言葉は遅れてやってくる
いつだって、あるのは今だ。
だから過去も未来も、思いを巡らしても仕方がないこともある。
おなかがすいた。ねむい。だるい、つかれた。
そういった今を切り取ることに、慣れすぎてしまったのに、いつしか、ウェブに残す言葉は、そうした今の言葉ではなく、いつまでも残ることを意識した未来と過去の言葉になってしまった。
時間とともに、記憶も思いも風化する。言葉は自分の手を離れ、別の生き物のように残り続ける。いつか書いた文章に、私は責任を持つことはできない。今の私と昔の私は違うから。
文章は書き続けたい。それが相手に伝わるタイミングも伝えるタイミングも全部難しい。目の前で話していればすぐに伝わることが遅れてやってくる。そうしたズレが、ときどき事故みたいに起きる。この発言は、今のわたしの気持ちとは違う、なんて言い訳は恥ずかしい。そんな恥ずかしいことをわざわざ言わなきゃいけないような事故がある。
インターネットという世界では、すべてのものが情報として保存される。私という人格まで、現実とは違う形で残り続ける。
インターネットの私は私のほんの一部です。すべてが偽りかもしれないし、嘘を書いたはずがいつのまにか本当になってるかもしれない。
言葉はいつでも遅れてやってくる。
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