ほんとうのわたしなんていないんだけど、

久しぶりにこちらでも書いてみる。
人のを見るのはとても楽しいけれど、自分では意識してみないと書く力が衰えていく。
言語化できないことはもちろんあるし、だからといってそこにあぐらをかいてしまうと、なんにも生まれない。

幸服無限というフリーペーパーをご存知であろうか。
ひょんなことから編集長と出会い、毎号読むことができている。
前にもどこかで言っていたけれど、雑誌は無限のように見えるものの中の消費のスピードに流されているように感じる。
その中で幸服無限、及び執筆者の人たちはその手で選び抜いている。
すきなもの、こだわり、身に纏うといつことが自らを体現しているのだと、気づかせてくれる。
だからこそ、何度も読み返してみたくなるようなフリーペーパーなのだろう。

今回のテーマは「休日の服」。
休日というのはある種の非日常であり、わたしたちの生活の大半を縛るものからの解放である。
そんなことを思いながら、自分にも思い当たるふしを思いながら、今回の号を読んだ。

私は私の服を着るよ

これは今回の執筆者のササキさんの言葉だ。
彼女はわたしのだいすきなワンピースを着ているのだけれど、彼女の言葉は強く読む人を貫く。

週五日ある平日にきちんと好きな服を着て過ごすことで、自分の輪郭がはっきりしていくように思う。

そう、わたしは自らの週五日を疎かにしてた。
だいすきなワンピースは職場には着ていけないから。
でもそういう人たちが多い。
わたしと一緒に働く人の何人の輪郭がはっきりしているのだろう。
ただ、どんなに疎かにしてもわたしたちはその週五日の纏うものを、無限に見えるものの中のから自らの手で選び取っているのだ。
ほんとうのわたしなんていないんだけど、でも一つの側面のわたしは確かにいるはずだ。

お気に入りの服を着て生きていく。

それだけで胸を張り、足取りが軽く、とてつもなくハッピーである。
無限に見えるものの中でわたしのお気に入りを選び取る、わたしたちは流されているだけではないのだ。
手を伸ばしたその先にあるのはきっと今の一番であると願う。

さあ明日はうつくしいワンピースに袖を通そう。

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