【ネタバレ注意】葵咲本紀・身体と心〜新しい物語を紡ぐ千子村正〜
先日刀剣乱舞ミュージカル「葵咲本紀」を観に行くことができました!!!喜!!!
そもそも双騎が終わってから急激に千子村正推しの波が急激に押し寄せてきて(7月)、慌てて当日引換券チャレンジをして何とか8月の銀河劇場に滑り込むことができました。全ての生きとし生けるものに感謝です。
みほとせ続投組の千子村正と蜻蛉切もそうだけれども、新キャストの四振りも本当に素晴らしくてしょっぱなから静かに涙を流し続けたのでした。語彙力の低下する感想は後ほど書くとして、今回は千子村正を中心とした物語の解釈を考えてみようと思います。
これから観劇される方は「三百年の子守歌」と「つはものどもがゆめのあと」をご覧になった方がいいのと、この下を見ないようにお願いします。
以下ネタバレ注意!!!!!!!!!!
めっちゃ長いよ!!!!文章が!!!!!!
身体と心~新しい物語を紡ぐ千子村正~
※今回の話題の中心であり推しである千子村正(演・太田基裕)
この新作が今までの物語と大きく異なるところは、「三百年の子守歌」(以下「三百年」)に描かれる徳川家康七十数年の生涯に挿入される話であるという点だ。
三百年の子守歌(家康誕生から信康の死まで)
↓
葵咲本紀
↓
三百年の子守歌(家康臨終の場面=ラストシーン)
という構造である。つまり「葵咲本紀」は「三百年」の途中に差し挟まれた物語なのだ。
この構造は千子村正の表現のされ方に顕著に影響している。今回スポットを当てた千子村正というキャラクターは具体的な一振りの刀を指すのではなく、刀工の作全体を指す刀剣男士である。そして、彼は「三百年」の冒頭で顕現された。つまりまだ肉体を得て間もない状態であった。
そんな千子村正とにっかり青江、大倶利伽羅、蜻蛉切、物吉貞宗、そして隊長である石切丸の六振りに課せられたのが「徳川家康の家臣に成り代わり、彼の一生を見守る」という任であった。しかしこの任は千子村正にとって、ある種彼のアイデンティティを揺らがすものであった。
そもそも千子村正が千子村正たる理由は「妖刀伝説」、すなわち「徳川に仇なす刀」「不吉な、災いをもたらす刀」という伝説にある。それらは事実ではなく人々が流布した噂であり、現に徳川家康は「村正」の刀を持っていた。しかし、多くの人が知る「村正」はこの「妖しい」刀としての「村正」なのである。
それに対し、千子村正は「好きに言わせておけばいいのデス」とどこ吹く風の一方で、他の刀と共に家康の家臣になって彼を見守る提案に対して「斬ってしまうかもしれません」と言い放つような伝説の上書きするような言動がある。さらに「脱ぎまショウか?」と物吉貞宗や大倶利伽羅に絡む、「よく分からない」キャラであり、その「よく分からない」ことを肯定する節がある。このように表面的には「妖刀」としての「村正」をトリッキーでエキセントリックな言動や態度で表す一方で、本質は真実とは異なる姿が広まりながらも結局自分のアイデンティティの核が人々の作り上げた虚構であるという哀しみが裏打ちされている。しかしトリッキーさ・エキセントリックさ・皮肉が前面に出るが故にその本質に気づく者は多くない。
その千子村正がこの「葵咲本紀」ではこのトリッキーでエキセントリック要素は影を潜め、悲哀や怒りという感情を持つ存在として描かれている。
「葵咲本紀」冒頭で歌われるのは千子村正ソロの「かざぐるま」だ。その時彼は手にはトリカブトの花を持ち、舞台には家康、亡き信康らが現れる回想シーンとなっている。「かざぐるま」は「三百年」1部の象徴的な楽曲であり、トリカブトは幼き信康が手にしていた花。冒頭からこの物語が「三百年」と地続きの世界線であることを明確に示している。
そしてその後に現れた蜻蛉切には「ワタシはあの人(家康)がきらいデス」と心情を吐露する。それは「徳川に仇なす刀」としての性質ではなく「信康の命を奪ったから」だという。しかし「三百年」では信康に思い入れやはっきりとした愛情を見せる石切丸や物吉貞宗が、また吾兵の墓前で悔しさと悲しみをにじませる大倶利伽羅が描かれているものの、千子村正が人間に対しそのような感情を抱くことがわかる描写はない。つまり「葵咲本紀」冒頭の千子村正の吐露はいささか唐突な、説明がない出来事のように感じられる。
古語に「岩木」という語がある。例えば「岩木ならねば」のように、打消表現を伴って使われることが多い。「岩木」とは「人間」の対として使われていて、「人間」は感情、心を持つもの、そしてそれと反対の存在である「岩木」は感情、心を持たないものという意味で用いられる。つまり、家康に対して嫌いだという感情をにじませる千子村正は紛うことなくモノ(刀)ではなく「心」を得た存在であり、ある意味ではヒトそのものなのだ。その「心」は千子村正を支配し、検非違使との戦いの場面では「三百年」の石切丸のように強大で危険な力を手に入れる。しかしその力をもっても、検非違使には敵わず敗走してしまう。「心」があるから悩み、苦しむ。それはミュージカル刀剣乱舞に出てくるキャラクターが幾度となく対峙させられる、普遍的なテーマなのかもしれない。
さて、その「心」に関して興味深い二つの観点から考察をおこなう。
ひとつめは身体の役割という観点である。付喪神でありながら、人間と同じように物理的な肉体を持つ刀剣男士。ただのモノ(刀)にあらざる存在となり、肉体を持つ影響とは何か。そこで身体についての二つの指摘から考察していく。
身体が生きる世界を離れ、それとの関係の一切を断ってしまったところでは、個々のことば自体が意味をなさない。だいいち、語り出す声は身体から発する息の音であり、書きつけた文字は身体の仕草の痕跡である。この身体を出入りする息、身体の紡ぎ出す仕草ぬきに、ことばはありえない。これはあまりに当たり前のことである。
しかしそれだけではない。ことばで語り出す世界の中身そのものが、この生身で生きる世界を離れては、根を失う。雪を肌に受けて震える身体、その下で冷たい冬を過ごす身体をぬきには、[yuki]はただの音声にすぎないし、「雪」の文字が意味不明の模様にすぎない。あるいは風の音を聴き、それが頬に触れる感触をもつ身体をはなれては、[kaze]はただの無意味な音声以外のものではなく、「かぜ」はただの無意味な綴りでしかない。ことばはすべて、どこかで身体の世界に根ざしている。これもまた自明の理である。(浜田寿美男『「私」とは何か ことばと身体の出会い』講談社選書メチエ)
思いや感じや考えは目には見えない。それを「心」と呼ぶとするなら、目には見えない体とは、じつは、心のことではないだろうか。病気になって気分が悪い、気分が悪いのは体なのか心なのかよくわからないよね。だって、もともとそんなもの分けられっこないんだから。見えるものの側から見れば体、見えないものの側から見れば心、心と体というのは、別々の二つのものが脳かどこかでくっついているということではなくて、どちらの側から見るか、という二つの見方のことなんだ。体と心は、ひとつのものの二つの側面なんだ。(池田晶子『14歳からの哲学―考えるための教科書―』トランスビュー)
浜田寿美男は「身体」と「ことば」が、池田晶子は「体」と「心」が不可分なものであると述べている。つまり身体があるからこそ、その感覚器官がさまざまなものを知覚し、言葉が生まれるのだ。身体がないと知覚できない。また、身体の見えない側面が「心」であるからこそ、身体と同時に「心」は息をし始める。どちらかが最初に存在するのではない。身体と離れた「心」、「ことば」は存在しないのだ。そのように身体が/感覚器官がとらえ、そこに(身体の/心の)動きが生まれ、それが表情や言動や行動などの表出、あるいは内なる感情につながり、自己/他者がとらえるものとなる。このように考えると感情や心は肉体を得たがゆえに生まれたものであり、肉体と心を切り離すことはできないと言うことができる。
もう一つはその「心」の育まれ方である。それについて穏やかな文体で指摘するのは鷲田清一である。
わたしの「こころ」はわたしには見えない。それはわたしの名前がそうであったように、あるいはわたしの「こころ」のかたどりがそうであったように、まわりの他者から贈られるものなのだ。大事にすることが「こころ」を生む……。他者に大事にされることでかろうじて繕われる「わたしのこころ」、それはわたしには、いつかだれかによって大事にされたはずのものとしてしか感受できないものである。自尊心やプライドというと硬くなるが、それを自分の存在を粗末にしないこというふうに考えれば、自尊心やプライドもまた自分を大事にしてくれる他者から贈られるものなのだ。
とはいえ、ひとにとっては大事なことほど見えにくい。最後まで見えないかもしれない。たとえば〈わたし〉、その存在の意味、生きることの意味、死の意味……。しかしその答えのすぐには見えないこと、ひょっとしたら最後まで見えないかもしれないことを、ひとびとは大事にし、そのまわりに芸術や文化を創ってきた。
こころはその意味で、育まれるものである。それは、思いやりのなかではじめて見えてくることである。壊れてしまわないかと気遣って、いたわり、大切にするなかで子どもの「こころ」は生まれ、そこに住む一人ひとりがその佇まいに思いをはせ、さりげなくゴミを拾ったりするところで、まちの「こころ」は育まれる。
「こころで見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
枯れないように花に水をやったり、だれかのことを心配したり、つまり何かを大事にするということのなかではじめて「見えて」くるものがある。大事な物は、そういうふうに大事にしつづけないといつまでも見えてこないものなんだよと、そう、『星の王子さま』のなかの狐が告げている。(鷲田清一『わかりやすいはわかりにくい?――臨床哲学講座』ちくま新書)
「三百年」では史実において信康が切腹させられる日、石切丸が扮する服部半蔵が史実の通り信康の介錯に向かった。
その際にっかり青江は「心のこと。あんまり無理をすると壊れてしまうんだって」「分け合えるときは分け合おうと思うんだ。哀しい役割はね」と言い、石切丸の元へ向かう。また、信康が死ぬ運命を受け入れずに涙を流す物吉貞宗に対して千子村正は「アナタは幸運だけを運びなさい、こういうことは”妖刀”の役割デス。」と気遣い、自分が背負う言葉をかける。さらにその千子村正に対し蜻蛉切は「忘れるなよ、俺も村正だ。妖刀伝説をおまえ一人で背負うことはない」と声をかけた。そして石切丸をかばって検非違使に討たれた信康は石切丸に「あまり…無理をするな…」と案じて息絶える。
この場面は千子村正が石切丸を案じ、物吉貞宗を案じ、にっかり青江や大倶利伽羅と同じように分かち合うことを望み、蜻蛉切にその伝説を分かちあってもらう。そして信康の命を奪えないと苦悩する石切丸を、信康は気遣ったまま死んでいく。互いが互いを思う、という相互性がこの終盤の場面ではっきり表現されている。
また「葵咲本紀」では検非違使と対峙し敗北した千子村正が鶴丸国永、蜻蛉切と逃げ延びた先で語る言葉、「ファミリー」。血のつながりもない、ただ同じ刀派であるというだけであるがそこにそれ以上の絆を互いに見いだしている。そして深手を負った自分を助けてくれたのは死んだはずの信康であり、彼が生きていたことに対して「よかった……」と崩れ落ちる。このような相互の関わり合いの中で千子村正の心は形作られ、存在しているのだ。
「葵咲本紀」の最後の場面で、石切丸が「三百年の子守歌」の任務の中でつけてきた記録の題名に悩む蜻蛉切に対し、千子村正は迷い無く「葵咲本紀」の名を付ける。この日記は今まで述べてきたとおり通り、徳川家康の誕生から死までの物語であり、そこに携わる千子村正をはじめとした刀剣男士とそこに生きて死んでいった人々の物語である。
千子村正が名付けた「葵咲本紀」、「葵」は徳川家の家紋であり、「咲」は「笑」の古字である。言うなれば徳川家康の生涯を寿ぐような題名を「徳川に仇なす妖刀」であるはずの千子村正が名付けることとなったのだ。「三百年」の冒頭では家康を「たぬきおやじ」「地味」とからかい、「葵咲本紀」の冒頭では彼に対し「嫌い」「許せない」と感情をあらわにしていた千子村正が、この場面では皮肉の笑いではない、穏やかな「咲」(笑み)を浮かべて。
千子村正は肉体を得、他の刀剣男士や人々との中で「心」を育んでいった。そして肉体と心を得られたからこそ、結果として今まで自分の存在のよりどころのなっていたはずの「妖刀伝説」を塗り替えていった。徳川家康の一生を助け、信康を救えなかったことに苦悩する「心」を持てた千子村正は他者のために刀を振るえる存在となり、「妖刀」ではない新たな物語を紡ぎ始めることができたのだ。「葵咲本紀」はそんな彼のための物語であったのかもしれない。
本当に観に行くことができて嬉しかったです…すべてに感謝…ありがとう…ありがとう…
そして「三百年」は映像を見ながらセリフを書き起こせましたが「葵咲本紀」については記憶だけが頼りなのでこんなニュアンスのことを言っていたな~という感じなので曖昧です…。
今回千子村正しか書いてないんですけれども推しなので…熱く語ってしまいました…千子村正役の太田基裕さんほんとうにありがとうございます…。太田さんが演じてくれたからここまで千子村正という存在が魅力になっていると思いますし、わたし自身も無事深い沼に入ることができました…ずぶずぶやでまじで……
あとは何卒10月の当日引換券が取れることを祈って終わります…おねがいしますまじで…それまで一生懸命働きますから…
次回書きたいこと(無論未定/タイトルは仮称/たぶんまとめられない)
・絆とファミリーと兄弟 血のつながりと「存在を覚えておく」ということ
・三日月宗近という機関と鶴丸国永~歴史に残る/残らない人々~
・繰り返される夢・役割~なれるものになる?なりたいものになる?~
・手の温度~人間と刀剣男士と時間遡行軍~
・語彙力のない感想(琴線揺さぶられまくる1部と目が足りなくなる2部)