
どうしたら『普通は』という言葉を使わないで生きていけるのか?
先日 『普通は』という言葉の攻撃力 という記事を書きました。
学校・会社・部活・部署・家庭、それぞれに暗黙の了解や「みんなが知っていて当たり前」のルールがあったりします。
それらは口伝なので明文化なんてされていません。
また、自分の育ってきた環境をもとに「こうやって考えるのが当たり前だろう」と無意識のうちに相手に求めがちです。
これらは「感覚的」なものなので、個人レベルの感覚がぴったり合致することは難しく、実情としてはある一定の範囲内の感覚を共有しています。
そして、その範囲内のものを人々は「普通は」と表現します。
そしてその「普通は」の範囲は変動します。
だけど、私は今までの「普通は」の範囲から離れた場所に感覚がおかれているようで、年上の方たちから「普通と違う」と言われることが多く、『普通は』という言葉がとても攻撃的に感じていました。
それなのに自分が「普通は」の範囲内に入っている時は、範囲外の人に対して『「普通は」〇〇する』と平気で攻撃していました。
その「普通は」は個人レベルの感覚であり、変動することに気付いたのは大人になってから。
しかも子供を持ってからでした。
それからは「普通は」という言葉を極力使わず、明確に説明するようにして生きています。
「普通は」はとっても便利な言葉です。
自分の感覚に責任を持たず、だけど自分は安全地帯から発言ができる。
そんなズルい言葉でもあると私は思います。
じゃあ、「普通は」という言葉を使わないためにどんな言葉を使うのかというと
・「私は、○○。。。」
・「ここでのルールは。。。」
・「一般的には○○する人が多い」
など、主語をつけて話すようにしています。
主語をつけることで、誰の感覚なのかが明確になるからです。
日本語は主語がなくても成立する言語で、私たちは知らず知らずのうちに主語を省略した話し方をしています。
大人になれば相手がその意図をくみとってくれるかもしれません。
だけど、子供には伝わらないだけでなく、子供を混乱させたり、自分の指示通りに子供が動いてくれないことで自分がイライラすることだって出てきます。
大人同士だって個人の感覚が合致するとは限らず、意思の疎通ができないことも出てきます。
だから私は人と話す時には明確に話をするように心がけています。
まだまだ訓練途中だけど。
この記事を読んでくださった方、あなたがやっているおすすめのやり方がありましたら、ぜひコメントください。
参考にさせていただけたら、と思います。
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