メタル冬の時代を過ごした10代の記憶②
前回の続きになります。膨大な記事の中から選んで読んでいただいた方々、ありがとうございます。どう考えても話が続くのに番号を振っていないのは良くないと思い、シリーズにしたいと思います。そんなに続きませんけど。
前回は「そもそもヘヴィメタルを好みそうな層が他所へ流れ始めた時代」という切り口でしたが、今回は1990年代のメタルシーンがどのようなものであったかという話になります。
私よりも年配の方であれば「いや、俺らも見てきたし知ってるよ」となるかもしれませんが、少し違うのです。例えば今現在、2023年における60代以上の方であれば、ブリティッシュに限ってもクイーン、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ジューダス・プリーストといったハードロックのスター達が切磋琢磨する時代、ハードロック以外でも下手すればまだビートルズが現役でパンクシーンも知っていて、サイケ、プログレ、グラムロックといった様々なロックがお互いに影響を受け合いながらロックが成長していき、NWOBHMというシーンが誕生して…という「流れ」を知っているはずです。
私達の世代と他の世代では、この「流れ」を知っているかどうかという一点において、全く違うのです。
例えばですが、今挙げたバンドの中でハードロックからヘヴィメタルへと変化していき、ヘヴィメタルというシーンが誕生した頃からヘヴィメタルを名乗り、今現在までヘヴィメタルでありつづけているのはジューダス・プリーストだけなので、ジューダス・プリーストこそがメタル・ゴッドであり、ヘヴィメタルそのものあである…なんて説を提唱することもできますよね。
ところが1990年代における日本のメタルシーンでは「ヘヴィメタルの始祖はディープ・パープルであり、ルーツはブルースである」という説が信じられていました。同じ音楽が好きな人でも、私より上の世代の人たちであれば「うん、まぁ(それだけでもないけど)そうだね」と思ったかもしれませんが、ヘヴィメタルに初めて触れた10代の若者がそういう雰囲気の中に放り込まれると「なるほど、そうなのか!」となってしまいます。
しかしこれは当時から、メタルにさわりはじめたばかりの若者が聞いても違和感を感じる説でした。私が初めて手に取ったメタルのアルバムはイングヴェイのFire & Iceでしたから、イングヴェイがディープ・パープルとジミ・ヘンドリックスの強烈なファンであることは常識でしたし、それだけを見れば違和感のない説です。そこからメロスピへつながるというのもわかります。
ですが、当時からその言説では全く説明がつかないバンドがいくつもありました。その最たる例がスレイヤーです。高校の先輩から「Divine Intervention」を借りて、そのとんでもない激しさに衝撃を受け、初めてリアルタイムで買ったスレイヤーのCDが「Undisputed Attitude」です。
これは確かジャケにも書いてあったと思いますが、ハードコアのカバー集です。スレイヤーはハードコアから強烈に影響を受けている、これはわかります。ではメタルの部分は?となると、全く分からないわけです。ディープ・パープルの何をどのように解釈したらスレイヤーにつながってくるのか。
また「スラッシュメタル四天王」というくくり方も良くなかったですね。日本人は三大何とかとか、四天王とか好きですからわからなくもないですが、メタリカもメガデスもアンスラックスも激しいという点でスレイヤーと共通していても、ぜんぜん違う音楽性です。なのに一緒の扱いをしてしまうと、具体的にどういう事が起こりうるかというと、一つのバンドのせいでジャンルそのものを避ける可能性があった、ということです。
実は私、メタリカとメガデスはメタルを聴き始めたかなり早い段階で知っていました。先輩や友達にCDを借りたんですね。LOADと破滅へのカウントダウンだったように思います。でもその時は合わなかった。スレイヤーはとんでもなく激しいというフックがありましたが、LOADはメタリカの音楽性が少し変化していた時期なのでピンと来ず、メガデスは破滅へのカウントダウンに限らず初心者にはかなり難しいですからね。
メタルという音楽は誰でもすぐ好きになる音楽ではなくて、酒に例えればアブサンとまでは言いませんけど、強烈なピートが効いたアイラモルトのようなものであって、聴いているうちに良さがわかっていくものです。もしスレイヤーと出会わずに「スラッシュメタルはこういうもの」と思い込んで避けていたら一生スラッシュメタルを聴かない可能性だってあったわけです。リアルタイムで強烈に盛り上がっているジャンルではありませんでしたから、再評価しようにも話題にならないんですよ。(メタリカは知名度が最も高いので話題に上がり、その後Mastar of puppetsで再会して好きになりました)
私にとって、このジャンル分けの害をモロに受けたムーブメントがNWOBHMです。日本で代表格みたいに言われているアイアンメイデンが合わなかったので全面的に避けていたんですよ。当時の私にとってのアイアンメイデンは、メタルというには激しさが物足りなくて、メロディアスというにはジャーマンメタルほど振り切っていない中途半端な感じ…という印象だったんです。
この時期、もし正しい知識で知っていたら絶対に聴いていたであろうバンドが存在します。それがモーターヘッドです。半端な知識がついていた私に対して「NWOBHMの一つ」なんて紹介をされたら、これはもうメイデンの事がありますから避けて当然であって、もしこれが「パンクの魂を持った激しいロックンロール」と紹介されていたら絶対に聴いていました。
その頃の私は、尾崎豊がロックンロールって言ってるのを聞いて「ロックンロールって何じゃろ???」とロックンロール探しをしていましたし(当時は見つかりませんでした)高校の先輩の影響でパンクもかじっていましたし、スレイヤー経由でハードコアも何となく知っていたわけですから。
インターネットというツールがない時代には、正しい情報がメディアから発信されていないと、何か強烈な違和感を感じても、その正体にたどり着きようがない時代でした。親や上の兄弟、周囲の大人がロックに詳しかったり、人口の絶対数が多い大都会に住んでいる…ということでもない限りは、雑誌の情報が全てです。しかも雑誌は多数あっても、高校生のお小遣いでギターの機材やCDを買うやりくりをしなくてはいけないですから、買えても月に数冊くらいのものでした。
おっと、私はギター小僧だったのですよ。上達しませんでしたけどね。なんせ、イングヴェイを最初に手にとった理由って、当時宝島社から発刊されていた「バンドやろうぜ!」を立ち読みしていたら「ギターの練習ならイングヴェイがいいよ」なんて読者投稿を見たのがきっかけなんですよ。
そんな中でも、ドリームシアターに出会えたのは大きかったですね。私のメタル耳はスレイヤーとドリムシが作ったと言っても過言ではありません。名盤イメージズ・アンド・ワーズ、当時ははじめから全部理解できたわけではありませんでしたが、以降20数年ほどの間は一番聴いたアルバムでした。
プログレメタルって一番難しい部類じゃない?って思う方もいらっしゃるかもしれませんが、この当時の10代って、ゲーム音楽でプログレっぽいものをたくさん聴いて育っているので、難解さよりも親しみが先に来るんですよ。
さて、ここまで読んでこられたみなさんなら「なんであの雑誌の話が出てこないんだ?」と思うかもしれません。その理由は簡単であって、私は今までBURRN!誌を一度も買ったことがないからです。先程言ったように高校生のお小遣いは有限ですから、ギター小僧が買う雑誌はYOUNG GUITARか、ギターマガジンか、Playerのいずれかです。BURRN!なんて楽譜の一枚だって載っていないですし、楽器店の広告も載っていません。買う価値は全くなかったですし、立ち読みした覚えもほとんどないんですよ。
しかし、長期間を経てメタルシーンに帰ってきてみれば、買って読んだこともなければ特に面白い情報がなかっただけのBURRN!誌が、まるで諸悪の根源のように言われているので、ちょっと驚いたんです。その理由は、noteにあったこのような記事を読んで、理解できました。
パンテラ、出てたんですね。パンテラって、自分の中ではヤンギからの知識が先行して「変則チューニングを多用する変わったバンド」みたいに昔思ってたんです。昔は変則チューニングが当たり前ではありませんでしたし、これはちょっと弾けそうにないやつだなと思って敬遠してたというか。
少し話は逸れましたが、この記事にもあるディープ・パープル至上主義って、私がよく読んでいたYOUNG GUITARと凄く相性が良かったんですよ。なんせイングヴェイなら完全に世界観に合ってるし、インペリテリも同様です。その他にもMR.BIGだってドリームシアターだって、当時人気だった超絶ギタリストを抱えているバンドであれば世界観を壊しません。でも洋楽至上主義、ディープ・パープル至上主義のBURRN!の世界観に従うと、理屈に合わない人が時折登場します。
当時、表紙で一番驚いたのは1996年8月号の高崎晃ですね。「日本人なのに知らない!誰だ!?」って思いましたから。ラウドネスを知らなかったし、知ったところでCDは見つからなかったんですけど。
そういうこともあり、やはり当時からメタルに関しては違和感がありました。BURRN!誌が主導していたらしい、当時のメタル観はこのようなものであったので、当然理屈に合わないと感じることが出てくるし、道理でメタルをキーワードにいくら深掘りしても新しい音楽が出てこなかったわけです。
BURRN!を直接読んだことのない層、つまり私にまでBURRN!の影響力が及んでいたというのは、現在の私にとっても衝撃でした。どうして「メタル」の他に「ラウドロック」だの「ラウド系」だの用語が増えてるのか、意味がわからなかったんですが、BURRN!誌が扱うものをメタルと定義して、それに遠慮する形でその他のメタル(であるはずのもの)をラウドロックと呼んだり、それに影響された国内のバンドをラウド系だのと呼んだりしていれば、それはわからなくなって当然ですし、シーンの分裂も起こります。
こんな世界観でメタルを知ると、レッド・ホット・チリ・ペッパーズは名前を聞いたことがある程度、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは名前も知らない、オアシスも名前しか知らない、グランジシーンは全く見当もつかないがニルヴァーナは何となく知ってる、インダストリアルもニューメタルもバンドの名前一つ聞いたことがないどころかジャンルも知らない…みたいなキッズが出来上がってしまうのが1990年代だったわけです。なんせディープ・パープル至上主義ならレッド・ツェッペリンの影響を強く受けたバンドなんて全部知らなくて当然ですからね。
この記事も、そろそろ終盤になってきました。私達より上の世代であればこんなことにはならないし、私達より下の世代であればインターネットを駆使して情報を集める習慣が最初からありますから、やはりこんなことにはなっていません。
多かれ少なかれ、私達の世代…団塊Jr世代、氷河期世代と呼ばれている人たちは、メタルの世界を理解する上でこのような壁にぶつかってきたことだと思います。その中には時代を耐え抜いて、シンフォニックメタルやメロデスのムーブメントに熱狂できた人たちもいることでしょう。
しかし私は10代をメタルヘッズとして過ごし、その先を見ることなく興味の中心がギャンブルに移り、生活が退廃してメタルヘッズとしての魂の象徴であったギターも売り払ってしまいました。その後ナイトウィッシュやアーチ・エネミーをたまたま知って衝撃を受けたこともありましたが、情熱に火がつくまでには至らず、メタルシーンから長らく離れていました。Amazonのレビューか何かで見たんですが、ドリームシアターのImages and Wordsを棺桶に入れてほしい、なんてコメントに共感したりもしていました。
若い頃に情熱を傾けていた事、しかも一度は冷めて離れてしまったものに、年を取ってから再び興味が向いて熱狂するなんてことは…余程のことがない限り、そうそうあることではありません。かつてのメタルキッズが現代のメタルヘッズとして蘇るには、そうですね…仮に、仮にですよ?海の向こうから、やかましくて、新しくて、ワクワクして、最高にかっこいいヒーローがやって来ることがあれば、その時はどうなるかわからない…って感じでしょうか。
この話のオチに気づいた察しのいい貴方、お仲間ですね?
そう。そいつらは、海の向こうからやって来ませんでした。海の向こうへ出ていきました。最高にやかましくて、新しいとか古いとか、そんな事もうどうでもよくなる奴らで、最高にワクワクして、ヒーローですらなく、最高にかっこいいだけじゃなくて最高にかわいいヒロインでした。
次回:君は最強で無敵のメタルアイドル
プロットなんてないので適当な事を言いましたが、次回では無理そうです。
※2023/12/10追記
どこからどう話そうかと悩んでもいますので、もう少し時間はかかりそうですね…
※そんなふうに考えていた時期がぼくにもありました