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スピリチュアルが仕事になった話①

2020.2.22
Kaleidoscopeとして開業をし、
スピリチュアルが生業になり
もうすぐ5周年を迎えるLAYLAです

今回はそんな節目の前の感謝と振り返り、
また同じような道で生きたいと望まれる方へ
少しでもお役に立てましたらという想いで、

これまで自身がやってきたこと
今に辿り着いた経緯など
お届けできたらと思います

活動のきっかけは
2018年に始めたブログでした

何気なく書いたこのブログから
まさかの仕事のオファーをいただき、
そこからご縁が広がり繋がり続け
今に至っています

「運」

と当時は思っていた
たまたま流れついたと思っていた

それも一つの要素であったのは確かで
今もこれからも感謝し続けることに
変わりはないけれど、

その運を引き寄せるそれなりの
アクションと挫折をしてきた事実もあって、

人それぞれ形は違えど
誰もが手繰り寄せる、
行き着くのではないかという
結論に至りました

決してわたしは成功者ではないし、
ゴールに着いたとも思っておりません
あくまでスタートラインまでのお話です

そのスタートラインへ行きたいな、
であったりスタートを切ったけど
なんだか望まぬところへ来てしまったな、
もう一度戻ろうかな、
そんな方々に受けとってほしいと思います

受けとる人によっては
もしかしたら有料級の気付きを手に
していただけるかもしれません

同時にめちゃめちゃ普通で
いまさらで当たり前なことと
捉えられても当然です

逆にこのくらい具体的かつシンプルで、
基本中の基本の部分は
あえて誰も教えないんじゃないか?って
(それっぽい専門的な情報の方が儲かるから笑)

なにも特別なものではないけど、
だからこそ使えそうなわたしの話を
この度解放させていただきます。


はじめに

2018年にはじめたAmebaブログが表面的にはSTARTとなりますが、水面下の動き含め運命が変化したタイミングは2016年でした。

回りくどくするつもりはないのですが今後お話する機会もなかなかなさそうですし、
本質的にも絶対必要となる部分ですので
(最後まで読んでくださればわかると思います)
長くなりますがどうかお付き合いくださいませ。

I 独立起業を夢見る

2016年、
当時のわたしはジュエリー業界にいました。

とても楽しく輝ける環境と仕事内容で、人間関係にも恵まれ特段悩むこともない日々の中にいました。
が、何かが足りないことをずっと感じていて…
それは適職ではあったけど天職ではなかった、というところだと思います。

幼い頃から目に見えないものを感じるタイプではありましたが、それは勘がいい察しがいいという程度のものでした。
(HSP=highly sensitive personハイリー・センシティブ・パーソンと呼べるような)

それがある日、いつも通りジュエリーの並んだガラスケースを拭いていた時。

ふっとビジョンが視えた

そのビジョン通りのことが1週間後に起こった

来るはずのない人が、そこの入口から入ってくるというもので、本当にそのままの現実が目の前に映り出されたのです。

パラレルをキャッチした…
この辺りからさまざまな感覚が鋭くなっていたのだと思います。

その年の牡牛座満月、
仕事帰りになんとなく途中下車をしたくなった。
本当に急に、なんとなく。
このまま帰ってはいけない気がした。

そこで出逢った一人の男性。
TV関係者だったのですが、その人はまぁ今になってこそわかりますが俗にいうアテンダーで…
(ガーシー的な)

色んな業界の社長、芸能関係者との会合、
パーティー等に頻繁に呼んでくださり、わたしの人脈は一気に広がった。
雇われること、社会の枠にハマることしか概念のなかったこのわたしに、その男性は色んな景色をみせてくれた。

わたしは人生を変えたくなっていました。

II 女性社長との出逢い

そこである女性社長との出逢いがありました。野菜の仕入れの会社社長が主催のワインパーティー。
とても美しい人で、女優さんのようで、
ラップドレスをサラッと着こなす姿は粋で格好よかった。
(Diane von Furstenberg ダイアン・フォン・ファステンバーグ的な)

嘘みたいですけど、その女性社長は初対面のわたしにこう言ったのです。

「ねぇ自分の使命って、なんだと思う?」

使命…使命か…
考えるきっかけとなった。

この頃のわたしは経営者界隈に感化され、
仕事を辞めて独立起業したいと思っていた。

「わたし、社長になりたいんです」

じゃあうちの会社に来ましょう、一緒に働きましょうと誘われたのが2016年末。

「ちょうどあなたみたいな子を探していた」

その言葉に心は踊り、2017年春。
わたしは本当に仕事を辞めて女性社長のもとへ飛び込んだ。
美容関係の会社でした。

↑当時のダブルチャート
ネイタルASC天秤座を木星が通過

銀座に勤めていたわたしにとって社長の会社のある南青山は、とても洗練されて都会的でキラキラしてみえた。
銀座が牡牛座のニューヨーク5番街なら、
南青山は天秤座のパリ7区ってかんじだった。

「どうして起業したいと思ったの?」

と訊かれてわたし、

「親孝行したいから」

と言ったんです。

とんでもない、他人軸全開!

当たり前に親を喜ばせるためにずっと生きてきたもんだから(当時28歳)、
自分の発想の異常さにこの時気付かなかった。

偉いよねぇ〜と社長は触れてまわった。
いい子が入ったんだよ!うちの新人!
と色んな人に紹介してくれた。

とてもとても良くしてくださったし、本当にたくさんの学びと経験を得たし、今でも社長には感謝でいっぱいですが、
わたしは社長を通し親子の関係性の再現と
インナーチャイルド、そしてトラウマの炙り出しをさせられものすごく苦しかった。

例えば苦手なこと
「人前で話す」
を何度も体験させてくれて、

心底やりたくなかった…
けれど社長のある言葉が響いた。

「人前で話すことが苦手な人ほど、話す使命にあるのよ」
「人を感動させられなければ、億は稼げない」

ドキッとした。
億が稼ぎたかった訳じゃない。
でも間違いなく豊かにはなりたかったし、人前で話すことが苦手な自分も好きではなかった。
(堂々と話す社長が輝いてみえた)

自分を変えたかった
とにかく自分を好きになりたかった

何者かになりたかったんだと思う
自分は自分でしかないのに

自分と向き合う時間がそこからしばらく続きました。

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