が姿を現すと、昨日の比にならないほどの拍手と歓声が爆発した。観客の数も断然多くなっており、興奮した幾人かが声にならない声を上げ続けている。くるりと首を曲げ全体を一瞥すると、僕は立てた人差し指を口元に当てた。
「———静かに」
途端に喧騒はさよならし、暴力的なまでの寂がのしかかる。魔力を少し解放して空間に圧力をかけたのだ。印象において、静けさは重要なファクター。好き勝手に騒がれちゃ、満足に演説もできない。
「皆様、今日はどうも僕のためにありがとう。僕は一応それなりに有名な芸術家だけれど、万が一いや億が一、僕のことを知らない人もいるかもしれないから念の為自己紹介させて貰おう。僕は『記憶』のアーティスト、名乗る字はバンキシー。好きな概念はかけがえのなさ、嫌いなものはハイクと記録。というわけで」
ぴんと立てた人差し指を掲げ、手のひらを開き、すぐさまくしゃっと握った。するとあちらこちらから電流がばちばちと唸り、機材が不調を起こしはじめる。
「ここにあるあらゆる記録媒体と、これまでのカジノにおける僕の記録は全て抹消させて貰った。遠隔で観戦していた人はご愁傷様。観戦権も高額だったろうが、運が悪かったと思ってここは一つ見逃して欲しいな。もう聞こえてないだろうけど」
仰々しく言葉を紡ぐ間、周囲をよりつぶさに観察する。スタジアムの中心には、ジャイアントでも小柄なら入れるんじゃないかと思うほど大きな、立方体のコンテナ——ゲーム名に乗っとれば、チェストが2つ置いてある。その横には2人用のポーカーの卓。そしてそれらを完全に取り囲む、扉付きのガラス。ガラスはマジックミラーの仕様になっており、内部から外の状況を見ることはできない。
「来場者の中には、僕の芸術を間近で見れるなんて期待を膨らませている人も少なくないよね。けれどごめんね。今、僕はアートじゃなくギャンブルのためにここにいる。本日の主人公すら僕じゃない。主役張るのは、まさに君だよ」
対面の入場口から、人影が見えてくる。ローブが柔らかくなびき、脚のないずんぐりしたシルエット。
「ようこそ、シャ・イロック。今日の悲劇の主人公が登場だ」
「おいおい、芸術家さんはもう脳みそがイカれちまってるみたいだな。喜劇の間違いだろ」
全身に纏う電気を噴射して、シャ・イロックは厳かに入場した。
「いつもはこれでもかと野次が飛ぶのに、こうも静かじゃ気分が下がるな。芸術家さん、いい加減ブレスレットをつけたらどうだ?魔力を使った派手な手品はもう見飽きちまった」
「おっと、失礼。君があんまりにも覇気がないものだから、静けさに違和感を覚えなかった」
ぱちんと指を鳴らすと、声がようやく許可を得た。みるみるうちに取り戻される、ざわめき、高揚、熱狂。一度躾けたくらいじゃ観客の心は暴れるのをやめないらしい。
シャ・イロックと僕は互いに魔力を禁止するブレスレットを装着した。シャ・イロックは魔力がないと電気動力を確保できないため、外付けの魔力を用いない機械から電気を供給した。
『素晴らしいオープニングアクトでございました、バンキシー様。それではいよいよ行われるチェスト・ポーカー、そのルール説明に移らせていただきます』
ゼンゼンマがスタジアム上部の実況席から仕切りはじめる。
『まず、チェスト・ポーカーはチップ30000枚以上を条件に胴元へ挑むことのできるゲームです。本来は明確な勝敗をつけるものではなく、挑戦者側がどれだけ胴元からチップを奪えるかのゲームです。今回もいつも通り行われる予定でしたが…バンキシー様の所持チップは34800枚。条件は満たしているものの、ちょっとスケールの小さい勝負になってしまう。そこで、我々はバンキシー様の身柄を担保に、彼へ99965200枚のチップをこのゲーム中に限り貸し出すことに決めました。バンキシー様が保有しているチップと合わせ、ちょうど合計1億枚です。これは我がカジノの全財産に近い額ですが、太古から活躍される未だ謎多きアーティスト、バンキシー様そのものの価値にはこれでも遠く及ばないでしょう。そしてこちらも1億枚分のチップを発行することで、お互い対等な条件でゲームを行うことに決めました。さらにさらに、今回ははっきりと勝ち負けを区別されます。全ラウンド終了時、より所持チップの多い方が勝者です。もしバンキシー様が負けた場合、彼の身体を含むあらゆる財産は全て我々のものになります。その代わり、バンキシー様が勝った場合は』
「カジノの人材、富、設備といった諸々全部が僕のものになる」
会場がどよめくが、ゼンゼンマが話すとすぐに収まった。
『この条件で我々は合意しました。つまり、いずれかが生きるか死ぬかの大博打でございます!さて前置きが長くなりました。既にルールをご存知の方もいるかと思いますが、細かいルールの変更もあるため改めて説明いたします。ゲームに使用するのは、2組のトランプとそちらに設置されている『真価と代価のチェスト』!』
中央のチェストに注目が集まる。右側のチェストには黒く禍々しい意匠が、左側のチェストには白く神々しい意匠が施されていた。
『それぞれのチェストには、ジョーカーを除いたトランプ1組ずつ分のデータが入った端末が用意されています。ゲーム前に先攻と後攻を決めれば準備は完了。基本的なルールは通常のドローポーカーと同じです。ラウンド開始時、まずはディールフェイズ。左側の白い『真価のチェスト』から、ランダムに5枚ずつカードが配布されるため、お二方はそのカードを見て、カードを交換する枚数を決めていただきます』
ここまではただのポーカーと変わらない。状況が複雑になるのは、ここからだ。
『交換時、チェンジフェイズに入ります。留意するべきは、カードの交換はチェストの中で行われることです。先攻の方は、予めどちらのチェストでカードを交換するか決めてください。後攻の方は、もう片方のチェストで交換を行います。ただし、先攻・後攻に関わらずカード交換の順番は『代価のチェスト→真価のチェスト』ですのであしからず。また、交換枚数がたとえ0枚だったとしてもチェストには入室していただきます。以下、代価のチェストに入る方を『代価側』、真価の方を『真価側』と表現します』
2つのチェストによるカード交換。このゲームの最重要部分だ。
『当然、これらのチェストでのカード交換は特殊極まり、入るチェストによって大きく効果が違います。代価側から紹介しましょう。まずは室内の挿入口に好きな枚数のカードを入れて捨ててください。そうしたら端末が起動し、数字とスートの入力画面に移行します。好きなように入力していただき、『発行』ボタンを押すとその通りのカードが出てきます。この操作を捨てたカードの枚数分行い、カードを受け取ればチェンジフェイズは終了です』
「要は、代価側は好きなカードと交換できるという訳だ」
『その通りです、シャ・イロック様!次は真価側の番です。こちらで交換した場合、通常通りランダムにカードを得ることができます。しかしそれだけではなく、交換した枚数に応じて相手の手札の情報を得ることができるのです。こちらにまとめて置きましたので、気が向いたら目をお通しください』
スタジアムの上側にぶら下がった、僕が生かしておいた巨大モニターにルールが表示される。
1枚以上:相手の手札の内、最も多いスート
※複数該当する場合、スートが最弱のもの
2枚以上:最も多い数字
※複数該当する場合、数字が最小のもの
3枚以上:最小の数字とそのスート
※複数該当する場合、スートが最弱のもの
4枚以上:最大の数字とそのスート
※複数該当する場合、スートが最弱のもの
5枚:相手の手札の数字全てを合計した数
※「A」は1、「J」は11、「Q」は12、「K」は13として数字を参照する。
※取得する情報は、相手が代価のチェストで交換した後の手札に基づく。
※スートの強さは♤>♡>♢>♧
「条件が色々複雑だけれど、要するに真価のチェストでの交換枚数が多いほど相手の手札が分かるってことだね」
『素晴らしい要約ですバンキシー様!さて、チェンジフェイズが終わればお次はベットフェイズ。ラウンドごとに最低ベット額が定められており、1ラウンド目は1万チップ。ラウンド毎に10倍になり、全4ラウンドですから最終ラウンドは最低1000万枚ものチップを奪い合うことになります』
巨大モニターの画面が代わり、先ほどの説明に準じたものになる。
チップの最低ベット額———
1ラウンド:10000
2ラウンド:100000
3ラウンド:1000000
4ラウンド:10000000
『ベットのやり方は今更皆様へ説明するまでもないですが、先攻からベットが行われ相手にコール・レイズ・フォールドの選択肢が移り、コールならば手札開示へ移行、フォールドなら互いの開示なしでラウンドが流れ、レイズなら三択の選択権がまた相手に移る、というお馴染みの手法。さあ肝心の手札開示ですが、このままだと強い役を好きに揃えられる代価側が有利すぎない?と思われることでしょう。しかしながら手札開示において、代価側が負ける条件が単純な役比べの他に2つあるのです』
ゼンゼンマは細長い人差し指を立てた。
『1つ目は、真価側の手札の中に、代価側とスート・数字共に同じカードが含まれていた場合。つまり、代価のチェストで交換したカードと同一のものが相手の手札に舞い込んでいた時です。2つ目は、チェンジフェイズにおいて代価側が交換したカードが、それより前のラウンドで既に交換されていた場合。いずれも手札開示の際、役に関わらず強制敗北扱いになります。さらに、好きなカードを手に入れられるという強力な効果に対する代償として、代価側が負けた時に支払う額は、その時点での賭け金の10倍となります』
僕は煩雑なルールを頭の中で整理し、要点を掴みながら脳内で作戦を練る。
『先攻・後攻はラウンド毎に交代し、また交換の際に捨てたカードや枚数は開示されません。また、1度消費したカードは次ラウンドに引き継がれず、ラウンドが進む程にカードが減っていく方式です。付け加えて、カードの交換・ベットフェイズでの選択・チップの受け渡し等は10分以内に行ってください。遅延行為や暴力及び魔力感知のブレスレットが反応する、あるいは腕から外された場合は反則となります。イカサマについても発覚した時点で反則負けとします。そしてチェストから持ち出したカードを不当に破棄する、ラウンド中に消費しない、または外部のカードを利用するなどの行為もご遠慮ください。その他質問がないようでしたら、早速ガラスの中にお入りください。第一ラウンドを開始いたします!』
……
①先攻・後攻を決め、5枚ずつカードが配られる。
②先攻が入るチェストを決定し、後攻はもう片方のチェストへ。代価側からカード交換を行う。
③代価側は指定した好きなカードと交換できる。真価側は普通の交換だが、交換枚数が多いほど相手の手札を知ることができる。
④チップを賭けて手札開示に移行。
⑤代価側の手札に真価側と被るカードがあった時、または代価側が交換したのと同じカードが既に代価のチェストで交換されていた場合、代価側の特殊敗北。この時、代価側が払う額が10倍になる。
⑥交換の時に捨てた手札やフォールドで流れた手札は公開されない。ラウンド内で消費したカードはデッキに戻らず、ゲームから除外される。
⑦先攻・後攻を入れ替え、次のラウンドへ。全4ラウンド終了時、保有チップ数が多い方の勝利。
「ざっとこんなものだな」
「おぉ、分かりやすい…!すげぇなパゴメノ」
「ふん…まぁ、ぼくちゃまにとっては朝飯前だ」
パゴメノは褒められたのが気恥ずかしいのか、やや俯いて頬をかいた。
「これだと依然代価側が有利ジェね。役比べではほぼ確実に勝てる上、交換したカードが真価側の手札とダブる可能性はとても低いジェ。負けたら10倍のデメリットを補って余りある強さだジェ」
「その通りだが、このゲームの本質はさらに別のところにある」
「別のところって…真価のチェストのことかよ?」
「そうだ。真価側は手札を5枚交換すればかなりの確度で代価側の手札内容を把握することができる。これが何を意味するか分かるか?」
「真価側は勝敗を知れるジェから、負けならフォールド、勝てるならレイズするジェ。そして代価側は、カードがダブっている可能性より相手のブラフの可能性の方が高いジェからコールするジェね。ポーカーは所詮表向きの要素でしかなく、賭け引きなんてほぼ行われないジェ」
「じゃあ、このゲームの勝敗を分かつのは…」
「ぼくちゃまが思うに、最低ベット額の最も高い第四ラウンドで先攻を取り、代価側になることが勝利条件だ。先攻後攻はラウンド毎に変わるから、つまりは第一ラウンドで後攻になればいい。バンキシーがその辺り上手くやれるといいんだけど」
パゴメノの話を聞き終えて、俺とコジェリはきょとんと顔を見合わせた。アイコンタクトで、お互いの言わんとしていることを理解する。
「おいなんだその反応は!ぼくちゃまの言説に何か間違いでもあるのか?」
「いや、基本的には異論ないジェ。ただ…」
「あの偏屈な芸術家は、間違いなく第一ラウンドに後攻なんて選ばないだろうな」
苦笑しながら言うと、空中に投影されたスクリーンから音声が飛び込んできた。
『それでは第一ラウンド、バンキシー様の先攻からスタートです!』
……
先攻後攻を決めるため、卓上に置かれた2枚のカードの内、僕は1枚を手に取った。結果は先攻、多少聡明な人物ならここからの逆転がほぼ不可能であることを悟るだろう。この2枚のカードにもイカサマが仕込まれていることを僕は直感するが、魔力を使えないため詳しい構造をスキャンすることもできず、したがって一切の証拠は見つけられない。まあどちらにせよ先攻を選ぶつもりだったため、問題はない。
『それでは第一ラウンド、バンキシー様の先攻からスタートです!どちらのチェストを選択しますか?』
「無論、代価だ」
『了解いたしました。シャ・イロック様は真価側になります。さぁ、カードを配りましょう』
ゼンゼンマの声だけが外から響くと、5枚のカードが卓の下側に取り付けられた薄い口から出現した。ワンテンポ遅れ、向かいのシャ・イロックがカードを受け取る動作をする。どうやら、配布順は先攻かららしい。こうも胡散臭いカジノで、相手がプログラムした端末が絡んでいる以上はいくらでも相手側のイカサマが介在する余地がある。だからこそ、イカサマの影響を受けない代価側の重要性が増す。
僕の手札はまったくのブタ。シャ・イロックの様子を窺うけれど、彼には読み取れる表情すらないんだから反則級だ。
「ねぇ、シャ・イロックくん。どうして君はカジノを経営しようと思ったの?」
表情がダメなら、言葉で斬り込んでみる。
「ほう、天上の存在たるバンキシーがオレなんかに興味を持ってくれるとはありがたいな。いいぜ詳細に答えてやる。オレはかつてしがない金貸しだったが、とある夢のためにカジノという手段を思い至った。ちょうど地下に手品の劇場を保有している債務者がいたからな、取り立てて増築して、Veniceを立ち上げた」
「どうりで。このチェスト、アカシック・メーカー製じゃないと思ったら元々は奇術用の代物だったんだ」
「そうだ、元々あった設備を改造して作った。金貸しをしてると色んなものに出会う機会があるんだが、用途のないのポンコツとして扱われていたアカシック・メーカーもその伝手で手に入れた。オレは技術者でもあったからな、苦労の果てにメーカーの起動にも成功した」
それは確かに、大変な苦労だったろう。アカシックの遺産は基本、到底一般のクリーチャーに扱えるようなものじゃない。
「で、そうまでして君が叶えたい夢ってなんなの?」
「よくぞ聞いてくれた。オレは昔から金を貸して金を貸して取り立てて取り立て続けて、そのうちとある疑問を持つようになった。債務者どもは、自身がどんなに危うい状況でも諦めないんだ。粘って粘って金を借り続け、オレが命を取り立てるまで諦めないんだ。オレは利に則って金を稼ぐ以上の目的を持ち合わせていなかったから、金や利益をかなぐり捨ててまで何かに縋りつこうとする精神性が不思議でならなかった。経験を積んだところによると、どうやらそのみなぎる活力の源は『夢』であるらしいと分かった。オレはそれが欲しくなった」
シャ・イロックは雄弁に、抑揚のない声で語った。
「それでオレも夢を持とうと思ったんだが、残念ながら金を稼ぐ以外の目的を見つけられなかった。オレにポジティブで崇高な夢は向いてないのかと落胆しつつも、夢に夢焦 がれてしまったからには仕方がない。方向性を変えて、『敵を倒す』みたいなネガティブなタイプの夢でも見ようか、そう思った矢先、歌が聞こえてきた」
話す速度がやや速いものの、言葉のリズムは常に一定で澱みがなく、淡々としていた。
「それは路上ライブだった。マジック・ソングが歌われて、人だかりができて、歌手は必死に夢を持って歌っていて、オレはこう思った」
「『格好いい』って?」
マジック・ソングは感情から生まれるゆえに、心に作用する力もいっちょまえに強い。歌を聴いて夢を持ったなんて、飽食するほどありふれた話だ。そんな予測を蹴飛ばすように。
「いや。とても耳障りだった」
シャ・イロックはさらりと言ってのけた。
「その日からオレは生まれ変わった。カジノを作り、業界人を引き込んで繋がりを持ち、よりたくさんのハイクアーティストに金を貸し、破滅へ導く。それでも全然、オレの『夢』には届かない。でもなんだかとても楽しいんだ。やっぱり夢って素晴らしい。マジック・ソングは過去のつまらないオレを殺してくれた。お礼にオレも、マジック・ソングという文化を完全に、徹底して、全力で、欠片も残さず、これ以上なく、完膚なきまでに、殺してあげようと思う。それがオレの夢だ」
話を聞き届けた後、僕は無言で立ち上がった。
「もう交換しに行くのか?まだ時間は残っているが」
「あいにく、これ以上くだらない話を聞くよりは有意義な時間を使いたいんだ」
個人的にその夢を応援したいくらいには、僕はハイクが嫌いだ。けれど残念ながら昔のように、自分が気に入らないからといって好き勝手に刃を振り回せるほど、僕はもう純粋じゃなくなってしまった。代価のチェストの前に立つと、チェストの壁面に縦長の長方形型に線が走り、扉となって開いた。チェストの内部は紫色の怪しげな光に照らされ、中央には豪奢な台の上に端末が着けられている。
足を踏み入れ、扉が閉まるのを確認。端末には目もくれず即座にしゃがみ、床や壁を慎重に叩いた。
「やっぱり、想像通りだ」
僕は呟く。Vi無粋の話を聞き、サケビが生きている可能性に思い当たってすぐ、僕は彼が囚われている場所の捜索に取り掛かった。一昨夜ヘルギャモンがエコノミセ周辺を調べたところ、サケビの魔力の残滓が近くの路地裏、Veniceへ続く放棄されたワープゲートがあった地点で発見された。つまり、彼はVeniceに連れて行かれたことになる。常設会場とアカシック・パラダイス会場の調査で成果は上がらなかったが、今回2つのチェストのすぐ前の床に、サケビの残滓を確認することができた。残滓は古いもののみで、新しくつけられた様子はない。さらにこの分厚いチェストの壁にはエコノミセと似たような魔力・物理対策術式や防音機構が使われており監禁には最適。端的にまとめると、これら2つのチェストの内どちらかに、今この瞬間もサケビは閉じ込められていると考えられる。
「ここにはいないから、監禁場所は真価のチェスト。次のラウンドには身柄を確保できる」
チェスト内には、内側に出っ張って作られた空間が違和感のないよう装飾を施されて数箇所に存在している。ゲームにあたって、真価のチェストにあるこれらの空間にサケビが隠されていると結論づけていいだろう。人質となっている身柄さえ救出できれば、後はゲームを放棄してゲーム・コマンドでめちゃくちゃにしてしまえばいい。僕は手札の5枚を捨て、手早く端末を操作し任意の5枚を入力、発行されたカードを受け取った。
「僕の勝ちだ」
人知れず宣言し、僕はチェストを退出する。
……
バンキシーがチェストから出た後、シャ・イロックの真価側での交換は速かった。とはいえ、真価側は役では勝てないため、情報をより得られる5枚交換以外の選択肢は基本ない。よって真価側が交換にかける時間が短いのも当然と言える。
『観戦している皆様には、特別に真価側が得た情報が共有されます。どうぞ!』
①最も多いスート:♤
②最も多い数字:A
③最小の数字とそのスート:♤A
④最大の数字とそのスート:♤K
⑤数字の合計:47
中継内で、ぶら下がったモニターに情報が映る。両者が再び卓に着き、対峙した。バンキシーはカードを大事そうにぴったり一つに重ね、膝上に置いた手で握っている。
「なるほどジェ。バンキシー様はスペードのロイヤルストレートフラッシュを作ったらしいジェ」
「ぼくちゃまとしては意外だな。もっと真価側の情報を撹乱できる役を作るかと思ったが、これはかなり率直な一手だ」
コジェリとパゴメノが口々に言う。彼らに遅れて、俺も理解した。バンキシーの手札は♤A・♤Kが確定、数字合計の残りは33。かつ「最も多い数字」にAが選ばれているため同じ数字は2枚以上含まれていない。数字の異なる3枚のカードで合計が33になり、Kを使わない組み合わせは10・J・Qだけであり、そうなればスペードでスートを揃えてロイヤルストレートフラッシュを作っていると考えるのが妥当———。
「って、こんなんすぐに分かるか!お前ら頭が良すぎんぞ!」
「そのスピードで理解できたのなら、Vi無粋様も相当良い方だと思うジェ」
「何はともあれ、ベットに入るぞ」
『ではお待ちかね、ベットフェイズに移ります。最低ベット額は1万、さあバンキシー様からどうぞ!』
『1万』
バンキシーは迷いなくチップの山を卓の内側に押し出した。
「最低ベット額か。あんだけ役が強えんだから、もっと強気でいいと思うが」
「シャ・イロックにコールさせて少しでも情報を得たいんだと思うジェ。フォールドだと手札の開示はなくなってしまうジェから」
「あの支配人はフォールドだろう、役で勝てるはずもない。…マジック・ソングを殺すなんて、アホでバカで糞食らえな夢が潰えれば、少しは見どころができそうだよな」
しかし、そんなパゴメノの恨み節に当てつけるように、映像の中のシャ・イロックは一言発した。
『レイズ。1千万』
あまりにも簡単に、999万が上乗せされる。俺たちは言葉を失い、またバンキシーも晴天の霹靂といった様子で考え込み始めた。
嘘だろ。俺はそう心の中で唱える。バンキシーはスペードのロイヤルストレートフラッシュ、勝てる要素は何一つないはず。となるとまさか、あいつの手札に偶然♤A、♤10、♤J、♤Q、♤Kのいずれかが舞い込んだというのか。
「ブラフにしては大胆すぎるジェ。ここでバンキシー様が勝てば、第四ラウンドでほぼ確実に失う1千万を考慮してもバンキシー様が優位に立つジェ」
「けど、コールしてバンキシーが負けたら10倍のペナルティで1億没収、即完全敗北だ。…厄介な二択を押し付けてきたね」
『…フォールド』
しばしの間を伴って、バンキシーは宣言した。彼は賭け金である1万の10倍、すなわち10万チップを支払う。
『なんだ、コールしないのか。怖気付いたか?それとも、第四ラウンドで逆転勝ちする算段か?期待はずれだな、オマエ。こんなつまらないブラフに引っかかるなんて』
…ブラフ、だと?
「嘘だな。たまたま運良く、バンキシーが交換したカードが手札に舞い込んだだけに決まってる」
パゴメノが表情を一層歪めた。俺もそう思いたい。だって、あんなにも危険なブラフを堂々と仕掛けられることを認めてしまったらそれは。
バンキシーが、倒されちまうかもしれない。
俺の混乱を置き去りに、開示されなかったカードを卓の傍の捨て場に片付ける。
『次のラウンドへ行こう。オマエとまだまだ語りたいことはたくさんあるからな』
……
第二ラウンド。先攻のシャ・イロックから順に、5枚のカードがまとめて配布される。シャ・イロックが選択したのは当然代価のチェスト。
「バンキシー。オマエ、さっきのラウンドで妥協したな?万が一の敗北を恐れて、かつ降りればまだ10万の負けですむからといって妥協した。勝負に一歩、足を踏み入れる度胸がなかった」
「どうとでも解釈して貰っていいけど、何が言いたいの?」
「このままではオマエは負ける」
ぴりぴりと、僕の心が毛羽立った。
「正体不明のオマエだが、だんだんその人物像が分かってきたよ。今までのゲームでオマエが良く挑発していたのは、オマエ自身が挑発に乗せられやすいことの裏返しだ。負けず嫌いで幼稚、それがバンキシーというアーティストの本質」
「メンタリストを気取るのはやめた方がいいよ。自身の愚かしさを晒すことほど恥ずべきことはない」
「また挑発したな。分かりやすいヤツだ」
毛羽立ちがささくれに変わりつつあるが、内に飼っている激情を落ち着いて宥めつける。
「折角なんだから、もっと活躍しろ。歴史上でも中々類を見ない記念すべき一戦だ、ワンサイドゲームじゃ面白くない」
「こうした無駄話で無闇に無為に時間を費やすのも、パフォーマンスってやつなの?」
「いや。オマエの精神は出来る限り掘り下げておいた方がいいと思ってな、なんせこれからオマエの体の方を売るんだから」
「見下げた性格だ」
「よく言われるよ。敗北者たちから」
代価のチェストに扉が型作られ、シャ・イロックは中に吸い込まれていく。内部は華美な装飾と複雑な構造物のせいで上手く視認できない。やがてシャ・イロックが退出したのに合わせて、僕は真価のチェストの前に立った。
扉が開く。サケビを救出し、少々早めにフィナーレといこう——そう考えた僕の予定は、粉々に崩れ去った。
真価のチェストの内部は代価のと同じ構成。唯一、ライトの色だけが真っ白に変わっており清廉なイメージを想起させる。
そして、そこをどんなに探しても、サケビ・ポエムシャウターはいなかった。
こっそり他の拠点に身柄を移した?違う。入場した瞬間、魔力をいくらでも使える僕がその痕跡に気がつかないはずがない。サケビの残滓そのものが偽だった?それがバレないと思っているほど、敵はバカじゃない。向こうの目的の1つは、僕をこの勝負に乗せること。そのための撒き餌がここに置かれていないはずがない。
カラクリを理解して、僕は大きく深呼吸した。話が変わってきた。僕は真面目に、こんなゲームに勝たなくちゃいけないらしい。僕は端末を操作する。
……
「…んだこれ」
俺は中継のモニターを見て絶句した。そこには真価側が得た情報をまとめて映し出されているはずだが、何も映っていない。
すなわち、バンキシーは真価のチェストで1枚も交換しなかったということになる。
「………そ、そうか」
パゴメノが一瞬遅れてリアクションをとる。なぜすぐに気が付かなかった、と口の中で動揺を転がしながら。
「あ?どういうことだよ」
「バンキシー様はこのラウンド、実はほとんど交換できないのジェ」
コジェリが全てを理解しているような口ぶりで話す。
「最初の説明によると、カードは基本、真価のチェストにあるジョーカーを除いた1組のデッキから配布され、一度配布されたカードはデッキに戻らないジェ。ラウンド開始時に両者に5枚ずつ、真価のチェストでの交換を含めると、1ラウンドで最大15枚のカードが真価側のデッキから減るジェ。トランプは52枚ジェから、これでは第四ラウンドでカードが足りなくなるジェ」
「そして思い出せ。カードは5枚まとめて、先攻から配られるんだ。第三ラウンドまでで開始の配布で30枚、ラウンド毎に真価側で5枚交換が行われたとすると15枚、しめて45枚。デッキの残り枚数は7枚になるから、第四ラウンドで先攻のシャ・イロックに5枚が配られ、バンキシーは手札がたったの2枚になる。後攻だから代価側になれず、真価のチェストにカードが残ってないから交換もできない最悪の状況に陥ってしまう。だからここであえて『交換しない』ことでデッキ枚数を管理する必要があったんだ。これで第四ラウンドでの真価側のデッキ枚数は少なくとも12枚、手札を5枚確保できるから勝負自体はできる。できるけど…」
その結果が厳しいことくらい、俺にも分かる。
『ベットフェイズに移りましょう!最低ベット額は10万。シャ・イロック様からどうぞ』
『1000万』
シャ・イロックが100万チップ10枚を惜しげもなく出すと、会場がどよめいた。先のラウンドに続いて、俺たちも混乱した。
「こ…こりゃフォールドしか無くねぇか!?」
「いいや、逆だ。このまま戦ってもバンキシーに勝ち目はない…ここで賭ける他ないんだ。交換できなかったから、バンキシーは相手のカードを知らない。知らないから却って、勝つかもしれない可能性が出てきた。だから賭けなきゃいけなくなる」
『どうしたバンキシー、賭けてみろ。さっきのラウンドみたいに怖気付いたか?』
『…言われなくとも、だ』
真価側は代価側の手札を知っているから賭けが成立しない———そんなことをコジェリが言っていたのを思い出す。今はどうだ?シャ・イロックはバンキシーの交換を封じ、さらに窮地に追い込むことで賭けざるを得ない状況をお膳立てしてみせた。本来なら成立しない賭けを、成立させてしまった。
『…コール』
力ない宣言。このゲームで初めて、手札開示が行われる。
『いざ、手札開示!』
ゼンゼンマの合図で、卓上に広がる合計10枚のカード。
バンキシー:♧3 ♡8 ♢J ♢K ♤K
シャ・イロック:♡A ♡2 ♡3 ♡4 ♡5
バンキシーはKハイのワンペア。悪くない手だが、シャ・イロックが代価のチェストで手にしたハートのストレートフラッシュには到底敵わない。カードの被りもないから、バンキシーの敗北。
『シャ・イロック様の勝利。バンキシー様から1000万チップがシャ・イロック様のものとなります』
第二ラウンド終了。チップの差、2020万。
……
第三ラウンド、僕は先攻だから当然代価側を選択。卓から5枚のカードがひり出され、チェックすると7のワンペアがあった。さて、どうしたものか。
「もう挑発する余裕もなくなったか、バンキシー。オレの夢があっさり達成できそうで嬉しい限りだ」
「君の夢は成就しないよ。とても熱心に活動しているみたいだけれど、その夢には圧倒的に欠けているものがある」
「ほう。それはなんだ?」
「当ててみてよ。すぐに答えを言っちゃつまらない」
対面しているメカサンダーはおしゃべり好きだ。もう一度、僕のペースに呑んでやる。
「ふむ…まさか協調性、とか言うんじゃないだろうな。オレの夢が社会に適合していないからなんて陳腐な理由で、オレを否定しにかかったわけではないよな。人々が求める欲望の穴にオレの夢のカタチがぴったり当てはまらないからといって、やりたいことを我慢して分相応に生きろなどとほざくわけではないよな??」
「まさか!自分のやりたい事は、どんなものだろうと曲げるべきじゃないよ。『できない』だの『他人に迷惑がかかる』だのぐちぐち言うヤツに明日は来ない。言い訳で真の気持ちを伏すような嘘の音色は死してなんぼだ。反対に、魂を具したホントの夢ならば何があろうと貫き通す…そんな覚悟を持たなくちゃならない」
「なるほど。ならばその覚悟が足りないと言いたいのか?オレは夢のためならばこの身など惜しくはないぞ」
「それも違う。答え合わせは、ベットフェイズにしてあげよう」
僕は代価のチェストへ向かい、紫の立ち込めるこの部屋で、ありったけの策を実行する。次に真価のチェストへ入ったシャ・イロックは、当然5枚交換だろう。だが、チェストの中に籠る時間はいつもより長かった。
「…なるほどな。バンキシー、やはりオマエを侮るべきではないようだ」
出てきたシャ・イロックは、僕の作戦に気がついたようだった。いや、気がついて貰わなくちゃ困る。さあ、ベットフェイズへ移ろうじゃないか。
……
①最も多いスート:♢
②最も多い数字:3
③最小の数字とそのスート:♧3
④最大の数字とそのスート:♢K
⑤数字の合計:40
『それじゃ、フォールドで』
ベットフェイズに入って早々告げられた衝撃の一言は、観客たちも俺たちも等しく震撼させた。
「なっ…なにやってんだバンキシー!?代価側なのにフォールドって…」
「いや、ぼくちゃまもこれが最善だと思う」
パゴメノが口を挟む。
「これは布石だ、第四ラウンドで勝つためのな。あえて相手に情報を渡すことで、次にシャ・イロックが代価のチェストで交換できるカードに制限をかけたんだ」
制限?と俺はおうむ返しに聞く。
「まずは今まで、代価のチェストで交換されてきたカードを整理するジェ」
コジェリが空中にカードのビジョンを生み出し、視覚的に分かりやすくしてくれる。スートが未確定なものは?に置き換えて、トランプ群が表示された。
第一ラウンド:♤A、♤K、?10、?J、?Q
第二ラウンド:♡A、♡2、♡3、♡4、♡5
第三ラウンド:♧3、♢K、数字合計24の3枚
「第一ラウンドのは全部スペードで確定じゃねぇのか?」
「あの時はそう思ったジェが、今となってはロイヤルストレートフラッシュに見せかけた撹乱の可能性も高いジェ。なんせ、バンキシー様は恐らく第四ラウンドで勝つためだけにここまでのラウンドを消費してきたジェ。実際、ほぼ勝ち確定に思えた第一ラウンドでバンキシー様は不自然にフォールドしたジェ。あれがもしシャ・イロックのブラフに屈したように見せかけていたなら…」
いまいちよく分からないが、取り敢えず飲み込んでおく。
「ともかく、これらが今まで代価のチェストで交換されてきた可能性があるカード…即ち、第四ラウンドでシャ・イロックが交換できないカードだ。注目すべきはさっき第三ラウンドで明らかになったカード。第二ラウンドでのバンキシーの手札と同じカードが含まれている」
その通りだ。なぜ…なのかはすぐに分かった。代価側の敗北条件は①真価側とカードが被る、②以前代価のチェストで交換されたのと同じカードと交換してしまうこと。
①の条件は、今までラウンド開始時に配布された手札や、真価側が開示した手札の中から選べば絶対に被ることなく回避できるのだ。いわば安牌——それを少しでも潰すために、バンキシーは立ち回った。
「さらに特筆するべきは、数字の合計が24になる3枚のカードだ。これらのスートの内訳を正確に特定することは不可能、つまりできれば交換したくないカードたちになる。合計が24になる組み合わせは…多分7、8、9が一番有力だ。そうすれば第一ラウンドの10、J、Qと合わせて7〜Qのカードが交換不可になる」
「でも、それらを無理やり避けようとすれば…」
「そう。今度は役でバンキシーに勝てなくなる恐れがある。役の強さを重視して交換枚数を増やせば被りが起きる可能性が高まる。一か八か、可能性は低いが確かに勝機はある」
長々と話を聞いていたが、実のところそのほとんどが俺の脳内を滑っていっていた。それよりもずっと強く、頭にこびりついて離れないとあるバンキシーの発言があった。いや、実は入場直後からわずかにあいつの言葉に違和感があったが、今回ついにそれが確たるものとなったのだ。
中継の中ではバンキシーが、最低ベット額100万の10倍である1000万を奪われていた。全ては第四ラウンドに委ねられた。どちらに転ぶかは、運次第。
『真価側が情報を得られることを利用するとは。全く捨て身の作戦だ、感嘆に値する。しかし、大丈夫か?次、オマエが死ぬ可能性の方が圧倒的に高いが。遺言くらいは聞いてやろうか?』
『遺言なんて遺すわけないでしょ。僕には君の夢にないものを持ってる』
『そういえば、答え合わせがまだだったな。結局、オレの夢に欠けてるものはなんなんだ?』
一呼吸おいて、バンキシーは言った。
『『必然性』だよ。君のマジック・ソングを殺すなんておちゃらけた夢は、ただ君の心理的渇望を紛らわすだけのものでしかない。君の夢は、例えば負債者を虐げるとか、稼いだお金で文明のトップに立つとか、どんなそれらしい目標にだって代替可能なんだ。君はただなんとなくマジック・ソングを目の敵にしていて、その夢への苛烈な執心の対象が他のものであったとしても何ら問題はないんだ。夢が夢である必然性がない。だから達成できないし、できたとしてもまたすぐに飢える』
『全く芸術家様の言葉は話が長くて耳が痛いな。今際の際に説教か?もっと有意義なことを考えたらどうだ』
『今際の際、か。それなら…死ぬ前は一曲歌を聴きたいな』
『歌?マジック・ソングか?』
『君が自由に解釈してよ』
バンキシーはそこで口を閉じた。まただ。また、俺の心臓に何かが訴えかけている。バンキシーは、あいつは…。
"俺"に何を伝えたいんだ?
……
第四ラウンド。カードが配られ、オレは代価のチェストの中にいる。前ラウンドでのバンキシーの立ち回りには目を見張るものがあったが、それには一つ盲点がある。
オレの手札は♧6、♡J、♧9、♤4、♧4で4のワンペア。ここから♡Jと♧9を捨て、2枚のカードを入力した。
それは「♧6」「♧4」。
代価のチェストで交換するカードは、相手との被りを避け、かつ今まで交換されてさえいなければ、何でもいい。つまり、可能なのだ。
「手札に元々あるカード」と同じものと、交換することが。
4と6のフルハウス。被る可能性はゼロで、代価のチェストで既に交換された確率は限りなく低い。そして役で負ける確率は、もっと低い。
代価のチェストを出る前に、端末が設置されている台の裏を覗いた。そこには、サケビ・ポエムシャウターが全身を縛られた上で眠らされている。本来はバンキシーに隠れてアルトゥスとの計画を進める予定だった。それが御破算になり、バンキシーと対決する羽目になったわけだが、身柄を抑えている——いつでもこいつを殺せるという事実がいい牽制になってくれた。
『バンキシーはハイクやマジック・ソングをひどく嫌う。だからこそ、自らのせいでハイク文化に被害を及ぼし借りを作ってしまうことが耐え難いのだ。サケビ・ポエムシャウターは人質足り得る、チェストの中に入れておくと良い』
アルトゥスの言葉だ。オレからしたら、バンキシーはあれだけの武力を持っているのだから人質など気にせず強襲を仕掛ければいいと思うのだが、芸術家のプライドというやつが許さないのだろう。つくづく、利用しやすいことだ。
チェストを出て、卓についた。顎で真価のチェストへ行くよう促すが、バンキシーはゆっくり首を左右に振った。
「折角なんだ。時間もそれなりにあるし、一つ面白い話をしたい」
「話?それは寓話的なものなのか?」
「そう捉えることもできるかもね。まあ気軽に聞いていってよ、とある事件とその真相について。ジャンルはミステリー。題名は、そうだな…」
「マジック・ソング殺人事件、にでもしようかな」
そう前置きして、彼は軽妙に語り始めた。
……
事の発端は一昨昨日。とある二人組のユニットのVが、ライブの練習後の楽屋で相方のSの死体を発見することから始まる。練習後、Sは仮眠をとってVは居酒屋に。仮眠後にSが居酒屋へ合流するのがいつもの習慣だったらしいんだけど、Sが遅かったのを不審に思い、Vは軽い酩酊状態で楽屋へ戻った。
こうして死体を発見したはいいんだけど、奇妙なのはここからさ。直後、なぜかVは気絶した。15分後目覚めて、もう一度楽屋を見た時には死体の痕跡が綺麗さっぱり消えてしまったんだとさ。しかも翌日調べてみると、練習に使っていた劇場の内部にいたクリーチャーは全員シロ、さらに劇場の周囲には勝手な侵入を検知する結界があったのにそれにすら引っかかるものはなかった。ダメ押しに、劇場では魔力がほぼ使えないときた。
さて、僕がこれを聞いて最初に考えたことは、犯人の目的は何か?ということだった。ただSを殺すのが目的だったのなら、死体なんか処理せず放置してもいい。Sの死を隠蔽したいんだったら、Vを気絶させるだけじゃなく殺害しなくちゃ不十分だ。その他様々の深謀遠慮から、犯人の目的を二つ見抜いた。
①、Vに「Sが死んだ」と思わせること。
②、VとSを「生かす」こと。
二つとも、考えてみれば自明なことだ。Vに死体を発見させ、その後死体を消す。こんな手間をかける目的は、Sの死の偽装という結論に辿り着く。重要なのは、Vに対してのみ偽装を行う必要があった、ということだ。だって、世間一般に対しSの死を流布したいならこの手法はそぐわないもの。Vは酩酊状態だった上死体もないんだから、失踪として扱われるのが精々だ。
さて、その先を考えよう。VにSの死体を見せて、結局何がしたかったのか。これについて僕は色々、本当にたくさんの可能性を検討したんだけど、申し分なく納得し得る合理的な目的はこれだけだった。
『Vに、第100回Uta-Awase-Fesの参加を辞退させること』
そうバンキシーは言った。俺の知っている真相と、知らない真相とが混じり合っていく。
『ごめんね、いきなりUta-Awase-Fesの名前を出したせいで混乱させてしまったかもしれない。VとSは、明日開かれるFesに参加が予定されていたんだ。犯人の目的はFesにVたちを参加させないこと…そう仮定した途端、一気に全てのつながりは見えてくる。Sを拉致し、Vに死体を見せることで、事件性をなるべく低くした状態でFesへの参加を防げる。2人とも拉致してしまうと、関係者が事件化する…ないし、僕に気が付かれて計画を阻止されてしまう可能性が高まる。じゃあFesに参加させたくない理由、犯人が目論んでいる『計画』は何?と考えた時に、絡んでくるのがVの歌が持つ権能さ』
これ以上聞きたくないという気持ちと、聞くべきだという義務感がせめぎ合う。
『Vは、本気で歌を歌うと、聴いた者の闘争心を刺激する能力があったんだ。この効果は凄まじくてね、力が発揮されたライブではほとんどのクリーチャーが我も記憶も失って乱闘を始めた。結論から言おう、この事件の犯人…Veniceの一味は、そのライブの録音をFesに流そうとしている』
パゴメノがちらりと俺を見やった。言葉が出てこない。
『さっきの結論について話す前に、まず事件について種を明かそう。この死体偽装事件のトリックについて、僕は散々頭を巡らしたけど答えには辿り着けなかった…アカシック・メーカーなんて便利アイテムを知るまではね。順を追って話そうか』
観客たちはすっかりバンキシーの話に夢中になっていた。間の取り方や身振り手振りに声のトーン、全てが一体化して心を釘付けにしていく。
『まず、Vたちが練習に使う予定の劇場は、改装のために業者が頻繁に出入りしていた。その中で、犯人たちはVたちの突き当たりの楽屋、その1つ前の部屋に目をつけた。そこは元・魔法具置き場だから特別に魔術が通用したんだ。
Veniceは手下を業者の中に送り込み、その魔法具置き場の内部を楽屋と同じようなレイアウトにし、音楽が流れるよう予約したラジオを設置した。そしてあらかじめ、Veniceの債務者であるSに、練習の後誰にも見つからないように劇場を出て路地裏に来いと指示する。借金を減らしてあげるとかなんとか言えば、Sはのこのこそれに従ったはずだ。劇場周囲の結界は、侵入を検知できるが退出は検知できないからバレる心配もない。
後は居酒屋にも適当な手下を送り込み、ラジオの予約時間に合わせてVを唆すんだ。『相方さん、遅くない?様子を見に行った方がいいんじゃない?』って具合にね。そして同時に、アカシック・メーカーで外から劇場内に物体を2つ作る。1つは魔法具置き場に、サケビの精巧な死体を。もう1つは楽屋と魔法具置き場の間に、偽の壁を。Vがそこにやってきた時、酔っ払っていてかつ慣れない劇場だから偽の壁に気が付かず、魔法具置き場を突き当たりの楽屋だと勘違いすることになる』
俺は驚きと理解を交えながらバンキシーの話を聞いていた。部分的にはトリックを理解していたが、ここまで正確には分かっていなかったんだ。
『ここで疑問が浮かんでくるよね。いったいどうやってこの死体と壁を消した?アカシック・メーカーで作ったものは、時間経過か一定の衝撃を加えるかしないと消えない。ここで登場するのがラジオであり、Vが気絶した秘密』
「奴らはラジオに、例のライブが録音されてるCDを入れたんだ」
俺はバンキシーの言わんとしていることを代弁するように、ぽつぽつと語る。
「録音を手に入れること自体はそんなに難しくねぇだろうな。ライブは誰かしら無許可でカメラ回してるもんだから、そいつから買い取るか奪うかしたんだろう」
一時は収まりかけていた虚無感が、再び暴れ出す。
「それを聴いちまった俺はマヌケにも意識を失って、ラジオや死体や壁をやたらと殴りつけた。アカシック・メーカーで作られたものは殴られた衝撃で綺麗に消え去った。ドアは、開けたすぐ歌を聞いたから開きっ放し。廊下の偽の壁も殴られただろうな。その結果、魔法具置き場はボロボロになり、ラジオの残骸だけが残った。その時についた多少の体の傷は、元々ある生傷に紛れる。お笑いだぜ、証拠を隠滅したのは他でもない俺自身だったんだ」
今思えば、ライブ録音の効果を試すデモンストレーションも兼ねていたのかもしれない。マジック・ソングの能力は歌手自身には効きづらいが、それを差し引いても実験は大成功を収めたらしい。こうして、Veniceの奴らは一歩も劇場に立ち入ることなく事件をでっちあげた。
バンキシーは映像の中で、俺が今言ったようなことをつらつらと述べていく。
『これが一昨昨日に起きた事件の一部始終。こうなると、なぜVを生かす必要があったのかにも合点がいく。Vが死んでしまったら、ライブ録音の力が失われてしまうから。そしてなぜ彼をFesに参加させたくないのかと考えた時、録音の歌声より当然本物の歌声の方が強力なわけだから、Vが自分の力を使いこなし歌の効果を『上書き』されるのを防ぐためだと考えられる。Fesは大々的に配信もされるし、歌の被害は水文明中…いや、それ以上かもしれないね』
バンキシーの語りに一段落が着くと、観客席の何名かが立ち上がり、そそくさと会場を出ようとした。が、あらゆる出入口をいつの間にか巨大なドミノ牌が塞いでいた。
『おや、どちらへ行かれるのですか?途中退場はご遠慮ください。わたくし共の計画を告げ口されてはかないませんので』
もはやゲーム開始時のような熱狂はなく、静かな絶望がひたひたと会場中に満たされつつあるようだった。この場の主導権はアビスが握っており、何人たりとも逃げることはできない。
『あっ、そうだ。そろそろ時間が来てしまうな』
そんな中でもバンキシーはただ一人、変わらない調子で真価のチェストへと向かうのだった。
あいつが出てくるのを待つ間、俺は自分を省みる。俺の人生はなんだったのだろう。ただ憧れて、がむしゃらに進んで、夢を叶えたというのに。俺の歌は相棒を傷つけるだけじゃ飽き足らず、俺自身にすら牙を剥き、挙句の果てには世界をめちゃくちゃにしようとしている。一昨日、劇場の調査でなんとなく俺の歌が関わっていることを悟った時から、精神に埋め込まれた鉛が取れないでいる。今までの努力も、希望も、ぜんぶ仇になって夢の跡。もう何もかもどうだっていいという諦観が、白日の下に晒された真相によってますます染み込んでいく。もういい。俺が頑張ったって意味なんてなかった。何もしなくたって、バンキシーに任せれば、どうせ解決してくれる。
なのに、なんでだ。もはやどうでもいいと心が嘯くのに、何かが胸につかえてしょうがない。あのライブの日から、ずっと奥に仕舞い込まれていたものが、今になって叫びたがっている。
程なくして、バンキシーはチェストから出てきた。
『ベットフェイズに移ります。シャ・イロック様からどうぞ』
『1000万』
最後の戦いの火蓋が切られた。手番がバンキシーに渡る。
『ベットの前に、さっきの話の続きを語ろう。前の話だと、Vを生かし利用する理由は分かってもSを生かさなきゃならない理由が不十分だからね。実は僕、件のVの歌声を本人から直接喰らってみたんだけど、意外だった。ライブではみんなが意識を失って、少なくとも30分は狂乱していたと言うんだけど、僕が個人的に聴いた歌の効果はとてもそこまで強くなかったんだ』
最終局面でなお、バンキシーの喋りは流暢に流れていく。ってか、「俺の歌の効果がそこまで強くない」だと?どういうことだ?
『僕は耐性が高いとはいえ、体感した限りでは普通のクリーチャーに換算して10分くらい狂う程度の効果しかなかった。話で聞いていたよりも力が弱すぎる。それで、なんでVeniceがS──サケビ・ポエムシャウターを生かさなくちゃいけないのか分かったんだ。ライブの歌と僕が聴いた歌の差異は、サケビも一緒に歌っていたか否か。つまりだよ、V──Napo獅子-Vi無粋だけじゃなく、サケビの歌にも権能があったんだ。恐らく、『歌の力を何倍にも増幅させる』類いの能力。ユニットにはお誂え向きだね、これら2つの歌が合わさったからこそ、ライブは大惨事になったんだ。あ、レイズ。オールインで』
ついでのようにとんでもない賭け方をしていることはもはや気にならなかった。相棒の歌にも力があったなんて初耳だった。だって、練習でそれらしい力が発現したことはなかったから。もしかしたら、あいつもあのライブ以降どこかで感情を抑え込むようになったのかもしれない。
『で、水文明をめちゃくちゃにしたいアビスとマジック・ソングをぶっ壊したい君との利害が一致したから、協力関係になったんだろ?』
『それではアビスがオレに協力したがる根拠が弱いな。奴らならオレに頼らなくても水文明を滅ぼすなど…』
『簡単だって?そうはいかないよ、僕がいるんだもの。それに、アビスがFesを阻止しなくちゃいけない理由の一端も僕にあった。だって、Fesには莫大な魔力が集結する。このタイミングで前倒しでFesが開かれるなんて、アビスからしたら自分たちを倒すための一手にしか見えないよ。実際はハイクアーティストたちの気まぐれなんだけど…事実はともかく、アビスはそういう手口で対抗してきそうな存在———すなわち僕を知っていた。僕がFesの魔力を利用するかもしれない、と彼らは考えた。その『かもしれない』だけで動けるようなイカれた奴を、僕も知っているよ。なぁ、アルトゥスくん』
バンキシーは虚空に向かってその名を呼んだ。その声にはいつものふざけた感じは一切なく、こちらの魂まで削り取ってしまわれそうなほどにざらついた調べを伴っていた。返事は帰ってこない。タワーで言っていた、「事件にバンキシーが関わっている可能性がある」とはこういうことだったたのか。
『それで?オマエがギャンブルに参加した理由はサケビを助けるためで、かつこの会場内に身柄が拘束されているとふんだんだろう。だがオマエは結局アイツを見つけられなかった』
『まあ、確かに直接この目で見ることはできなかったね。卑しい手品だ』
『そしてこのゲームでも、オマエは敗北を喫することになる。コールだ』
賭け金、7990万でベット成立。
『それでは、運命の手札開示といきましょう!邪神が微笑むのはどっちだ!?』
……
「この物語が一段落ついた後でいいんだけど…君の夢、もう一度だけ挑んでよ。今回は阻止させて貰うが、僕もハイクは気に食わないからさ」
「たわけが。オレの夢は明日に成就する」
「もったいないな。こんな卑怯な方法じゃなくて、思い切りやれる舞台を作ろうか?」
「オレにとって、舞台はここしかない。悪あがきで時間を稼ぐのはやめろ」
シャ・イロックは手札を開示した。
4と6の、フルハウス。
「さあ、さっさとオマエも開示しろ」
僕は緩慢とした動作で手札を卓に伏せ、そして言った。
「信じるよ、君の力に賭けたんだ」
「…?」
さあ、フィナーレだ。僕は手札をまくる。
バンキシー:♤A ♤10 ♤J ♤Q ♤K
「…はぁ?」
シャ・イロックが、心底の疑問を捻り出した。
それもそのはず、僕の役はスペードのロイヤルストレートフラッシュ。ポーカーにおいて最強無比の、花形だ。
「はぁっ?はあああああっ!?」
哀れなメカサンダーは今日初めて声を荒げる。
「おいっ!オマエこれはどういうことだ!イカサマだ、外部からトランプを持ち込んだな!ゼンゼンマ、こいつは失格だ反則負けにしろ!」
『ふむ。僭越ながら、わたくしはあらゆるトランプを一目で識別可能なのですが…それを見る限り、バンキシー様が使われているカードは間違いなくゲームで使用したトランプのものですね』
表情がないシャ・イロックだが、驚愕していることが容易に推察できる。
『えー、一応トリックを説明していただいてもよろしいですか、バンキシー様?』
「もちろん!一言で言うなら、僕がとった策は『カードの温存』だ」
「…おんぞん、だと?」
「うん。まず僕は第一ラウンドの代価のチェストで、5枚交換を行った。交換先は♤A、♡10、♢J、♤Q、♤K。真価側視点普通のロイヤルストレートフラッシュに見えるけど、10とJのスートがずれてる騙しの一手だね。そして、この後僕は♤A、♤Q、♤Kの3枚を"チェストの中に隠した"んだ。装飾がやたらと多かったし、隠し場所には困らなかった。で、♡10と♢Jだけを持ってチェストを出る。減った手札を違和感なく見せるには少なくとも2枚ないといけなかったから、10とJは手札として持っておく必要があった。後はフォールドで、相手に気が付かれることなくロイヤルストレートフラッシュのパーツ3枚を代価のチェストに隠せた。残るは2枚」
「その2枚、♤10と♤Jは第三ラウンドで手に入れたんだろう、それくらいは分かる!あの時オマエの手札は♧3と♢Kが確定、残りの数字合計は24。ロジック的に7、8、9の組み合わせかと思ったが、実際は♢3、♤10、♤Jだった。こうしてオマエは♤10と♤J、さらに隠しておいた3枚を合わせ、ロイヤルストレートフラッシュを手に入れた。だが!」
「僕がロイヤルストレートフラッシュを隠したのは、代価のチェスト。だから第四ラウンドの真価のチェストからは取り出せないはずだって?もしチェストから持ち出してポケットの中とかに隠していたなら、『チェストから出したカードはラウンド中に消費しなければならない』ルールに抵触しているはずだって?白々しいなあ、シャ・イロックくん」
今度こそ、トドメを刺す時だ。
「君が入れ替えたんだろ、チェストの中身だけを」
ざわめき、どよめき。理解できていない者が多数だろうが、構わず続ける。
「ポイントはサケビの身柄さ。君はどちらかのチェストの中にサケビを隠していた。元々チェスト・ポーカーの予定はなかったし、僕から隠れて行うつもりでいたからそれで問題なかったんだろう。けれど僕に見つかって、チェスト・ポーカーを吹っ掛けられた。日程をずらしたら僕が強硬策に出るかもしれず、勝負を受けるしかない。とはいってもサケビの場所を下手に移動させると、僕に察知される恐れがある。そのままゲームを進行しても、第二ラウンドまでに僕に身柄を発見されてしまう。ところが、このチェストにはそれを解決できるとある秘密があった。真価と代価のチェスト、元は手品用なんだって?そう、2つのチェストは外側がそのままに、部屋の中身だけをまるごと入れ替えることができたんだ。会場の地下を通ってね」
シャ・イロックの反論は飛んで来ない。僕は第一ラウンドで温存したカードを、第二ラウンドに真価のチェストで発見したことでこの仕組みを見抜いていたのだ。実際、内部はライトの色が違うだけで構造や装飾は全く同じだった。
「これが分かれば話は早い。君たちは毎ラウンドチェストを『入れ替えて』いたんだ。僕が入らない方のチェストに、サケビが監禁されている中身をセットできるように。おかげで、僕は代価側に隠しておいたカードを真価のチェストから取り出せた。ロイヤルストレートフラッシュを作れた。君の愚かな権謀が、僕の勝利を生み出した!」
一息ついて、種明かしを全て終えた。観客もゼンゼンマも、異論を唱える者はいない。ただ1人、足掻く支配人を除いて。
「…だが…カードを隠すなど…前のラウンドのカードを利用するなど…!」
「おやおや、ルール違反なんて言わせないよ。確かに、チェストから持ち出したカードはラウンド中に使わなければならないとは言っていたね。でもカードを温存してはならないなんて、チェストに隠しておいてはいけないなんて、前のラウンドで入手したカードを使ってはいけないなんて、一言も言っていない!チェストの中身のみを入れ替えてはならないなんてルールを、君が設定しなかったようにね!」
仕上げにバン!と机を叩く音の反響が、澄んだ沈黙をやけに強調していた。
「さて、納得はしてくれた?7億9980万———これが、僕が得るチップの枚数。そして、君の悪行の代価だぜ。耳を揃えて払って貰おうか、債務者さん!」
「…分かっていないな」
ゲームの終焉が近づき、本当の賭けが始まる。
「分かっていないな、バンキシー!ここは清廉潔白な対局の場じゃない、悪辣蔓延るクズとゴミの掃き溜め、カジノだ!チップの受け渡しまであと5分も猶予がある!これが見えるか!?」
ローブの中から浮遊するシャ・イロックの右腕が取り出したのは、スイッチ。僕が暴力を行使せず、こうして大人しく席に着いてあげている理由そのものだ。
「これはサケビのいるチェストに仕掛けた爆弾のスイッチ。ゲーム・コマンドでもなんでも持ち出してみろ、すぐさま爆破してやる。マジック・ソングを消すことができなくとも、オマエの芸術を汚せれば妥協点としては悪くない。かかれ!」
合図がかかった次の瞬間、周囲を覆うマジックミラーに立て続けに破砕音が鳴る。壊れた世界の向こうから、ジャスティス・ウィング、ヒューマノイド、マーフォークが1体ずつ飛び込んでくる。その手に、各々の武器を携えて。シャ・イロックが抱えている債務奴隷のようだ。
「さあバンキシー、この危機を乗り越えられるか!?当然ゲーム中だ、魔力を使えば失格だぞ!!」
「うわぁ。これ、暴力禁止に違反してないの?」
『シャ・イロック様は直接手を下していません。あくまで観客がたまたま乱入してきただけですから、オッケーです!』
つくづくあくどい手口だ。素早いヒューマノイドの剣が、力強いマーフォークの槍が、汚れきったジャスティス・ウィングの鉤爪が、僕の体をそれぞれ異なる方向から捉える。
もちろん、魔力を使えないなら僕に勝ち目はない。ゲーム・コマンドもすぐには召集できない。シャ・イロックはきっと、自身が返り討ちに遭う可能性を想定しているだろう。その場合にはサケビを殺し、命と引き換えに僕の顔に泥を塗ろうという魂胆らしい。見下げた性格だ、と僕は彼を評したが、中々どうして悪くない根性じゃないか。
ただ一つ、彼には誤算がある。
「…全く、もう忘れちゃってるな。これだから記憶というのは難しい」
僕がこの時とった唯一の行動は、分厚いフードの奥に手を突っ込み、パゴメノから借りたヘッドフォンのノイズキャンセリング機能を最大にすることだけだった。
「僕は今日、アートのためにここに来たんじゃない。ギャンブルをするために来たんだ」
スイッチを押した途端、広がる無声映画のような世界。砕けたマジックミラーの奥に司会席が見える。それは非常に一瞬のことだった。司会席のゼンゼンマが前触れもなく消え、代わりに雄々しくトゲの多い、煮えたぎるような赤を全身に漲らせたニトロ・ドラゴンが現れたのだ。
そのドラゴンはマイクを握り、そこに何かを吹き込む。ヘッドフォンで消し切れない爆音がうっすら聴こえ、シャ・イロックも3体の強襲者も観客も、皆天地がひっくり返ったように暴れ出すのを見届け、僕は真の「賭け」の成功を確信したのだった。
……
俺は念願のステージに立って感無量だった。集まってくれたファンたちが俺たちの一挙手一投足に沸いてくれるのが嬉しくて、楽しくて、最高潮のテンションで歌い始めた。異変に気付いたのは一曲目の終わり。
なんというか、ちょっと、「盛り上がりすぎてる」気がした。熱狂する人々はぶつかりあってケガしても平気でテンションを上げ続ける。最初より二倍近くの音量の拍手が鳴り響く。俺も俺で、今まで出たことないような声量がらくらく喉から発され、相棒はほとんど吠えるように歌っていた。盛り上がるライブなんてそんなもんだと思おうとしたが、何度も好きなアーティストのライブに参加した経験を元に今振り返ってみると、あの熱量は明らかに異常だった。クリーチャー1体1体が持つキャパシティを逸脱した盛況。俺はアドレナリンで鈍った頭で最後の曲を歌い始めた。
人生最大の感情を込めて声を上げた瞬間、事件は起こる。そこら中でクリーチャーたちが乱闘を始めた。みんなの目は狂乱に血走り、相棒もスタッフもそれを当然のように受け入れ、乱闘の中に躊躇なく飛び込んだ。
こうして俺の夢は砂塵となって消え、憧れは色を失った。
俺の夢には必然性があった。ハイクアーティスト以外の道なんて考えられなかった。そのアイデンティティをここまで潰されたなら、俺はどうやって生きればいい?
思考が深く深く沈み込んでいく。俺の歌がみんなを傷つけてしまうなら、もう…。
'本日の主人公すら僕じゃない。主役張るのは、まさに君だよ'
バンキシーの声が、閉じた心に指を入れてくる。投げ出しそうになるたびずっと、この言葉がなぜか頭の中に鳴り響いていた。なぜ?理由は分からない。ただ、今の気持ちをハイクにするならば——。
あれ?
ハイク?
'本日の主人公すら僕じゃない。主役張るのは、まさに君だよ'
リフレインで理解した。どういうわけか、五・七・五・七・七のリズムになっている。そうか、俺は職業柄このリズムに敏感だ。だからこうもこの言葉が印象に残っているのか。
…これは、ただの偶然なのか?
'言い訳で真の気持ちを伏すような嘘の音色は死してなんぼだ'
別の言葉がフラッシュバックする。
'魂を具したホントの夢ならば何があろうと貫き通す'
これでようやく、真意を悟った。どちらも五・七・五・七・七。そして「嘘」の「音」、「魂」を「具」した———明らかに、「Lie音-魂Gu」のことを示している。俺に、伝えようとしている。
これは、バンキシーが俺だけに送っている秘密のメッセージ。
'死ぬ前は一曲歌を聴きたいな'
五・七・五。
それはつまり、ゲームの終わりに歌を歌え、ということか?
'君の夢、もう一度だけ挑んでよ'
五・七・五。
夢。俺の夢ってなんだろう。それは単純明快、ステージの上で輝いて…。
そしてとにかく、歌に全力をぶつけることだった。目一杯の感情を乗せた歌は、歌うのも聴くのも凄く楽しかったから。
そうだ。俺はあのライブの時。観客が狂っていって、相棒も傷つけて、最悪の気分だった。でも、あと一つ。そう、あと一つだ。俺が嫌な気分になった、本当の理由。
俺はあの時。
もう二度と、本気で歌えないことが寂しかったんだ。もう誰にも聞かせられないことが悔しかったんだ。
'思い切りやれる舞台を作ろうか?'
五・七・五。
もはや封印された俺の夢。でも、もう一度だけ挑めるなら。それに相応しい舞台があるなら。疫も甚だしい俺の歌が、誰かに求められているのなら。聞かせたい。聞かせてやる!
'信じるよ、君の力に賭けたんだ'
だから俺も、あんたを信じることにするぜ、バンキシー。
「コジェリ」
敏腕マネージャーの名を呼んだ。
「はいですジェ」
「俺を、あの会場に送れ」
「了解ジェ。準備はできてるジェ」
おい!と声をかけてくるパゴメノを制止し、エレベーターに乗り込む。
「バンキシー様から、その時が来たら案内するよう伝えられていたジェ」
「はっ、面と向かって俺を励まそうとしないのがあいつらしいよな」
「強く同意するジェ。位置は、ちょうどエコノミセ近くの地下ジェ。偽の死体を作るため、Veniceはアカシック・メーカーの効果範囲内へ会場を移設したようだジェ」
「なんとなくは予想してたが、やっぱそうだったか」
「Vi無粋様」
「なんだ?」
転移エレベーターを起動しながら、彼女は言った。
「ファイト!だジェ」
俺は自然と笑みをこぼした。同時に、初めてEineを羨ましいと思った。コジェリは、本当にいいマネージャーだ。
俺が転移する先は、会場の司会席。スムーズにマイクを奪うため、俺とゼンゼンマの、タワーと司会席における座標を入れ替える格好になる。
興奮覚めやらぬ内に、俺はお目当ての場所にいた。金に塗れた、汚い世界に。やっぱり、転移というのは一瞬すぎて感慨がない。
手元にはマイク。前方には襲われかけのバンキシー。奏でよう、俺のスタイルはロックなメタル。迷惑なんざ毛頭知るか!俺はただ夢を歌うだけ。1人でも多くの誰かに、この叫びを届けるために。さあ、つべこべ言わずに聞いていけ!
深呼吸。
「『♪俺の歌 聞けよ聞かなきゃ 殴り合い』」
間。
「『♪聞いたやつらも もちろん殴れ』!!!」
会場の時間が、刹那の間凍りついた。それはそれは、まるで芸術のように。
直後、バイブスと爆音で、会場全体が揺さぶられる。バンキシーを襲う刺客も観客も、何もかもがしっちゃかめっちゃかに掻き乱されていく。溢れんばかりの、闘争心の赴くままに。この歌の後には誰も残らない。
司会席を抜け出して、バンキシーの元へ駆けつけた。これでもフィジカルは相当強い方だから、乱闘から魔力を使おうとしないあいつを守ることくらいはできる。
「よお!来てやったぜ。礼の一つは寄越せよな!」
「ごめん、ノイズキャンセリング機能のせいで何言ってるか分からないや。取り敢えず、来るのが遅すぎだバカって言っていい?」
「絶対聞こえてんだろーがてめぇ!」
錯乱するシャ・イロックが落としたスイッチを踏んづけて壊す。卓の周りからクリーチャーたちを排除しつつ、代価のチェストに向かう。扉は堅く閉ざされていたが、俺はニトロ・ドラゴン。
「破ァ!」
かけ声と共に、拳に爆発をのせると扉は破壊された。チェスト内、縛られたサケビとついに対面する。拘束と爆弾を剥がして重い体を担ぐと、サケビは歌の影響もあり目を覚ましたようだった。
「…う!ここは…相棒!?」
「よぉサケビ。おねんねはここまでにしな」
「…すまねぇ。俺様のせいでこんなことに…」
「謝んな、俺のせいでもある。…ま、これに懲りたらギャンブルなんざやめることだな」
「いや、マジで懲り懲りだ。ぶっちゃけもう一生分の刺激を喰らっちまったからな、なんか憑き物が落ちたみたいな感じがするぜ」
そしてサケビは周囲を見渡して、フードを被った変人芸術家を視界に入れた。
「あ〜…お前は?」
「どうも、バンキシーだよ」
「う〜、ばんきしぃ?よく知らんが、さっさと帰んなガキンチョ」
「…やっぱり、ハイクアーティストってろくなのがいないね」
「いい加減あんたのその偏見、直すべきだと思うぜ」
気楽なやり取りを交わしていると、思いがけないブザー音が上から響いてきた。かなり大きい音で、ブーブーと繰り返しなっている。
「やっと制限時間の10分を過ぎたらしい。これでチェスト・ポーカーは僕の勝ちだ」
「この期に及んで、そんな勝ち負けどうだっていいだろ」
「どうでもいいってことはないよ。芸術家には一本筋が通った信念が必要で、その信念には揺るがぬプライドが必須なんだから。勝敗はプライドの根幹に関わる」
負けず嫌いめ、と思ったが、心の中に留めておく。やはり俺1人だと歌の効果は弱めなようで、すでにちらほら正気に戻る者が出始めた。そろそろ引き上げようぜ、と言おうとしたところで、体が独特の浮遊感を得る。転移前特有の反応だ。
直後にはやはり、余韻に浸る暇もなく一瞬で景色が変わってしまうのだった。
……
サケビたちがタワーに戻ったのと同時に、入れ替わりでトランプ=ランプゼンゼンマが転移してきた。ゼンゼンマは先ほどまではなかったトランプで出来た鎌を携え、不満そうにぽりぽりと頭を掻いている。どうやら、コジェリがタワー内で上手く時間を稼いでくれたらしい。僕はブレスレットを外した。
「おや、バンキシー様。そのご様子ですと、既に決着はついてしまったようですね。結末の瞬間をこの目で見られなかったこと、誠に残念です」
道化の格好をしたトランプのアビスは、僕に物怖じすることなく言葉を放つ。
「悪いことは続くもので、違法カジノを取り締まるアーテル・ゴルギーニ一派がここへ急行しているようです。Veniceはこれにて終幕。呆気ない幕切れでございますが、バンキシー様は疑問に思われませんでしたか?アカシック・メーカーの利用には膨大な魔力が必要。アカシック・パラダイスのために頻繁に利用するというのに、その魔力源はどこにあるのか?はい、もちろんバンキシー様は分かっておりますよね。あなたが先ほどまで着けていたブレスレット、あれは魔力を検知するだけでなく…『魔力を吸い取る』能力を持っているのでございます。したがって、今のあなたは魔力が万全から程遠い状態。そう、お察しの通りわたくし共の真の目的はチェスト・ポーカーに勝つことではなく、あの場で勝負を可能な限り長引かせ、バンキシー様を弱体化させることそのものにありました」
僕はゼンゼンマが長々と話している間、ゆっくりと距離をとる。ここからは、もはや賭けとは言い難い。
「ああ、申し訳ございません。不肖ゼンゼンマ、名前も長ければ話も長いのです。えー、色々端折るとそうですね、只今からエキシビジョンマッチを開催致します」
そう言って彼が懐から取り出したのは、ダーツ=デラアーツの矢だった。
「———さぁ、カードを配ろう」
矢が地面に突き刺さる。黒い閃光が渦巻き、多大なる瘴気が地面を覆う。奴が現れる前兆だった。
「ごきげんよう、バンキシー。1億年と158日ぶりか?」
その一言は全てを侵蝕し、みじろぎでさえ厄災と化す。両手に長剣を携え、全身が禍々しいチェスの駒で構成された存在。僕はその憎たらしいアビスロイヤルの名を呼んだ。
「アルトゥス、か。まさか復活の依代に駒を選ぶなんてね、僕の真似事かな?」
会話をしている間に、中継用に透明化状態で待機させていたトリノドミノとカラクリバーシを操り、周りのクリーチャーたちを避難させる。
「その皮肉癖、相変わらずだなバンキシー。貴様が窮地に陥っていることに気がついていないのか?」
「ああ、確かに分からなかったよ。だって君が現れたところで窮地でもなんでもないもの」
「…本当に相変わらずだ。ここは語り合うには少々窮屈すぎる、外に出るとしよう」
アルトゥスが右手の剣を天へ向けると、立つこともままならないほどの竜巻が轟き、地上までの吹き抜けが作られる。そして同時に、左手の剣が僕を両断せんと俊敏に薙がれた。
「おいでバセヌテレジ!」
『ヒヒーン(了解)!』
魔力はまだ心許無いが、Vi無粋が作った時間のおかげでゲーム・コマンドの召集は間に合った。剣が振り抜かれる瞬間、馬のゲーム・コマンド、バセヌテレジが僕を背に乗せて一蹴り。吹き抜けを一気に跳んで地上へと躍り出る。そしてそれを読んでいたかのように、上空からアルトゥスの操るジャイアントの足ほどもありそうな大きさの鉄駒が雨のように降ってきた。
問題はない。僕の拠点である遥か天空の円盤状のタワーから、赤と青で対を成した和風の双塔が射出される。飛来しながらそれぞれの塔が変形し2体の龍の体が顕になる。とどのつまり、双塔であり双頭のゲーム・コマンド。それはバセヌテレジの魔力と引かれあい、他の何者をも凌駕するスピードで飛んできた。
「革命チェンジ。いざ芸術と参ろうか!巡り捲るめくこのクロニクル。老いも若いも東も西も、ビックリドッキリアメイジン!」
双頭龍のゲーム・コマンドは、僕とバセヌテレジをスピードを殺さないまま"格納"した。塔の構造内部は広いコックピットのような設計になっており、バセヌテレジは座席に変形した。
『行け、芸魔龍王アメイジン!お前の力を見せてやれ!』
アメイジンが咆哮すると、大地から魔力が僕へ還元され、失った魔力をある程度補っていく。
「させん!」
全方向から駒が飛来し、一切の逃げ道がない攻撃が仕掛けられる。だが、僕はそれを読んでいた。龍の双頭が氷炎を放ち、駒の一つを突破して包囲を抜ける。
ゲーム・コマンドの強みは「予測」。戦いが長引くほど予測の精度は高まり、僕の優勢に傾く。故にアルトゥスは短期決戦で来ると読んでいた。さっきまでの攻撃を見る限り、今の時点では本気のアルトゥスをアメイジンで捌き切るのは不可能。かといって、僕の最高傑作であるカクメイジンは魔力が足りず今は十全に扱えない。よって、僕も短期決戦用に出力を変えることにする。
アルトゥスと僕、お互いの目的が一致した時、とる行動もまた一致した。
『対局開始!』「ゲーム・スタート!」
重なるかけ声。白黒模様のチェス盤と、格子模様の魔盤がせめぎ合い展開されていった。
7.宵闇に 閉幕告げる ミステリー マジック・ソング 殺人事件
チェスボードと魔盤が空中に夥しく展開される様は、安穏と暮らす人々に非日常を予感させるには役不足なほど強烈だった。魔盤上、直線の垂直な交差により生まれた正方形のマス目に、アメイジンは佇む。
「暴怨・銃飛疾」
対してノチェス=アルトゥスは、白と黒のマス目に大量かつ法外な大きさのポーンを召喚し続け、即座にバンキシーへ射出していく。下手な小細工は通用しないと知っているが故に、シンプルな暴力で捩じ伏せにかかる。
アメイジンの内部、バンキシーが右手をかざすと指先に1つ、手首に現れた輪の周りに6つ、小さなThe ショーギの駒がビジョンとして浮かぶ。6つの中から動かす駒の種類を選び、手元の駒で動き方を決めるシステムだ。つまんだ駒を宙でなぞると、アメイジンは空を駆け、ポーンの着弾を圧倒的速さで華麗に回避していった。
空間を盤面に写しとることで周囲の情報を完璧に把握し、的確に場をコントロールする。それがバンキシーの戦い方であり、ノチェス=アルトゥスがチェスを依代にしたことで得た能力でもあった。
アルトゥスは動じることなく盤上の情報———バンキシーのスピード、動き、避ける角度、距離などを分析し、ジャストな位置に駒をぶつけていく。それでもなお捉えきれないのは芸術家の矜持といったところだろうが、やはりバンキシーはチェスト・ポーカーで魔力を削られたことが大いに響いているようだった。アルトゥスはアメイジンの名前通り驚異的な速度が、エンスト覚悟でエンジンを全力で解放しているような一時的なものでしかないこと、そしてこのまま魔力を回復させる暇を与えなければ競り勝つことができることを確信する。そして新たな思考に枝葉を伸ばす。バンキシーは、この袋小路にどう対応してくるか。
彼がとった対策は単純で、動かす駒を増やすことだった。クリーチャーの避難を完了させたトリノドミノ、カラクリバーシが加わり合計3方向からアルトゥスを取ろうと迫る。ポーンの撃ち先も分散せざるを得ず、戦況は傾き始めた。
「それだけではないのだろう?貴様の考えることだからな。腐乱屑!」
両手の剣で背後を一閃二閃すると、透明化して不意打ちしようとしていたヘルギャモンとレオジンロが間一髪で斬撃を避け、しかし体勢を崩して倒れ込む。テレポートと透明化、バンキシーの戦略の十八番だ。
しかし、バンキシーが弄した策はこれだけではない。アメイジンが駒を迎え撃つ刹那、双頭が一つの駒を協力して噛み付くことで咥え受け止め、さらにそれを光線の如く打ち出してきたのだ。
アルトゥスはそれを軽く避け———返ってきたポーンの裏に潜む、もう1体のゲーム・コマンドの姿を見逃さなかった。フィギュアのように小さくすることで隠されたそれは瞬く間に巨大化し、両腕についた砲台をこちらに向ける。そのゲーム・コマンドの名はチャトランガ。アメイジンのプロトタイプとしてバンキシーが開発したものであり、スピードはないがパワーは本家のそれに匹敵する。
至近距離に爆裂な砲撃が迫る中、アルトゥスは指折り数えた。アメイジン、トリノドミノ、カラクリバーシ、レオジンロ、ヘルギャモン、チャトランガ。
盤上にいる敵は、しめて6体。
「丁度いい。刮目して見よ、我が奥義」
同じ盤上を掌握する能力を得たことによって、アルトゥスはバンキシーの強さの理由を解した。戦略を立てやすいだけじゃない、己の力が届く領域を定義・管理することにより、限られたマナリソースを非常に効率よく攻撃・防御に転化できるのだ。この奥義は、その究極形。
「…邪禁区」
その技の名を、静かに告げた。
刹那、バンキシーは僅かに重力を感じ、しかしその微妙な間では技の正体を捉え切るには至らなかった。それがもたらしたのは、不意の壊滅。
半壊したチャトランガが転がる。
翼を失ったトリノドミノが堕ちる。
足が砕けたカラクリバーシが倒れる。
下半身を吹き飛ばされたヘルギャモンが朽ち、頭を潰されたレオジンロが伏す。
そして、跡形もなく粉々にされたアメイジンの残骸が散らばった。
唯一、座席にしていたバセヌテレジを跳躍させ緊急脱出したバンキシーだけが、盤面に残る。そのバセヌテレジも、攻撃を避けきれずに機能不全に陥っている。勝利の流れを完全に掴んだアルトゥスは、悠々と、しかし警戒を怠らずに語った。
「これが我の力だ。貴様には到底できない芸当だろう?ただカクメイジンのみが、この無敵の奥義を突破しうる予測と速度を持っていた。だからこそチェスト・ポーカーで魔力を削り、完全な起動に多くのマナを必要とするカクメイジンを予め潰しておいたのだ。たかだか矮小な超獣1匹の命のために、貴様は代価を支払いすぎた。Fesの妨害を阻止するだけなら、他にいくらでも手はあったろうに」
「そうしたら、サケビ・ポエムシャウターは口封じに消される。僕と君の因縁のせいでハイクアーティスト共に負い目を作るって?冗談じゃない!シャ・イロックが君の力を借りなければ黙って見過ごしてやってもよかったけどさ、愚弄するのも大概にしてよ」
「…ふっ。我が貴様のそのプライドを信じたからこそ、こうして勝利を享受できたのだ。礼を言おう」
「寝言は寝て言え。さっきの君の技は無敵でもなんでもない。ただ展開したチェスボード全体に闇のマナの負荷をかけ、それを盤上の一定以上魔力を保有する最大6つのポイントへ自動的に収束させただけだろ。力の強力さ故に手動でマナを振り分けることもできないから、多対一でなくちゃ自分にまで攻撃が来て自滅するお粗末な技だ」
たったあれだけの情報から、正解と寸分違わない結論を導きだす推理力には脱帽する。
「大した分析だが、そのお粗末な技に貴様はチェックメイトをかけられているのだぞ」
有利。完全な有利だった。だが、アルトゥスは一見不利になったように"見える"バンキシーの恐ろしさを、誰よりもよく知っていた。だからこそ反応できた。
「チェックメイト?それは違う。ここは君の——終極宣言だ」
『バオーン!!』
嘶きの直前、背後から気配を感じとったアルトゥスは咄嗟に防御の体勢をとり、それでも間に合わないと判断した。
「掠愚!」
アルトゥスの姿が消える。虎の子の、短距離テレポート。新たに出現した巨躯の馬のゲーム・コマンド、芸魔龍馬バルバトチェスが、ついさっきアルトゥスのいた箇所を吹き飛ばした。
おかしい。盤の中で、我が掌握できないものなどないはず。図体ばかりの馬風情に、不意打ちを仕掛けられる道理はない。アルトゥスはそう思考して初めて気がついた。足元、自分のチェスボードが崩壊しつつある。
チャトランガの砲撃か、と原因を分析。我を狙ったように見えたあの砲撃は、最初からボードの破壊に注力されていたのだ。ここまでの頭の回転は1秒を幾千に分割しても到底足りないほどに短い時間だったが、高次なる戦いにおいてそれは無視できない隙だった。
アルトゥスの視界が、白い線で埋め尽くされていく。青く発光する線の塊が、蜘蛛の巣を幾重にも重ねたように隙間なく張り巡らされているのだ。
それが魔盤であることに気がつくのに、さらに一瞬遅れた。三次元的空間にあり得ないほどの枚数の魔盤が、複雑な角度・大きさで縦横無尽に位置していた。魔盤の、超多重高密度展開。
「魔力が足りない時の手段くらい、僕は用意してるんだよ。バルバトチェスの能力は、一定時間内における魔力の超究極効率化。だからこんなことだってできる!」
大量に設置された魔盤から、破壊したはずのゲーム・コマンド群が再び登場した。全方位から、極大の攻撃が飛んでくる。
「さあ、王手だ!」
この事態を切り抜けるには、邪禁区以外にあり得ないだろう。しかし、邪禁区は尋常でないが故に扱いの難しい我が闇のマナを、存在可能な領域をチェスボード内に定義することによって無駄な拡散を防ぎ、さらにボード上の生体魔力に結集し直すことで成立する技。ボードがなければ、使用すらままならない。
「とでも考えたか、バンキシー!我を舐めるな!」
太古、アルトゥスはあのジャシン帝すら凌駕し得るほどに闇のマナが濃密に練り込まれた、純然たる深淵そのものだった。与えられた部下を駒のように扱う非道と、単純な力押しの戦いでは常勝無敗の神がかった暴力。故に慢心し、かつてバンキシーに敗北を喫した。しかし、屈辱的な敗北の自省はアルトゥスを今までとは比べものにならない高みへ押し上げることになる。頭脳を鍛え、戦略を覚え、ただ力をぶつけるだけじゃない精密なマナコントロールを手に入れた。ジャシン帝より自身のゲームを優先するようなじゃじゃ馬達、遊撃の六騎士を率先してまとめあげることで更なる知見と指揮能力までもを得た。
確かに、以前の我では負けていた。だが、もはやそんな過去は消え去った!
突如として、暗雲が立ち込める。バンキシーたちの頭上を起点に、遥か彼方まで。
その時、カジノに残されたシャ・イロックたちが、取り締まりのため水文明の道路に差し掛かったアーテル・ゴルギーニたちが、タワーの中でバンキシーの戦いを見守るVi無粋たちが、何気なく歩くクリーチャーたちが。一様に、得体の知れない卓抜した重圧に晒された。空が、微かな光も通さない真黒に染め上げられていく。
「…へぇ。それは流石に予想外だったな」
アルトゥスは著しく効率が落ちることを承知で、無理やりに闇のマナを拡散した。
その範囲は———。
「水文明全体へ、負荷をかけたのか…!」
盤を失ったため、ここまで無様にマナを消費しなければ満足に力を使えないことを、アルトゥスは歯痒く思う。
そして、雑にはなるが目視で大まかな領域を即席で作成。その範囲内にある魔力反応へ、広げたマナは自然と再集中していく。長い修練の果てに得た、応用力の賜物だった。復活したゲーム・コマンドたちに、再度黒く吹き荒ぶ攻撃が収束されていく。今度こそ、チェックメイト。
「終わりだ。邪禁区!」
決着の瞬間は、一瞬だった。
———ノチェス=アルトゥスの体が、漆黒のマナの奔流に呑まれて粉微塵と化していったのだ。
…何が、起きた?聡明なアルトゥスの頭は考えを巡らそうとするが、思考の流れは大破した脳により淀んでしまう。
「君の技の弱点は、必ず範囲内の複数体のクリーチャーへ攻撃しなければならないこと。敵が少なければ、自分も攻撃を喰らってしまう」
意識が消えかかる最中、目紛しい状況、理解の及ばない唐突な黒星の中にあってもアルトゥスは声を聞き漏らすまいとした。自身の成長のため。敗因を知り、自己を省みるため。
「さらに、チェスボードを展開しないと敵の数を正確に把握できないから自滅のリスクが高まる。今、君とまともな鍔迫り合いをすると完全に力負けしてしまうから、今回はその弱点を突かせて貰った」
視野いっぱいに広がる魔盤とゲームコマンドが、バンキシーを除いて脆く崩れ去っていった。この消え方には心当たりがある。一定の衝撃が加えられた時に、消滅する創造物。これは、Veniceに安置されていたはずの———。
「アカシック・メーカー。バルバトチェスも大量の魔盤もゲーム・コマンドも、全部見た目だけで魔力のない偽物」
僕は1度目の「邪禁区」の直後密かに、Veniceにあるアカシック・メーカーで"工作"するようコジェリに指示していた。さらに、ブレスレットで吸われた魔力に極限まで小さくした何体かのゲーム・コマンドを予め混ぜ込んでおいたことにより、難解な操作もメーカーの内部から補助できた。あれだけ完璧に創造できたのは彼女の手腕、もとい触腕によるところも大きいが。
「君の最後の邪禁区は、対象を見失って全て君に収束したんだよ。例えそれでも、本来なら僕自身も攻撃対象に含まれて相打ちになっちゃうんだけど」
「貴様そのものの魔力は、我が策略により枯渇していたため邪禁区の対象にできなかった…か」
「その通り。ここがホントの、終極宣言だ」
高らかな嘶きと共に本物のバルバトチェスが飛来し、破壊されたゲーム・コマンドたちを修理していく。
「…そうか。やはり、貴様の芸術は見事だ」
「感想戦は終わり。じゃ、君の詰みってことで」
「だが、次は勝つ」
そう言い放ち崩れゆくアルトゥスの体の内部に、何かが埋め込まれていた。薄く平たい、1枚のトランプカード。そのカードに、前触れもなくダーツ=デラアーツの矢が突き刺さった。
「…はぁ。しぶといな」
ダーツ=デラアーツの召喚の矢。召喚の際に使った矢を刺し直すと、元の場所へ転移することができる…やはり便利な能力だ。
さらに、トランプ=ランプゼンゼンマのトランプ。彼の能力は、自身が配布したカードに遠隔で影響を与えること。相手の懐に忍ばせて発信機・盗聴器代わりにしたり、トランプの鎌で切りつけると同時に敵にカードを強制配布、以降カードを通じて必中の斬撃を繰り出したりするのが主な使い方だが、まさかダーツと組み合わせるとは。発想それ自体よりも、ジャシン崇拝を除外すれば呆れるほどの個人主義であるアビスロイヤルが、ここまで連携が取れていることに驚いた。
ノチェス=アルトゥスの破片は完全に姿を消す。まだ生きているに違いないし、彼は絶対に諦めない。次はきっと、ずっと強くなって僕の前に立ちはだかることだろう。
「また何度でも相手してあげるよ」
そうごちて魔盤を解除すると、僕の芸術に魅入っていた民衆の視線が交差する。魔盤には戦闘による被害を盤内に留めておく力もあるから、負傷者は特にいない。とは言っても、これはアルトゥスが僕だけを狙っていたが故の結果だ。彼はこの程度の守りなんか歯牙にもかけない強さを持っていた。思い返せば、つくづく厄介なクリーチャーだ。
僕はバルバトチェスにまたがり、他のゲーム・コマンドたちを小さくして手の中に戻した。そして彼らへ宣言する。
「閉幕!出演は悪遊ノチェス=アルトゥスと、記憶の芸術家バンキシー。記録は決してつけないで、そしてよく覚えて帰ってね」
こうして僕はタワーへ転移し、物語はひとまずハッピーエンドと成ったのだった。
……
僕がタワーに帰った後、監禁で衰弱していたサケビもコジェリのサポートで回復した。
「ありがとう」
Vi無粋は大仰に頭を下げた。
「あんたのおかげで、サケビの命が助かった。相棒が囚われてた刺激を求める衝動も、今回の経験でなくなったみたいだしな。ちょっとばかし荒療治だったが」
「御託はいいから、さっさと帰りなよ。というか、その荒療治はシャ・イロックのせいだし」
シャ・イロックとその一派はアビスを除いて全員逮捕され、Veniceは潰れた。顧客リストを辿って他の違法カジノも芋づる式に検挙されていくだろう。
「ぼくちゃまからも礼を言う、バンキシー。あなたの芸術をFesの前に見られたなんて夢みたいだ。Veniceが潰れたおかげで、未払いの入会費もちゃらになったしな。それじゃあさよなら」
「おい!僕の芸術をまるでハイクFesなんかの前座のように扱うな!」
ヘッドフォンを返した後、パゴメノは最後、ニヒッと笑ってエレベーターに消えた。
「ま、俺たちも明日のために準備が山積みだしな。いくら感謝しても足りねぇぜ!あんたも気が向いたらFesに顔出せよ!」
「そうだジェ。この機会にバンキシー様もハイクに…」
「行かない!行く訳ない!ハイクだのFesだの、ぞっとするような単語を使うのをやめて、用が済んだならさっさと帰れ!」
コジェリはすごすごと引き下がって帰って行った。Vi無粋も、はいはい、と生返事しながら眠りこけたサケビを担いで背を向ける。
「でもよ、俺には分かるぜ。あんたはきっとFesを見に行くね」
「いーや、君は何も分かってない。いかに僕がハイクを嫌っているか。あんなのに僕の芸術を汚された悲しみが」
「でもよ、チェスト・ポーカーでバリバリ句を詠んでたじゃねぇか。しかも結構上手かった」
「あれはあくまで手段としてのハイクだ!昔戦争でマジック・ソングが兵器として使われたのと同じで、その実用性に芸術だとかの精神的な要素は微塵も含まれていない。ぐぅううううっ…!でも思い出すとすごく暴れたくなってきたっ…!」
『マスター、冷静になるガオ。レオがハイクをラーニングしているのを黙認している上、透明化の技術の一つに組み込んでいる時点で今更ガオ』
レオジンロが火に油を注ぐ。
「とにかく!僕はFesなんてものに興味はない!」
「ふ〜ん。そこまで言うなら賭けてもいいぜ。あんたは絶対Fesに行く」
「はっ、賭けだって?僕のカジノでの勇姿をもう忘れたのかい??このギャンブルは今までで1番楽勝すぎるね。僕が勝ったら君の芸名を『Napo李端-Uma椅子』に変えられても文句は言えないぞ!」
「ああいいぜ乗ってやる!!それじゃあ俺が勝ったら———」
8.目覚めのエピローグ
「…悪夢だ…!」
夢から目覚めた僕は、今までの長い超獣人生の中で五指に入るほどの危機に直面していた。
落ち着いて経緯をまとめよう。僕は先日、サファイア・ウィズダムがこの世界にキング・ロマノフを差し向けるのをあの手この手を使ってやめさせた。そしてついさっき、そのことについてサファイア・ミスティと連絡用の球体を介して話をし、一仕事終えた満足感と共に眠りについた。
仕上げに5秒前、あの忌々しい賭けを夢で思い出して今に至る。簡潔に言うと、僕は賭けに大敗した。第100回Uta-Awase-Fesの、予測を大幅に超える大成功を観客席から苦い顔で見届け、集まった魔力をジャシンとの戦いに利用したのだった。
何も、こんなタイミングで思い出さなくたって良かったのに。
「…行くか」
重い腰を上げ、マネージャーとして仕事をしているコジェリに連絡をとった。Vi無粋の居場所を教えてもらい、タワー外へ向かう。
……
ザ・ミュートの管理する時計塔が34.9時を告げた。24時間制に直すなら、きっかり午後10時。俺たちLie音-魂GuはFes以降人気を順調に伸ばしている。今日、俺はライブツアーの千秋楽を終え、相棒を楽屋に残し1人がらんとした居酒屋で飲んでいた。そういえば、事件の時に行った居酒屋「YOLOの滝」の、常連の1人が違法賭博で逮捕されたらしい。事件当日、俺は酔いですっかり忘れていたから覚えていないんだが、そいつが俺にサケビの偽死体を見せるため、楽屋へ様子を見に行くよう唆したようだ。
バンキシーと一緒だった時のことは、今でも不意に思い出す。たった数日の動乱だったが、あのひどく滅茶苦茶な時間がなぜだか恋しく思う時がある。きっと記憶の美化によるものだろうが、この懐古心が中々侮れない。バンキシーの語っていた、記憶の芸術というものが少し分かった気がした。
「隣、もらうよ」
慇懃無礼に話しかけてくる客が、カウンターの隣に座る。その姿を見て、俺は仰天した。見た目はかなり偽装されているが、特徴的な拘束具は相変わらずだ。
「バっ…」
その名を滑らしかけた瞬間、俺の口に人差し指が当てられた。
「シー。酒くらい静かに飲めないのかい?」
この言い回し、この所作。間違いなくバンキシーのものだった。と、いうことは。
「まさかあんた、Fes見に来てたのか!?全然気が付かなかったぜ」
「静かにって言っただろ。あまり調子に乗るな、ただの気まぐれだよ」
「どうだったよ俺の歌?あの後すぐに特訓してな、荒削りだがなんとか歌の効果を抑制できるようになったんだ。相棒の力と合わせて観客のテンションに緩急つけられるようになったからよ、Fesの出番自体は短かったが中々盛り上がったと思わねぇか?」
「その分音程が雑になってたね。あと、ハイクのキレに難があったな。あまりにも素直に感情をぶつけすぎだ」
こいつ、そこらの評論家より的確な批評をしてきやがる。
「結局、ハイクは僕の芸術の足元にも及ばないという考えが深化しただけだったよ。じゃあ、僕はこれで」
「おい!誤魔化すなよ。例の賭け、忘れた訳じゃねぇだろうな」
「…全く。まあいいや、手短に言うよ」
……
『俺が勝ったら、てめぇの夢を教えやがれ!』
それが、Vi無粋の出した賭けの条件だった。僕はきょとんとして、は?と聞き返してしまった。芸術家にあるまじき、余裕の欠如した受け答えだった。
『今まで散々俺の心の隅っこまで暴き倒しやがって。あんたも腹割らなきゃフェアじゃねぇ!』
それが彼の言い分だった。きっと彼自身興奮状態にあり、あまり深く考えた発言ではなかったのだろう。まぁ、別にこんな口約束なんか反故にしてしまっても良かったのだけれど。
この僕に夢を問うなんて、そんな選択肢は全く予想もつかなかったんだ。どうせハイクの良さを認めろとか僕の便利な機械を貸せとか、あとはハイクを詠め、なんて無茶ぶりの類いが精々だろうと思っていた。Vi無粋が最後に放ったこの一手が、えらく久々に、強烈に、僕の予測を超えていったのだ。だから、答える。僕にはその義務がある。
「僕は大前提として、僕が満足する形態で芸術を作ることができればいい。それを大衆が勝手に囃そうがなんだろうが好きにすればいい。けれど、芸術というのは受け手がいなければ成り立たない側面も確かにある。しかも、僕の理想とする芸術は記憶という媒体を使うものだから尚更だ」
「うーん…全っ然手短じゃねーんだが」
「はぁ…。まあ、要は。僕の夢は、僕が真に理想とするところとはちょっと違うけれど、はっきりと言語化してしまうと。芸術によって、より多くの人に、より深く印象に残って貰うことだ、という結論に帰結する」
Vi無粋は、僕の言葉をよく吟味しているようだった。
「…バンキシーについてはよ、ネット上の一切の情報が消去されてるよな。それはみんなが芸術以外の場で、バンキシーという存在を記憶に残してしまわないようにしてるからなのか?」
「半分正解で半分間違いだ。僕は、生まれついての情報災害だった」
バンキシーは吐き出すように言った。
「記憶以外のあらゆる記録に残すことのできない、世界のバグ。最初はそんな僕の存在証明のために記憶の芸術を用いた。今は、芸術の理想形態としてそれを目指しているけどね。だけど短い文字数で、書き手の主観が組み合わさった婉曲した表現で、かつ紙という原始的な媒体に記される太古のハイクのみが、その制約を掻い潜り僕の存在を記録できてしまったんだ」
それによって、僕の至高の芸術が記録されてしまった。至高が至高でなくなってしまった。
「以上が僕の夢について。少し喋りすぎたかな」
「…そうか。ま、頑張れよ!力にはなれねぇが応援してるぜ。俺も新しくやりたいことができたからな、同じ夢を持つもの同士ってことで」
「はっ、君の応援?それには及ばないよ。これ以上君にできることなんてない」
Vi無粋が眉間にしわを寄せる。
「君はさ、今生きてるクリーチャーの中で、コジェリの次に僕のことをよく知っている人物だよ。忘れられないくらいに、僕のことを記憶に刻みつけた生き物だよ」
「それが?」
「つまりは、だ。君に関しては———」
バンキシーの声量が一瞬だけすぼんだせいで、その時呟かれた言葉を、俺は上手く聞き取れなかった。
———繧ゅ≧蜿カ縺」縺ヲ繧九▲縺ヲ縺薙→。
「おっと、これは記録禁止ね」
今なんつったんだ、と聞こうとした時には、バンキシーは既に姿を消していた。去り際が呆気なさすぎて、今まで見ていたものは現実だったのか、と思考がぼやけてしまう。寂寥感だけがそこに残っていた。
その時、からんからん、と居酒屋の扉についたベルが鳴る。振り返ると、サケビがやってきていた。
「おうVi無粋、お疲れさん」
「よっサケビ!よく休めたか?ライブは体力使うからなぁ」
「ああ、中々良い夢見れたよ」
「夢?どんなだ?」
「えー…っと、確か…あれ?何だっけ。すまん忘れちまった」
まぁ夢なんてそんなもんか、とサケビは言った。
夢。バンキシーも、それに近い存在かもしれない。そんなことを、ふと思った。一緒にいる時は嵐のようで、消える時はあっという間で。あれは幻だったのかと見紛うほどに、捉えどころのない異質なアーティスト。
その実、すぐに忘れ去られてしまいそうなほどに儚い。
「なあVi無粋。それ、なんだ?」
「あん?」
俺のカウンターに、1枚の紙が置かれていた。達筆な字で、とても短くこう書かれていた。
"忘れるな。僕はそっちに賭けるからな"
———五・七・六、字余り。
余分な1文字は、ハイクの形に綺麗に嵌ってやるもんかという、ささやかな抵抗の意思表示だったのかもしれない。少なくとも、俺はそう解釈した。
「…誰が忘れてやるかよ」
俺は紙が粒子となって消滅していく様を見届けながら、グラスの酒を一口含んだ。じんわり滲む酔いと共に、かけがえのない記憶が深く深く、体に染み込んでいくのだった。