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育児で助けを求めづらい理由
日中ひとりで、子どもの世話をしていると、やっぱり毎日毎日が大変だな、と思う。いや、大変っていうか、マジ無理、というのが正直なところかもしれない。
それでも、周りに頼ってみたり、助けを呼んでみたり、ということがしづらい、少しハードルが高い社会の構造みたいなものが、なんとなく実感を伴って見えてきた。
自己責任の「空気感」や「うしろめたさ」
そもそも(もはやこんなことを言うひとも思ってる人も少ないとは思うけれど)、自分たちで産んで育てるって決めてたんでしょう?そうして産んだ、あなたの子どもでしょう?という言葉、まではかけられないものの、どこかそういう個人の自由のもと、自分たちの生き方として、育児をしているんじゃないの、という無言のプレッシャーがなにかある。
これは、誰もそんなことを思ってないのに、自分自身で無意識のうちに内面化しているものなのか、あるいは、みんな口にはしないけれど、どこかでそう思わされてしまう時代の「空気感」みたいなものかもしれない。
「子育て」は「親育て」とか、「育児」は「育自」とか、そういう子育てもしんどいけれど、あなたのためだから、みたいな言葉もその一種だ。
シッターさんにたまには預けて映画見に行っても、保育園に預けてバリバリ仕事しても、休日保育を頼んで、夫婦でお出かけしてもいいのだ。本当は。
だけど、どこかに「うしろめたさ」があるのはなぜだろうか。
助けが「指示」になってしまうこと
もう一つ、誰かに頼むにしても、いきなり無責任に放り投げるわけにもいかない。いまの生活リズムはこんな感じ、最近の好きな遊びはこれ、いまの離乳食の進み具合、ミルクの量、家の中の危険な箇所、さまざまな注意点がたくさんあって、ある程度「仕込み」や「下準備」をしたうえで頼まなければならない。
正直、こうしたこちらで準備したことを、指示どおりにやってもらう、というのが、身近な人ほど頼みにくい。指示どおりにやってくれなくても文句は言いにくいし、事細かに指示すればするほど、相手もああ遊んでいればいいだけじゃないのね、ちょっとめんどくさいわね、と思うだろう。
発達段階にあった育児をちゃんとわかってくれるベビーシッターさんに頼むほうが話が早いし、「仕事」として頼みやすい。
時代によって育児の常識が異なる、ということもある。親のときはこうだったけど、いまはそうじゃない、みたいなことがいっぱいあって、そこで何かぶつかるのも面倒だ。
年末です。実家に帰省すると、祖父母と保護者世代で子育ての常識がぶつかることも。双方で子育ての知識が共有できれば互いのストレスも軽減できるのではと『子育ての今』を共有します(一部離乳食の部分を従来版よりupdate)。1枚版3枚に続きツリーに同内容をスマホで見やすい版12枚。PDFリンク後で。 pic.twitter.com/EBhKgOxIKC
— 教えてドクター佐久@無料アプリ配信中♪ (@oshietedoctor) December 2, 2021
個人的には、わたしの育休中に、単純に遊んでもらっていればそれでいいから、と親に来てほしいと何度か頼んだのだけれど、いろいろな事情があってやっぱり来てくれなかった。
ああ、でもこれが本当にたとえば私がシングルで子育てしていたら、多少無理してでも来てくれたんじゃないだろうか、と思ってしまう。
それとも、もっと「しんどい、助けて」と言ったほうが良かっただろうか。でも、そんな深刻な言い方をすると、ただ遊ぶだけでいいの、ほかにもいろいろやったほうが…と相手は思うかもしれない。なんかやっぱり難しい。
ベビーシッターさんはオススメだけど
ベビーシッターさんが来てくれるのは、本当に助かっている。でも、完全に子どもと二人だけにするのは不安、とか、留守の家に他人を入れるのは無理、という気持ちもわかる。
わたしも何度かベビーシッターさんを頼んだけど、毎回、隣の部屋で数時間、ただ仕事をしたり、本を読んだりして過ごしている。もちろんシッティングをしてもらっている間は、絶対に顔を出さない。引きこもる。
自分の手から「育児」をほんのいっとき離すだけでも、すごく気持ちが軽くなるので、オススメしたい。整体に行って体のメンテナンスをするのと同じくらい、心のメンテナンスができる。もちろん、整体以上にお金はかかるけれども。
また市の一時保育やファミサポもあるけれど、荷物を持ってそれなりの格好をして家を出るのと、一歩も家を出ないのとでは、外食と出前くらい全然違う。圧倒的に家まで来てくれるのが楽だ。
本当はみんなで育てたい
子育ては夫婦ふたりだけで、するものじゃなくていい。昔から、たぶん親戚どうし、地域の人どうし、助け合ってきたもののはずだし、外部の依存先を増やすことは結果的に自分たちの自立につながる。
少子化対策がどうとか、異次元だとか、叫ばれているなか、子どもを持つ持たない、結婚するしない、そういう安易な対立を煽るのもやめてほしいし、子どもを何人育ててたらえらいとか、そういうんでもない。
ただ、単純に子どもをみんなで育てたほうが、社会の幸せの総量が増える。だから、もっと助けを呼びやすい、求めやすい社会になったほうがいい。
いま私が感じているやりづらさ、ヘルプの出しにくさは、こうして言葉にしたうえで、なんらかの解決策を探したい。
助けを呼ぶハードルを下げるにはどうしたらいいだろうか。
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