それでも、
初めはただ守りたかった。
光文明の守護者たちは、固い大地に倒れた体をおもむろに起こした。彼らのすぐ後ろには、堅牢かつ煌々たる城壁が天に届かんとするように聳え立っている。それこそが無敵城シルヴァー・グローリーであり、絶対防御に移行するために今しがたガーディアン達を締め出した場所でもあった。浮遊に必要なマナの供給も完全に打ち切られ、地に堕ちた時の衝撃でガーディアンの多くが体に破損を抱えていた。それでも守護者として頑丈に作られた体組織のためまだ負傷の程度は軽微であり、同じく追放された他種族の民は地面に飛び散ったままぴくりとも動かなかった。こうしてやって来た下界では、混乱する超獣達がこれでもかとひしめいている。
終末魔導大戦。魔導具を濫用し、いたずらに世界を掻き回したその代償は、余りにも大きかった。五つの進化クロスギアの暴走。地響きは止まず、高波が迫り、雷鳴が轟く。超獣たちは不安定に押し合って、そうして潰れ死んだ幾多もの遺体がひどく濃縮された雑踏に揉まれ、むせ返るほどに拡散していた。誰もが血みどろに塗れ、悪夢のような臭気が蔓延していた。蠢くクリーチャー達には他文明出身の者も多く、文明を渡ってまで、この混沌に身を投じてまで無敵城に縋ろうとする状況こそが、事態がいかに致命的でどうしようもないか物語っていた。安全圏は、ない。世界の終わりが、すぐそこまで追いかけてきている。
あるクリーチャーが、城壁に手を掛けた。どこまでも滑らかで登りようがない壁に、剥がれそうなほど強く爪を立てる。また別のクリーチャーが、その超獣の体そのものを足場に上を目指す。さらに違うクリーチャーが上へと続き、彼らは肉体を折り重ねて上を目指し続けた。圧死も構わず、一心不乱にもがいてもがく。ファイアー・バードは持ち前の翼を羽撃かせ、何としてでもシルヴァー・グローリーへ、唯一の希望へと向かう。
ガーディアンは、躊躇いもなく彼らを攻撃した。
そこに感情も理由も要らなかった。ガーディアンの存在意義は、光文明を守護するというただ一つのみ。ただ、守りたかっただけだったのだ。なけなしの力を振り絞って、蒙昧な希望に立ちはだかることだけが今この場面においての彼らのレゾンデートルだった。当然、満身創痍の守護者たちが上手く暴動を止められるはずもなく、死体でできた塔はぐんぐんと壁の頂上に迫る。そして、閃光が輝いた。無敵城から発せられた光線が、下界のクリーチャー達を無慈悲に、一斉に貫いた。多くのガーディアンをも巻き込んで、肉の山ができあがった。埋もれ死にゆく守護者は思う。
これは違う。これでは何も守れない。
火文明の民は逃げ道を求めて殺し合い、闇文明の民は笑いながら自らの首を断ち、自然文明の民はただただ祈り、水文明の民は逃れられない破滅から目を背けるようにシュミレーションを繰り返し、光文明の民は同胞を見捨てた。
守るべきは光文明だけじゃない。救わなければならないのは、全てだ。
しかし、その観想は実現するにはあまりに途方もなく、潰えるにはあまりに力強い響きを持っていた。カタストロフが来訪し、臭いも怒号も蠢きも、無情に消えた後の後。散逸した骸の欠片の上に、一体の守護者が誕生した。
守るべきものの、一片すら残っていない荒野の上で。
そこにあるのは、ただ炯々と広がる虚無のみ。
虚無の守護者は、亡霊のようにふわふわとその場を飛び去った。
どうすればこの世界を守れただろう
正解はこれからやるべきことは何ですか 無力な超獣 全てを守りたい 攻撃してしまった守るべき彼らを 全部壊れろ やめたい 苦しい消えたい守れたしかしそれで排除で守れた無敵の要塞を光文明をだがそれだけではだめだ全部救うには どうすればどうすればどうすれば それには つまりは 外敵を排除しなければならないやりたくないやりたくないやりたくない助けてやりたくない嫌だ嫌だ守りたい護りたい
それでも。
それでも、いい。全てを守りたい。外敵を排除したい。こうも矛盾した願いを、叶える方法が一つだけある。
全てを、ゼロに。
……
『……』
狭間。ここはゼニスを極めし者が滅された時に一時的に送り込まれる、願いと現実の狭間だった。
『…………そっか。なるほどな…』
ここには一切の景観も、物質も、マナもない。力も、色も、無すらない。あるのは漫然と漂う意識だけだった。思考だけがここにある。感情だけがここにある。消えることのない矛盾と苦しみだけが残っている。どれだけ私自身が願っても、無情になることはついぞ叶わなかった。
『…なぁ。いつまで黙ってんだよ、シャングリラ』
鬼丸の意識がそう言った。彼はこの狭間への、私を除けば初めての来訪者だった。鬼羅丸となった彼と相打って、私たちはここへ送られた。
『ここにいないってことは、どーやらアニキは助かったらしいな。間一髪、融合を解いたのが間に合ったみてーだ』
鬼丸はぼやく。
『…シャングリラ。お前の記憶、流れ込んで来たぜ。あんなことがあって、しかも生まれ後すぐにここへ送られて、ずっと一人で…』
『何も問題ありません。いずれ全てはゼロになるのですから』
『それがお前の、絶対譲れねぇ信念なんだな。………辛かっただろ』
『同情の必要もありません。ゼニスは不滅。この世界に争いが絶えない限り、争いを止めたいという願いが蓄積し続ける限り、私はいつか必ず、再び顕現する』
『そうか、そんなら俺がここに送られてきて良かった』
『…何?』
『その時が来るまで、お前を一人にしないでおけるからな』
奇妙なことを言う男だった。彼のそれは、私にも理解できない感情だった。
『お前が復活するなら、俺も何度だって復活してやる。そしたらいくらだって止めてやるよ、感情のない世界なんざ作らせる訳にはいかねぇからな』
鬼丸は笑った。笑ったように思えた。宣戦布告の割には、どこか楽しげな様子だった。
『…馬鹿げていますね』
『バカ正直しか取り柄がねぇからな』
また、笑う。
その瞬間のことだった。
無限にして永遠なる狭間に、有りうべからざる煌めきが現れたのだ。粒々の煌めきは、矮小ながらもまばゆく虚空を漂う。
『これは…?』
『クリーチャーたちの願いの結晶です。我らゼニスを型作るものであり、狭間から現実へ導くしるべでもあります』
あてもなく彷徨う結晶は、私ではなく鬼丸の方に纏われていく。それはつまり、鬼丸はその存在を『願われた』ということだ。
『………』
結晶はしかし、鬼丸をこの狭間から引き上げるには心許ない量だった。私がシャングリラとして降臨するのに幾万年の歳月を要したことを鑑みると、短期間でここまで集まるのは驚異的といえる。
『あなたには、そんなにも多くの仲間がいるのですね』
『まあな。アニキにねーちゃんにモエルに勝っちゃん、プロフェッサーに…数え上げたらキリがねぇよ』
どうしようもないほどに美しい輝きが、そこにあった。数多の屍を積み上げようと、私には得られなかったもの。
『でも、数以上に質だぜ!俺たちゴールデン・エイジは一人じゃない。いつも黄金の絆で結ばれてんだ』
そうか。それが鬼丸たちが、私に抗った理由。私がゼロにしようとしたものの、正体。そう認識した途端、積まれた想いの奥の方から、にわかに込み上げるものがあった。不思議な感覚だった。
私は無情の極み。それでも、感情はある。
私はシャングリラ。それでも、理想郷はどこにもない。
私はガーディアン。それでも、何も守れなかった。
私はゼニス。私は無。全てをゼロにしたい。しなければならない。それでも。
それでも、この絆を守りたいと思った。
『…鬼丸』
『なんだ?』
『あなたは、きっと戦いをやめないのでしょう』
『そうだな。俺はいつまでも戦い続ける。戦って、分かりあう』
だから、か。鬼丸との戦いを経て、私は分かってしまったようだ。狭間の中で煌々と光る、神秘の中で。
感情が、いかに面白いものであるのかを。
粒子状の結晶の体積が押し広げられ、白が世界に満ちてゆく。鮮やかな結晶は途端にその量を増し、煌めきの奔流が鬼丸という概念を包む。
『…うおっ…!?』
鬼丸が驚きの声を発した。
『どうやら、あなたの帰る時刻が来たようです』
光が結集して、鬼丸の姿を模る。全身が柔らかな光で構成された鬼丸は浮遊し、私の元を離れていく。天蓋より明かりが差し込み、彼はそこへ吸い込まれていく。
『待て!シャングリラ。それじゃお前、また一人ぼっちに…!』
『構いません』
鬼丸の不服が伝わってくる。それと同時に、この後の世界のことを考えた。争いは絶えず、悲しみに満ち、しかし同じくらいの希望と絆がある世界。
…悪く、ないかもしれない。
だから。だからこそ、
『私が願ったのです、あなたの帰還を』
それは祈りにも近かった。どうか、この絆が再び結ばれますように。どうか、この世界がより良いものになりますように。どうか、どうか。鬼丸がここから出られますように。
私の願いは、世界を背負い続けた私の願いはとてつもなく力強く、別れを惜しむ間も無く鬼丸は———狭間から、消えた。
『…さようなら』
私が間違っていたとは思わない。彼の方が正しかったとも思わない。
だからこれは、「シャングリラ」としてではない、一体のクリーチャーとしての「私」のエゴだった。
私の身に宿った願いが底を尽き、意識がゆるくほどかれていく。感覚がなくなっていき、終わりが近いのが分かる。祈りに全霊を注いだせいで、残り火だった私の力が完全に失われてしまったようだ。
もし生まれ変わることが許されるなら。この役目から解き放たれて、生き直すことが許されるなら。もっと感情豊かに生きて見たかった。
ニヤリと笑いプンスカと怒る、普通のクリーチャーとして。
嗚呼、消える。
最期に見る記憶があった、生まれてすぐの記憶だった、体が滅びかけた世界に揺蕩っていた、枯れた大木の幹に空洞があった、中には森に守護され微かに息を残した雌雄のスノーフェアリーがいた、血がゆっくりと彼らから流れ出ていた、満ち満ちたその赤は幹から溢れ滴った、彼らは苦しく呻いていた、その体は死を待つばかりだった、何もできなかった、何もできなくてただ寄り添った、最期までその命を見守った、やがて死んで大木を燃やすと木は崩れ落ちた、遺体ごと灰になった、それを埋めて粗末な石を置いた。何もできなかった。何もしてやれなかった。無力だった無情だった虚無しかなかったそれでもそれでもそれでもそれでもそれでもそれでもそれでも!
それでも、
ただ守りたかった。
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