寄り道、脇道、回り道
ああ、あの名言ね、と思い浮かべる人もいるかもしれない。
寄り道、脇道、回り道、しかしそれらもすべて道
これは、あるプリキュアシリーズの優等生役のセリフだ。
最短距離をいくわかりやすい道、効率の良い社会、スピードの速い世界。
ときどき、ゆっくりと迂回路を探したくなる。わかりやすさを疑ってみる。
私はいつもふらふらしている。地に足がついていない。ふらっと気分にまかせる寄り道も、脇道にそれるのも、なんとなく歩きたくて回り道をするのも大好きだ。
私の娘も私によく似ていて、おそらく同じようにいろんなものに気を取られて、朝の準備も寝る前の支度も、何度も立ち止まって寄り道しているあいだに、準備することを忘れている。それはそれでいらいらするのだけど。
でも、ときどき、この言葉を思い出す。まっすぐの道をただ進むのもいいけれど、たまには寄り道してもいいよね、と。私の人生はたまには、じゃなくていつも寄り道ばかりな気もするけれど、そうやってよくわからない私が出来上がっている。
脇道にそれてばかりの私は、自己紹介が苦手だ。自分のことを端的に言い表すことができない、できなくなってきた。私は、私のことがわかりにくい。わかりにくくて、たぶん面倒くさい。そしていつも、雑に自己紹介を済ませている。
世の中は、わかりやすさを求めている、らしい。情報も、要約して端的に収集したい、わかりやすい言葉で、わかりやすく、世の中のことを解説できる人は重宝される。
私も、わかりやすいものに飛びつきたくなることがある。
わかりやすいものは、楽で、安心する。わかりにくいものは、不安だ。でも、わかりやすさで世の中があふれてしまったら、きっとつまらない。わかりやすさは、誰かに都合のよいことになってないだろうか。私もなるべく、面倒なことを面倒なままに考えるようにしたい。わかりやすさは罪なのだ、と。
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