実家に帰るたびに後何回、を数える
お盆につき、実家に帰省する。
次の世代には引き継ぐ予定のない実家だから、少しずつ家の整理を始めていて、帰るたびにごちゃごちゃしていた実家が広く、スッキリしていく。
後何回、この実家に帰れるだろうか。もしかしたら、最後かもしれないという気持ちすらある。
それは、まだ生きている祖母に会える回数でもあるし、実家の青い屋根を見る回数でもあるし、実家の窓から外の桜を眺める回数でもある。
人生で、桜を見ることができる回数はたかだか70とか80回くらいだろうか。と考えると私はもうあと40回くらいしか桜を見ることができない。それが多いか少ないかわからない。でもなんとなしに生きてるとあっという間に、その残数は減っていく。
盛りの花を眺めるには、50回の春では少なすぎる。
そんなフレーズが『70歳の日記』にあったが、人生欲張り過ぎても仕方がない。
実家に戻らず、大阪に居を構えておいて、家への執着があるわけではないけれど、家や墓・仏壇といったレガシーなものへの責任は多少なりとも感じている。次の仏壇は今風のコンパクトなやつでお願い、みたいな会話をしてカタログを眺めて過ごしていた。仏具もほんと洒落ているものが多い。
地震がいつくるのか分からないように、人の死もいつかはくるけれど、そのいつかは意外とわからない。どんどん確率だけは高まっていくけれど、まだ何回、何日生きるのか、いまのまま、昔のままでいられるのか、わからない。わからないから、あと何回を数えている。ただ寂しい、だけじゃない感情もそこにはいっぱいあるんだ、というのも少しずつ分かってきて、やっぱり自分も相応に歳を重ねているらしい。
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