時間をかけて料理ができない
料理ができない話の続き。3部作にする、と言ってもう半年経ってしまっている。
前回のブログ、なんと山口さん御本人からもコメントをいただいた。本当にありがたい。もう少し、山口さんの本をじっくり読み解いて、自分のこんがらがった料理観も解きほぐしていきたい。Voicyも欠かさず聴いている。
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なんだかいつも時間に追われて料理をしている。
だから、いつもどんなときも時短料理になる。
たぶん、そのことがとても苦しい。時間をかけて料理できないから時短料理をしてるのに時短料理をすることが気持ちとして「イヤ」なのだ。
丁寧な暮らしをしたい、とかパッと作ることに罪悪感がある、というのとも違う。早く、安く、旨いものが作れるなら、それに越したことはないのに、なんだろう、この「時短」が世の中に溢れすぎていて、自分もそれに縋らないと生きていけない感じ。なんだか、とっても息苦しい。
先に、我が家の夕方のルーティンを紹介する。
平日は、18時に保育園にお迎えに。家に着き、流れ作業のように、洗い物を洗濯機に放り投げ、手洗い、荷物の片付け。そして夕食の準備に取りかかる。
料理にかける時間は多くて30分程度。2歳の子の幼児食と大人+中学生の食事を用意する。みんな好き嫌いがあるので、場合によっては3メニュー用意する(作るでないにしても)こともある。
となると、必然的に時短料理にならざるをえない。最近に至っては、つくりおきの宅配惣菜や生協の冷凍惣菜に頼り切っている。基本的に鍋もフライパンも使わない。レンジ調理のみでレンジが渋滞している。電源の容量が許せば2つほしいくらい。
ちなみに、いくつかつくりおきの宅配惣菜を試してみて、圧倒的に味も量も良かったのがここだった。
もうすでに、毎日が時短料理でしかないのだけれど、毎日がああ今日も乗り切った、という気分になっている。そんなに私は頑張ってない、というか頑張り方を間違えてないか、と。
料理ってそういうものでいいだろうか、という根源的な問いでもある。もっと料理を大切に扱ったほうがいいのではないか。でも、どうやって。
料理って、意外とそのプロセスが長い。台所に立っているあいだだけが料理ではない。献立を考え、給食やここ最近のメニューを確認し、食材を揃え、組み立てて、今日の料理を整える。
本当は、そのプロセスひとつひとつが時短じゃなく、ゆっくり考え、自分がなにを食べたくて、いまなにがおいしいのか、ひもときながら楽しみたいのかもしれない。自分が食べたいものを、ただ食べる。それは幸せなことで、大切にしたいのに、それがこんなに難しいなんて。
この悩みは、料理の範疇をとっくに超えているようにも思う。忙しい現代人のタイムマネジメントみたいな。そうすると、どんなにレシピ本を読んだところで、問いの答えは見つからない。レシピ本じゃない料理家の本が面白いのは、そういう生活のヒントが隠れているからかもしれない。
「料理」の問題として切り離せない、毎日のことを、もう少し考えてみたい。