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雨とやる気に関する考察~ぐだぐだ論~
私は「やる気」というものを信じていない。
「信じていない」というより、自分のやる気を「信用していない」と言った方が正しいかもしれない。
そもそも自分のやる気をあてにしいたら、ほとんどの時間を、仕事もやらずに家で海外ドラマを見て過ごすことになってしまう。
そんなことになれば、見るべき海外ドラマも底をつき、今まで見たこともない番組を探し求めて、数々のストリーミングサービスをさすらう「スナフキン」と化すに違いない。
ただ、信用していないと言いながらも、胸の奥底には確かに「やる気」というものが存在している。
私の「やる気」は、体内深くに根を張り、殆どの時間を眠って過ごしている。はっきり言って、かなりのロングスリーパーだ。
そのため、朝天気予報を聞いて「雨だ」とわかると、とても安心する。
雨の日は、普段のやる気の有無に関わらず、「今日は雨のせいでやる気が出ないんだよな~。」と自分に言い訳をすることができる。
雨のおかげで、自分が「時々はやる気のある、いっぱしの人間」であるかのように振舞えるのだ。
実態なんてどうでもいい。
「雨のせいで」という、納得感のある枕詞をつけられる、ということが大切なのだ。
もっと言えば「雨による気圧の変化のせいで、頭が重いような気がする、ような気がする。」
という、伝家の宝刀を使うことで、罪悪感なく家の中の様々な雑務を後回しにすることもできる。
本当に頭が重くなる人には申し訳ないけれど。。。
しかし、これがひどくなると「雨を理由にすれば、なんでもサボれるのではないか」という誤った方向に思考が及んでしまう。
例えば、誰しも、人と約束をして当日面倒だな・・・と思うことがあるだろう。大人ともなれば、一度交わした約束を断るためには、それなりの大義名分が必要だ。
「やる気が出ないので、本日は欠席させていただきます。」
なんてことは、口が裂けても言えない。
雨が降っていなければ、私の前頭前野がフル稼働で”さぼりたい欲求”を制御し、なんとか約束を破らずにすむ。
しかし、雨の日はそうはいかない。雨の魔力は恐ろしいものだ。
ひとたび雨とわかると、私の中の悪魔がささやき始める。
「”雨なので、ちょっと。。。欠席させていただきます。”って言って断ればいいじゃない。」と。
いや、これが本当に適切な言い訳かどうかはわからない。
が、「やる気がない」よりはましだろう。
そして、雨音が強まるにつれて、悪魔もボリュームを上げていく。
「大丈夫。“雨なので”に続く言葉を濁せば、相手がそれらしい理由を勝手に想像してくれるから。最後の“欠席させていただきます。”さえはっきり言えば、濁した部分は、聞き返されやしないよ。」
と。
何とも恐ろしい奴である。
こうなってくると、私の前頭前野も意味をなさなくなってくる。なぜかその悪魔のささやきが、妥当かつ自分の欲求にマッチした素晴らしいものに思えてくるのだ。
雨のたびに訪れるこの葛藤。いつかこの悪魔にほだされてしまうのではないか、という思い。
もうすぐやってくる梅雨に戦々恐々としながら、今日も一人雨音を聞いている。
※実際、悪魔に身を売ったことがあるかどうかは、私の名誉のため聞かないでほしい。
2019.5.14 雨