愛はI。

MerryChristmas˚✧⁎⁺˳✧༚

お久しぶりの記事になりましたが
今日は「愛」についての
メッセージをお届けします。

セッションをしておりますと
『LAYLAさん、
 愛っていったいなんですか?』
と訊かれることがあります。

その際
【その方が今探していることの答え】
をおろしてアンサーとしています。

個人的には
「愛なんて語れるほど容易くはない。」
「自分もそこまで出来た人間ではない。」
「目に見えない、言葉に言い表せない。」
なんて思う節もありますが、

この機会に
愛という字を、辞書で引いてみました。
 プッチモニか。笑

あい【愛】
対象をかけがえのないものと認めひきつけられる心の動き。またその気持ちの表れ。
相手を慈しむ心。相手の為に良かれと願う心。
「子への–」「–を注ぐ」「–の手をさしのべる」異性に対して抱く思慕の情。恋。
「–が芽生える」「–をちかう」「–をはぐくむ」
何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。
         出典:iOS14.3 内蔵辞書 

愛にはさまざまなかたちがあって、
それに決まったことはない。

けれどそれを
抱ける自分であれることが
なによりも尊いことなのかな、
と感じました。


人間には
受けとる時よりも
与えた時の方が幸福感が増す。

という本能があるそうです。

だからプレゼントを喜んで
受けとることも、立派な愛になる。
与えた側の幸せを手伝えるから。

しかしここで注意したいのが、
自分は与えるステージに立てているのか?
というところになります。

愛は自愛から生まれる。
という考え方が
スピリチュアルにはあります。

自分のことを差し置いて、
誰かに与えていくのは愛ではない。
自己犠牲から派生するエネルギーで、
愛は循環しない。


自分を蔑ろにしてまで
与えたいと思う意識の裏側には、

・自分には価値がない
・頑張らなければ愛されない
・これだけ与えるから返してね

というエゴや否定感が
隠れていることがあります。

そんな自分の欲や欠損部分を埋める為
与えていく行為は、
実は与えているつもりで
奪っているのかもしれない。

また、
この人の為に何かしてあげなきゃ。
という想いは、
大抵自分の為であったりします。

可哀想な人を放っておけない自分。
誰かの為に動ける優しい自分。

なぜ、
その人が可哀想なのでしょうか。
自分より不幸せそうだから?
何かに困っていそうだから?

優しさっていったいなんでしょう?
自分と同じように
生きられるようにすること?
有難い道より無難な道へ、
導くことでしょうか。


本当に可哀想なのかは本人が決めます。
何が自分の為になるかは
本人の魂にしかわからないことです。

顕在意識には
「何でこんなに苦しいんだ!助けて!」
と感じることでも、
潜在意識はその体験を求めている。

その体験を経て
成長したがっていることだってあるのです。

手を差し伸べない。
答えを与えない。
見守るのも、愛。


風の時代は
個が自立して助け合い
生きていく時代になります。

自分のことは自分でする。
自分の足で立って歩く。

そこから初めて
できないことを与え合う
ステージに立ちます。

周りがどんなサポートをしても、
最終的に自分を生きられるのは
ただ独り。あなただけ。

愛はI。
色んなIがある。

愛がわからない…。
私には愛がない…。
もしそう思うのなら、

まずはIを探す。
という人生の旅に出発してみてください。


素敵なChristmasを🎄✨✨

KALAIDOSCOPE LAYLA

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