がんばらないこと
競争から降りるには勇気と知性がいる。
ある人のこの言葉を、何度も噛みしめている。
わたしは、そんなにがんばれない。
たぶん、同じことをこれまでもたくさん書いてきた。
自分にたいするブレーキの意味もある。がんばれないのだから、がんばってはいけない。
勇気と知性。私にはあるだろうか。
なにもできなくて、ただ家にいるしかなかったころ、時間も、音も、光も、全部が早すぎて、大きすぎて、明るすぎて、とてもついていけなかった。
すべてに敏感になって、少しの音や光にビクッとして、布団のなかに籠っていた。
それは、忙しい日常から切り離された、ゆっくりと流れる時間を感じる世界だった。
カタツムリと同じ速度で歩くように、世界をゆっくりと眺めることで、私は少しずつ自分の生活を取り戻していった。
毎日仕事に行く。学校に行く。
それができない人も100人に1人くらいは、いる。本当は行きたくない、そんな人ならもっといるはずだ。
「もう疲れた」と「まだ頑張れる」を繰り返しながら、生活は続いていく。
無理をして自分を社会の仕組みに合わせるのは、やっぱりちょっとしんどいことだ。みんなきっと無理して頑張っている。
本当は社会の側がみんなに合わせるように、なれたらいいのにね。
頑張ってる人はすごいし、応援したい。でも、そうじゃなくてもいい。みんなが同じように生きるわけでもないから。
無理しないで、もっと自分を大切にしたらいい。
うまく「降りる」のは、本当にむずかしい。
私もやっぱりときどきがんばりすぎてしまうし、勢いがつくとそう簡単に降りられない。壊れるまで、人は動き続けようとする。
自分を守るために壊れる前に、逃げる。立ち止まって、しゃがみこんで、休む。
それは、勇気、知性、そんな大げさなものじゃなくて、ただの弱さだと思われるかもしれない。
ただの弱さ、と思われてもいい勇気。弱さをてなずけるだけの知性。うまく降りるためには、どちらも必要なんだ。
人と比べる、だれかと競争する、勝利をめざす、そうしたことを「楽しい」と思える瞬間がたぶんある。けれど、それがいつか限界をむかえたとき、がんばらない選択肢のない世の中だったら、きっと生きていけない。
がんばらないで、生きていく。
そんな選択肢もあっていい、あってほしい、と思うから。
わたしはなるべくがんばらない。
※昔書いたものを朗読用に、加筆修正したものです。