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騙る。

叡智、英霊、星。

まず始めに断っておかねばならないのは、『太陽』という星などどこにも存在しない、ということだ。
暖かな春の日に飽和する天からの光を、愚鈍な民たちは遥か彼方の宇宙に由来するものだと考えている。しかし、夜に明々朗々と輝く星々こそあれど、昼に世界を爆裂に照らせるような光量を持つ星は、現実に一つもない。ならば今この瞬間も照射されている明かりの正体はなんだと問われると、その源は空間ではなく『認識』の中に安置されているのである、と我は答える。あらゆるクリーチャーの意識、その根源には燃え盛る太陽のイデアがこびりついているのだ。集合した意識はやがて実体となる。
つまりは、クリーチャーたちの『太陽を求める心』が集ったことで、実際に『太陽らしいもの』が存在するようになったというわけだ。

今、まさに夜が明けようとしている。光が差す。熱が大地を包む。

偽りの太陽は、今日も世界に騙っている。

……

英知、居城、茶会。

「なるほど」

サファイア・ウィズダムは我の話を聞き届けると、簡潔に相槌をうった。

「すなわち、全ての闇を照らす太陽も、私の求めてやまない夜明けすらも、衒学的なイデアに塗れたものにすぎないというわけかい?」
「そうだ」
「私ですら初耳だよ。中々信じがたい話だが、君以上に説得力のある語り手はいないね、スターマン」

我は名を呼ばれ、自らのお世辞にも威厳があるとはいえない小柄な体躯を椅子に委ねた。円形のテーブルを挟んで、向かいには紺碧の仮面を付けた叡智の大老、サファイア・ウィズダムが座っている。我はテーブルの上に置かれたティーカップに視線を落とした。カップの中にはエコロバルーン・ビートルの背で育てられた特製の茶葉を使って淹れられた、透明な一杯の表面が静かに揺れていた。

「説得力のある語り手、か。貴様に言われると皮肉にしか思えないな」
「私は真剣だよ。なにせ君は、この世界で私よりも深い叡智を持ち得る唯一の存在だ」
「あくまで貴様の観測範囲内では、だろう。ミスティにでも聞いてみれば、案外我よりも賢い存在がいるかもしれないぞ。ライトブリンガー辺りが有力か」
「おいおい、ライトブリンガーは君が叡智を分け与えたんだろう?」
「主がしもべより賢いままで居られる保証などない」

そう言ってみせると、ウィズダムは口元に手を当て、さも愉快そうに肩を震わした。

「やはり君は面白いねぇ。主が絶対でないなんて、もう百万年後ならともかく、現代にはとてもそぐわない価値観だ。それも培ったのかい?君の持つ『星の記憶』から」
「まあな」

五龍神が統治する頃から生き続けている長命種、スターノイド。その中でも我、英霊王スターマンは一際特殊な出自だと自覚していた。
スターノイドとはその名の通り、星を継ぐ存在。根本的起源は彼ら自身さえ把握していないが、我の辿り着いた一つの結論をさも真実かのように語らせて貰うなら、その正体は『世界が求めた概念』の塊である。
星は、それ単体では生きていけない。滅びぬためには、文明の立ち上がりを手引きする者たちが必要だった。スターノイドとは、星を存続・発展させるために必要な機能を備えた、いわば世界の舞台装置である。ウィズダムとミスティが時空を規定し、ミロクたち三姉妹が文明の進歩に寄与する。同時に彼らは、生命のバランスを脅かしかねない闇文明の不死性に対抗する役割も兼ねていた。

ならば、我はどうか。

ウィズダムほどの知識も、ミロクほどの技術も持ち合わせていない我は、なんのために生まれてきたのか。どんな生き方を求められているのか。

正解は、『ない』。

我は、世界からさしたる役割を与えられていない。ただ特異な権能として、我は全宇宙で滅んだあらゆる星々が経験してきた歩みを、想いを、記録を保有している。それこそが『星の記憶』。要は、失敗例をたくさん押し詰めた屑箱だ。屑箱がゴミを集めることで部屋の清廉さを保つように、我が世界に在るという事実そのものが、この世界が滅んだ星と同じ歴史を辿ってしまう可能性を概念的に排除する。

ただ、いるだけでいい。この一挙手一投足に意味はなく、我はいかなる期待もかけられていないのだ。故に、我もまた世界にいかなる期待もしていない。

「それで?君の方から私を誘うなんて珍しいじゃないか。今日のテーマは何かね、君に特別に決定権を譲ろう」
「今日のテーマ?ああ…今日のテーマか。そうだな。そう…」

「今日のテーマは、下界に住むクリーチャーの根絶について」

……

不死鳥、熱、太陽。

「ほう」

我の宣言にウィズダムは特段驚く様子も見せず、平然と応じる。

「それは…エンペラー・アクアの企画した『全生物滅亡計画』の真似事かね?」
「当たらずとも遠からず、だな。アク坊は良くやったよ、なにせこの世界で初めて貴様を出し抜いて見せた」
「だが失敗した。あの計画が『12のプログラム』の機能不全を狙ったものだということは承知している。サイバーたちはプログラムがある限り、自らの成長には限界があると悟ったのだろうね。未来における『完全』を求め、彼らは自分たちの生命すら省みずに抗ってみせた。全世界への滅亡宣言布告まで、私たちの目すら欺いて。もっとも、アカシック・レコード絡みの多層的な目的もあったようだが…おっと済まない、ついおしゃべりが過ぎたな。一体全体、どうして仙界の外を滅ぼしに行くというのかね?」
「…ウィズダム。星が滅びる要因の中で、最もメジャーなものはなんだと思う?」
「エントロピーにおける形而学上の死、だろうな。退屈と平和が宇宙を包み、語るべき物語が絶えることによる滅亡」

即答が返ってくる。

「まさにその通りだ。舞台装置にしては過剰な力を持つ貴様たちが世界に求められたのも、そこを解決するための措置なのだろうと我は考えている。特にミロクなんかはそこら中に戦禍の種をばら撒いているしな」

我は部屋の奥にある、ウィズダムが空間を歪曲させて作ったジオラマを見た。箱庭の中では、いつも何かしらのクリーチャーが何かしらを争って戦い続けている。命が死に、生まれ、環境は循環していく。

「戦いが長引くと、誰しもが平和を願う。願いはイデア・フェニックスに蓄積されることもあれば、ゼニスを生み出すこともある。いずれにせよ、中途半端に生命が残ってしまうような戦争はかえってエントロピーの死を招きかねないんだよ。『今』がまさにそうだ」

地上ではドラゴンたちの復活を契機に、クリーチャーたちは世界への畏敬を忘れ、進化と多色の力をむやみやたらと振りかざし続けている。

「生命の滅亡は問題じゃない。何度種が絶えようと、必ず誰かが文明を紡ぐ。大事なのは、そう…間引きだ。過剰な繁殖が却って育ちを悪くするのと同様、星も半端に栄えてはいけないんだ。だから命を間引かなければならない」
「ふむ。いつしか君はアイデンティティに悩まされていたようだが、それを自身の使命だと捉え直したのかね?」
「別にそういう訳じゃない。我は我なりに、星を継ぐ者として世界に手を加えようというだけのことだ。実際、多色の力が蔓延ったせいで仙界と向こうの境界は曖昧になりつつある。文明が引き裂かれて以来仙界に封じられていた我だが、今なら下界へ君臨することができる」
「そうか。君がそう決めたのならば、私に止める権利はないねぇ」

ウィズダムは紅茶を飲み干した。仮面越しに紅茶を飲むとは少々奇怪に思えるが、それを当然だと流せるほどに我々は高次にあるのだった。

「貴様のプログラムが壊れても、文句言うなよ」
「甘んじて受け入れるとしよう」
「それと、今回は五王総出で取り掛かる」

そう言った時、ウィズダムは初めて僅かに驚愕の色を見せた。

「ほう!それはかの暗黒王と太陽王も、ということかね!」
「ああ。フェニックス以外にも、ナーガは下界の者どもに怒り心頭で、ペガサスは全てのクリーチャーを救いに導こうと息巻いてる」
「そうかそうか。それは興味深い戦いになりそうだ」
「とはいえ、貴様はイデア・フェニックスに類するものを観測できないだろ?イデアは、それを求める主観の前にしか現れない。あらゆる主観を排除し本質を掴もうという貴様の在り方は、フェニックスに観測を拒絶される」
「だからこそ、だよ。見えないもの以外の全てを見ることができれば、実質的にそれが観測可能になる。そのためには恐ろしい準備と集中が必要だが、今回はその絶好の機会だ」

それに、とウィズダムは言葉を続ける。

「私にもまるきりイデアを見ることができない訳ではない。なぜなら君が偽物だと断じる太陽を、私は見ることができるのだから。太陽王は見えなくとも、今こうして輝いている太陽は見える。それこそが、あまねく全てを照らす光を、太陽そのものを私が常に求めている証左だ」
「貴様はいつも楽観的で参るな」
「褒め言葉として受け取っておこう」

我は、あの太陽を受け入れたいとは全く思わない。偽の星という概念そのものが、滅んできた星の無念を無数に内包する我と相反するからだ。しかしながら世のクリーチャーは、闇文明の者でも、ましてやウィズダムでさえも太陽を見ることができるらしい。僅かでも彼らなりの希望を求める心がある限り、太陽は誰にでも姿を現すようだ。

「…全くもって、気が滅入るな」

居城を出て、一人呟く。顔を上げると我の視界には、堂々と不在の太陽と、それに付随するどうしようもない暗闇がどこまでも広がっていた。雲一つない白昼のことだった。

……

下界、破壊、星屑。

「『叡智の防壁スターダスト・ガード』」

そう呟いて目前へ展開したバリアに、バジュラの質量が全霊にぶつかる。大地を震わす衝撃がびりびりと空気を通して伝わるが、堅牢な防壁はびくともしない。超竜が雄叫びをあげると、その巨躯は赤く滾り、纏った鎖が踊り狂う。俊敏に振るわれた鎖が生み出した鋭い流れが、盛大に雲を裂く。叩きつけられた攻撃は、我のバリアにさえひびを入れた。奥歯を軋ませるような苦しい呻きがバジュラから捻り出され、さらに一撃。見事、防壁が粉々に打ち砕かれる。

「我が防壁を壊したな?随分と不敬な奴だ!」

間髪いれず、さらに速度を増した鎖が襲いくる。

「まあいい喜べ。その無礼、特別に水に流してやるとしよう!文字通りな!」

不遜に声を上げると、飛散したバリアの破片から質量が生まれ、山一つ掻っ攫う竜巻のような水流がバジュラを鎖の勢いごと呑んだ。奴は負けじともがきつつ、発熱と鎖の回転で水の流れに逆らおうとするが、天に向かって廻る逆滝には抗いきれず、体は徐々に浮いていく。足掻きの効果はさほど見られず、とうとう見上げるほどの高さにまで到達した。

「解除」

我が一言発すると、途端に水流は爆ぜ消え、バジュラは真っ逆さまに転落を始める。

「大した手応えもなかったな!来世は一生星でも眺めてろ!」

そしてその心臓は、頭上に突き上げた我の短剣に、落下の勢いのまま貫かれるのだった。
断末魔に低い声が漏らされ、また一つ命が消える。圧倒的な重量を持つ肉の塊を事も無げに振り払うと、土煙と共に鎖の擦れ合う音が広がった。

五王が襲来してしばらく経ち、蹂躙は至極順調に進んでいた。あと一週間ほどクリーチャーを殺し続ければ、間引きは充分に完了する。辺りを見回すと、昼間だというのにひどい暗さだった。月も太陽もなく、小粒な星々だけが瞬いている。地は冷たく、いささかの温度も感じられない。恐らく、太陽のない世界に取り残されているのは自分だけだろうという確信があった。どんなクリーチャーでも、息づいている限りは太陽を見ることができる。我のように、真っ向から偽の星に刃向かおうなどと考えない限りは。終わった星屑たちを頭の中に押し込められ、舞台装置として目的のない生を押し付けられ、世界に失望しない限りは。

あっ、また一つ星が消えた。

誰にも語られないその星の記憶は、退廃的でありふれていて何の面白みもなく、それでいてやけに長かった。星空を見上げると、まだその星は輝いていた。宇宙からここに光が届ききる数分間の間だけ、それはまだそこにあった。死んだ光がじっとこちらを見つめている。光はとても情けなくて、今にも消えそうで、実際にすぐ消えてしまった。

星々の興亡は、悉く我の頭上に浮かぶ巨大な眼球状の物体にインストールされている。せめてこの星の記憶を活かしたいと思ったこともあるが、我自身は特段何かやりたいことがあるわけでもなかった。誰かに記憶を譲渡して役立てて貰いたかったが、適任もいないようだった。ウィズダムは論外だ。ただ知識をいたずらに蓄えるだけで、その行動に規律はない。ミロクもまた同様。記憶を閲覧するうちに飽きられ、忘却の彼方に置き去りにされるのがオチだ。譲るならば、絶対の正義を持つ裁きの執行者がいい。かといっても、今の光文明は腐敗していてどうしようもない。

しばらく歩いていくと、恐れ慄いた様子の火文明の民どもが固まって震えていた。その内何人かの屈強なボルカノドンとメルト・ウォリアーは武器を手に立ち上がり、我と対峙する。その仕草には多大なる恐れと迷い、そして微かに秘めた勇が見てとれた。

「お…お前、バジュラすらも…!今まで仲間を何人殺してきやがった…!?」

斧を携えたメルト・ウォリアーが問う。何人殺した、か。嫌な質問だ。

「さあな。あの世で数えてこい!」

鮮やかな剣閃が走ると同時に、不要な枝葉が刈り取られてゆく。

……

不滅、炎、星の記憶。

ウィズダムに太陽の話をしたのは、なんでだったか。もしかしたらどこかで、我は『これ』が起こりうる可能性を機敏に感じ取っていたのかもしれない。死ぬ前に、奴の持たない叡智をひけらかしたかったのだろうか。まぁ、こんな自問に意味はない。

それが出現したのは、つい数刻前。

仙界より、『不滅』の名を冠するフェニックスが飛来したのだ。その姿はまるで、太陽王よりも太陽のように煌めいて。

そして何よりも、速かった。

防壁の展開すら間に合わず、我は一撃で吹き飛ばされた。いや、たとえその襲来を予期していたとしても、到底敵いはしなかっただろう。クリーチャーたちが、己は滅びたくないと、我らを倒したいと願ったために生み出されたフェニックスなのだから、我らよりもずっと強力な権能を携えているのは当然の理。我が脳はまだ機能しているが、先の一撃で魂に消えない炎が灯されたことが分かる。我を焼き尽くすまで、決して絶えることのない灼熱が。もはや我が命は、長くは保たない。宇宙を揺蕩う星屑どもと一体となる宿命だ。

この世に生まれ落ちて初めて見た景色は、夜明けだった。その時その瞬間だけ、我は眩く光る太陽を見た。星の記憶によってそれが偽だと知るまでの儚い間のみ、我は誕生による歓喜と陶酔に浸ることができた。

あの日心に打ち込まれた感動の切れ端を、未だに手放せないでいる。

我が危惧していた事象は、想定よりも遥かに早く起きた。だが、それはなんら疑問が生まれ得る事象ではない。なぜなら他でもない我が、奥底から願ってしまったからだ。我の滅びと、世界の不滅を。自らの手で生命が死に絶えていく光景を見て、叡智に照らされた我の心象に一筋、寂しげな灰色が混ざり込んだのだ。全くもって不甲斐ない顛末だ。ウィズダムが聞けば、きっと大笑いするに違いない。本当は、ずっと前からこの結実を密かに望んでいたというのだから。

世界の存続。そのために我は生まれた。だが我は、太陽という輝きを失った世界をどうにも好きになれなかった。簡単に日の光を享受してしまえる他者に虫唾が走った。しかし、その感情すら独りよがりなものにすぎないことも、十全に把握していた。だから、まあ、ここで終わりにするとしよう。星屑どもと同じで、語られず、つまらなく、ひっそりと息を引き取る我の物語を。

空を仰ぐと、闇だらけに捻じれた昼の中を、三体のフェニックスが飛び交っている。イデアとイデアが激突し、願われし虚像が狂い咲く。星としての太陽を目に入れることは叶わないのに、太陽に対するイメージの具現であるソウル・フェニックスならば観測できるというのはとんだ皮肉だ。我は手を伸ばす。真黒な天蓋に手のひらが重なる。とうとう、指先が燃え始めた。迸る炎が骨の髄まで焼き消していく最中。空が、にわかに明るくなった。

太陽が、眼前に現れた。

その雄大なる嘘の繚乱は我が身を焼き、我が目に焼き付いた。降り注ぐ光は空を果てまで青く塗りたくり、雲の白さを浮かび上がらせる。

「ふん」

吐き捨てるように言った。

「中々上手く騙るじゃないか、ペンダット」

脳髄の奥に悪ガキの舌打ちが鳴り響くが、案外気分は心地いい。

偽りの太陽は、今だけは我に騙っている。

……

今日のテーマは、やるせなさ。

「ちぇ。あいつ、結局最期まで騙せなかった」
「そりゃあそうだろう。お前が騙すには一兆年早い相手だ」

英霊王、蛇魂王、聖獣王、太陽王、暗黒王、そして龍炎凰。仙界より目覚めし六体の王は、激戦の末に相果てた。

「君を悼もう、スターマン」

スターマンの残した眼球状の物体を、私は青地に黄金の意匠を施した箱の中に仕舞った。もはやその中に、星の記憶は入っていない。初めてイデア・フェニックスの胎動を観測することに成功はしたが、その代償は想像よりも大きいものとなった。こうした感傷を抱くと、自らに心を創り出したことを恨めしく思いつつ、新たに顔を見せた私の心の側面に嬉しくもなる。飛び散った星の記憶は、仙界の土地に宿る『星龍の記憶』と同化した。いつかその力が世界の一助になり得ることを期待しよう。

今となっては分からないが、きっと私の小さな友人はこの結果を望んでいたような気さえする。来たるべき帰結がやって来たというだけで、何も理不尽なことではない。それどころか、先の一戦は研究へ多大に寄与してくれた。だから大した問題ではない。だから。

「万事上手く事が運んだな!一件落着!」

相手のいないテーブルに差し込む陽だまりを見ながら、私は私に、少しだけ騙ったのだった。

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