Mouthwashing またはアーニャについて(感想)

お手頃なプレイ時間でしっかり嫌な気持ちになれた。素晴らしいクリスマスをどうもありがとう。
最近物語を俯瞰的に捉えるトレーニングをしているので、ちょっとMouthwashingの感想を書きながらその練習もしたいと思う。
……と思いながら書いていたら、ほぼアーニャの話になってしまった。

全体について

一本道であることに意味があるゲームだった。もし一つでも選択肢やエンディング分岐、あるいは周回要素があったら作品の美しさが損なわれるようにすら思う。
本作ではジミー/カーリーの行動を追体験し、始まる前から終わっていた一つの船の顛末を見届けることだけが許されている。それがジミーとタルパ号のどうしようもなさを美しく際立たせるのだと思う。
近頃のゲームはやれマルチエンドだ周回要素だ膨大な選択肢差分だとシナリオの面でもリッチになりたがるが(そういうの大好きだけど)、それらを完全に削ぎ落としても面白いゲームをつくれるんだ!と私はめちゃくちゃ感動した。

キャラクターについて

カーリー
彼のキャラクター性を考察することにいったい何の意味があるというのか?
カーリーはジミーの「靴下人形」以上でも以下でもない。衝突事故後のカーリーは江戸川乱歩の「芋虫」さながらの物言わぬ肉塊と化していて、ジミーはそれを都合よく利用した……というのが重要なのであって、実際何を考えていたかは本作の要点ではないと思う。
言えることがあるとするなら、カーリーは無謬の存在ではなく、ジミーが思うほど優れたリーダーでもなかったということだ。特にアーニャにとっては。

スウォンジー
責任を果たすことができる男。
プレイして思ったのは、ジミー以外のキャラクターは彼ありきで造形・配置されたんだろうなということだったが、その中でスウォンジーはわかりやすくジミーと対比されている。
ファーストインプレッションは悪いが、実のところジミーにできないことが大体できるキャラクターだ。つまり、ジミーと違ってスウォンジーは本当の意味で責任を果たすことができる。
たとえば、アルコール中毒の症状が再発して以降ですら、彼は冷凍ポッドの扱いについてかなり慎重だった。また、死を待つばかりのダイスケを自らの手で介錯した点は特にジミーとの対比が際立っていると思う。肉塊と化したカーリーの苦しみを身勝手に引き延ばして冷凍ポッドに放り込んだジミーとはえらい違いである。冷凍ポッドにカーリーを収容するのは逃避行動の究極系だ。
ジミーがカーリーの次に意識していたのもスウォンジーだろう。たとえば、職員カードでぎっしり埋め尽くされた壁で一番目立つのはスウォンジーのものだし、死の間際に固有ステージをご用意されているのも彼だけだ。
ところで、ジミーもスウォンジーもできないことが一つだけあった。続きはアーニャの項で。

ダイスケ
スウォンジーにとってのカーリー。
作中では大した役割を果たさないが、それは何もできないカーリーと対になるように配置されているからだろう。早い話が苦しまずに死ぬために生まれたキャラクターだ。
彼のもう一つの役割としては、ジミーとスウォンジーの印象操作か。無邪気な善人が後を付いて回ることでジミーの信頼度がギリギリ担保され、一方気のいい青年に暴言を吐くスウォンジーの序盤好感度は低い。
船内で起きた事件の中心から最も遠く、それゆえにジミーからはそれなりに罪悪感を抱かれていたものと思う。ジミーの心象風景の中で、ダイスケは佇む花であり去っていく背中であった。

アーニャ
孤立し、軽んじられたキャラクター。
メタ的にも作中の扱い的にも終始おいたわしい。
ジミーが衝突事故を起こしたのがクビ宣告ではなく妊娠宣言の直後だったことからもわかるように、彼にとってアーニャの妊娠は一大事件であった。にも関わらず、アーニャはジミーの心象風景に全く登場しない。職員証についても、彼女の顔は他のクルーに覆い隠されて見ることができない。赤ん坊はあんなに手を替え品を替え出てくるのに。
しかるに、ジミーはアーニャと関係を持ったこと自体は大して気にしていないのではないか。ここがジミーの気持ち悪さをいっそう引き立たせているような気がする。表層にばかり目を向けて本質を見ようとはしない、という彼のキャラクター性に則ってはいるが。
作中の彼女はジミーに対してかなり迎合的な態度を取っているので、嫌よ嫌よも好きのうち……みたいな捉え方をしていることは想像に難くない。アーニャに一個人としての人格を認めていない可能性もあるけど……。

これは余談だけど、作中におけるキャラクターの死とジミーの関係は当該人物がジミーの中でどの程度重要だったかに比例していると思う。
カーリー(死なない)>スウォンジー(ジミー自身が殺害する)>ダイスケ(死を目撃するが、直視はしない)>アーニャ(発見した時点で既に死んでいる)

ジミーの話はこのへんにしておいて他のクルーとの関係を思い返してみると、まずダイスケとは特筆するほどの絡みがない。
スウォンジーとの会話シーンは妊娠を打ち明けるものではないかと踏んでいるが、その後彼はめでたくアル中に逆戻りし、ジミーものうのうと生存している。状況は全く好転しなかった。ジミーにできないことが大体できるスウォンジーにも、アーニャの問題を解決することはできない。
さて、我らがカーリー船長はどうだろうか。衝突事故前のシーンがさほど多くない中で、アーニャはカーリーに対して何度もSOSを発している。「ポニー運送は何故医務室のドアにロックをつけたのに寝室にはつけなかったんでしょう」というセリフは遠回しに性被害を訴えるものだし、それ以前にもカウンセリングの場でセクハラを受けたことをカーリーにはっきりと伝えている。
しかし、妊娠が発覚して以降ですら彼はジミーをとの付き合いが長いことを持ち出して「なんとかする」とアーニャの訴えを退ける。少なくとも彼女にはそのように見えただろう。だからこそ、妊娠を告白したアーニャはカーリーに対して「何をしてくれたっていうんです?」と突き放した態度を取るのだ。衝突事故以前に彼女は既に詰んでいたが、誰にも気づかれることはなかった。
メタ的にも彼女の存在は軽んじられる。アーニャの妊娠に関する伏線は遠回しに、しかし確実に散りばめられているが、そのどれもが控えめなものだ。作品内でかなり重要な役割を握っているにも関わらず。
これはおそらく意図的に抑制されているものと思う。本作の物語はジミーやカーリーの目というフィルターを通して描写されている。その中でアーニャからのSOS、妊娠を示唆する言動はすべて取るに足らないものだったわけだ。

アーニャの妊娠の経緯はかなりぼかされているが、私は不同意性交によるものだと思った。理由はいくつかあるが、1つ目は寝室のドアロックに関する会話。誰かが彼女の意に反して寝室に入ってきたことを示唆している。2つ目はカウンセリングでのセクハラ発言についてカーリーに相談している点。あれは合意に基づいた性的なじゃれあいではない。3つ目はカーリーが子供の父親について見当がついていなかった点。あの狭い船内でアーニャとカーリーは恋人同士だとは思われていなかったし、肉体関係に勘付かれてすらいなかった。

ところで、私はアーニャの最期は彼女にとって一種の救いであったと思っている。
人工妊娠中絶にはよく「女性の自己決定権」とか「Pro-Choice」などの言葉が付いて回るが、これは妊娠が当事者の意に反して発生しやすいことの現れだろう。妊娠するかどうかは選べない(望まぬ妊娠がある一方で、望んでも妊娠できないこともある)からこそ、「妊娠した後」の選択が当事者のテーマになるのである。
さて、事故前から死の直前に至るまで、彼女には自己決定権がなかった。鍵のかからない部屋で望まない性行為を強要され、その結果として妊娠までしてしまう。肉体は瞬く間に変貌していくが、医療物資に乏しい宇宙船内では中絶するにせよ出産するにせよ安全は確保できない。とてもではないが「選択」できる状況ではない。
その点において、鍵のかかる医務室での自殺は彼女が選ぶことのできる唯一の「自己決定」だったといえる。だから、彼女は医務室に立て篭もった際に「最高の瞬間」だと宣言するのだろう。ジミーが入ってくることのない空間で、彼女は自分の選択で自分の肉体の行く末を決定することができた。
ジミーの自己憐憫的な物語に取り込まれることなく、アーニャの死は彼女だけのものとして全うされた。
カーリーに対する意趣返しのニュアンスがあったかなかったかは、まあ、どちらでもいいかなと思う。そこはあんまり本筋に関係ない気がする。

ジミー
他のキャラクターのくだりでほとんどジミーの話をしきったようなものなので、改めて言うことがあんまりない。TYPE-MOONでいう起源が彼にあったら「逃避」とかになるんじゃないかな。
かなり出来のいい信頼できない語り手だと思う。

やっている最中よりも終わった後にじわじわ嫌さが込み上げる面白い作品だった。かなり実況が流行ってるみたいだけど、ジミーの行動をプレイヤーの手で再現することに意味があるゲームなので、自分でプレイしたほうがいいと思う。まあこの世の大体のゲームは自分でプレイしたほうがおもしろい。
苦しみを祈る。


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