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知り合いが政治家になった大学生の話
インスタグラムに流れる、同級生の成人式や留学生活のストーリー。
その中にふと、昔の知人のアカウントが現れた。
いつものように何気なくタップして内容を確認する。
そこで、ストーリーをスクロールしていた私の手は止まった。
その知人は、地元の市議会議員選挙に立候補していたのだ。
突然の出来事に戸惑いつつも、その知人との思い出を振り返り、いくつか感じたことをここに記しておきたい。
※この記事は、私の政治思想について語るものではありません。ただ、タイトルのような経験を通じて感じたことをまとめた感想文です。気楽に読んでいただければと思います。
出会いも付き合いも「普通」だった
その知人は、正確に言えば「知人夫婦」だ。
初めて出会ったのは、私が高校2年生のときの夏。
地元で開催された、まちづくりに関するイベントでのことだった。
自己紹介を聞くと、二人は地域おこし協力隊として、県外から夫婦で移住されたとのこと。
同じ市に住んでいるという共通点もあり、すぐに話が弾んだ。
その後も、知人夫婦との関わりは続いた。
私が大学進学で上京してからは、インスタグラム越しに彼らの近況を時折チェックしていた。
最後に直接お会いしたのは、昨年の8月。
株式会社幻冬舎の箕輪厚介氏など、そうそうたるメンツが集結した起業関連のイベントで、偶然奥様と再会した。
イベント後の会食では、近況報告を交わしながら、一緒に食事を取ったり、ツーショット写真を撮ったり、ワイワイ楽しい時間を過ごしたのを覚えている。
そんな奥様が今では、選挙活動で街を駆け回る夫を支える「政治家の妻」として活躍している。
あまりに予期しない変化に、「こんなことあるんだ…」と、私はしばし放心してしまった。
走り続ける大人たちの姿
最近、大学生として就職活動を進める中で、理想のキャリアについて考えることが多くなった。
まずは、20代で経験を積みスキルを磨く。
そして30代・40代でキャリアアップし、ゆくゆくはマネジメントに携わる。
大体、このような感じでキャリアを積み上げたいと思っている。
しかしながら、理想のキャリアを達成するにはやるべきことが山積みだ。
「新卒で名の通った企業に入らなくては」
「20代でバリバリ働いてスキルを身につけなくては」
「修士・博士号も早く取得しなければ」
そんな焦りが頭を支配し、とにかく若いうちに何でもやらなくてはという近視眼的な思考に囚われてしまう。
若い時に頑張ることができなかったら、その先で理想のキャリアを歩めないかもしれない、そんな破滅的な思考が頭をよぎることもある。
その一方で、知人夫婦の姿はどうだろう。
二人はキャリアの中盤に差し掛かってもなお、新たな目標に向かって走り続けている。
その姿は、地元住民や他の議員まで巻き込み、周囲を動かしている。
何十年も年を重ねた先で、未だ夢を追い続ける姿は、眩しい。
その生き様は、20代という足元からふっと顔を上げて、遠い未来での生き方に目を向けるきっかけともなる。
「私も数十年後、あんな感じで活き活き仕事してたらいいな」
そんな、遠い未来に向けたかすかな希望が湧いてくる。
数十年後の楽しみを夢見ながら、今は今できることを一つずつこなしていこう、そう思えるようになった。
まとめにかえて
今日のストーリーには、選挙活動の締めくくりとして行われた「マイク納め」の様子が映し出されていた。
イギリスではまだ夜だが、日本ではあと数時間で投票が始まる。
私は留学中のため投票はできなかったが、知人夫婦にとって納得のいく結果が得られるよう祈っている。